最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

和室、江戸東京たてもの園

6//2016/SAT

特別展「茶の湯」東京国立博物館、東京都台東区


トーハクで今年、目玉の展覧会。茶道と華道、両方の免状を持っている人と行ったので、隣で解説を聞きながら見ることができて、とても勉強になった。

茶道は、母も若い時分にしていたので、前々からやってみたいと思ってはいるものの、費用と時間の点で私には敷居が高い。新しいことに挑戦する気持ちもまだ持てない。今のところは、こうして博物館で「名器」を見るだけでも十分楽しい。


今回は展示品が多く、常設展も回ったのでとても疲れた。84歳の父はさすがに堪えたらしく、東洋館は見なかった。


今回、見ていて気に入った展示品を列挙しておく。再会の日のために。

  • 青磁浮牡丹文花瓶・香炉:中国・龍泉窯、3口、南宋~元時代・13~14世紀、栃木・鑁阿寺
  • 国宝 青磁下蕪花入: 中国 1口、南宋時代・13世紀、東京・アルカンシエール美術財団
  • 重文 青磁鳳凰耳花入:中国・龍泉窯、1口、南宋~元時代・13~14世紀、大阪市立東洋陶磁美術館
  • 青磁碗 中国・龍泉窯、1口 南宋時代・13世紀、東京・常盤山文庫
  • 白磁金彩雲鶴唐草文碗、中国・定窯 1口、北宋時代・11~12世紀、東京国立博物館
  • 黄天目 珠光天目:中国、1口、元~明時代・14~15世紀、東京・永青文庫
  • 黒楽茶碗 銘 利休、長次郎、1口、安土桃山時代・16世紀
  • 赤楽茶碗 銘 毘沙門堂、本阿弥光悦作 1口、江戸時代・17世
  • 小井戸茶碗 銘 六地蔵、朝鮮 1口、朝鮮時代・16世紀 東京・泉屋博古館分館
  • 色絵若松図茶壺 仁清 1口、江戸時代・17世紀 文化庁
  • 油滴天目 中国・建窯、1口、南宋時代・12~13世紀 九州国立博物館
  • 黒楽茶碗 万代屋黒 長次郎、1口、安土桃山時代・16世紀 京都・樂美術館
  • 黒楽茶碗 銘 俊寛、長次郎、1口、安土桃山時代・16世紀 東京・三井記念美術館

いつも注目してしまう青磁のほか、今回、黒に魅了された。黒といっても闇の黒ではない。光沢のある、いわゆるピアノ・ブラックとも違う。温かみのある黒があることを知った。


展示を見ながら、一つ、疑問が浮かんだ。茶道はなぜ武家文化になったのか。

展示では、茶は唐の禅僧によって伝来した。舶来文化が地位と資産の象徴だった時代に有力者がこぞって嗜んだ、という説明があった。伝えたのは禅僧だった。

茶道は禅宗と関係がある。鎌倉時代から室町時代を経て戦国時代まで、多くの武士が禅宗に帰依した。ここに共通点はないか。


武士の本業は戦。彼らは常に死と隣り合わせに生きている。戦で気迫を持って戦う精神力を養うために座禅を組んだのではないか。

伝来してしばらくはただの美術品や遊興だった茶道も、千利休によって精神性の高い文化に変貌していく。

座禅はひたすら座り、気持ちを鎮める。茶道はすべての所作に規則があり意味があり、そこに高い精神性がある。

こうした究極の形式主義は、死と隣り合わせの毎日をストイックに生きる武士たちの精神性を高める役割をなしたのではのではないか。


茶道に起源をもつ「一期一会」という言葉はよく知られている。「二度と会うことはないかもしれない」という意味を侍たちはどう受け止めたか。

ただ、二度と会わないかもしれない、という意味ではない。

俺もお前も明日には死んでいるかもしれない

そうなれば、もう二度と生きて会うことはない

そのような意味で「一期一会」をとらえると、単にかりそめの知遇というやさしいものではなく、「茶の湯」の場はもう二度ど生きて会うことがないかもしれない人と人の生命を賭けた厳粛な修練の場だったのでないかと思われてくる。


ここから話は飛躍する。

展示では、戦後、国民が日本文化に対して自信を失っていたとき、茶道を再発見したのはビジネスマンだったとある。

この視点は興味深い。武士常にが死と隣り合わせの生き方をしていたように、ビジネスマン、とりわけ経営者は事業の失敗という危険と隣り合わせで生きている。


さらに話を飛躍させる。

茶道を復権させた経営者たちにとって、武士が戦と茶や禅を分けていたように、仕事と精神の鍛練は別ものだった。何かしらの文化を通じて精神力を高め、ビジネスでの厳しい交渉や判断に活かした。

今も、一部の経営者のあいだではそういう考え方は共有されているかもしれない。


ところが、経営者は経営者通しでは仕事と文化を分けているのに、従業員に対しては、職能や精神力を向上させるために文化活動に勤しめとは言わない。彼らは労働者は労働を通じて精神力を高めることができると扇動する。

個人個人でみれば、経営者でない労働者でも、趣味や奉仕活動を通じ職能や精神力を高め、仕事に活かしている人もいるに違いない。

ここで指摘しおきたいのは、元は別々だった仕事と仕事に必要な能力を高める活動、--文化と言ってもいいだろう--、二つはいつの間にか混合させられている

茶道について言えば、男女を問わず、むしろ男性が精神を鍛える文化だったものが、男性が企業労働に埋没する一方で、裕福な女性の趣味や花嫁修業へと変化してきた。

茶道が主に裕福な女性の趣味になった背景には、会社員や経営者の交際がゴルフや釣り、野球と多様化していったことど関連があるのではないか。

ここまで書いたことは、茶の湯に関わりを持てずにいる者のひがみと思って、読み捨てて構わない。私個人の、展示を見終えたときの感想に過ぎない。


いわゆるブラック企業では、働きがいだけでなく、感動や幸福、生きがいまでもが企業労働で得られるもの、否、得なければならないものになっている。

言うまでもないが、幸福や内的成長は企業労働以外からも得られるはず。むしろ、企業労働の外で見つけなければならない。人は会社員である前に人間なのだから。

従業員や国民や民族である前に一人の人間でなければならない、と私は信じる。


書店に行けば『仕事に没入することが人間力を高める』という書名の本や、そんな内容の本が数え切れないほど並んでいる。

「ワークライフバランス」という言葉がかまびすしい。それは、Work と Life が分別されいないことが家庭や個人にとって問題になっているから。

問題がなければ、「バランス」について議論する必要はない。


茶道に取り組む余裕はないけれど、Museumへ行くことが、感動や幸福感をもたらす、私にとって貴重な企業外活動になっている。

どういうわけか、「茶の湯」とあまり関係のない文章になってしまった。


さくいん:東京国立博物館(トーハク)