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小森陽一を読むために借りたが、よくわからなかった。本編より付録の月報にあった木田元、穂村弘の随筆が面白かった。伝記(人生)において意味があるのは業績ではなく、文学的逸話だという穂村の指摘はいかにも酔狂な歌人らしい。
木田は芸術への案内者としての小林秀雄を評価している。小林が活躍しいてた時代日本ではまだほんもののゴッホを見ることはほとんどできなかった。多くの人が小林の案内で文学、歴史、美術、音楽の世界へ入っていったということがよくわかった。
1988年、私は19歳でほんもののゴッホ、ルノワールを見た。21歳でルーブルを見た。こんな幸福はない。今、小林秀雄を読む意味はかつての若者が読んだときとは、違っていて当然なのだ。
バブルの申し子も悪いことばかりではない。