クグツガリ

闇に添う者達 一

 陽が昇るのも待ち遠しい様子で一組の布団を囲んでいた顔ぶれの中、一人、じっと目を開けたままでいた少女が動く。
 神代家の居候の中には医師もいる。静見創天術による治療を受けた後、その医師の診察を受け健康体のお墨付きを受けた三石真は、今はほぼ無傷の状態でのん気にいびきをかいていた。
 薄っすらとではあるが、朝日が部屋に差し込む時間帯にさしかかっていた。少女――桐紗はあぐらをかいて腕を組んだ体勢のまま、半分まぶたを持ち上げて周囲を見渡す。
 眠っているのかどうか壁に背を預けて目を閉じている静見と、壁に寄りかかってうずくまり、いびきをかく大治が見える。
 焦る気持ちはあるものの、いくらなんでも怪我人を無理矢理起こして話を聞くわけにもいかない。
 ――でも、そろそろいいだろう。
 ずいぶん長い間待ち続けていたような感覚があって、桐紗は焦れていた。今までの静寂をわずかに乱し、気持ち良さそうに眠っている男の枕元に忍び足で近寄る。
 そして、少女の左右の手は枕をつかむと一気に引っ張った。
「いつまで寝てるか! 起きろ三石!」
 耳もとで響く聞き慣れた声に似せられた大音声に、刑事は跳ね起きた。
「は、はい警部、起きておりますっ!」
 寝起きの割にはっきりした調子で言い、彼は周囲を見回した。途端に、その顔に狐につままれたような表情が浮かぶ。
「桐紗……一応、怪我人だろう」
 すでに起きていた調子で静見が片目を開け、あきれたような視線を少女に向けた。
 三石も見慣れた少女の姿に気がつき、
「なんだ……お嬢さんでしたか。てっきり日潟さんかと……
 安堵したように大きな肩をすくめ息を吐く。
「失礼だね。こんなピチピチの美少女とむっさい男を間違えるなんてさ……って、そんなことはどうでもいい。あんた……
 少女は相手のシャツの襟首をつかみ、目をのぞく。
「美佐子ちゃんの行方について、何か知ってんでしょ? 教えなさいよ!」
「やれやれ、物騒な……
 騒がしさに起こされたのか、すっかり寝入っていたかに見えた大治も、あきれの声を上げながら枕元に近づく。
 三石は少しの間目を白黒させていたものの、周囲でじっと目を向ける三人の視線に気がつくと、刑事らしく、何を求められているのかを敏感に察知したらしい。
「そうです、美佐子さんが黒い車に乗せられて連れ去られたんです。こっちも追跡していたんですが、辺りに人目がなくなった途端、急に何かに横からぶつけられたような衝撃があって……
 ――傀儡か。
 相手が傀儡使いの術師だという確信を深めながら、桐紗は無言で先を促す。
「あいつら、町を出るように動いていました。日潟さんに連絡して、車の行き先を追跡させましょう。ナンバーは覚えています」
「車種も……?」
「ああ、ありゃあ、高価な車でした。それに、プロの連中を集められるんだから、相手はよほどの金持ちと見えます」
 追跡中の様子からして美佐子を乗せた車の運転手はかなりの腕前だと、三石は判断した。それでも、三石自身も腕に覚えはある。懸命にくらいついているうちに、突然横から車ごと跳ね飛ばされたのだという。
「少し時間はかかりますが、車の行き先を突き止めれば何かわかるでしょう」
 つい先ほどまでの眠気など感じさせず、すっかり刑事の顔になって、枕元に畳んであったコートのポケットから携帯電話を取り出す。
 壁際で、静見が視線を刑事から家主に移した。
……は、大治どのにも訊きたいことがある」
 ぽつりと言った彼のことばに、三石も携帯電話のボタンを押す手を止めた。
「何を聞きたい?」
 神代家の当主は、覚悟を決めた様子で相手の視線を受け止める。
「何か、心当たりがあるのだろう? 孫をさらった相手に。神代美佐子は一般的な女子高生とは少し違う力を持っているが、相手がその能力を目的としているのなら、むしろ儂や桐紗を……あるいは、大治どの自身を狙うはずだ」
 それは、三石を見つける前に桐紗も口にしていた疑問だ。
「だから、犯人は美佐子自身に執着する人物……身内ではないのか?」
「そこまでわかっているのなら、お主はその男の名前も聞くまでもないのだろう?」
 大治は少し疲れたように肩をすくめる。
「わしも同じ考えだ……犯人はおそらく、神代裕一。美佐子にとっては叔父に当たる男だ。行方不明でもはや生きているのかどうかもわからなかったが……こういう形で戻ってくるとはな」
 苦虫を噛み潰したような顔で、彼は語り始める。
 美佐子の父の弟、裕一は、頭の良い男だった。武術の才能には恵まれなかったものの、人当たりは良く成績優秀で、周囲に賞賛されていた。
 だが、外面の柔らかな印象とは裏腹に、彼は野心の強い男だった。それを普段は巧妙に隠しているが、年々強まるその心の奥底の欲求も、父である大治には隠しきれない。
 欲しいものは手に入れなければ済まないその性格は、ある時、道場を我が物にしたい、美佐子を自分のもとで育てたいという申し出に表われる。
『道場経営にも、これからは力より知識が必要なんですよ、父さん』
『こういう女の子は、古く汗臭い道場よりも、新しい知識に触れさせて育てるほうが大切なんです。それがこの子のためなんです、考えてみてください』
 裕一の主張は、ことごとく兄や父とは食い違う。
『ならば、本人に訊いてみよう。美佐子、お前、この道場が嫌いかい?』
 祖父のことばに、幼い少女は『ううん、好きだよ』と答えた。
 そのときの裕一の絶望したような顔を大治ははっきりと覚えているが、幼い美佐子は玩具に夢中で、叔父の絶望に少しも気がつかなかった。
「あれほどの才能を持っているのだから、いくらでも自分の道場を持つなり、家族を作るなりできそうなものだが……奪うことしか考えられなかったのか……
「独占欲が強かったのかな」
 遠い目をして天井を見上げる大治のことばに、桐紗が抑揚のない口調で相槌を打った。
……そう、単純な話ではないと思うぞ」
 静見が溜め息交じりに言い身を起こして歩き出すと、部屋を出て行く途中、桐紗の背後で足を止める。
「神代裕一は術師……彼には美佐子と同様、傀儡が見えたのだろう」
 声をひそめてそう言うと、浴衣姿は縁側廊下に消える。
 ――そうか、叔父さんも他人とは違う能力に悩んでいたのか。
 だから、いくら人当たりが良くても、成績優秀でも、他人に本当に心を開くことはできない。だから、自分と同じものが見える幼い美佐子に執着した。絶対的に他人と違う部分を共通点として持つ、自分の姪に。
 静見が言うように、人の心はそれほど単純ではない。それでも、桐紗は少しだけ、裕一の心が理解できたような気がした。
「ま……相手が誰であれ、やることは一緒だけど」
 言って、少女はすっくと立ち上がると静見を追って廊下に出る。電話中の三石を残し、大治も部屋を出た。
「それでじいちゃん、神代裕一って人、どれくらいの術が使えるかわかるの?」
 襖を閉めるなり、桐紗が一番訊きたかったことを口にする。
「わしにも、本当のところはわからん。中学生の頃には家に伝わる古文書に興味を持って読み漁り、楽駕神社などに話を訊きに行っていたようだが……もう、あれからだいぶ時間が経った。知識欲旺盛なヤツだったからな」
「少なくとも……複数の傀儡を使役し、強化できるほどの術師なのは間違いない。行方をくらましている間に、よほどの修行を積んだのだろう」
 縁側に腰かけて足もとに擦り寄る黒猫を見下ろしながら、静見が淡々と続ける。
……桐紗、今日は普通に高校に行け。その間に儂は情報を集める」
「ええ?」
 少女は思わず、不満げな声を上げた。
 彼女は高校を休み、美佐子の捜索を続けるつもりだった。高校で授業を受けているうちにも三石のほうの調べはつくだろうし、静見だけに任せてはおけなかった。
 ――ひとりで解決するつもりか。
 抜け駆けを咎めるように青年をにらむものの、静見は中庭に目を向けたまま、
「相手の目的が美佐子の命ではないのだから、すぐに逼迫した状況にはなるまい。それに、儂も夜、動く」
 それでも桐紗の視線には気がついている様子で、そう告げる。
「最近の傀儡の動きがかの術師の意思ならば、今夜も動きがあるはずだ。その動きを辿れば、自ずと相手の行方は知れる。範囲をいくらかでも狭められねば、昨夜のように歩き回るだけに終わるかもしれんが」
 その眠たげな目が、三石がいるはずの部屋の方向を一瞥する。
……それに、騒ぎが大きくなると後々面倒だろう」
 昨日は桐紗が欠席し、今日は美佐子と桐紗の両方がいないとなると、友人たちも異状を感じるだろう。それが桐紗一人でも出席すれば、風邪が美佐子に感染ったのだとでも、いくらでも言い訳はできる。
「わかったよ……何かあったら早退でも何でもしてくるから、抜け駆けはしないでよ」
「ああ……
 いつもの、どこまで本気なのかもわからないような調子ではあったが、桐紗は請け負った静見のことばを信じることにした。

 気がつけば、カーテンから朝日が洩れていた。
 部屋は少し古いものの、あとから持ち込まれた物なのか、身を横たえたベッドも布団も上等だった。眠気を誘うぬくもりは、もっと包まれていたいという欲求を呼び起こすが、昨日から続く緊張感が美佐子の意識をはっきりさせる。
 それでも、緊張感の中にある危機感はだいぶ度合いを減らしていた。正体不明と思われていた相手が顔見知りだったことと、その相手に自分を傷つけるつもりがなさそうなことを理由に。
 ――でも……すべて夢ならもっと良かったのに。
 ベッドを出て息を吐きながら、そんなことを思う。
 暗い気分になっても仕方がない。気を取り直し、ふと窓に目をやって、カーテンを開けようとする。だが、それは動かないよう固定されているようだった。
 無理に開けようとすると、音を聞きつけられるかもしれない。あきらめてじっと透かし見ようとすると、空の青さが広がっているように思えた。
 ――どこかの建物の二階、かしら。
 少なくとも、林立するビルの合間ではないらしい。ほんのわずかな情報だが、それを確認できただけでも、心の慰めにはなる。
 しわになった制服のスカートの形を整え、ドアに目をやる。ベッドのほかに何の調度品もないこの部屋でできることは、眠るか考えごとをするか、くらいしかない。
 緩慢な動作でドアに歩み寄りドアノブに手を掛けるまでの間に、頭の中で昨日の記憶が行き過ぎる。
 めまぐるしい展開と緊張のために、ほとんど話を聞いていることだけしかできなかった。半ば茫然とした姪を前に、神代裕一は饒舌に語った。自分が家を飛び出してからのこと、いかに美佐子を愛おしく思っていたのか、昔聞いた術の知識を思い出し術に関する古文書を見つけ、独学でどれほど強力な術を身につけたのか。
 それを、美佐子はどこか、非現実的なことのように感じながら聞いていた。
 ドアを押し開ける。
 少し広めの部屋に広がるのは、それもまた、非現実的な光景。
「おはよう、美佐子」
 四角いテーブルに清潔な白のテーブルクロスが掛けられ、その上には高級そうな料理が並べられている最中だった。
 向かいの席に座る叔父の端正な顔が、綺麗な装飾がされた燭台のロウソクの明りに照らされている。
 部屋自体は少し汚いが、演出された雰囲気はテレビドラマでしか見たことのないような、高級レストランのようだった。
「あ……おはよう、ございます」
 別のドアを出入しているシェフが料理を並べていくのをぼうっと見ていた美佐子は、椅子を引かれてようやく我に返り、挨拶を返しながら席に着く。
 それを、同じテーブルに着く青年は笑顔で迎えた。
「キミの口に合えばいいけどな。遠慮せずに食べてくれ。食べたい物があれば、すぐに持ってこさせるよ」
 美佐子は少し迷ったものの、目の前に置かれていたボウルで手を洗うと、フォークとナイフを手にする。まさか毒が入っていたりはしないだろう、と信じることにした。
「いただきます」
 昨日は夕食を抜いている。見るからに美味そうな料理を目の前に並べられると、空腹を感じるのは仕方がない。
 恐る恐る手にしたフォークをのばし、柔らかそうな鶏肉の切れ端を口に運ぶと、今まで味わったことのないような美味さに、思わず目を見開く。
 そんな少女の様子を嬉しそうに見ながら、裕一も食事を始めた。
「何年ぶりかな……こうして、一緒に食事をとるのは」
「久々……ですね」
 少女の脳裏にも、懐かしい光景が浮かんでは消える。
 楽しく話をしながら食卓を囲む。外で遊んで帰ってきた後、叔父に話をするのが好きだった。優しく撫でてくれる手が、穏かな声が好きだった。家に他に誰もいないときに目玉焼きを作ってくれたり、泣いて帰ってきた後、慰めてくれたり――
 そんな断片的な感情と記憶が、長い眠りから覚めたようだった。
「今まで会えなかった分、美佐子の望みはできるだけ叶えてあげたいんだ。欲しい物があれば、何としてでも手に入れる。買いたい物があれば、何でも買ってやれるよ」
 顔立ちは変わっていても、裕一が見せる笑顔は、優しい叔父のほほ笑みそのもの。
 だが、美佐子は何か、心に引っかかるものを感じる。
 ――いくら、今こうしてわたしに優しくても……この人は、先輩や、わたしの気持ちを利用したんだ……
 そのやり方が気に入らない。
「それに、美佐子にはわたしと同じ、術師の才能があるようだ。わたしのもとにいれば、色々と教えてあげられるよ。キミがいるべきところは、やはりあの道場じゃない」
 美佐子の胸中をよそに、裕一はよどみなくことばを続ける。
「あそこにいれば、キミはどんどん失うだけだ。わたしと一緒ならもっと新しい、多くのものを得られるよ」
……裕一さんは、お祖父ちゃんを恨んでるの?」
 ふと、そんな問いかけが口をついた。
 彼女自身もそれが思わず声に出たことに驚くが、それ以上に、穏かなほほ笑みを絶やすことのなかった裕一の顔に動揺の波がはしる。
 それも、間もなく新たな笑みに溶け消えた。
「恨んだこともあったけど、今は違う。もう、別の世界の存在さ。恨んだって仕方がないだろう?」
 それでも美佐子は、彼の声にかすかに交じる揶揄の響きは、決して気のせいではない、と思う。
「少なくとも、美佐子をここまで育ててくれたことには感謝してるさ」
 続いた声を立てての笑い声は、どこか、心がないかのように乾いていた。

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