クグツガリ

闇に添う者達 二

 教室はいつものように騒がしかった。ただ、昨日は空だった矢内桐紗の席が埋まり、代わりに神代美佐子の席が空になっている。
「いやあ、他人に風邪をうつすと治るって本当だねー。美佐子ちゃんにうつしちゃったみたいでさ、おかげであたしはすっかり元気なんだ。まあ、あたしなんかのために遠くまで氷買いに出かけてた美佐子ちゃん自身にも原因はあるんだけどさ」
 昨日電話を受けた高木奈美らも含め、桐紗のそんなことばを、あえて疑うクラスメイトはいない。
 ただ一人、深夜まで美佐子の捜索を手伝っていた進藤竜樹だけは、桐紗のことばを表面上のものだと見抜いていた。
……まだ、見つかってないんだろ」
 昼休み、昼食を終えた桐紗が廊下に出ると、窓を背にした竜樹が声を掛けてくる。
 桐紗は溜め息をひとつ洩らし、寝不足がはた目にもわかる、目の下にクマを作った少年のとなりに歩み寄った。
「ああ……戻ってないよ、今はまだ。でも、明日には戻る。今夜、決着をつけるから」
「それじゃあやっぱり……美佐子がいなくなったのには、あの傀儡とかいうバケモノが絡んでるのか」
 小声で言いながら、がっくりと気落ちしたようにうなだれる。
「それじゃあ……オレにはどうしようもないな。悔しい」
 それは、彼の素直な気持ちだろう。幼馴染みとして、美佐子が消えたことを知る者として、できる限りのことをしたい――そんな思いを遂げる手段を断たれた者の心境だ。
 桐紗は、少し羨むように、横目で少年を見た。
「あんたには、あんたにしかできないことがあるでしょ。一番、美佐子ちゃんとの付き合い長いんだから……それにしても、美佐子ちゃんも果報者だね」
「かもなー」
 少し投げやりに同意してから、竜樹は真っ直ぐ、すでにだいぶこの高校に馴染んでいる転校生と目を合わせた。
「桐紗……美佐子のこと、頼んだぞ」
 いつもと何ら変わりないような、高校の廊下に広がるざわめきの中で、そのことばだけが桐紗の耳に届く。
「ああ、任せときな」
 その表情、その声、その心に、迷いも不安もない。胸を張って、少女は請け負った。

 少女が一人姿を消したとしても、街はいつも通りの景色を見せ、陽はほとんど代わりばえのしない針路を辿って沈んでいく。
 夕日に染まる屋根の連なりに目を向けながら、静見は縁側に座っていた。そのそばには、黒猫がうずくまっている。
 周囲が普段と変わりなくとも、神代家はまるで時間が止まったような静けさの中にあった。大治が道場での訓練を休みにさせ、家政婦の光江も休ませたのである。
 三石真は何かあれば連絡すると言い残して出て行き、大治は下手に動いても仕方がないと観念してか、居間でじっと待つことにしたらしい。
 そのような様子のため、周囲はまるで石のような冷たく静かな空気に支配されていた。
「ご主人……美佐子嬢ちゃんの居場所、見当がつくんですかい?」
 聞き咎める者はいないと確認して、九虎丸が小さな口を開く。
「刑事の話では、神代美佐子を乗せた車は町の外へ続く道路を通った様子がないということだ。まだ、楽駕町内にいる可能性が高い」
「へえ……灯台下暗し、ってヤツですか」
 黒猫は何かを待ち受けるように、身を伏せて主人を見上げている。
「手口から見ても、大治どのの話を聞いた限りでも、用意周到な相手だ。わざわざ遠くまで連れて行かなくとも、隠し通す自信があるのだろう」
 そこまで言うと、静見はわずかに肩をすくめ、身を引いた。
「だが、傀儡狩りに対して傀儡の気配を隠すことまではできまい。それがわかっているからこそ、相手も傀儡を強化することで対抗しようとしているのだろう」 
 視線は街並みと空の狭間に向けたままの主を、黒猫は、少し気遣わしげに細めた目で見上げた。
「昨日も、でけえ傀儡はえらく強化されていたって話じゃねえですか。大丈夫なんですかい、ご主人?」
 前脚を膝の上にのせ、のぞき込んで来るのに、静見はようやく視線を下に向け、口もとで小さくほほ笑んだ。
「ああ……準備に手抜かりはない。今夜こそ決着をつけるよ」
 濃くなる夕日の色が、その横顔を照らしていた。
 のんびりと過ごすのを好む黒猫にすら、妙なほどゆっくりと流れているように感じられていた時間も、夜が近付くにつれ、速くなっていくように感じられる。特に、太陽が遠くの山並みにかかったころ、玄関の戸が開けられてからは。
「ただいま! ちゃんと大人しくしてたみたいだね」
 いつも通りの元気な声が、静けさを破る。美佐子がいないことへの不安を感じていないわけではないだろうが、その声には、少しも暗い響きはない。
 一向に歩み寄ってくる少女を見る気配のない主に代わり、九虎丸が彼女を迎えるように廊下に座る。
「お帰んなさい、桐紗嬢さん」
「へえ、ご主人に似ず、殊勝だね。何か気味悪いよ」
 桐紗が言うと、せっかく精一杯正座を真似たつもりだった黒猫は、がくりと小さな肩を落としてみせる。
「気味悪いとはずいぶんな言いようでさァ、お嬢さん。あっしはただ、今夜の戦いで、お嬢さんにも頑張っていただきたいというだけでして」
「ふうん……
 桐紗には、黒猫の真意が理解できたらしい。彼女は足元の小動物を、そばで眠たげに中庭を眺めている浴衣姿と見比べる。
「言われるまでもないよ。静見ちゃんの出番がないくらい、とっとと片付けてあげるから。大船に乗った気でいなさい」
 薄い胸を反らす桐紗を、しかし九虎丸は、胡散臭げに見上げる。
「泥舟じゃなけりゃいいですがね」
 少女の足が、黒い尻尾の上に乗る。
「何か言った?」
「いいえ、何も!」
 足に体重が乗せられる前に跳び退いた九虎丸は、そのまま飛び降り、縁側の下に逃げ込んだ。
「まあ、まがい物のような泥舟でも、沈む前に渡っちゃえば何とでもなるさ」
 小声で付け加えて、少女は自室に向かう。
 間もなく、闇が空を席巻し始める。晴れ渡っているが、少し空気の冷たい夜だった。こんな夜には、普段以上に、出歩く者の姿が少なくなる。
 ただ、満月をわずかに縮めただけの月に、澄んだ空気に映える星々と、夜空はいつも以上に賑々しい。
「ほんと好きだねえ、星見るの。大して代わりばえしないのに」
 神代家の屋根の上で、静見は時が移るのを待ちながら、ひたすら空を見上げていた。いつもの遠くを見ている目に近いが、それでも、普段よりは意志を感じる目で。
……代わりばえしないからいい」
 となりに腰を下ろす気配を感じながら、彼はぽつりと言った。
 答が返ってきたのを少し意外に思い、少女は相手の表情を横目で見る。
 静見は、少しだけ、笑っているようにも見えた。
「いくら季節が変わろうと、時代が変わろうと……人が変わろうとも、見上げる星空が変わりないのは安心するものだ」
……何さ。今度の相手が強いから、弱気になってんの?」
 桐紗がのぞき込むと、静見はあきれたように、視線を少女に移動する。
「そういうわけではない……それより、お前さんこそ、その格好は何だ」
 言われて、桐紗はポーズをとるようにして立ち上がり、両手の指で摘んだ袖を持ち上げてみせる。
 彼女は、いつもの動きやすい私服ではない。普通に生活しているうちには目にすることがないような、古い時代の狩衣に似た、黒衣をまとっていた。
「何だも何も、傀儡狩りの正装じゃない。あんた知らないの?」
「儂は野良傀儡狩りだからな」
「あたしもそうだけど、ちょっと傀儡狩りの伝承がある神社にでも寄ればいくらでももらえるし。大体、あんたが知らないのっておかしくない?」
「知らん」
 桐紗の追究にも、静見はにべもなく言い放つ。
「ま、どうせあんたの時代にはなかったんでしょうけど。これだから、古い人間は……って言ったら、敵さんと同じになっちゃうかあ」
 屋根の上に大の字に寝転がり、少女は空ではなく、下を眺める。
「そうだ。星の観察もいいけど、美佐子ちゃんが帰ってきたら、花見でもしよう、花見。もうほとんど満開だからね」
 中庭で、ほんのり浮かび上がるような夜桜が、所狭しと中庭に枝を広げている。眺める者の少ないのが惜しまれるような、見事な華やぎだった。
……そうだな」
 静見が相槌を打って、立ち上がる。
 のんびりことばを交わしながらも、傀儡狩りたちの精神は、街並みに向けられていた。ほんのわずかな異変も逃さぬよう、普段はないくらいに、傀儡の気配を捉えることに集中していたのだ。
 ――そして、それは動き出した。

 日が高く昇り、それが低い位置まで落ち始めても学校にも行けず、家にも帰れない。
 日常を壊されている代償か、望みはすべて叶えると言われていた。食べたい料理、読みたい本や雑誌、着たい服、その他欲しい物。様々な要望を問われてほとんど拒否したが、美佐子は否定し続けるうちに申し訳ない気持ちになって、ただひとつ、ペットボトル入りのウーロン茶だけを手に入れた。
 そして、これは正解だったと思う。目覚めた部屋の外には簡単には出られず、喉が渇いても気軽に水を汲んでくることはできない。世話役としている男に頼めば飲み物を持ってきてくれるだろうが、人を使うことに慣れていない少女にとって何度も世話役に頼るのは気が引けた。
 ただひとつ、どうしようもないことがあった。トイレだ。
 さすがにそのときは部屋から出してくれるが、一人では行動させてくれず、トイレの外までついて来られる。それだけで充分恥ずかしかったが、この状況では仕方がないとも感じた。実際部屋の外に出られたとき、隙があれば逃げ出そうと考えていたのだから。
 ――こうして囚われている以外、何もできないのかしら。
 自分の無力さに溜め息が出る。
 だが、その彼女の目にわずかな光が入った。トイレの照明とは異質な色合いの光だ。
 当たり前の存在に思えたがゆえに、すぐには気がつかなかった。トイレの壁に開いた、格子のはまった小窓。部屋や廊下とは違い固定されたカーテンで塞がれていない。そこだけ忘れたのか、それとも小さ過ぎて逃げ出すことはできないと見越してか。
 美佐子は小窓に飛びついた。
 ――逃げ出せなくても、何かわかるかもしれない。
 星々のまたたく空、木々の向こうからわずかに差し込む街灯の明かり。その合間にうごめくのは……
……っ」
 吐き気すら感じて思わず口を押さえる。
 人ではありえない造形と動きはそれほど不気味でグロテスクで、自分とは次元の違うところにいるべき存在に思えた。
 ――ここから逃げられない。自分の力だけじゃ……
 建物を取り囲む異質な者たち、という異様な光景ははっきりと彼女にそう悟らせた。結局、待っていることしかできないと。
 それがとても悔しい一方、冷静な部分が、下手に動いてさらに事態を悪化させるより大人しくしていた方がいい、今は耐えるべき時間だ、とささやきかけてくる。
 ――せめて、心だけは強くいよう。
 弓を手にした自分を想像し、彼女は心を研ぎ澄ませた。

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