NO.01 開戦

 惑星ファジッタの中心都市ファンダウンには、BSC――ブルースタークリスタルという有限会社があった。もともとできたばかりの会社だが、BSCは技術者たちと科学者たちの集合体でもある。最新技術のデモンストレーションと普及を目的としたBSCB、BSCビルが建設されたのは、3年前のことだった。
 青く半透明な、六角柱型の建物が、陽を受けてそのシルエットを公園に描き出す。青い影に入ると、どこか不思議な空間に迷い込んでしまった気になる。
 公園には噴水や花壇、ベンチがあり、人々が休息の時間を過ごしていた。子どもたちが青い影の中を駆け回っている。
「どうだい、ここには慣れたかい?」
 ベンチに腰を下ろしたエプロン姿の少女に、買い物袋を手に下げた女性が声をかけた。女性は40歳前後で、焦げ茶色の髪をひとつにまとめている。
「はい……マイト先生。お買い物ですか?」
「ええ。ラファサ、あなたもそうみたいね」
 カウンセラーであり、心理学の権威として名高いベッキィ・マイトは、答えながら少女の横に座った。晴れ渡った空からの光が暖かく、二人を包む。
 ラファサがクレイズ・オーサー教授とともにこの惑星に来てそれなりの時間が経過している。ベッキィは、現在彼女にとってファンダウンでの数少ない知人となっていた。ラボ〈リグニオン〉の者たちが、ラファサを気にかけてくれるように頼んでいたのだろう。
「どう? いつかは、〈リグニオン〉に戻りたいと思ってる?」
 ベッキィは、ラファサに優しい目を向ける。
 ラファサは、自分の気持ちを確認する。自分が本当に何を考えているのか、彼女自身にもわからなかった。自分の気持ちを理解することに自信が持てない。未熟で、確固たる信念や、判断基準がなかった。
 それでも、曖昧な感情のようなものが答を告げている。
「私は……いつでも、戻りたいと思っています。でも、私にはそれができません」
 〈リグニオン〉は、居心地の良い場所だった。天涯孤独の彼女にとって、初めての〈帰りたい場所〉だった。心の安らぐ、自分の居場所。自分を道具としか見なった、トラム研究所とは違う……
 トラム研究所は、ここから五分程度のところにある。今は警察やGPが出入しており、一般人は中にまで入ることはできない。ラファサは、近づきたくもなかったが。
「あなたが戻ろうとすれば、向こうは歓迎するでしょう……あのような状況を離脱できれば。でも、いつか帰ることができる状況になる前に、あなたの気持ちの決着をつけることが重要ね」
 ベッキィは荷物を置いて、身体ごとラファサのほうを向いた。
「ラファサ。あなたが自分を許せない原因になったことには、あなたの責任はないわ。逆らうことのできない運命のようなものだったんですもの」
「でも……事実は変えられないでしょう。私は、罪の記憶と罪悪感を忘れることはできない。命が続く限り」
「悪い記憶に触れずに生活することはできるはずよ。〈リグニオン〉でのこと、悪い思い出ばかりじゃなかったんでしょう? すべてを忘れて真っ白になる必要はないし、それでは成長できないもの」
 彼女は、ショルダーバッグから財布を取り出した。開いた財布の片面に、写真が入っている。その写真の中では、ベッキィとその夫のジャクラム・マイト、そして少年と少女が大人達の前で照れたような笑みを浮かべていた。2人ともジャクラムと同じ黒目黒髪で、少年は十代半ばくらい、少女の方はそれよりひとつふたつ年下に見えた。
「お子さん……ですか?」
「そう。クルトとルチアって言うの。とても仲が良かったんだけど……昔、事故があってね」
 内部が腐っていた巨木が倒れてきて、兄妹とたまたま近くにいた通行人の夫婦が下敷きになった。夫婦は即死し、兄妹も瀕死の重傷を負った。
「その……ご兄妹は……
 きいてはいけないのではないか、と思いながらも思わず疑問が口をついて出る。
「ルチアは亡くなったわ。そのままでは、クルトも逝ってしまったでしょう……それを、まだ息のあったルチアからの臓器移植で乗り切ったの。他に方法はなかった。でも、私は失敗した。その決断を自分でしなかったの」
 壮絶だ、とラファサは思う。
 死にかけている兄妹を目の前に、その親が冷静に選択などできるものだろうか。それも、妹の臓器を移植し兄だけを生かすという選択を。
 だが選択すべきだったと、彼女は後悔しているのだ。
「辛くても、後悔しない選択を選ばなくてはならない。自分のためだけじゃなくて、誰かのためにも」
「私に、何ができるのでしょう……
 惑星オリヴンを離れて間もなく、めまぐるしい事態が起きたのは知っていた。すぐにも帰りたかったが、足手まといになるだけだという思いが足をとどめた。
「ここにいてずっと心配し続けるよりは、近くで心配し続けた方がマシかもしれないわよ。そう考えるのはあなただけとも限らないし」
 ベッキィは視線を道の向こうへと向けた。
 見覚えのある青年が何かを決意したような表情で、しっかりと少女らへ向かう足で大地を踏みしめていた。

 司令室に戻ったエステル・ラーズは、すぐに近づく訪問者の存在を知らされた。アーミラによると、その宇宙船は地球まで航宙予定だったが今回の件で到着不可能となり、しばらく基地に滞在したい、と告げてきたという。
「危険であることは伝えましたが地球にどうしても届けたい荷物があるとかで、せめて数日、こちらで様子を見させて欲しいとか」
 あえて近づこうとする者が少ないためか、地球や基地への強制力のある航宙禁止命令は、少なくとも複数の宙域に効力のあるものはどこからも出ていなかった。
 すべては、基地司令官の判断次第だ。
「数日が終わればあきらめて帰るんでしょう……仕方がない。ここで拒否して、無茶をされてはより危険だし」
「同感です。特に怪しい部分はないようです」
 航宙関係の記録など、できる者にはいくらでも改竄できる。それを知らないアーミラは新任の司令官に同意した。司令官の方は知った上で判断していたので、彼女に知識があったとしても結果は変わらないが。
「保安部をポートに集めて。警備は最大レベルで。私も行きましょう」
 ムーンポートへ向かうエステルの背後に、当然のようにアーミラも続く。途中、保安部員四名が合流した。
 支持を受けた事務室の航宙係がシステムを操作し、宇宙船をムーンポート02へ誘導する。その付近は司令官の命で隔離され、警戒レベル最高の態勢をとる。
 予定外の挙動もなく、飾り気のない宇宙船がプラットホームの前に着陸した。空気の浄化が終わると間もなく側面ハッチからラダーが降りる。
 果たして、どんな人物なのか。
 まだ透明なシールドで空間を隔離されているとはいえ、保安部員たちには緊張が走る。相手が平和的な人物とは限らない。
 運送会社のロゴを側面に刻んだ宇宙船のクルーたちの多くは、保安部員たちと変わらぬ堅い表情で降りてきた。
 コートを着込んだ青年と作業服の青年、そして女性が三人。
「ようこそ、月面基地へ。大所帯ですね」
 にこやかに迎えるエステル。
「ええ……
 ある程度近づくと、司令官の顔を見るなり五人は目を見張る。司令官のそばに控える者たちはわけがわからず、訪問者たちの異変を内心不思議に思うばかりだ。
「あなた……
 最初に我に返り口を開いたのは、ブロンドをひとつに束ねた美女。
「キイ・マスター……?」
 その名を耳にすると、他のクルーたちの表情も変わる。
 アーミラや保安部員らにはまったく聞き覚えのない単語らしく、彼らは反応を示さない。
 司令官は笑みを崩さなかった。
「いいえ」
 明確な否定。
「私はエステル・ラーズ。最近こちらに赴任しました。皆さんには簡単な検査とデータ登録を受けていただきます。その上でなら、数日の滞在は可能ですよ。お勧めはしませんが」
 危険は承知の上とわかってはいたが、彼女は改めて五人の意志を問うた。それでも、彼らの意志は変わらない。
 とりあえずの危険はないと確認したものの、通例として武器は事務室で預かり、五人には空いている二つの部屋が与えられる。司令官が司令室に戻ろうと、案内の保安部員を残して一団から離れようとしたとき。
「あ……
 通りかかった顔に目を見開いたのは、少し心細げに周囲を見回しながら歩いていた女性だ。通りかかった作業着姿も振り向くと、同じように目を剥く。
「ロズさん……?」
「ああ……ラティアさん、だったか?」
 二人の様子に、周囲の者たちも驚きの反応を示す。
「知り合い?」
「これはこれは、驚きましたな」
 そんな騒ぎを背後に、エステルは一瞬足を止めただけで振り返りもせずに司令室へと歩み去った。

 月面基地のシステムとスタッフは地球上の様子を監視し続けているが、この日、特に動きはなかった。銀河連合が会合を収集しGPやエルソンも連絡員を派遣しようと検討している、などと様々な情報は入ってくるが、今日のところは基地に関わる具体的な動きはなかった。
 そのまま便宜上の夜が来る。
 多くの事務員も夜勤の者を残して自室に帰り、エステル・ラーズも完全に職務から切り離されるわけではないが司令室からそう離れていない場所にある自室で休憩することになる。だが、彼女はすぐには自室に戻らず基地の外へ出た。無論、そう遠くへは行けない。ただ不可視のシールドに守られた基地のパーキング・エリアに出ることはできる。
 少し歩いて、彼女は背後を振り返った。
「実に懐かしくも気味の悪い光景だ」
 ところどころの輪郭を青で縁取られた流線型のデザインの白い基地の背後に、大部分を灰色で構成された惑星が小さく見えた。
 彼女はしばらくその光景を眺めていたものの、やがて肩をすくめて建物内の自室に戻る。
 少ない荷物もまだ紐解いておらず、室内は殺風景で必要最低限の調度品しかない。それでもエステルはベッドに腰掛けて上着を脱ぐと、安堵したようにほっと息を吐いた。
……こうも簡単にやってくるとはね」
 独り言にしてははっきりとした口調。それに対しどこからともなく返事があった。
『わかりきっていたことでしょ。問題のあるものは皆、問題のあるところに収束するものだ』
 薄暗い室内に流れる抑えた電子音声。その声はエステルの左手周辺から発せられた。
「確かにそれは必然だけど……ASは引かれ合うものだし。しかしそうなると、戦力がここに集中することになる。それがもたらす結果は」
『全面戦争』
「それもまた、必然と言えば必然、か。あちらは話し合いや停戦と言う選択肢はないし、明日にでも行動を始めるはず」
 彼女にはすでに、何が起きるのか予想がついているようだった。予測していてもなお、その表情にはわずかに苦慮の色がにじむ。
「まあ、いい。せっかく巻き込まれに来てくれたんだ。存分に利用させてもらおう」
 つぶやく彼女の脳裏に浮かぶのは、ムーンポート02に今も係留中の灰色の小型宇宙船。それが貨物船ではないと知るのは、その乗員とエステルらだけ。
『いくらなんでも、即座に全戦力を傾けた戦いとはならない。ランキムにも少しは活躍してもらってもいいかもね。ただ、地球上にいくつASがあるのかにもよる』
「それはせいぜい5、6個だろう。そのうちすべてを戦闘に使うわけでもない。出力は私のより上だろうけど、所詮はコピーだ」
『だといいけれど、私は……
 ガサリ。
 ベッドの脇で何かが動いた。エステルは驚くでもなくそちらに目をやる。
 黒目黒髪の幼い少女が身を起こし、ベッドに座るところだった。
「おや。やっぱり気になるのかい、こんな物騒な話でも……
 薄っすらと笑みを作り、彼女は呼びかけた。
……キイ・マスター」

 しばらくは与えられた部屋で過ごしていたものの、夜更けに忘れ物を取りに戻りたい、とロットは一度乗ってきた宇宙船に戻った。彼の真の名はロッティ・ロッシーカーだが、今はロット・クリスティンと名乗っていた。単純な偽名だが彼を知らぬ者相手なら充分だ。
「ランキム、あの司令官を見たか?」
 青年はブリッジで天井を仰ぐように問いかける。
『ええ、艦長』
 AIの感情の薄い電子音声は、それでも声にはっきりとした確信を込めて応じた。
『彼女は間違いなく、キイ・マスターその人です』
 ASで顔を変えている可能性などはあるだろうが、キイではない顔に変えるならともかく、その逆は意味がない。事実なのだと、実際にその目でも見たロットは確信した。
「それでも、オレたちに知られたくないってことか」
『そういう事情があるのでしょう。ところで、艦長……今、GPで――』
 珍しく揺らぐ声に重なる警報。
 基地内に赤いランプが明滅した。けたたましい警報は途切れることなくポート内にも響き渡る。
「何事だ!」
 すぐに事態を把握しようと声を張り上げたのは、GP刑事時代の癖だ。
 ランキムもまた、かつてからと変わらぬように即座にそれに答えた。
『緊急警報発令。艦長、地球が銀河連合に宣戦布告を通達しました』
 月面基地だけでなく、銀河連合に。有り得ない――と、ロットは目を見張る。だが、どこが相手でも手を組むことがありえない以上、最初に前線となるのはこの基地に間違いないだろう。
『幸い、即座に戦闘機動という様子はありません。しかしこれでは、地球軍は自ら滅びたいと行動しているも同然です』
「わざわざこっちの態勢が整うまで待つってのか……おかしな話だな」
 彼らが対話する間にも基地内は騒然となっていく。
 ここが戦場となるのも、そう遠くはなかった。

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