Day 14 悲劇の始まり

 ルータが、彼らをどこに案内したのか。
 それを知りながら、技術者たちはためらいなく、必要な物を運び出し始めた。ここは自分たちの世界ではないしここにいるルータの世界でもない、これから脱出するのだから気にすることはない、ということらしい。
 それでも、彼らの表情には、どこかかげりがある。
「おかしいなあ……
 ミュートと一緒に金属の箱を運び出しながら、ルキシがついに口を開いた。
「どうかしたんですか?」
 ここを逃すわけにはいかないと、即座に少女が尋ねた。ルータは彼女のそばを離れ、船の中心部のロズたちとともにいる。
「他のみんなも言ってたんだけど、誰かが先にここに入ったみたいなの。あちこちいじられているけど、取られた物はないようだし……
「誰かが迷い込んで、中途半端な知識でいじってみて、結局わからないでそのまま去った……ということですか?」
「それも充分考えられるけど……
 少しだけためらってから、ルキシはのどに引っかかっていたことばを口にする。
「どうも……誰かが、取り出しやすいように準備しておいてくれたようにも思えるのよね」
 言いながら、ミュートが後ろ手で開けた車のドアの奥に、ルキシは身体を押し付けるようにして箱を押し込む。さまざまな部品がトランクに詰め込まれ、後部座席もだいぶ埋まってきていた。
 我々の動きを手伝う者――《時詠み》か、アルファの仕業か。
「おお、ここにそろっててよかった。そろそろ引き上げよう」
 ミュートがふと考えを巡らせるのを、男の声が断ち切った。ロズを先頭に、男たちが船の残骸から脱出してくるのが見えた。その頭上から、超小型探査艇が飛び出してくる。
 その様子を見て、ルキシはほっと息を吐く。
「良かった。これ以上増えたら誰か置いていかないといけないかもしれないと、心配していたのよ」
 彼女のことばに、技術者たちは陽気に笑い声を上げた。
 
 風は荒々しく、人の生活するありあわせの街をなぶっていく。
 だが、それに負けじと、人々は声を張り上げ、励ましあう。声だけなら、いくら調整者の円盤が近づこうと、気づかれることはない。
「この世界にも、こんな街があるとはな……
 白衣の男が、物々交換用の物を並べた露店の間を歩きながら、感心のつぶやきをもらした。その後ろを、ひとりの女と、体格のいい男が追う。
 周囲の人々とは、身なりも雰囲気も違う。赤茶色の街並みには、彼らは浮いていた。
「大地の色を偽装しているようですね。我々も、この布を手に入れたほうが良さそうです」
 体格のいい、特徴ある身体つきの男が、露店のひとつを覆う布を見下ろし、そう提案した。丁度、露店から顔を出した男と目が合う。
「おお、また外からお客さんとは……ここ以外にも、結構街があるんだな。あんたたち、この布を手に入れたいなら、あそこに行くといいよ」
 言って、男は、洞穴を指さした。
 それが、およそ1日前のことである。
 それなりに活気ある街に、郊外の岩場に車を隠した技術者たち、そしてミュートとルータが、荷物を抱えて戻って来た。洞穴の中の一室に荷物を積み上げるものの、とても一往復では運びきれない。
「あとは、オレたちがやるからいいぞ。そっちは、コンサートの準備を手伝うんだろ?」
 抱えてきた部品を置いて、再び出て行こうとする技術者たちを追うミュートを、ロズが振り返る。
「では、そうさせてもらいましょうか」
「ああ。ルータには、後で協力してもらうかもしれないけどな」
『そうだね。私も、装置の完成が楽しみだからね』
 2人の答を聞くと、軽く手を振って、ロズは洞穴を出て行く。
 部屋には、すでにコンサートの準備を始めているらしいティシアの姿はなかった。
 ミュートは、部品を運ぶついでに拾ってポーチに入れていた細々としたもの――クリップやピン、小さなナイフとの物々交換で、1杯のコーヒーと、いくらかの携帯食や菓子を手に入れ、一休みする。
『ティシアはもう、劇場に行ってるのか。それなりに飾り付けをするなら、交換用の物が必要かもしれないね』
「なに、貸してもらえばいいんだよ。そんなもの、普通は使わないんだから。それに……
 干し柿を一口かじって、それが思ったより渋かったので、少女は慌ててコーヒーと一緒に流し込む。
「本当にいい芸術には、そのほかの飾りや前置きなんて必要ないものだよ」
『そういうものかね?』
 本体が芸術的な外観をしている割に芸術への関心が薄いのか、天井付近を漂いながら、ルータは気のない返事を返す。
「そういうものさ」
 空になった紙コップを、部屋の隅に置かれた壺のなかの水をすくって洗い、そばに重ねた別の紙コップにさらに重ねる。ここでは、使い捨てにはできない。
 残した、主にナッツ系の菓子をポケットに入れて、ミュートは赤茶色のフード付コートを羽織り、洞穴を出た。向かうは、当然、劇場だ。
 まだ、ポーチには拾った部品も余っている。露店に何かいい物はないかと思いながら、店の間を歩く。
「おや、ミュートちゃんだね」
 声をかけて来たのは、すっかり顔馴染みになった老女だった。
「はい。お変わりないようで、何よりです」
「ああ、この通り、元気だよ」
 彼女は、嬉しそうに笑う。この荒廃した世界で、数少ない知り合いと話をするのは、ほとんど唯一の楽しみだろう。
「そういや、知ってるかい? また新しい人たちが、ここに来たらしいよ」
『新しい人たち!?』
 老女のことばに、ルータが急降下して訊き返す。
『それって、例の3人組、とかいうのじゃ……
「確かに、3人だったねえ」
 ルータの勢いに少し押されながら、老女はのんびりとことばを続ける。
「今は、劇場でコンサートの手伝いをしてるっていう話だよ。コンサートって、一体どんなことをやるんだろうね」
「すみません、おばさん……情報、ありがとうございました!」
 老女のことばをほとんど聞かず、ミュートは頭を下げると、一気に駆け出す。探査艇のほうは、少女より先に飛び出していた。
 老女、それに周囲の者も、唖然として、全力疾走で去って行く背中を見送った。

 劇場は、数百人収容できる程度の大きさだった。
 しかし、客席は段になっていて、ステージは大きい。ティシアの見立てでは、それなりに本格的なオペラが行われていた劇場だという。
 ティシアと街の協力者たちは、まず、ホウキや雑巾をかきあつめ、掃除をした。埃を掃き出し、汚れを拭き取り、窓の穴を塞ぐ。
 そのうち、協力を申し出る者も増えてきた。娯楽のないこの世界の生活に、何か変化が欲しい。そう思う人間は、少なくないようだ。
 汚れていた劇場が洗われ、かつて人々の歓声に満ちていた時代の輝きを取り戻していくのは、見ているだけで心が清々しく弾んでいく光景だった。赤い砂にまみれた外界とは、切り離された空間だ。
「そろそろ、一旦休みにするかい?」
 掃除を手伝っていた頭巾を被った女が、部隊の床を拭いていたティシアに声をかける。
「そうですね。皆さんのおかげで、もうだいぶ綺麗になっていますし」
「早く終わったほうが、あんたもたくさん練習できるだろうしね」
 ステージと客席の間に布を敷き、彼女は周囲で掃除をしているほかの者たちにも声をかける。
 食事は、それぞれが持ち寄ったものだった。ポット入りのコーヒーに、厚めのビスケットやピーナッツバター、ソーセージや魚の缶詰、チーズの塊と干し肉といった、携帯食中心の食べ物が並べられる。
「我々は、このくらいしかないな……
 つい最近ここに加わった青年が、白衣のポケットから、煮豆入りの缶詰を出す。
「無理することはないよ。持ちつ持たれつなんだから」
「それに、皆さんがここに来たこと自体、とても喜ばしいことです」
 ティシアは、3人の一風変わった顔ぶれを見回す。
 彼らは、ティシアが出会った者たちの知り合いだった。そして、この世界に来てから、まだお互いに顔を合わせたこともないという。
「きっと、再会のときは喜びますよ」
 その瞬間は、遠くない。
 そう続けようとして、彼女は気づく。劇場の扉がゆっくりと開き、差し込む薄い光が床に引く線が、幅を広くしていくことに。
 彼女の顔に、驚きと期待が広がる。それにつられて振り向いた3人組も、これから起きることへの期待に胸を満たし、やがて、期待は歓喜に変わる。
 光の柱のような外の景色に浮かぶ、小柄なシルエット。すぐに現われたのは見知らぬ黒目黒髪の少女だが、その周囲から飛び込んできたのは、誰もが一度は目にした探査艇だ。
『あ……
 劇場内の時が止まる。
 少女も目を丸くし、超小型探査艇は宙に静止したまま、目の前の光景の意味を確かめているようだった。
 事情を知らない人々も、興味津々で成り行きを見守る。そんな中で、すべてを知るティシアはほほ笑んだ。
「お帰りなさい、ミュート、ルータ」
 彼女の一言で、金縛りが解けたように、3人が動いた。
「本当に……ルータなのか?」
 恐る恐る、確かめたのは、体格のいい、エルソン人の男。
 それなりにエルソンに詳しい者――ミュートにも、彼の正体がすぐにわかった。その顔を知る者は、もちろん彼の肩書きも名前も知っている。
 輸送船ルータの副長、ラッセル・ノード。
『そ、そっちこそ、本物の……?』
 ルータは、震える声でことばを返す。どちらも、目の前の存在が信じられないらしい。
 しかし、このまま動きを止めていても仕方がない。扉を閉め、ミュートがステージ下へ歩み寄る。
「前のくぼみの町で私たちを捜していたのは皆さんでしたか。私は、アイス・ミュート。偶然ルータと出会って、ここまで一緒に旅をして来た者です」
 彼女のことばで、副長も我に返る。
「ああ、ルータが世話になったね。私はラッセル・ノード。こちらはクレイズ・オーサー教授と学生のラティア嬢だ」
「よろしく」
 白衣の男が、ほっと息を吐いた。女学生は、笑顔で紙コップにコーヒーを注いでいる。
「さあ、感動の再会が終わったなら、とりあえずお茶にしましょう。積もる話もあるでしょうし」
「ご馳走になります」
 まだ動けないでいるルータを脇に捕まえて、ミュートは、ラティアのことばに甘えることにした。
 食事を取りながら、しばらくの間談笑すると、またコンサートの準備が始まる。夜ともわからない夜が訪れる頃には、部品の整理を終えた技術者たちも手伝い、すっかり砂埃を落とした劇場が息を吹き返す。
 コンサートの日は、明日と明後日。毎日でもいいと言われながら、ティシアがとりあえずの公演の日を、そう決定した。
 コンサートを待つ者、再会を喜ぶ者、脱出のための機械を造り上げようという者――多くの者が妙に高揚した気分のまま、一夜が過ぎた。

 一陣の風が吹く。
 遠目には、赤茶けた荒野が続くのみに見える行く手から、熱気の混じった空気が流れてくるのを、足音もなく移動する男たちは肌で感じていた。
 そこにいるのは、5人。彼らは瓦礫の上を、まるで滑るように、よどみない動きで歩いていく。
「さて、ディナンは上手くやるかな」
 全身を鏡のような光沢のあるプロテクターで包んだ赤毛の男が、片手に担いだ大きな金属の棒で背中を叩く。
「人間たちも、こんな状況で酔狂なものだ……なんでも、コンサートが開かれるとか。オレたちも、聞いてみたかったよなあ、フリオン?」
 そう、彼が声をかけた先にいるのは、剣を手にした長身の男。
 浅黒い、実用的な筋肉に固められた身体を持つ男は、かすかに笑う。
「オレには芸術なんてものはわからんさ。わかるのは、やるか、やられるかだ。できればもう一度、あいつが出てきてくれればいいんだがな……
「なんだ、まだ《時詠み》との一件を気にしてたのか」
 別の男が、からかうように口を挟む。
「命のやり取りのスリルなんて、オレにはわからんね。死の危険なんてごめんだ。今回みたいな任務が安全さ」
「そんな任務で終わらないほうが、オレにとってはいいんだがな」
 フリオンは答えながら、足を止める。
 のんびりとことばを交わしながらも、彼らの足は高速で動き、赤茶色の土を偽装した街の、劇場のそばまで辿り着いていた。
 かすかに、歓声が聞こえてくる。
 今、幕は開かれた。

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