Day 13 一滴の夢

 足首をひねったせいか、足を踏み出すたびに痛い。肺は焼きつくようで、額から絶え間なく流れ落ちる汗が、目に入って視界を歪ませる。脇から何か声がするが、耳には届かない。
 それほど意識が朦朧としていても、青年は、立ちはだかる気配を鋭い感覚から逃がさなかった。幼い頃から叩き込まれてきた本能で、瓦礫の陰から何かが飛び出すなり、一瞬も遅れることなく、足場の整った空間に跳び退き、身がまえていた。
 飛び出してきたものが何かを確認するのは、それからだ。
「お前は……
 目の前で、瓦礫の山の上から見下ろしている姿は、黒目黒髪の少女のものだった。彼女は、警戒の目で青年――ユールを見据える。
『やあ、ミュート。お迎えかい? お疲れさん』
 少女が口を開く前に、ルータが軽い調子で声をかけた。
『このユールくんが、私に楽をさせようと抱えて散歩に連れて行ってくれたんだよ』
「散歩、かい」
 呆れたように繰り返しながらも、少女は視線をユールから離そうとしない。
 ユールは、背中に冷たいものを感じる。兄の視線とはまた少し違う、鋭さと威圧感。問答無用の押し付けられる壁ではなく、この先に一歩足を踏み入れたら、存在が抹消されるだろう、という、境界線の気配。
「あなたは……調整者、ですね。それが、なぜルータを連れて街のほうへと向かっていたんです?」
「オレは……
 不可解そうに見下ろす少女に対し、嘘や誤魔化しという選択肢は選べなかった。少しでも疑念を抱かせると、命がない。そう、本能に刷り込まされている。
「オレは、逃げた。もうやめたんだ、調整者は」
「調整者をやめた?」
 眉をひそめながら、少女は、デジャ・ヴを感じていた。その感覚をはっきりさせる気配がひとつ、横手に生まれる。ユールにとっても覚えのある、元調整者の姿が。
「確かに、彼は私の同類だよ、ミュート」
 赤毛の少女が、虚空から進み出る。一瞬赤茶けた砂の風が見せた幻かに思えたが、確かに、ミュートとユールが感じる気配はそこにある。
「アルファ……本当だったんだな。あんたが抜けたっていうのは」
「事実だ。もはや、あそこに戻るつもりは無い」
 淡々と、小柄な少女の姿をとった元調整者は告げた。あそこ、というのがどこを示すかミュートとルータにはわからなかったが、調整者の拠点だろう、と解釈する。
 とりあえず、当面の敵ではない。そう判断して、黒髪の少女は警戒レベルを落とす。完全に、初めて出会ったばかりの青年に心を許したわけではないが。
「オレも同じだ。もう……誰にも縛られない」
 ユールが、ルータを目の前の少女に向けて差し出す。少し驚いたように目を見開き、少女は受け取った。
 生まれながらに調整者として仕込まれ、その集団の意志の下で生き続けていた青年は、何も言わず、歩き出した。あてがあるわけではないが、足を向ける先は、自分の意志ひとつで決めて。
 2人の少女は、声をかけるわけでもなく、ただ、見送る。
 誰も見ていないよりは上等だ、と思いながら、青年は痛む足を引きずるように、郊外を目指す。
 やがて、振り返っても瓦礫に隠れて少女たちの姿が見えなくなるくらいで、彼は暗い空を見上げた。重苦しい黒雲の端から、血のような赤色が染み出している。
「すまない、ゼクロス……
 束の間、置いてきたもの、逃げ出してきた過去を思い返してから、彼は新たな道を歩き出した。

 少女が洞窟の部屋に戻ると、狭い部屋に、主だった面々が窮屈そうに陣取っていた。ティシアが、ほっとしたように笑みを見せる。
「心配しましたよ。おふたりとも、無事で何よりです」
「どこほっつき歩いてたんだよ、お前」
『ちょっと、周辺を散策しにね』
 ロズが探査艇を殴る真似をすると、ルータは白々しく応じた。
「んじゃ、もう一眠りするか」
 わざわざ、起きてミュートたちが戻るのを待っていたらしい。あくびをかみ殺して言うと、皆は一旦、それぞれが寝床と決めた場所に散っていく。
 翌朝、洞窟内で育てているらしい何種類もの豆入りのスープを受け取り、朝食を済ませると、一同が再び顔を合わせた。
「昨日、ふたつほど、決まったことがあるんだ。それを一応、お前たちにも知らせておこうと思ってな」
 ロズが機械部品と交換で手に入れたらしい、日焼けした紙コップ入りの食後のコーヒーをすすりながら、ミュートに目を向けた。
「まず、オレたちはルータと情報交換して、今ワープゲートを完成させるのに一番必要なものを取りに行くことにした。それには、ルータの案内が必要なんだ」
「ルータを連れて行くんですか?」
 と、ミュートは自分が抱える探査艇に視線を落とす。
「ああ。お前も一緒に来るか? ……と、それを決めるのは、もう一方の都合を聞いてからのほうがいいな」
 もう一方、と言ってロズが目を向けたのは、オペラ歌手の姿だった。少し驚いて視線を追う少女に、ティシアは、嬉しそうなほほ笑みを返す。
「昨日から、考えていたんです……人々に、私ができることは何か、って。やっぱり、私にできるのは歌うことくらいです。だから、せめて歌で皆を元気付けられたらいいな、と」
 人々に希望を抱かせるようなコンサートを開きたい――そういう彼女は、もう、劇場を貸してもらう話はつけてきたのだという。
「それは、素晴らしいことだと思いますよ」
『娯楽も少ないだろうから、みんな、楽しんでくれるだろうね』
 ミュートとルータが賛意を表わすと、ティシアは少し恥ずかしそうに笑った。
「でも、準備にもう少し時間がかかるだろうし、街の人々に知らせる期間もいるから……こちらは、余り急ぐ必要もありませんよ」
「こっちの用事はすぐ終わるから、その後コンサートの準備を手伝っても間に合うわね」
 ルキシが、誘うようにミュートを見る。
 どうやら、行くべき先は決まっているようだ、と、少女は苦笑した。
「いいでしょう、私はルータと一緒に部品集めについていきますよ」
『まあ、保護者と被保護者が離れるのは危険だから』
「よくわかってるじゃないか。ルータは何をしでかすかわからないから」
『違う! 私が保護者だよ』
「聞こえないね」
 少女と探査艇の会話に笑い声を洩らしながら、集まった人間たちは、狭い洞窟の一室から動き始めた。

 ロズやルキシ、リグ、グエンの4人は、彼らが乗ってきた車を、郊外の瓦礫の山に空いた穴の奥に隠していた。しかし、そこでミュートとルータが目にしたのは、劇団のキャンプで目にしたものとはかなり違った車である。
『へえ……4人でよく、ここまで改造したものだね』
「もともと、得意分野なものでな」
 かつてグエンと紹介された青年が、照れ隠しに横を向いて答えた。
 車のエンジンは、完全に取り替えられているようだった。地上走行車ではなく、どこからか掘り出してきたらしい、エアカーのものに。
 もともとは4人乗りらしいが、後部座席は、充分余裕があった。運転席にロズ、助手席にルキシが乗り、ルータを抱えたミュートが、リグとグエンに並んで後部座席に乗り込む。
 ロズがカードキーでエンジンをかけると、エアカーは、ふわり、と数十センチメートルほど浮かぶ。瓦礫の散乱する大地では、地上車輛よりずっと行動範囲が広い。これならば、すぐに行って帰って来られるというルキシのことばにも、ミュートは納得がいった。
「じゃあ、ナビゲートよろしく頼むぜ、動く地図帳さんよ」
『超高性能ナビゲーターだよ! 衛星画像で……とはいかないけどさ』
 瓦礫の穴から滑り出し、赤茶の砂を塗りこんだ迷彩柄のエアカーは、高速で動き始めた。いくら冷たく強い風が吹こうが、足場が悪かろうが、関係ない。今この世界で、最も素晴らしい移動手段かもしれない、とミュートは思う。もちろん、調整者を除いた話だが。
 ルータは、目的地までの最短距離を告げた。時折、高く積みあがった瓦礫が邪魔をするが、大抵は、少し迂回すればよいくらいのものだった。
『私1人なら、自分で飛んでいったほうが速いかもしれないが、人間の皆さんはそうもいかないのが難しいところだよね』
「まさか、そんな速く飛べるのかよ?」
 自慢げなルータのことばに、グエンが疑いの目を向ける。
『こっちはエルソン特注の星間航宙機だよ。市販のエアカーエンジンと宇宙船のドライヴを一緒にしないでもらいたいところだね』
「本当かい? 今はただの探査艇じゃないか。それに、余り速く飛んでるのは見たことが無いね」
『それは、ミュートの足が遅いから、速く飛んでも意味が無いだけ』
 普段からできるだけ飛ばないようにしている上、今もじっとしてくつろいでいるところを見ると、単に面倒なだけじゃないか、と少女は思った。
「あと、1時間ってところよね」
 どこから手に入れたのか、毛糸で何かを編みながら、ルキシが顔を上げた。
「こうやって黙って乗っていると、一番必要なのは暇潰しよね」
 彼女の言う通り、ただ安全な場所に長い間いるのは、退屈なことだった。普段なら当たり前のことだが、ミュートはこの荒れ果てた世界に来てから初めて、〈退屈〉を感じた。
 他の乗員は、この何もしない時間に慣れているらしい。ワープ装置の改造部分の計画を練ったり、集めておいた部品を磨いたり、思い思いの退屈しのぎをしている。
『歌でも歌う?』
「流行曲でも記憶してるか?」
『私が知ってるのは、童謡や子守唄くらいだね。歌おうか?』
「やめろ、眠くなる~」
 変わり映えのしない風景に少し飽きながら運転しているロズが、苦笑交じりに言う。
 一方、ミュートは溜め息を洩らすと、目を閉じる。
「それじゃあ、私はしばらく寝させてもらいます」
 もっとも効率的な退屈しのぎをしようと、少女は瞑想に入る。
「まるで、忍者みたいだな」
 一瞬ですべてを意識の外に追い出す少女の様子に、地球のある地方に存在する忍びの一族に関する知識を思い出し、技師たちは密かに感嘆した。

 エアカーが目的地のそばに降りるなり、ミュートは、一瞬の遅れもなく目を開けた。
 そこで、彼女がフロントガラス越しに目にしたのは、見覚えのある姿である。横から眺めると、表面が黒くひび割れ、巨大なクジラにも見える、半透明な建造物。
「これって……
「ああ、ここが目的地らしい」
 思わずつぶやく少女に答えて、ロズがドアを開け、大地に降り立つ。
 技術者たちは、まだ、目の前に横たわる物体が何なのか、気がついていない様子だった。
『さあ、とっとと済ませて、コンサートの手伝いに戻ろうよ』
 わずかな浮遊感を引きずりながら、ミュートは荒れた大地に降りた。その腕の中を離れ、ルータが強風をものともせず、宙に舞う。
「入口は、私も知っていますよ。案内しましょう」
 瓦礫に埋もれた建造物の周りを迂回し、ミュートは先頭に立って、記憶にある経路を辿った。しばらく歩くと、陰になっていた光景が目に入り、同行者たちは足を止める。
 整然と並ぶ、木製の十字架。少し離れた所に、淡い影を地上に落とす墓場が、蜃気楼のように浮かんでいた。
「あんまり……楽しそうな場所じゃないわね」
 一瞬青い顔をしたルキシが、砂が入らないよう口もとを覆いながら、ようやくことばをひねり出した。
「まあ、こういう未来の形もあるかもしれないっていう話だろう。よく、大都市に地震が起きたらどうなるか、とかやってる、あのシミュレーションと似たようなものだ」
 一方のロズは、墓場から受けた不気味な印象などすぐに追い出して、再び少女と探査艇を追いかける。
「この辺は足場が悪いですから、気をつけて」
「ああ……慣れたものだな。初めてではなさそうだ」
「ええ、一度、来たことがあります」
『それで、地図を手に入れたからね』
 振り返るミュートの前に、入口が開いていた。中が意外に明るいらしいと知って、ルキシは少し安心する。
 出入口は男性陣にとっては少し狭苦しいものだったが、肩を縮め、何とか通り抜けられる。危険なほど暗くは無いが、ミュートとロズが、ライトで足元を照らした。
『まずは、機関室に行ったほうが速い。重いものから先に運び出したほうがいいだろう』
 必要な物はすでにリストアップされ、ルータがそれぞれの場所を把握しているらしい。探査艇が先行し、ミュートがライトでそれを照らした。
 機関室、ということばが気になるが、通路が快適な広さになると、技術者たちは、内部の造形に見とれた。ただの建物の内部ではない。尋常な大きさの乗り物でもない。
 やがて、緊急用らしい階段を伝って機関室に着く頃には、彼らは技術者らしく、自分たちで答を導き出していた。

TOP>ムーンピラーズIII-----<<BACK | Day 13 一滴の夢 | NEXT>>