Day 15 幻惑の襲撃者

 すらりと背の高い女が、色も太さもさまざまなコードに囲まれていた。女がいる部屋は、彼女のほかに生命ある存在が見当たらないのに、まるで生物の内臓の中のように生々しい。
「そうよ……もうすぐ、私たちの役目も終わるの。だから、きちんと最後の仕事を遂行しましょうね」
 黄金に輝く髪を優雅な仕草で掻き上げ、女神のように美しい女が、子どもをたしなめるような、優しい声音で言った。
 独り言としか思われないそのことばに、即座にことばが返る。
『ええ……任務は、成功させます。必ず』
 その声は、穏かなようでいて、少し上の空のようにも聞こえた。目の前のものを、内心でどうでもよいこととして感じているのが透けて見える音。まさに、女の声にかすかに混じる響きと同じように。
 部屋には、いくつかのモニターがある。そのうちの半数はどこかの部屋を、もう半数は、赤黒い外の世界を映し出している。画面の中では、やまない風が激しく吹き荒れていた。

 白い布を結んだ帯で飾り付けただけの幕は少し汚れてはいたものの、遠めに見る分には、劇場の幕としてそれほど遜色のないものだった。掃除をはずの床や壁にも取れない染みがこびりついているが、薄暗くした劇場内ではさほど目立たない。
 客席は、どこにこれほどの人間がいたのかわからないほど多くの姿で埋まっていた。怪我や病気のために1人では動けない者も、他の者が手を貸して、この世界では初めてのオペラの客席についている。次にいつ見られるともわからないのだ。街の住人のほぼ全員が見ることを望み、ほかの住人にも見せたいと望んだ。
「大盛況ですね」
 控え室に入ると、ミュートはティシアに、客席の様子を伝えた。
 ティシアは、ひび割れた鏡の前に座り、髪を整えているところだった。借り物の薄いピンク色のドレスをまとい、無償で街の住人から提供された化粧を薄く塗ったその姿は、物語の中に登場する、美しくて気品ある王女のようだ。
 髪に飾った造花の位置を調整しながら、彼女はほほ笑んだ。
「ちょっとだけ、見に来てくれる人がいるのか心配でしたけど……来てくれたお客さんをがっかりさせないよう、頑張らなきゃいけませんね」
「本物のオペラ歌手の歌なんて滅多に聞けませんし、皆さん、大喜びで来ますよ」
「広報部も、一生懸命宣伝してくれましたし」
 言って、ティシアは面白そうに笑う。
 人間たちの口コミの影響も大きかったが、集客には、広告を吊り下げたルータが活躍した。街を行くもので、浮遊する探査艇ほど目立つ存在はそうそうないだろう。
「これで失敗なんてしたら大恥です。気は抜けませんね」
 気を引き締めるようなことばを口にするものの、その振る舞いは、いつもとさほど変わらないように見えた。大舞台にも慣れているのだろう。
 ただ、普段の温和な雰囲気の中にも、ミュートは、妙な違和感を感じていた。それは、人の目を惹きつける立場の者から感じることのある、オーラやカリスマと呼ばれるようなものだ。相手を、違う世界の人間だ、と思わせるような見えない力。
「そろそろ、最終確認に行ってきますね」
 舞台の上こそ、このオペラ歌手の、本来いるべき場所。
 舞台に立ったティシアを早く見てみたい。そう思って、少女は控え室を出る。
 ドアのない部屋の出入口をくぐり、薄暗い通路を歩いていると、間もなく、目に馴染んだ姿が向かってくるのを見つける。
「幕もちゃんと動くし、舞台装置のほうも大丈夫だ。念のために、リグが張ってるけどな」
 ロズとルキシ、ルータを抱えたラッセル・ノード副長が、少女の前で足を止める。グエンは幕の開閉係として舞台袖に立ち、ラティアとクレイズ・オーサー教授は、ボランティアの者たちと一緒に、観客席で誘導に当たっていた。
「そっちの様子はどうだい?」
「ほとんど準備は終わってますよ。こういうとき、時計がないと不便ですね」
 軽く控え室のほうを振り返って答え、肩をすくめる彼女に、ロズたちも同意した。
 何時開演、と時間で示すことができないため、観客もいつまで待てばよいかわからず、いつ開演するのかと尋ねられても、『もう少し』としか答えようがない。また、舞台に関わる者の心がまえもし辛いという難点がある。
『それはまあ、仕方がない部分だね』
 飛び上がって天井近くを浮遊しながら、ルータが溜め息が交じったような声を出した。
『たとえば、私はここへ着てからの時間をほぼ正確に記憶しているけれど、我々だけがそれを知っていても仕方がないさ。観客たちは、腕時計を見るわけにもいかないしね』
「それもそうか」
 答えて、再び肩をすくめようとしたミュートの目が、後ろに動いた。近づく気配を察知するのに続き、視界に、部屋から歩み出る姿が映る。
 ルキシが歓声を上げながら目を見開き、ロズは口笛を吹いた。
「カボチャの馬車の準備はできてるぜ。お姫さま、そっちの首尾はどうだい?」
 ティシアがほほ笑んだ。いつもと少し違う、凛々しさと気品のある笑み。
「いつでも出発できますよ。多くの人々の協力で、こういう場が与えられたことに感謝します……さあ、行きましょう」
 しっかりした足取りで、彼女は舞台袖に向かって歩き出した。
 ミュートは、舞台袖で幕を少しめくって観客席を覗いて見たが、開演前ですら、多くの視線が舞台に集中しているのを感じた。ランプの光なので本来の劇場に比べ暗いものの、それでも、観客席がひどくまぶしく感じてしまう。そんな中で一身に視線を浴びたら、緊張の余り目眩を起こしそうだとすら感じる。
 それも意に介さず、ティシアは幕が開かれた舞台の上に、独り、立つ。
「本当に、1人で劇になるのかしら?」
 公園まで時間がかかってでも、出演者を増やそう、せめて相手役の男優を急造しようという意見もあったが、それも至難の業だった。とはいえ、果たして、1人でオペラはできるのか?
 そう心配する周囲の声に、オペラ歌手はにこりと笑って、ただ一言、『できますよ』と答えたのだった。
「プロの言うことを信じるしかありませんね」
 ルキシのことばに、彼女と一緒に観客席の隅に降りてきたミュートがことばを返す。
 静まり返った観客席に、澄んだ歌声が流れ始めた。

  愛しい人よ あなたはどこに
  この手を握る者はなく
  私のベッドは石の床
  私の腕輪は鉄の重り

  冷たい壁に歌を唄い
  冷たい金属の夢を見るの

 国が戦に破れ、囚われの身となった王女が戦場に送り出した恋人を思う、切ない物語だった。殺風景な、ぬくもりのない場所に囚われ、愛しい者に会うこともかなわない境遇に、観客たちは、自分たちの身の上を重ね合わせたように、じっと舞台の上に見入る。
 恋人を思う歌が終わると、黒一色の舞台背景に、星に見立てた、暗幕越しのローソクの灯がいくつかまたたいた。

  心を癒すのは 小さな窓が切り取る星空
  あの中にあなたも行ってしまったのですか
  あなたとともに輝けるのなら
  この身が朽ち果てようともかまいはしない

 座り込んで祈るように見上げる王女の目線の先から、一際大きな光が流れ落ちた。――ミュートたち、舞台裏を知る者は、その正体が探査艇だということを知っている。
 王女は、流れ星に願いを託し、地上に降りて再び出会えるのなら地位も富も何も要らない、と歌う。
 やがて、王女の囚われている地下牢は見捨てられ、少しずつ、王女は弱っていった。希望を信じ続けるものの、その希望もやがて、せめて来世では結ばれよう、というものに変わっていく。
「死んじゃうのかしら?」
 すっかり物語の世界に入り込んだラティアが、潤んだ目の端をハンカチで押さえながら、声をひそめて舞台を見つめる。
「幸せになってほしいわ」
 と、こちらも目頭を押さえて、ルキシが同意した。
 歌は、最高潮を迎えようとしているらしかった。音楽もなく、演出も人の手でできる範囲だというのに、物語の緩急、観客の感情が、見事にティシアの思うがままに操られる。
 映画やドラマ、劇などに熱中することの少ないミュートでさえ、舞台から目がはなせず、耳は歌に集中した。
 やがて、床の上に倒れこんだ王女を、眩しいほどの光が照らす。

  ついに私のもとへ 迎えの使者が現われた
  ああ せめて愛しい人と同じところへお導きください
  あの輝く星のところへ 寄り添う星に

  主は願いを聞き届けられた
  迎えの使者の顔 その顔を見まごうことはない
  光の中に立つ愛しい人

 王女は、光の中、まるで誰かに手を引かれたように立ち上がる。

  このぬくもり この声は夢にあらず
  この苦しさ この顔は幻にあらず
  愛しい人よ 再び出会えた奇跡に感謝します
  あの星に感謝の祈りを捧げましょう
  あのベッドに感謝の祈りを捧げましょう
  あの壁に感謝の祈りを捧げましょう――

 恋人の手を握った己の手を持ち上げ、もう一方の手と重ねて祈りのポーズを作ろうとしたところで、王女の歌が途切れた。
 一拍置いて、舞台の上のできごとを理解した観客たちから、悲鳴が上がる。
「あんな演出、聞いてないぞ!」
 オーサー教授が、観客たちのざわめきに交じって叫んだ。
 ミュートは何も言わず、席を立って駆け出していた。舞台袖から、持ち場についていた技術者たちや、ルータが飛び出してくる。
 舞台に跳びのったミュートは、中央に仰向けに倒れたティシアのそばに屈みこんだ。目を閉ざし、意識を失ったオペラ歌手の胸に、1本の矢が突き立っている。
「矢は観客席から飛んできたぞ。ここでは危険だし、治療もできない。控え室に運びましょう」
『毒が塗られているかもしれない。急いで運んで』
 非常事態にも慣れているノードとルータが素早く指示して、青い顔をしたリグとグエン、ミュートのあとから駆けつけたオーサーやロズとともにティシアの身体を持ち上げる。
「ティシアさんを頼みます」
 そちらは、ルータたちに任せておこう――自分が行ったところで役には立たない。
 そう考えて、ミュートは観客席に目をやった。ざわめき、動揺する観客たちに、ルキシとラティアが立ち上がって、席を動かないようにと、声を張り上げていた。
 観客達の中にまだ、矢を放った者がいるはずだ。矢の飛んで来た角度から、どの辺りに犯人がいるのかは、ある程度しぼられる。
 彼女の記憶では、真ん中の列の、舞台から少し離れたところから、放たれた。
 そちらに目を向け、怪しい顔がないか確認しようとしたところで、彼女は、背後に刺すような視線を感じる。あからさまな敵意のおかげで、ためらう必要も、目で見て狙いをつける必要もなかった。
 ベルトにつけたポーチから小型ナイフを抜き、素早く投擲する。それは、ティシアを運ぶ男たちの横を抜け、幕に突きたった。
 ロズたちが、驚いてミュートを振り返る。だが、質問を口から発する前に、答が幕の向こうから歩み出る。
「気配は消したっていうのに……ずいぶん勘のいいお嬢ちゃんだね」
 ランニングシャツに黒いズボンという、涼しげな格好をした灰色の髪の男が、左手の甲を右手で押さえたまま苦笑した。その右手の指の間からは、鮮血が滴っている。
「何が狙いだ。矢を射った者の仲間か?」
 警棒を手に、ノードが他の者たちを庇うようにして前に出た。
「ま、そんなところだ」
 男は、気楽な調子で言う。街中で、知り合いと話している普通の青年のようだ――ポケットから、大型ナイフの柄がのぞいていなければ。
「それじゃ、大人しくしてもらおうか」
 次の声は、客席から聞こえた。
 ボウガンを手にした金髪の男が、観客の1人らしい女に武器を突きつけながら、席から立ち上がる。人質は声も出せない様子で、表情を引きつらせていた。
 観客席のあちこちで、白いフードを脱いだ男が立ち上がる。舞台上の男を合わせて、6人。目だけを動かして数えていたミュートは、それが全員だと確認する。
「ほんと、人間ってしぶといな。さんざん痛めつけて、滅ぼしてやっても、どこかで生き延びてる連中がいる……まるでアリみてえだな」
 客席から現われた赤毛の男が、虫ケラを見るような目で周囲を見回し、嘲笑する。
「しかも、のん気にオペラコンサートなんてやってるしよ……なかなかいい歌だったぜ。レクイエムには相応しい」
 男はゆっくりと、舞台に歩み寄ってくる。
 舞台上で、最も近くにいるのはミュートだった。
 少女は、必死に考える。観客全体を人質にとられたこの状況を打開する方法を。
 逃げることは不可能だ。何とか、この異質な気配をまとった男たちを倒さなければならない。しかも、早く。出血はそれほどではないものの、ティシアの傷は浅くはない。
 これほどの人数を一気に無力化するには、ASに頼るしかなかった。まだ自由自在に操ることはできないが、時間を見つけては、その使い方を自分のものにしようと、訓練を繰り返してきた。複数の離れたところに変化を起こすことも可能だと、確かめてある。
 しかし、上手く行くかどうか。それに、相手もASを持っているのかもしれない。おそらく、この男たちは『調整者』なのだから。
 だが、ほかに手はない。
 覚悟を決め、ミュートが仕掛けるタイミングをはかり始めた、その時だった。
『隊長、調整者5人の存在を確認しました! フリオン、ディナン、ウォーク、ライド、スギリヤ、バイアンに間違いありません!』
 くぐもった、それでもはっきりと意味が聞き取れる声が、建物の外から聞こえてきた。
『そうか。それでは、突入準備だ』
 これは、男たちにとっても想定外だったらしい。
「馬鹿な、あいつら、死んだはずだぞ!」
「オレが様子を見てくる」
 明らかな動揺を声と表情に表してお互いの顔を見合わせ、一番扉に近い位置にいた黒目黒髪の男が、焦った様子で出て行った。
 その間にも、外からの声は途切れることなく聞こえてくる。声だけではなく、機械音もそれに交じっていた。あちこちの方向から聞こえることから、音の主たちは劇場を取り囲んでいるらしい。
 調整者たちの注意は、完全に逸れている。仕掛けるのなら、今。
 ミュートは軽く左手を上げ、意識を集中した。

TOP > ムーンピラーズIII ----- << BACK | Day 15 幻惑の襲撃者 | NEXT >>