NO.20 狭間への扉

 ヒルト・フェイスアレイは早起きなほうだった。朝日が街並みを照らし始めたと同時に目を覚まし、服を着ると、部屋を出て1階に降りる。朝食を自分で作って食べた後に植物への水遣りや細々とした雑用をこなし、その後軽く運動をする、というのが彼の日課だった。
 チーズを載せた、エルソンの飛行魚〈ラチオ〉の肉がぬり込められたパンを焼きながら、野菜を切って手早くサラダを作る。
 ハムを冷蔵庫から取り出したとき、彼は視界に入ったドアの下の隙間に、何かカードのようなものが差し込まれていることに気づいた。
 ハムを置き、カードを拾い上げる。それは、情報を保存しておく媒体のひとつだ。ヒルトも何枚か持っているが、それはラベルに何も書かれていない、見覚えのないものだった。
「後でシグナにきいてみるか」
 つぶやき、それをポケットに入れると、彼は朝食の準備を再会した。

 作業服に身を包んだ男が、シャトルの銀色の表面に手を這わせていた。その手は小さなくぼみを探り当てると、そのなかにあるボタンを押しながら力を込めて引き開ける。ハッチが開いてむき出しになった内部には、狭いコクピット兼キャビンの座席が並んでいた。3人乗りが2列と操縦席に助手席の、8人乗りだ。
 男はなかの様子を確認すると、シャトルの尾部側、となりのシャトルとその奥のエアカーの間を見る。神経質そうに少しだけ顔をのぞかせているのは、栗色の髪を束ねた若い女性だった。
 男が手招きすると、彼女は周囲を気にしながら駆けつける。
「デザイアズはあと1時間は戻ってこないはずだ。あとは、自分の技術を信じるしかないな」
「ええ……
 男がシャトルのなかに乗り込み、同行者に手を差し出す。女性はその手に引っ張り上げてもらいながら、緊張で青ざめた顔を上げて言う。
「信じてるわ……ジェイ」
 彼女――ラティアは、覚悟を決めたように座席に座り、操縦席に座るジェイ・フォルックスの背中を見守る。
 ジェイは偽りの緊急信号を発生させ、それを自分が受信したように見せかけ、ギャラクシーポリスNO.1の戦艦、デザイアズに間接的に出動命令を出させることに成功した。彼は他にも、見咎められた時のためにいくつかの交信記録入りの情報チップを用意している。
「行くぞ……
 ハッチを閉めると、ジェイは制御システムを起動する。
「ねえ、パイロットのライセンスなんてあったの?」
 前部の席の間から、ラティアが思い出したように問う。
 ジェイは苦笑した。
「まさか。ま、シャトルくらいなんとかなるさ」
「な、なんとかって……
「ほら、ちゃんとつかまってろよ」
 シャトルが浮かび上がる。ルーギアの西、余り入れ替わりの激しくないパーキング・エリアに、銀色の機体が影を落とした。その、辺りの闇に溶け込みそうな黒い影は小さくなっていき、やがて判別できなくなる。
 ルーギアの空は闇に包まれていた。暗い太陽もない上空を、いく筋可の光が照らす。その光の筋を避けながら、シャトルは高度を増していく。
 それは、丁度他の航空機とも遠い位置関係にあった。周囲を気にすることなく機首を上に向け、加速する。
「気づかれなかったかしら?」
 窓の外の景色の移り変わりに目をやりながら、ラティアは不安を口にせざるを得ない。
「ああ、そうだろうな」
 ジェイは気にすることなく、あっさり肯定した。
「ほら、きたみたいだぜ」
 言って、点滅するパネルを押す。
『シャトル28-9。航宙許可が出ていません。即刻帰還してください』
 オペレーターの女性の声が、スピーカーから無情に響く。ジェイはそれに答えないまま、プリザーチップをスロットに差し込んだ。
 すると、この場には存在しない人物の声が流れる。
『そうはいかないんだよ、実家のオヤジが危篤なんだ! 全部諜報部のジェイ・フォルックスに話してあるから、事情はあいつにきいてくれ』
『そうはいきません。確認しますので、停止してください』
『一刻一秒を争うんだ! 後でどんな処罰でも受ける。頼むよ、2時間でいい、それだけ時間をくれ』
『しかし……
『行かせてやれよ、お嬢さん』
 別の男の声が割り込んだ。それも、ジェイが引き出したチップ内の情報のひとつだ。
『オレは、ガウルン刑事だ。終わったらオレが責任もって連れて戻る』
 彼が名のったのは、引退した刑事の名前である。オペレーターはそこまで知らないだろうと読んでの登場である。調べられれば嘘であることを看過されるだろうが。
 オペレーターはとりあえずのところは引き下がることにしたらしい。
『また連絡します』
『ああ、どうも』
 交信が切れたとき、すでにシャトルはルーギア軌道上に至っていた。ジェイは針路を、シグナ・ステーションに取る。
 交信に何か疑われるようなところは無かったか、と思い返しながら、ラティアは無意識のうちに、自分の肩を抱いていた。
 シャトルの前に広がるのは、光もない宇宙空間。その闇のなかを、ただひたすら前進する時間が続いた。
 早く終わって欲しい、しかし、終わりを迎えるのが不安でもある時間に、ラティアは精神的に疲れ始めている。感覚も麻痺するような緊張の中で、彼女は、追われる事件の犯人の心境はこういうものだろうか、と考えた。
 その思考を、不意に、ジェイの舌打ちが中断させた。
「AS搭載船の速さにはかなわないか……
 シャトルが停止した直後、メインモニター上に、見覚えのある姿が揺らめくように現われた。
 勇壮で美しき、その姿。普段、ジェイもラティアもその機体に憧れと誇りを抱いている、白い大型戦艦。
 いつもと違い今は、その姿を見たくはなかったが。
『シャトル28-9、そちらを回収する。抵抗は止めるように』
 デザイアズの事務的な合成音声が有無を言わさずに告げ、交信を切る。
「だめ……か」
 ラティアは長く息を吐き出した。気が抜けると、じわじわと悔しさと恐怖がこみ上げてくる。
 ジェイはあきらめていないのか、一心不乱にパネルを叩いている。
 彼はサブモニターを見て、顔を上げた。ラティアには、その顔は見えなかった。ただ、メインモニターの端に表示された文字列から、デザイアズに引き寄せられているのはわかる。
 このままドックに取り込まれるのか。
 そう考えたとき、彼女は、メインモニターを何かが横切ったような気がした。気のせいか、と目を凝らした瞬間、軽いめまいに襲われる。
 と、不意に座席がなくなり、彼女は尻餅をつく。
「え、あれ?」
 目を丸くして、周囲を見回す。そこは狭いシャトルのコクピットではない。淡い灰色の、落ち着いた雰囲気のブリッジだ。
 こうなることを知っていたらしく、立ち上がっていたジェイが手を出し、ラティアを助け起こす。
「よお、旦那。助かったぜ」
 ジェイの視線の先、艦長席から立ち上がった茶色のコートの青年が歩み寄って来る。元警部のロッティ・ロッシーカーとは、ラティアも何度も顔を合わせている。
「ああ、気にするな。それにしても、駆け落ちとはなかなか積極的じゃないか」
 苦笑混じりのロッティの冗談に、ラティアはわずかに頬を赤く染めた。一方、ジェイはおもしろそうに笑いながら、メインモニターの前の席に目をやる。
「そういうお前は、両手に華か、え?」
 元ギャラクシーポリスNO.2戦艦に搭乗しているクルーは、ロッティ1人だけではなかった。
 ブロンドの美女2人が、彼らのやり取りを見守っている。1人は見覚えのある明るい雰囲気の女性、もう1人は対照的な落ち着いた雰囲気をまとった見覚えのない女性だ。
「ラティア! 久しぶりね!」
 見覚えのある女性が、席を立ってラティアに突進し、抱きついた。ラティアは思わず、倒れそうになる。
「テリッサ……ロットのところに戻っていたの?」
「ええ。今は、輸送や用心棒の仕事をやってるの。あなたも、GPを辞めて来たの?」
 以前と同じく屈託のない元刑事兼技師のことばに、ラティアは少しためらいがちに応じた。
「今は、辞表もまともに受け取ってくれないから……無断で飛び出してきて、あのざまよ」
「音声の編集を、ランキムが手伝ってくれたら、上手く騙せたかもしれないけどな」
 ジェイは頭を掻いて言った。宇宙船制御システムであるランキムは、2人を収容した後、デザイアズから一気に離れていく。今のところ、追って来る気配はなかった。それほど重要視していないのか、戦いによる無駄な消耗を避けたいのか。
「危険なことを……。それほどまでして、何をしたかったんだ? 本当に駆け落ちか?」
「まさか。もうGPに愛想が尽きたってのもあるが、ラティアが、どうしてもシグナ・ステーションに行きたいって言うもんでな」
 それを聞いて、ロッティがラティアに目をやる。見透かすような視線に、ラティアは少しドキリとした。
「ええと……このカードの内容を知りたくて……
 彼女は、大切に懐にしまっていたカードを取り出して見せた。ロッティは無言で天井を仰ぐ。
『情報センター用のメモリーカードです。ネットワーク上に保存されたデータを閲覧することや新たに編集・保存することが可能です』
「いつの間にか、場所を指定するメモと一緒に私の部屋のドアの下に差し込まれていたの。なんだか、とても大切なことが収められている気がして」
 ルーギアのシステムで内容を引き出そうとしても、〈禁止されたアクセスポイント〉という表示が出るだけだった、と、ジェイが説明する。おそらく、指定された情報センターでなければ情報を引き出せないのだろう。
「シグナ・ステーションへ行こう。オレも中身が気になる……いいな?」
 ロッティは、席に座ったままの女性を振り返った。女性は、静かに答える。
「かまわないわよ」
「もちろん」
 テリッサも同意した。クルー全員の賛成を得て、ロッティは指示を下す。
「針路、シグナ・ステーション」
『了解。針路、エルソン宙域、シグナ・ステーション』
 ランキムの乾いた声が響く。
 テリッサに手を引かれるままに席に座ったラティアは、まだ信じられないような気分で、メインモニターを見つめた。

『やあ……来たね。7番ブースへどうぞ』
 夕方、情報センターの入り口をくぐった途端のシグナのことばに、ヒルトはわずかに違和感を感じた。しかし何も言わないまま、奥の7番ブースに向かう。
 ドアがスライドし、ブース内を見るなり、彼は一瞬動きを止めた。
 そこには、紅の髪と瞳の少女が立ち、視線を向けていた。静かな悲しみと決意を秘めた瞳はいつも以上に印象的で、向けられた者の心を鷲掴みにする。
「準備はいいな? ヒルト」
 ヒルトは、そのことばの意味を測りかねて、口ごもりながら問い返す。
「準備って……ぼくが?」
「そうだ。カードを使って、カプセルに入るといい。あとはシグナがやってくれる」
「ぼくも……何かを返してもらう対象者だったの? カードはあなたが?」
 状況を一応理解するなり、疑問が口をつく。まだ信じられない、信じたくないという気持ちが強いが。
 アルファは少年の動揺などおかまいなしに、相変わらず淡々と告げる。
「そう、どちらの質問への答も、きみの言う通りだ。私1人が、すべての対象者にカードを送ったのではないが」
 すべての対象者がカードを送られ、情報センターに集っているのか。
 そう理解すると、ヒルトは期待と不安に身震いする。一体、何が起こるかわからない。限られた者だけが体験できる経験へのかすかな優越と期待、不快な体験かもしれない、傷つくかもしれないという不安と恐怖。
 逃げる、という選択肢は、まだあるのか。目の前にある真実から目をそらしてここを去るのを、アルファは許してくれそうだ、という気がした。だが、それでは自分が納得しないというのを、彼は知っている。
 見てみなければ、体験してみなければわからない。日常の未来と同じように。
「頼むよ、シグナ」
 カードをスロットに入れてカプセルのなかに寝そべると、ヒルトは声をかけた。彼はカプセルの蓋を閉めるとき、アルファが姿を消していることに気づいている。
 最高にして最大と言われる人工知能の声は、少しくぐもって、そして震えているように聞こえた。
『ラン・Aプログラム、VRDスタート』
 様子がおかしい、恐れているのか?
 そうだ、シグナも〈何か〉を体験することになるんだ……疑問を思い浮かべた直後、ヒルトは悟った。
 彼は闇のなかで、歌を聞いた気がした。

 宇宙の各地で、それは起こっていた。
 惑星間ネットワークのどこかに分散し、眠っていたデータが、呼び起こされる。何の変哲もないプログラムの一部やデータを偽装していたそれは、パズルのピースのように寄り集まり、ひとつの意味を持つものを完成させる。
『これほどのデータが……なぜ、ここまでして……
「今は、データに集中しろ」
 ネットワークの様子を監視しながら外界との接続を保っていたゼクロスに、ブリッジの席に腰かけたアルファが言う。
「すぐに回線が占められるぞ」
 彼女の言う通りだった。
 送られてくるデータ量は、ゼクロスの能力を限界まで使わせる。それは、データが彼自身の体験であることを示している。でなければ、他の対象者たちは正気を失うだろう。逆にゼクロスより強大な処理能力と容量を持つ存在のすべての感覚――センサーのリアルタイム処理過程をゼクロスが体験することはできない。データの転送が中断されなければやはり異常が発生するだろう。
 現実の時の流れから抜け出して、彼はネットワークが紡ぎ出すデータの海に入った。
 ほんの少しの間、彼は感じ取る。同じものを共有する、対象者たち。そのなかには、彼の知る者も何人かいる。
 しかし驚いている間もなく、それは「始まった」。
 戻ってくる、偽りの感覚。現実ではない、データのなかのデータ。
 センサーを介さない感覚が、視界が白むのを伝えた。
 だが、それは再び、闇に染まった。

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