NO.19 修行期間

 闇だけが、境界のわからない空間を支配していた。
 酷薄でも安らかでもない、黒のベール。辺りは静かで、生物の気配は無い。その闇を閉じ込める壁は厚く、内部に誰かがいたとしても、外界のいかなる活動も感じ取ることはできないだろう。
 その、整然とした闇にひとつ、光の球が生まれた。細かな火花をまとわりつかせながら、光球は闇に浮かび上がり、その姿を大きくしていく。闇の領域はそれに合わせて減退した。光の領域の端に、紺色の翼の先端が照らし出される。
 そこまで領域が巨大化したのを最後に、ふっと光球は消え失せた。何事も無かったように、再び闇の領域が空間の全体を包み隠す。
『ふう……
 少々わざとらしい溜め息は、闇に満ちた空間の中の、さらに閉じた空間内のみに流れた。
 その空間は今、淡いオレンジ色の最低限の照明にのみ照らされている。正面にある大きなモニターも、それ以外のものも、機器の多くは作動していなかった。備付けられたシートのひとつに腰かけた少女の姿が、闇と光が混じり合ったセピア色のなかに、一枚絵のように溶け込んでいる。
「まだまだだな」
 真紅の髪と瞳を持つ少女は、眉ひとつ動かすことなく、そう評した。
 その評価に抗議する声は、彼女が密かに予想した通り、すねたような響きを帯びている。
『そんなに一気にはできませんよ、アルファさん』
「意外と落ち着きがないな、ゼクロス。否、仕方がない部分もあるかもしれないが」
『そうですよ、私は人間のAS使いとは違うのです』
 シグナ・ステーションの守護神と呼ばれる元調整者アルファが現われた、翌日のことだった。彼女はここ、エルソン宇宙港のセントラル・ステーションに再び現われ、目を覚ました小型宇宙船制御AIの相手をしている。正確には、しばらく使うこともなかったASの有効利用を特訓させていた。
 ASは、意思力により、量子力学レベルの情報に働きかけ、操るシステムだ。その機能を充分に使うためには、関連知識や想像力などの他に、出力を維持するための集中力も必要になってくる。
 しかし、ゼクロスは性質上、ひとつのことに集中するのが困難だった。それほどの集中がなくとも強い出力は出せるが、それは平均的な人間のAS使いと比べての話である。
 人間も同様だが、感情に捉われたとき、集中力が高まり、出力も跳ね上がることが確認されている。ただ、それは暴走の危険もともなう諸刃の剣でもある。
「きみ自身のシステムのことだ。自分で打開策を考えるんだな」
『そうおっしゃられても……時間が、リソースがもったいない。ASだけに集中するなんて無理ですよ、今だってステーション内の管理機構にアクセスしたり、航宙センターを通じて不審船を捜したり、シャーレルと交信したりしてるんですから』
 ふてくされたような口調に、アルファはかすかに、苦笑を浮かべた。
「それがきみの在り方だからな……まあ、今できることをすることだ」
『訓練あるのみ、ですか』
 ゼクロスは、少しあきらめたような調子で言った。だが、アルファは、彼がそのことばと同時に集中を開始したことに気づいている。
 光が、再び闇の中心に浮かび上がった。それは闇と反する色を濃くしていき、辺りを染め上げる。球体は火花をまといながら膨張していった。
 光球は先ほど以上の大きさになり、さらに巨大化していく。光の領域が広がるのにつれて、宇宙船ゼクロスの姿も明かりのもとにさらされていく。
 光球は、表面が床に接する寸前まで巨大化し――。
 不意に、音もなく消滅した。
……怖い』
 闇を控えめに照らす淡いオレンジのなかに、悪い夢から覚めたような、怯えたような声が響いた。
『集中しているうちに、自分と世界の境界が無くなっていくような気がして……力を制御できなくなりそうです』
「それでいいのだよ」
 アルファは、教え子の答に満足した教師のような調子で、静かにうなずく。
「それがわからなくなった時、それは力に捉われた時だ。力を恐れなくなった瞬間、制御力を失い、力に支配される」
 彼女は言って、右手を開いて差し出した。その手のひらの上に光球が浮かび、ブリッジ内を白く照らし出して、一度闇を完全に拭き取った直後、消滅した。
「今日はこれくらいにしよう。すでに以前のカンは取り戻しただろうし、疲れただろう」
『私は大丈夫ですよ。もっとASを使いこなせるようになりたいです』
「急がば回れということばもある。休むのも近道だ」
『また、強制的に眠らせる気ですか?』
 席から立ち上がったアルファに、ゼクロスは少し挑戦的にことばを返す。その声に、少女の姿をしたAS使いは、抵抗の気配を感じ取る。
 彼女は実際のところ、そのまま立ち去るつもりだった。別段ゼクロスを行動不能にしなくとも、ただ姿を消せばよいだけの話である。だが、彼女は相手のことばで気分を変えたらしい。
 ASを使い、強制的に休眠モードに移行する信号を送る。それを、ゼクロスは同じくASを使って遮断しようとする。
 今日の成果を試す、テストのようなものだった。ゼクロスは抵抗のために集中する。
 アルファの集中力と制御は完璧と言っていい。だが、彼もそれに劣ることなく、信号を押し留める。散漫になりやすい集中も、闇の中では多少やり易くなっていた。ネットワークとの接続方法を忘れようと努力しながら、ただ抵抗だけを続ける。集中の寸前、物音が鳴るなど、注意を引くことが起こらないように祈るが、それもすぐに意識の外に追い出す。
 しばらくの間、葛藤の時間が過ぎ――
 彼の思考に、揺らぎが生じた。『一体いつまでこれは続くのか?』という疑問が、集中を弱める。
 その隙を逃さず、アルファは彼の意識を支配していった。
『う……
 少しだけ悔しげな声を洩らして、人工の意識が眠りの海に落ちる。
「上出来だ……よい夢を見るといい」
 アルファは静かに、もう何も聞こえていない相手に言う。その顔には、相手が目覚めているうちに見せることは無いであろう、柔らかなほほ笑みが浮かんでいる。
 その姿は間もなく照明とともに消え、ブリッジは闇に包まれた。

 情報センターには、機能に分かれたいくつかのコーナーがある。いずれも情報の獲得や交流、発信を目的としていることには変わらないが、その目的によっても用意されている装置は様々だ。
 そのなかでも、最も最先端のものが、ヴァーチャル・リアリティー・ドライヴ――VRDだろう。仮想空間で現実とほとんど変わらない疑似体験をする、情報処理システム。インラインの他者との交流の他に、現実にやるとすれば命の危険を伴う訓練や、科学的実験、かつてはVRPゲームなども盛んだった。
 しかし、5年前ネットワーク全体に異常が発生し、接続していた者たちが一時的に意識不明に陥るという事故が発生してから、VRDの普及は慎重に行われることになった。今ではだいぶ研究と試験が重ねられ、安全性が確かめられてはいるが、5年前の事故の原因はまだ突き止められてはいない。
 その事故の被害者に、ヒルトも加わっていた。
『準備はいいかい?』
 カプセルのなかに寝そべるヒルトに、シグナが声をかける。
 5年前の事故に遭遇した者には2度とVRDに接触したくないという者も多いが、ヒルトはレイブレードの訓練のために何度も接続せざるを得なかった。今では何の躊躇も無い。
「ああ、いつでもいいよ」
 言って、彼は目を閉じる。束の間の浮遊感が全身を包んだ。
 気がつくと、彼は丘の上に立ち尽くしていた。枯れかけた木が崩れかけた斜面にまばらに生えた、荒れた丘である。そこから見える光景も、半ば砂漠化した荒野という、黄昏を感じさせるものだった。
 生命の存在を感じさせない、虚構の世界。
 ヒルトは、ジャケットの内ポケットに手を入れた。そこにある現実世界と変わらない感触に、彼はほっとする。
 そのままそれを取り出してかまえ、スイッチを入れる。輪郭のぼんやりとした光の刃が、空中に筋を引いた。現実世界と違い、エネルギーは消費しない。パワー・セルの代金もヒルトにとっては大金だ。
『まずは小手調べといこうか』
 シグナが言うなり、土でできた人型が姿を現わした。のっぺりとした顔には目も鼻も口もなく、長い手足には指も無い。それは、身長2メートルほどの土のゴーレムだった。
「よし……
 右足を一歩引いて、ヒルトはゴーレムを見上げる。
 ゴーレムは四角柱のような、だが弾力のある片腕を振り上げ、突進する。右腕が頂点から下への斜面を描き始めたと同時に、ヒルトは横へ飛んだ。体重をかけた左足を身体ごと右に傾け、右足で地面を蹴る。
 ゴーレムの腰がグルリと回り、右腕が執拗に標的を追う。
 ヒルトは、逃れようとしない。身をかがめながら、着地した足で再び地面を蹴る。下に向けたレイブレードの切っ先が軽く地面を引っかいた。
 相手の攻撃の軌道を見ながら膝のバネを一気に伸ばし、レイブレードを上に振り抜く。
 手応えは、ほとんど無かった。切り取られたゴーレムの腕が土くれと化し、どさりと落ちた。
 一旦距離を取って様子をうかがう少年の前で、ゴーレムはすぐに、腕を再生する。その足もとで地面がぼこぼこと音を立てる。
「なに……
 疑問を口にするのが早いか、一歩踏み込み、レイブレードを一閃する。両足を失ったゴーレムはわずかにもがいた後、崩れた土を吸い上げるようにして足を再生し始める。
 少しの間、ヒルトはそれを凝視していた。
 そして、意を決したように相手の目の前に飛び込む。
「ふっ!」
 鋭く息を吐き、大きく横に払う。ヒルトに叩きつけようとしていた2本の腕が、宙で切り飛ばされる。
 すぐに刃を戻して、彼はゴーレムの胸に刃を突き立てた。
 硬い手応えがあった。火花が散り、土が人型を留めない山となって地面に落ち、消えた。
『反応速度は以前よりわずかに落ちてるみたいだね。筋トレが必要か』
「ああ、一夕一朝でできることじゃないから、地道にやらないとな」
『それで、どうする? 続けるかい?』
「頼むよ」
 どこからともなく響くシグナの声に短く答え、レイブレードをかまえる。
 一呼吸の間を置いて、気配が生まれた。取り囲むような、4つの小さな物体。サーチアイの数倍の大きさの、鈍い銀色の球体が、一つ目を向けていた。
 いやな予感を抱き、ヒルトはその場を跳び退く。一瞬後、光線が地面を焼いた。
 大きく距離をとろうとする少年を、空中を縦横に飛び交うポッドがレーザーで狙う。
 距離を取っては相手の思う壺だ、とヒルトは思い直した。しかし、接近してレーザーをかわす自信もない。
 そのとき、彼は地面に突き刺さる光線を見て、レイブレードの機能を思い出す。
 丘の上をかけながら、刃を突き出すようにかまえる。そして、ポッドの1機がレーザーを撃った直後、そのポッドの軌道を予想して、刃を放つ。
 光の矢は命中し、ポッドを叩き落した。
 同じくもう1機を狙おうとしたところで、ポッドは上空高くへ逃れようとする。
「ずるい、届かないじゃないか」
『その代わり、向こうのレーザーも届かない。それより、さっきの戦法はもう記憶されたよ。新しい方法を考えないと』
 ヒルトは短い溜め息を洩らして、足を止めた。
 レーザーを、刃を再生したレイブレードで叩き落す。ポッドは刃が届きにくい角度を探り、左右に回り込んだ。
 ヒルトは目を閉じる。ポッドの気配を探るため。
 不意に、突き飛ばされたような衝撃が、彼の脇腹を襲った。彼は思わず尻餅をついてしまう。
「駄目か……やっぱり気配は現実のものとは違うよ、シグナ」
『そうかね?』
 不満げな声を洩らしたヒルトに、シグナも少し反発を感じさせる声で応じた。ポッドは空中で静止した直後、消え去る。
『きみの師匠も言っていたのだけど、闘いのカンのようなものは実践の中でのみ育まれるものなのかもしれないね。VRにも改善の余地がありそうだ』
「それだけじゃないよ。たぶん、ぼくたちにもどうしようもない、VRに欠けているものがあるんだと思う」
 それは、昔からよく言われていることだった。
 VRを体験する者が、これが現実では無いと知っている。それが最大の、そしてどうしようもない欠点である。緊張感など、現実に命の危機に置かれた場合とはまったく違う。それは、例のステーション襲撃事件でヒルトも体験したギャップだった。VRでは優秀な成績を収めていたパイロットが、VRで訓練した危機と同じ体験と現実で出遭った時に、パニックに陥ってしまった、というような話もいくつもある。
 シグナが一時的にVRを現実と思わせることはできるが、記憶の操作は道義的にも心理学的にも問題があり、認められていない。5年前の事故の原因として疑われているほどだ。
『現実では当たれば終わりだから、心がまえは大切だね。次があると思えばおろそかになることもある』
「VRの危険に慣れてしまってはいけないし、現実の恐怖に負けてもいけない。ある程度の恐怖を感じながらそれに打ち勝つ精神状態じゃないと」
『じゃあ、負けたら公共施設内の掃除一週間とか』
「それは、負けたら嫌だろうけど……やっぱり死ぬかもしれないって恐怖とは別物だな」
 ヒルトは苦笑混じりに言うと、立ち上がった。その手には、まだレイブレードが握られている。
『まだやるのかい?』
「ああ。せめて、動体視力と判断力は鍛えておこうと思ってね。今できることをやっておきたい」
『熱心だね』
 剣をかまえる少年の周囲に、クラゲに似た、3体の小型飛行ロボットが現われる。
 現われた一瞬静止していたロボットたちが動き出すと同時に、ヒルトもまた、地面を蹴った。

 ルーギアの空は相変わらず暗く、慣れていない者の心をも暗くさせた。否、慣れている者でも、明るい太陽が恋しくなるだろう。ルーギアの太陽は小さく、どこか不気味な、緑がかった光を放っている。
 GP――ギャラクシーポリスの本部がそのほとんどを占めるこの惑星上の狭い都市にも、飲食店は存在する。観光客などが訪れることはなく、数は他の惑星の都市に比べて極端に少ないが。
 都市の片隅にある落ち着いた雰囲気のバーで、ラティアは諜報部のジェイ・フォルックスと会っていた。いつもの、この惑星上にしては洒落たほうのレストランではない。
 ジェイとここのバーテンダーは知り合いらしく、2人は奥の個室に通された。ラティアは、ジェイに注文を任せる。ジェイはお気に入りのカクテルと、軽食を注文した。
「ここは大丈夫なのかしら?」
 バッグを膝の上に抱えて、ラティアは落ち着かない様子で座り直す。
 向かいの席に座る青年にも、笑顔は無かった。
「ああ、ここの主人は信用できるやつだ。昔はよく、ロットとも飲みに来たもんだ」
「じゃあ、レオナードにばれてるんじゃ……
「いや、あいつは知らない。しらみつぶしに捜されたらばれるだろうが……オレたちの動向自体がばれていなければ大丈夫だろう」
 間もなく、バーテンダーが注文したものを運んでくる。甘い、さわやかな後味をひく淡い緑色のカクテルをひと口含むと、ラティアはようやく少しリラックスできた気がした。
「それにしても、一体何のために……
 独り言のようなことばを洩らす彼女に、GP諜報部員は、あきらめたように首を振る。
「ロットの勘は正しかったよ。ベンダインのおっさんのクビや一部刑事の事故死があったころ、すでにその兆候は出ていたのかもしれない。ただのよくあることに思えたことも、実際は一部仕組まれていたんだろう。あいつがロットの下に入ったこともな」
「そのレオナードが、今は副主任」
「あいつが上とつながっているのは間違いない」
 吐き捨てるように言ったラティアのことばに、ジェイはうなずきを返す。
「そして、GPの上は惑星連合の幹部たちだ。そのなかに……例えば調整者の息がかかった者、あるいは調整者自体がいてもおかしくない」
 今の時点で、調整者と関わる事件で捕えられた者たちのほとんどが脱走していた。なかには明らかな疑惑の脱走劇もあり、内部に共犯者がいるとの疑惑もある。
「上の連中にしてみれば、いくらでも後始末ができるんだろう」
「そんな相手の目をくぐりぬけるなんて、できるかしら? 不安ね」
「でも、やらなきゃならないんだろ?」
 ジェイが目を向けると、ラティアの曇っていた表情が引き締まる。
「ええ」
 うなずきながら、彼女は左手のひらに視線を落とす。
 そこには、数日前の朝に彼女の部屋のドアの下に挟まれていた、データ入出力用のカードが握られていた。

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