ノルンブレードは連絡もなくガーベルドンを飛び去り、ロッティとフォーシュも早々にGPに向かった。管理局のメインシステムのプログラムを修復した後に開かれた食事会は、局内の食堂でキイ、ストーナー、ライナ、フィゼルらスタッフだけで行われた。食事会といっても、夕食をともにしながら談笑するくらいだが。
「ったく、レックスもゆっくりしていけばいいのに」
ライナは文句をこぼしながらも、局長のおごりだという豪華な食事をつついていた。彼女は、今回の件ではかなりの儲けを上げている。
「ラファサはどうしてる?」
ストーナーが、シチューをかき混ぜているキイに問うた。キイは腕時計型通信機のスイッチを入れる。腕時計のモニターの端の状態表示によると、ゼクロスは覚醒状態だった。
「ゼクロス? ラファサはいるかい?」
『……ええ、元気ですよ。お掃除中です』
ゼクロスは、少しゆっくりした調子で答えた。
「疲れてるみたいだな。大丈夫か?」
『はい。気にしないで、ゆっくりしてください』
すでに、参加者の大半はアルコールが入っている。からんできた技術スタッフをかわしながら、ストーナーは壁際に退避する。
そこに、フィゼルの姿があった。味気ないツナギは脱いで、ワイシャツにタイトスカートという普段着に変わっている。ストーナーはいつもの白衣、キイは芸術学校の生徒風のまま変わりない。
「本当に助かったわ。お礼は上乗せしておきます」
「役に立ったのは、ゼクロスとラファサだがね。まあ、みんなの助けがあってこそだよ」
「もちろん、2人にも感謝するわ。でも、私たちの仕事はこれからが問題よ」
確かに彼女の言う通りだった。彼女たちは、ウイルスで破壊された機器を、物理的にもデータ的にも元通りに修理しなくてはいけないのだ。被害範囲はかなり広い。
「修理だけじゃないの。今回のことで思ったのだけど、メインシステムにもパーソナリティがあればいいかなって。だから、あなたにはまたお世話になると思う」
宇宙に名を知られている人工知能はまだそう多くない。技術主任の思い切ったことばに、ストーナーは目を丸くして見返した。
「なるほどねえ……しかし、なぜ?」
「この星は人手が足りなすぎる。自分で対ウイルス装備を更新し続け、プログラムの修正もやってくれるなら楽ね。それに、楽しくなりそうじゃない」
「ああ、それはまあ……」
一部はすでに食事を終え、食堂を後にする者も出始めた。デザートのプリンを食べ終えたキイも、席を立つ。ストーナーのほうはまだフィゼルに話があるようだ。ライナは雇い主であるストーナーと一緒でないと帰らないだろう。
「お先に失礼」
軽く手を振り、キイは食堂を出た。エアカーのキーはライナが持っているので、彼女は歩いて戻ることにする。
管理局を出ると、辺りはすでに夜闇に包まれていた。頬を撫でる涼しい風に、ざわめきが流されてくる。街並みは色とりどりの光に照らされ、昼間と同じように賑わっていた。
彼女は管理局を訪れる時の道順を引き返し、ゲートを通る。エレベータは応急修理され、天井の穴は塞がれていた。何人かとすれ違いながら、ラトーガジュネスの街へ。
キイは、ここが治安が悪いと言われていたことを思い出す。街並みは雑然としていて、ガラクタで造り上げられていた。グロイスとは、まったく印象が違う。ただ、人の気配、夜の賑わいは変わらない。
キイは賑やかな通りを歩いた。道の両脇には飲食店やいかがわしい雰囲気の店が並んでいる。
何人か、わざとぶつかってこようとする者がいたが、キイはかわし、何事もなく人込みを抜けていった。店だけでなく、住人にも怪しい者がいる。それも、少なからず。
中心部を脱し、人の通りがまばらになってきたところで、3人の男が行く手を塞いだ。
「こんなところを1人で歩いてるなんて、いい度胸してるじゃねえか、坊や」
もともと男装に近い格好のせいもあるが、暗いためか、いかにも悪人じみた顔をした男はキイの性別を見誤った。
キイは疲れたように肩をすくめる。
「何か用?」
素っ気ない態度に、男たちは一瞬、妙な顔をした。だがすぐに、心理的優位を取り戻す。
「ちょっとオレたちに付き合って欲しくてねえ。退屈だし、金がないんだ」
「私は暇じゃないし手持ちもない」
キイはつまらなそうに言うと、男たちの横をすり抜けようとする。
「待てよ嬢ちゃん」
やっと相手の性別に気づいたらしい男の1人が、キイの腕に手を伸ばし――
青白い火花が散り、慌てて手を引っ込めた。それにより、キイが個人用のバリアシステムを起動していることがわかる。
「ただ者じゃねえな……」
賢明にも、彼らはそれ以上手を出さないことを選んだ。
ゼクロス機内でほんの数分だけ休んだラファサは、来る時に中断された掃除を再開していた。掃除をしている間は、彼女は心の平静を保つことができる気がした。
『ラファサ、これ以上働いて大丈夫なんですか?』
だが、その優しい声を聞くと、少女はかすかに迷いを覚える。彼女がゼクロスのなかに仕掛けた罠は、今はまだ、何の異変も起こしていない。
プログラムを書き変えられるということは、自分ではなくなるということだ。それは、死に等しい。彼女は、ゼクロスを死なせることに協力するという役目を終えたのだ。これで、すべての作戦が終了したわけではないが。
『ラファサ?』
貨物室の真ん中に立ち尽くして、ラファサは首を振った。その、美しい声を聞きたくないと思った。これ以上彼と一緒にいるのはつらすぎる。
『……ラファサ、気分が悪いのですか?』
その声に、疲労より不安の色が濃くなっていた。
「……いいえ」
ふと我に返ったように、ラファサは首を振る。掃除を再開しながら、彼女はほほ笑んだ。
「あなたのほうが疲れているでしょう。ちゃんと休まなくては駄目ですよ。ゼクロス、熱があるんじゃありません?」
『あ……エネルギー出力をメインシステムに合わせる必要がありましたから、確かに不調ですが……あなたを残しては休めませんよ』
「そんなことを言っていて、皆に心配をかけてはいけませんよ」
『それはそうですが……』
母親のようなことばに、ゼクロスは困ったように言う。
『私だって、あなたが心配なんです。だから、休んでくださいよー』
甘えたように懇願するのに、ラファサは思わず笑みをこぼした。だが、その笑顔が凍りつく。
『どうしました……?』
「いいえ。……そう、そういえば、忘れ物をしていたのを思い出して。ライナさんの部屋に座布団を置いたままでしたね」
掃除を途中のままに、貨物室を出る。
『それなら、キイに言っておきますよ。ライナさんが来た時に運びましょう。今は鍵がかかってる可能性が……』
「でも、できれば叩いて干しておきたいし。一応行って見ます」
『ラファサ……』
ゼクロスは不満げだった。何か予感でもあるのだろうか、と、ラファサはこの船がAS搭載船であることを思い出しながら機外に出た。外は闇に包まれており、気まぐれに吹く風に当たると、少し肌寒い。
ラファサは、倉庫のドアに近づいた。1度、紺の翼の小型宇宙船を振り返る。ランキムもノルンブレードもガーベルドンを去り、この飛行場に駐機しているのはXEXだけだ。
『ラファサ……?』
ぐったりした調子の声が外部スピーカーから流れる。
ラファサは身をひるがえした。倉庫の裏にある林に向かって。
『ラファサ、どこへ?』
不安にかられた問いかけに答えず、少女は木々の間を抜けた。風にざわめく林は、まるで巨大な怪物のように不気味だった。
『ラファサ、ラファサ! 危険です、戻ってください!』
その声から逃げるようにして、ラファサは走った。
声が聞こえなくなっても走った。何かにつまずき、足を痛めても、それを引きずるようにして、奥に向かった。
やがて、林を出ると、湖が広がっていた。水面が闇の中、月光を受けて淡く輝いていた。
少しの間、ラファサは放心する。こんなことをして何になるんだろう。すぐに見つけられるに決まってる。ゼクロス以上に、彼女の製作者たちからは逃れる術はない。
彼女は水辺にかがみ込んで、両手のひらに水をすくった。青白い顔が水の中に浮かぶ。
トラム研究所の最先端のプログラミング配列があまりに感情の作用を体現しすぎたのか。それとも、自分が異常なのか。いや、ゼクロスとその周囲が異常なのかもしれない。
今頃、皆どうしているだろう。キイたちもそろそろ帰って来るかもしれない。そして、皆心配している。彼女にとって、それは馬鹿馬鹿しいことのはずだが、同時になぜか嬉しくもあり、帰りたい、と思わせることだった。彼女は、そこを『帰る』場所と認めている自分に気づき、軽くショックを受ける。
しかし、任務を果たすには帰るしかない。逃げられないなら、そうするしかないではないか。
もう少し実用的なことに思考を移す。帰ったとして、なんと言おう? 言い訳を考えながら、彼女はぼんやりと星空を見上げていた。
時間を忘れてそのまま立ち尽くしていた彼女は、不意に腕をつかまれ、大げさに驚いた。
「ラファサ」
びくっとして振り向いた彼女の目に、見覚えのある姿が飛び込んできた。ベレー帽にベージュのベスト。漆黒の瞳はどこか悲しげにラファサを見据えている。吸い込まれそうな目だった。
「キイ……」
「もしきみがもう私たちと一緒にいたくないと言うなら、無理に〈リグニオン〉に留まれとは言わない。でも、頼むから今は戻って欲しい」
意外なことばだった。返すことばもなく、ラファサはただコクリとうなずく。
彼女は足首を痛めていたのを失念していた。転びそうになってキイに支えられ、彼女は情けない気分で林を戻っていった。
すでに、ストーナーとライナも戻っていた。ほっとしたように2人を迎える。
「……あの、私」
ラファサは困ったように2人を見た。
「私たちと一緒にいづらくなったのなら仕方ないが……あまり心配させないでくれ。誰も、きみが自分の意志を通すのを邪魔したりはしないよ。ただ、今は別だ。さ、早く医務室へ」
「自分を大切にしなよ」
言って、ライナは軽く手を振った。彼女はすぐ脇の自分の家に帰る。
それを見送ると、ストーナーは少女の軽い身体を抱き上げた。
「きゃっ」
突然のことに驚きと恥かしさから声を洩らす彼女を、ストーナーは軽々と運んだ。機内に入り、手術用機械までを完備した医務室のベッドにラファサを降ろす。
「捻挫だな。まあ、すぐに治るよ」
ある程度医療の知識もあるらしく、キイが診断した。
しかし、普段はより知識のある者が判断をくだしているはずだ、と彼女は気がついた。
「ゼクロス……?」
小さく、そばのセンサーに声をかける。ややあって、反応があった。
『ラファサ……ごめんなさい。私が、私のせいで……』
ゼクロスの声に、ラファサは愕然とした。彼は泣いているようだった。
『あの、ウイルスのことでしょう……? だから、あなたはここにいられなくなって……』
管理局のシステムを牛耳っていたウイルスたちは、ラファサと同じくPPLOWS7によって構成されていた。そのことに、確かにラファサはショックを受けてはいた。実際は事前に知らされてもいたが。
そのウイルスがゼクロスを襲ったことで、彼女はもう〈リグニオン〉にはいられないだろう、と思い、ここを離れた――というのが皆の認識らしい。
ラファサが感じている罪悪感と、もともと不安定な立場が稀薄になったような感覚は、皆が想像しているものに近いかもしれない。原因は、まったく違うが。
『そんなこともわからずに、あなたに助けられた、なんて言って。何もわかっていませんでした……ごめんなさい』
ベッドで上体を起こしたラファサから、手当てを終えたキイが離れた。
さっきから、彼はどうして謝ってるんだろう、と、ラファサはセンサーを見つめた。綺麗な声は、どこか苦しげに続ける。
『誰もあなたを責めることはありませんから……こんなこと、今さらかもしれませんが……〈リグニオン〉の皆さんは何も気にしないと思います。私がただ、無神経だっただけです……ラファサ、どうか……』
ラファサは、キイと目が合った。捻挫のような怪我は知識さえあれば誰でも治せるが、今ここでゼクロスの苦しみを取り除くことができるのは自分1人なのだ、と強く意識する。
彼女は、あまりに自然なほほ笑みを作った。
「ゼクロス、あなたに非はありません。私がはやまっただけです。あなたが苦しむのが嫌で協力したんですよ、自分を責めないで」
『ラファサ……しかし』
「〈リグニオン〉の皆さんは確かに私を許してくださいますでしょう。私は自分の存在があのウイルスに近いものだと知ってから、いても立ってもいられないような気分になってしまったんです。でも、もう大丈夫ですよ」
演技と作り笑いがなければゼクロスを安心させることもできないことに密かに苛立ちながらも、彼女は優しく告げた。実際それが功を奏したのが彼女にとって救いだった。
『それでは……』
「〈リグニオン〉で学ぶことは多いと思います。それに、お掃除する部分も」
『本当に……? よかった!』
ゼクロスは純粋に喜ぶ。
歓迎されて生れたのでなくても、その一言でラファサは救われた気分になる。
彼を死なせるために生れてきたのだとしても……。
『ずいぶんな目にあったようだね』
ステーションを管理するシグナが、休眠状態のゼクロスを確認するなり言った。
キイが珍しくパイロットらしいところを見せて、宇宙船XEXは、マニュアルモードで惑星エルソン軌道上のシグナ・ステーションまで航行した。キイの操縦は危なげなく、ゼクロスの操縦にも劣らない。
ストーナーはここで別れることになっている。ゼクロスとラファサの様子が気になるようだが、彼も自分の研究所をいつまでも放っておくわけにはいかない。
「報酬は後でシグナに言って振り込んでおくよ。また会おう」
ゲートで、彼はキイたちと別れた。
キイがここに寄ったのは、ストーナーを送り届けるためだけではない。シグナなら、ある程度ゼクロスの調子を取り戻せると踏んでのことだ。
シグナは快く、彼女の頼みを引き受けた。
『きみたちにはいくつも借りがあるからね』
ラファサとキイはブリッジの席に座っていた。ラファサは松葉杖を床に置いて、心配そうに成り行きを見守っている。初めて出会った最高の人工知能と言われる相手にも興味があったが、今はそれより、よく馴染んだ宇宙船制御システムの状態のほうが気になった。
『うっ、ううん……』
妙に色っぽい声を洩らして、ゼクロスは覚醒した。
『いいかい、ゼクロス、じっとしているんだよ』
『ふにゃ?』
『ほら、ルータじゃないんだからしゃきっとして』
この場にはいない弟に対してずいぶんなことを言いながら、彼はゼクロスに分析プログラムを走らせた。ゼクロスは大人しく、ASの秘密も共有するシグナにされるがままになっていた。
『いくつか修正中の部分があるが、残りは私には手の出しようがないな。ラボに戻ったら精密検査を受けて、最低1日はゆっくり休むことだ。そうしたら、何も用事がなければ、エルソンに来るといい。きみたちはお礼を受け取っていなかっただろう』
「お礼?」
『ほら、隕石の件だよ』
キイは思い出した。アスラード博士の開発したメインドライヴを犠牲に、隕石からステーションとエルソンを救った件だ。あの時、キイとゼクロスは意気消沈して、それに補助ドライヴで帰るのは時間がかかるからと、早々にここから出たのだ。
「ああ、じゃ、後で来るよ……ところで、フォーシュはまだ戻っていないのかい?」
プログラムの修正が終るまで少し時間があるので、キイは退屈しのぎにきいた。
『戻ってるよ。ロッシーカー元警部と一緒にGPに入らないかって言われたようだけど、断ったそうだね』
「ま、GPも被害がなくて幸いだったね……で、ルータはどうしてる?」
『ああ、ルータ……』
半ば眠っているゼクロスが〈ルータ〉ということばに反応するが、寝言同然なので、キイとシグナは無視することにした。
『エルソンだよ。しばらく待機する予定になってる。少し元気がないのだけどね、たぶん、きみたちに会えなかったからかね』
キイは、少しいたずら心を出した。
「それはそうと、きみのほうには会えているのかな?」
シグナはキイの意地悪に気づいたが、キイには反撃のしようがないので、素直に答えた。
『いつでも会えるよ。ただ、ここのところ、休んでいることが多いから、あまり話はしていないのだけど。精密検査を勧めているのだがね、大丈夫の一点張りで』
「素直でないこと」
どちらのことを言っているのか、ラファサにはわからなかった。両方かもしれない、と思わないでもなかったが。
『気になるなら、会った時に聞くことだね。ほら、終ったよ。ゼクロス?』
『……ん』
まだ意識がはっきりしないのか、ゼクロスは寝ぼけた声を洩らした。
キイの意地悪のせいで少しイライラしているのか、シグナは、ネットワーク上でゼクロスを乱暴に揺すった。
『あーっ、あぁーっ! 起きます、起きますっ!』
このやりとりに、ラファサは笑い声を洩らした。シグナの憂さ晴らしにとばっちりを喰らったゼクロス自身は、何があったのかはっきりわかってはいないだろう。
「シグナ、世話になったね。そろそろ戻らないと所長たちが心配する」
『こっちもウイルスのデータをもらったし、持ちつ持たれつだよ。お大事に』
キイはマニュアルモードのまま、ドライヴを起動した。〈リグニオン〉までゼクロスに操縦させないつもりらしい。
出口を開き、シグナがいつもは『良い旅を』というところを、『気をつけてお帰り』と言って送り出す。
ラファサがいるからかもしれないが、キイは普通に安全運転していた。
ステーションを出て少したってから、やることがないゼクロスは思い出したように言った。
『キイ、私、凄く理不尽な目にあった気がするのですが。気のせいでしょうか?』
「気のせいだよ」
「夢を見たんでしょう」
キイとラファサが強い調子で言った。笑いをかみ殺しながら。
「深く思い出さないのが身のためさ」
2人の楽しげな表情が気になったものの、ゼクロスはアドバイスを受け入れて、気にしないことにした。
TOP>ムーンピラーズII>-----<<BACK | NO.08 事後処理 | NEXT>>