NO.09 休息の日

 この宇宙域内でもかなり重要な役割をになう惑星、エルソン。現在は、フレス・ホーゾルフがエルソン行政府の最高責任者だった。彼は長身で、顔かたちもよく、画面映りの良い男だった。穏やかな笑みを浮かべて手を差し出す姿は、エルソンの人々に『どこに出しても恥かしくない』という印象を与えたはずだ。
 一方、手を差し出されたほうは、校長に表彰を受ける学生にしか見えなかった。
……ありがとうございます」
 と、受け答えするキイ・マスターの顔は表情が薄かった。他人の目には緊張のためと映っただろうが、彼女にとっては、これは面倒事に過ぎないのだ。
 小惑星墜落の危機からエルソンとシグナ・ステーションを救ったキイには、エルソン圏内の宇宙港の優先権、それにビッグ・ベイ・ホテルの無料宿泊権が与えられた。皆、この報酬を当然のものとして捉えている。
「同業者には羨ましがられるだろうがね」
 録画による映像を見て、キイは言った。
 早速部屋を取ったビッグ・ベイ・ホテルのロビーには、オリヴンのラボ〈リグニオン〉から同行したメカニック、マリオンが、キイに向かい合って座っていた。周囲には他にも宿泊客がいて、チラチラとキイに目を向けている者の姿もあったが、テレビ画面上でニュースが終わって別の番組が始まると、それに集中した。
「名誉なことだぜ。まあ、オリヴンが近いからここで仕事を待つことは少ないだろうが、別荘として使える」
「休暇を過ごすにはいいかもね」
 マリオンは見慣れた作業服ではなく、スーツを着ていた。その似合わない服装から目をそらし、キイは一面強化ガラスの壁に目をやる。そこには、エルソン宇宙港の特別駐機エリアがある。大きな建物が見え、その周囲に何機かのシャトルと作業服姿で行き来するスタッフたちが見えた。それを、傾いた太陽の紅の光が照らしている。
 のどかな1日だった。スケジュールが埋まっていないからこそ、先延ばしにしていた表彰式を受けたのだから、式さえ終わってしまえば、やるべきことがないのは当然ではあるが。
「退屈だな。ゼクロスでもからかってくるか」
……ふうん」
 立ち上がるマリオンを見て、キイはおもしろそうに笑った。そのからかうような表情を見て、青年技師は眉をひそめる。
……何だ?」
「いいや。たまに高級ホテルでゆっくりできるというのに、わざわざ出て行くとはねえ」
「ロビーでぼーっとするのは、高級ホテルじゃなくてもできるだろう。おいしいご飯とふかふかのベッドは後で充分味わえるさ」
 そう言い残して、彼は玄関へと去って行った。
 せっかく一張羅で高級ホテルに来たのに、外のほうがいいのか……と思いながらそれを見送ると、キイは視線を窓に戻した。
 そして、その窓に映った姿に気づき、首をわずかに後ろに向ける。
「こんなところで出会うとはねえ。休暇ですか」
……仕事半分、休み半分っといったところね」
 答えて、ブロンドをひとつに束ねた女性――フォーシュ・ファンメルは、通路に近いソファーに座った。灰色のジャケットに黒のパンツという、いつもの飾り気のない格好だ。右脇にはレトロな拳銃が収まったホルスターを吊るしている。身元と人格に信用が置ける人物でなければ、このホテルに武器は持ち込めない。
 通路を歩く者はそう多くはない。彼女に続いて奥のほうから現われた姿が見覚えあるものであることは、すぐにわかった。
「あら、キイ! ここに泊まってると聞いてたけど、会えて嬉しいわ。ニュース、見てたわよ」
 キイの姿を見つけて歩み寄ってきたのは、金髪をポニーテールにした女性だった。フォーシュと同様に整った顔立ちをしているが、雰囲気は正反対だった。フォーシュを陰とするなら、彼女は陽だろう。
 キイはわずかに驚いた様子を見せた。
「テリッサがフォーシュと一緒に休暇? ギャラクシーポリスは忙しそうだけどねえ」
 彼女のことばに、テリッサ・ユーロンはどこか自嘲めいたような、吹っ切れたような、奇妙な苦笑を浮かべた。
「GPはもうやめたの。ほら、バッジもしてないでしょ」
「へえ……
 GPの捜査官になることは並大抵の努力ではできない。彼女は何を思ってGP捜査官になり、何を思って辞めたのか、と、キイは思った。しかし、それは本人のみぞ知ることだ。
 テリッサ自身は、もう未練もないようだった。
「今ね、フォーシュに色々教えてもらっているところなの。これでも少しは貯金しているからしばらくは大丈夫だけど、やっぱり、宇宙を飛び回る仕事が性に合ってるし」
「ロッティにテリッサに……みんな同業者になってくなあ。ああ、ロッティとは組まないのかい?」
「最近、会ってない。頼んだらOKしてくれる気がするけど、向こうは向こうでもう活動してるし、なかなか捕まらなくて」
「じゃ、もし会ったらとりあえず同業者になったということは言っておこう。もう1人のかつてのお仲間はどんな様子?」
 それを尋ねると、テリッサは少し嫌な顔をした。
「昇進したみたいよ。その前から、色々組織の再編成とかがあって、きな臭かったけど……あいつは、もともと将来を約束されていたみたい」
 彼女、それにロッティ・ロッシーカーと組んでいたレオナード・オークスは、チームの中で唯一GPに残っている。組んでからまだ数ヶ月と日が浅いためか、その思考はあまりつかめないままだった。
「ま、それぞれにそれぞれの道ってことか」
……姿を消すことも」
 黙って聞いていたフォーシュが、不意に口を開いた。澄み切った蒼の瞳が、ティーポットから茶を注ぐキイに向けられる。
「あいつ、消えたみたいだわ。何か知ってるんでしょう?」
 あいつ、というのは《時詠み》のことだろうと、予想がついた。シグナ・ステーションで暗躍していた、正体不明の存在。聖船に乗り込んだときにも、フォーシュはその姿と出会っている。それ以後、《時詠み》の名も姿も、ステーションから消えていた。
「さあ。死んだわけではないでしょう……それより、色んな人たちを連れてきたみたいですね」
 テリッサが後ろを振り返った。しかし、少し離れたところに受付が見えるくらいだ。
 フォーシュが眉をひそめる。キイは、何気ない様子で首を振った。
「まあ、こっちの話」

 ビッグ・ベイ・ホテルのコックは無料だからといって手を抜くことなく、キイをもてなした。1階と14階にレストランがあり、1階はバイキング形式、9階は専属のコックによる料理が楽しめるようになっている。是非、と勧めるホテル側に従って、キイは9階のフルコースを試していた。この食事代もホテル側のおごりだ。
 キイのついでに、マリオンも高級料理を味わうことができた。
「うまかったなー。皆来ればよかったのに」
「さすがにそれは自腹になると思うけどね」
 夕食を終えてレストランを出、通路を少し歩くと、展望ホールがある。窓の外は闇に色とりどりの光がまたたく、星と街の灯が描き出す夜景だった。窓にそって木のベンチがめぐり、家族連れや男女が座って休んでいた。
 窓からは、宇宙港を見渡すこともできた。今、大型宇宙船が、一列に並ぶ窓からうっすらと青い光を洩らし、ゆっくりと上昇していくのが見える。それは神秘的で、そして現実的で、美しい光景だった。
「フォーシュたちはもう帰ったかな? ここに泊まってるわけじゃないんだろう?」
「ああ、泊まりは別の宿だそうだから」
 チラリと窓の外を見やったキイは、マリオンに答えると、自室をめざして歩き出した。キイは9階、マリオンは10階に部屋を取っている。2人はワープゲートの前で別れた。
 部屋は、最高級とまではいかないが、安い部屋ではない。エルソンの宿は他の惑星と違って全体的にレベルが高く、かつ物価が安いので、あくまでエルソンの宿代としての評価だが。
 ふかふかのベッドに、淡い緑とピンクを基調とした、広い個室。調度品もひと通りそろっていて、人間3人が暮らしていても余裕がありそうだ。
 地下1階に温泉があるというが、キイは部屋に備付けのシャワーで済ますことにした。建物の中でもほとんど取ることがないベレー帽を取り、椅子の背もたれにかける。ピンをとると、まとまっていた長い黒髪が背中に流れた。
 ベストを脱いでシャツのボタンを外しながら、窓に歩み寄る。こちらからは宇宙港が見えない。
「ゼクロス?」
 通信機のスイッチを入れ、カーテンを引っ張りながら、彼女は呼びかけた。間を置かず、耳馴れた声が応答する。
『はい、キイ。高級ホテルの居心地ははどうですか?』
「悪くないね。そっちもVIP待遇じゃないか。ルータもシャーレルもいるんだろう」
『ええ、満足ですよ。いつでもここに来れるんですよね』
 ゼクロスは、エルソン船ルータ、それにネラウル系ミルドから預けられているシャーレルも駐機している、特別駐機エリアの建物内、セントラル・ステーションに収まっている。一般の宇宙船は特別な事情がない限り駐機できないエリアだ。
「フォーシュとテリッサがそっちに行かなかったか?」
 ベッドに腰かけ、脱いだシャツをたたみながら問う。
『2時間足らず前にいらっしゃいましたけど。街に宿をとったそうですが……どうかしましたか?』
「いや、別に。……ルータとシャーレルとは話したかい」
『はい。特に変わりないように思います。ただ、ひとつ気になることが』
 キイはわずかに目を細め、何だ、ときいた。
『例の、おかしな夢を見る事件というのがあったでしょう。それで、エルソンで眠り続けている少年もその被害を受けていたという話でしたが、ワクチンを使っても、まだ起きないそうです。医師の話では肉体の機能が低下しているため目覚めるのに時間がかかるのではないかということですが……眠り始めたのがかなり早いですし。何か他の原因があるのかもしれません』
「まあ、警察が動いているんだろう」
『捜査は進展していませんが……
 ゼクロスはなんとか力になりたいのだろうが、どうしようもなかった。キイは通信を終わらせて、手首から外したASを手に、浴室に入った。
 シャワーを浴びてタオルで身体を拭くと、服を着始める。替えのシャツに、ベストを羽織り、ほとんど前と変わらない格好になる。髪は乾くまで流したままだが。
 まだ、寝るにはいつもに比べて早い時間だった。しかし、たまにはゆっくり身体を休めようと、彼女は髪をとかしてある程度乾かすと、麻痺銃を枕の下に押し込んで眠った。

 真夜中、セントラル・ステーションの第2ゲートに、1人の女性の姿が浮かび上がった。灰色がかった黒髪をひとつに束ねた、スラッとした体型の女性だ。
 ゲート内は、淡いオレンジ色の光に照らされていた。そこに横たわるのは宇宙船でもシャトルでもない。長方形の、銀色の箱と、それに囲まれた装置だった。コードが飛び出し、辺りの別の機器につながれ、あるいは宙で途切れている。
 壊れかけた、かつて船であったものの一部だった。それに向かい、女性はほほ笑みかけた。
『ジョーティ……
 茫然としたように、シャーレルはかつてのパートナーの姿に声をかける。果たして幻か、夢を見ているのかと、疑いながら。
「久しぶりね」
 女性は、センサーに向かって口を開いた。その声は、確かにシャーレルの記憶にあるものだった。
『ジョー、本当に……あなたなんですか』
「あたしは、ASに残された残留思念のようなもの。ま、幽霊に近いものさ。目的を果たしたら、すぐに消える」
『そんな。ASの力で、ずっとここにいられないんですか?』
「今のキイ・マスターのASを使うわけにはいかないし、あんたのASにはあんたの存在を確立するってぇ役目がある。それに、あたしはあくまで一部でしかないんだ……このときのために残されたカケラさ」
 その目が細められた。強い意思を秘めて、シャーレルを射抜く。
「よく聞きなさい、シャーレル。これから、この辺りは寂しくなる。あんたはこの辺りのことに目を光らせておく必要があるよ」
『それはなぜ……
『私たちはいなくなるんだよ。私と、キイは』
 別の声が言った。となりの、第1ゲートからの応答だった。
『だから、シグナ、それにゼクロスのことをお願い。きみしか頼れるものがいないんだ……
『皆を置いて一体、どこへ? 私にそんな責任を押し付けられても困ります……
 ジョーティがたしなめるように首を振った。彼女の表情も、ルータの声も、どこか悲壮なかげりを帯びている。
「約束の地へ行くんでしょう……それが、定めだから。たとえ、誰にも理解などされなくても」
 そのことばとその声は、もう未来は変えられない、と思わせるものがあった。
 彼女の姿は間もなく闇に消え、沈黙がエルソンの夜を支配した。

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