NO.10 朱に続く道 - PART I

 〈ジャンクパブ〉は今日も盛況だった。ビリー・フットはいつもの席に座り、ポーカーを楽しむ。彼の名を知らない、好奇心旺盛で、この辺りに疎いカモを相手に。
 悔しがる相手を眺めながら、黙って見ていたマスターが肩をすくめた。ビリーはこの店で稼がせてもらっている代わりに、マスターに稼ぎの一割を納めている。あわれな新参者に忠告することはない。
「そりゃ、金を払ってもらってんだ、文句は言えんがね。あんまり巻き上げるとウチの評判が落ちる」
 運ばれてきた、よく冷えたビールのジョッキを持ち上げながら、ビリーは笑う。
「落ちるほどの評判もないくせに」
 言って、仕事の後の一杯を流し込む。しかし、マスターがカウンターで溜め息をつくのに気づき、再び笑った。
「冗談だよ。評判が落ちてるなら、これだけの客は来ねえだろ。オレはオレなりに、さじ加減ってモンは知ってるさ」
「だといいがね」
 食器を拭きながら、マスターは素っ気ない返事を返す。
 実際のところ、〈ジャンクパブ〉の客が減った様子はない。ここが宇宙港と中央区へのワープゲートのそばにあるという立地条件も、繁盛の大きな要素だろう。
 さらに、今は午後8時過ぎ。一仕事終えた労働者たちが羽目を外す時間だ。
 毎日通うような顔は、ビリーも覚えているし、顔を覚えられてもいる。彼がカモにするのは宇宙港に到着し、宇宙空間での旅を終えて一息つこうという、新顔だ。
 しかし、マスターの手前もある。ずっとここで稼いでいるわけにもいかない。
「世話になった。またたのむぜ」
「気をつけてな」
 ほっとしたような声を背中にかけられながら、店を出る。
 稼ぎ場所は、ここだけではない。今日は新参者が多くて稼げそうだ……。ビリーはこのチャンスを逃すまいと、次の稼ぎ場所に足を向ける。その視界、飲食店が並ぶ通りの遥か向こうに、この辺りとはまた雰囲気の違う街並みが見える。
 夜とはいえ、途切れることなく続く人の波。闇に映える、都市の中心の4つのタワー。その周囲を巡る空中回廊に、空を行き交うエアカー……。中央区の街並みはどこか、神秘的ですらある。
 だが、彼は知っていた。ここも、他と変わらない。裏には、どす黒い陰謀や権力争いが、巧妙に隠されていることを。
 肩をすくめ、通りをそれる。この付近に詳しい者だけが知る、人通りの少ない近道へ。
 人通りが少ないだけあって、暗く、狭い。建物の間を抜け、金網の横を歩く。犬の唸りが聞こえたが、すぐに静かになった。
 ガサガサという風の音も気にすることなく、再び建物と建物の間へ。彼をよく知るものなら、彼が常にレーザーガンを所持していることを知っているが。
 それを、知っているのかどうか。
 どうにせよ、彼女は彼の行く手に突然現われ、真っ直ぐその目を向けた。
「ビリー・フットね」
 短い、確認のことば。
「ああ、そうさ。確かに、それはオレの名だ」
 冷静に答えながら、目立つ――それに、きれいな女だな、と、彼は思った。しかし、顔が広い彼にも見覚えがない。
 闇など意に介さない、黄金色の髪。晴れ渡った空のような碧眼。しかし、その瞳に宿る光は冷たく、厳しい。
「オレに、何か用か? あんたがオレを殺すんでなけりゃ、何でも聞くぜ」
 心当たりはあり過ぎる。だが、彼女の目の冷たさは、憎しみとは違うものだ。ビリーは確信する。
 彼女はうさん臭げに男を眺めた後、やっと口を開いた。
「では、聞いてもらいましょうか……あなたの力を貸して欲しいの」
 彼女のことばに、ビリーは珍しく、積極的に人のために動く気になっている自分自身に気がつき、驚いていた。

 調整者に会いたい。会わなければ。すべてはそれからだ。
 フォーシュはかすかに焦りを覚えていた。この大都市は、まるで仮面をかぶっているようなのだ。素顔を巧妙に覆い隠す、仮面。
 そして、仮面の向こうから、すべてを操る者がのぞき込んでいる――そんな予感が、やがて彼女の中で、確信に変わりつつあった。
「本気か、あんた……
 ビリーがねぐらにしている、ある研究施設の、殺風景な、牢獄にも似た地下室で。
 シグナ・ステーションから来たという私立探偵フォーシュ・ファンメルは、ビリーに事情を説明した。歴史を陰から操る者たち、調整者について知りたい。彼らに会いたいと。
「誰かに雇われてるわけでもないんだろ? 一体何の得があるってんだ?」
「何もないわ、得なんて」
 奇異なものを見る目つきで問うビリーに、彼女はあっさりそう答えた。
「ただ、知りたいの。それだけ」
 そのためだけに、最も安全と言われているステーションを飛び出し、ここまで来たというのか。
 もしかしたら、本人にもわかっていないのかもしれない。
 ただ、ビリーは妙に感心してしまった。自分の意志や希望より自分の身の安全を優先するのは悪いことではない。だが、命をかけて何かを極めようという気概と意思力……それは、尊敬できるものだ。
「わかった。裏世界に詳しい者を紹介しよう」

「明日、パーティーがあるらしいな」
 デザイアズの追跡がないかと警戒しながら、ロッティ・ロッシーカーと宇宙戦艦ランキムは目的地にたどり着いた。中央都市、フォートレットに。
 同名の惑星は、地域によって環境の変化が激しく、余り開発は進んでいない。しかし、広さも資源も、それで充分だった。開発初期は重力が小さいことが問題とされていたが、今はそれも1人1人の適性に合わせて制御されている。
 しかし、ロッティは適性検査を受けていない。正確には、彼はまだ、フォートレットに足を踏み入れていない。
「そろそろ潮時かもしれん」
『いつまでも、ここにとどまってはいられませんからね』
 ランキムは情報収集を続けながら、淡白に応じる。
 ここは、フォートレットの郊外の湖の底だ。底に沈んで身を隠したまま、彼らはフォートレットの情報を引き出していた。
「デザイアズが追いつかないうちに行動を開始したほうがいい。時間はないが……
 すでに、彼らより先にキイとゼクロスは到着しているだろう。ロッティは、キイが動きそうな情報を求めていた。そして、それを手に入れた。
 中央局、第3ビルでのパーティー。中央世界の重鎮が集まるという、まるで、誰かが用意してくれたようなチャンス。
 おそらく用意されたのだろうと知りながら、ロッティも、キイたちも、罠にかからずにはいられない。
『どうか、気をつけて』
 ランキムが浮上を開始する。
「ああ……
 答えて、ロッティは艦長席の背もたれにかけてあるコートを取り、まだ、そのコートの襟元にギャラクシーポリスのバッジがあることに気づく。
 わずかな間迷った後、彼は苦笑し、そのままコートに袖を通した。
「ランキム、デザイアズに発見されそうになったら、オレのことはかまわずに逃げろ。こっちはこっちで何とかする。いいな?」
 ロッティが念を押すが……珍しく、応答がない。
 ランキムにも、迷うということがあるのか。元GPの刑事は、複雑な感慨を抱いた。
 ギャラクシーポリスを飛び出し、もうそこには戻れない。テリッサともレオナードとも、一緒に仕事をすることは2度とないだろう。そして、今はここを出て、もしかしたら、ここにも2度と戻ってこれないかもしれない。
 ほんの少しの間に、どれほど昔の自分から遠くに来たものか。
 彼が聞く最後になるかもしれないランキムのことばは、こうだった。
……私の艦長はあなただけなんですから、できるだけ早く、戻ってきてください』
 ロッティは笑った。
「また会おう――」

 この華やかな、エネルギーのみなぎるような、惑星全域に渡る大都市にも、いわゆるスラム街というのは存在する。富と権力は、必ずしも平等ではないのだ。
 フォーシュが報酬と引き換えにビリー・フットに紹介された案内人は、スラム出身の1人の少年だった。色黒で、どこか無表情な少年。
「ディアロ。中央局に行くには広場を通るしかないの?」
 フォーシュは、案内人が少年だからと言って、驚くこともなかった。外見で判断するのは素人のやることだと、とうの昔から心得ている。
「普通は、そうなんだ。空も警戒が厳しいから。でも、ひとつだけ、広場を通らない道がある」
 小型のGPS受信機を取り出し、モニターに映った地図のある建物を指し示す。
「このビルは、昔テロリストのアジトだった。今は使われてない。けど、この建物の地下には今も、通路がある」
「真っ先に警戒されてるんじゃないの?」
「ううん。警戒はしてるだろうけど、地下も衛星から見張られてるから。でも、そのシステムを一時的に麻痺させればいい」
 彼はその方法を知っている。今も、そうしているのだろう。自分の居場所を知られないまま、GPSを使っているのだ。
「わかったわ。任せる」
 彼女は言い、少年のあとについて歩き始める。多くを尋ねないのは、信用しているのか。
 無口無表情な少年は、密かに、何か温かいものを感じた。
 しかし、それを表には出さず、人通りのない道を選びながら、都市の西の端辺りに位置するビルへ。昼食時間のためか、他の時間帯よりは人の姿が少ない。それでも、眠らない都市と言われるだけのことはあるが。
 人の目を避け――ビルに近づいたころには、さすがにフォーシュは警戒していた。
「もうすぐ交代の時間だから」
 少年が足を止める。角の向こうに目的のビルがあった。その前に、2人のガードマンの姿がある。
 少年のとなりで、フォーシュは待った。少年はじっと腕時計に目を落としている。
 やがて、彼は口を開いた。
「時間だ」
 2人のガードマンたちは何かことばを交わし、建物の裏へと回る。
「今だ、早くしないと代わりが来る」
 周囲に人の姿がないのを確認し、走り出る。入り口に接近すると、ディアロは慣れた手つきで開錠コードを打ち込み、扉を開けた。
 少年にせかされ、フォーシュはなかに入る。入るなり、少年はドアを閉めた。
 なかは、当然ながら照明もついておらず、暗い。
「地下の場所もわかってる。ついてきて」
 ペンライトを点け、少年は何か言いたげなフォーシュを振り返った。
 しかし、フォーシュは結局何も言わず、少年の後について地下への階段を下りる。降りてすぐ左手の部屋で、カーペットを剥ぎ取り、四角い入り口を確認する。かび臭いのに顔をしかめながら、ディアロはフタを持ち上げた。
 錆びたハシゴが、闇のなかに続いている。
 彼がハシゴに足をかけたところで、フォーシュはようやく口を開いた。
「あなた、どこまで案内する気?」
 これから向かう先は、危険な場所だ。死の危険があるほどの。
 しかし、少年は当然、という調子で答えた。
「あなたが、生きてこの都市を出るまでだよ、お姉さん」
「気に入ったわ」
 フォーシュは肩をすくめた。

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