NO.10 朱に続く道 - PART II

 剥き出しの土肌に、木の柱で補強された通路――そこは、まるで昔の坑道のようだった。しかも、崩れかけて、土が足元で小さな山を作っており、天井にはクモの巣が張っている。充分な広さがあるのが唯一の救いか。
 時々、地上の喧騒がかすかにノイズとなって耳に届く。
 フォーシュとディアロは、無言で、一本道の通路を進んだ。この先が街の中央に続いていることは、疑う理由もない。
 それでも、少年はGPSで確認しながら、前方をにらんでいた。いつ、何が来てもいいように。
……も少しだよ」
 少年が、振り返りもせずにささやく。
 あと少し。そう心の中でつぶやいたところで、彼はふと、足を止めた。
 フォーシュはさすがである。ディアロに何かを尋ねるようなことはせず、懐からこの都市に来て買ったばかりのレーザーガンを取り出し、前方に銃口を向ける。
 暗がりから、ペンライトの明かりのなかに飛び込んできた姿があった。
 小柄な、ベレー帽をかぶった、一見美少年。その漆黒の瞳が、猫のように光る。
「あなたは……キイ。キイ・マスターね?」
 何度か、シグナ・ステーションで顔を合わせたことがあった。出身地、本名、年齢等、その多くが謎に包まれた女性。同名の人工知能を載せた宇宙艦XEX――ゼクロスのオーナーにして、A級パイロット。
「あなたもここへ? なぜ……
 厳しい目を向けていたキイは、表情を崩した。苦笑しながら、敵意がないことを示すように両手を上げて歩み寄る。
「私だけではない。元GPのロッティもすでに着いているだろう」
「元……?」
「つまり、みんなでパーティーに招待されたってわけだね」
 仕事柄、フォーシュは何度もGPの刑事と顔を合わせている。ロッティ・ロッシーカーやテリッサ、レオナードとも顔見知りだ。
 目の前で立ち止まると、キイは再び苦笑い。
「ロットたちは私が巻き込んだようなものだな。まあ、彼は人がいいから……。私はどうしても、調整者に会わないといけないんだ」
「あなたの、パートナーはどうしたの?」
「郊外に……おそらく、ランキムも」
 溜め息まじりに言い、肩をすくめる。
 値踏みするようにその様子を眺めていたフォーシュは、表情を変えないまま、うなずいた。
「わかったわ……一緒に行きましょう」
 パーティーの開始時間は午後2時。
 その瞬間が来るまで、もう間もない。3人は慎重に、第3ビルの地下に向けて歩を進めた。

 岩山が乱立する、その谷の間に、ゼクロスは身を隠していた。
 AS――アストラルシステムが使えれば、姿形も自在に変えられただろう。しかし、今の彼にはASが使えない。それでも、キイが張っていった結界は充分強力で、信頼できるものだ。だが、キイがASに力を吸われ続けているのが、彼にとっては気がかりで仕方がない。
『キイ……早く帰って来てくださいよ……
 疲労と不安のなか、ぼんやりとつぶやく。
 その、疲労のためか……信じられないものが見えた。
 いや、幻でも、気のせいでもない。
『あなたは……!? 調整者!?』
 1人の青年がいた。灰色の髪の、20代前半くらいの、若い男。
 キイの張った結界をやすやすと突き抜けてくる相手に、ゼクロスは今までにない恐怖を覚える。今の彼には、まったく対抗手段がないのだ。
 だが、青年のほうは困ったように頭をかき、
「あー……そんなに怯えないでくれ。信じてもらえるかわからないが、危害を加えるつもりはない。オレは、アルファと似たようなものだ……今は調整者じゃない」
 言いにくそうに、しかしどこか懐かしそうに声をかける。
「決してことばにはしないが、キイもアルファも、オレが来るのを予想してたんだな。ここの結界も、楽に入れたぜ。ある意味、2人に頼まれて来たとも言える」
『どうして、あなたが……?』
「古い知り合いでな」
 なぜかとても嬉しそうに話を続ける。
「オレは、ユール。そんなわけで、しばらくお前の世話役さ」
 困惑するゼクロスの前、小さな岩に腰を下ろし、彼は名を告げた。

 パーティーは始まるなり、早くも賑わいを見せていた。
 一流のコックに一流のオーケストラ、一流の手品師や踊り子……そして、一流の警備員たちが動員されている。
「ほら、見てごらん。タネも仕掛けもないよ」
 タキシード姿の手品師は、まだ若い。少年と言っていいくらいだ。彼がシルクハットのなかから、赤いハンカチーフを取り出す。一振りすると、それはバラの花になった。
「これは、お美しいレディに捧げよう」
 と、彼がほほ笑み、花を差し出したのは、6、7歳の幼い少女だ。ウェーブのかかった金髪と、妙に無表情な顔が、人形を思わせる。
「きみに幸福が訪れるしるしだよ」
 差し出された真っ赤なバラをじっと眺め、少女はつぶやいた。
「時は誰にも渡さない……
 若い手品師の目が見開かれる。
 少女は顔を上げた。
「――死ね」

 爆音がビルを震わせた。
 阿鼻叫喚。第3ビルは混乱に陥り、通路やワープゲートなどは脱出口を求めてさまよう人々であふれかえった。この大混乱の中、人の波を逆行する侵入者に気づく者はいない。気づいたとしても、かまっている場合ではないだろう。
『警告! 総員ただちに避難してください。倒壊の危険性があります』
 悲鳴や怒号の中、キイ、フォーシュ、ディアロは階段を駆け上った。さすがに避難者で溢れ返っているはずのワープゲートを使うわけにはいかない。
 パーティー会場のある6階に着くころには、皆避難を終えつつあるのか、建物内に他の人々は見かけなかった。
 階段から通路へのドアを開けるなり、炎の海が広がっている。
「離れて」
 どこからか持ってきた消火器の栓を抜き、キイが炎に向かって消火剤を噴射する。通れるだけの間ができると、熱気もかまわず、通路を抜けて会場に飛び込んでいく。
 会場は、半ば崩れかけていた。天井に空いた大きな穴から、空がのぞく。
 ガレキが散乱し、血の海が広がる。さすがのフォーシュも見たことのない、凄惨な光景だった。
「あなたは、ここにいて」
 かすかに怯むような気配を感じ、フォーシュはディアロを入り口に残した。
「爆発で死んだのではないのか……
 かがみこんであちこちに倒れた遺体の1つを調べていたキイが、痛々しい切傷や刺傷を見つけ、訝しげにつぶやく。
 そして、立ち上がった時、彼女は部屋の中央に1人の人間を見つけた。
 人形を思わせる、幼い少女。立ちつくす少女のその可愛らしいドレスのスカートが、紅に染まっていた。そばに倒れている女性は、母親だろうか。
 彼女はゆっくりと、振り向く。その顔には、表情と呼べるものがなかった。
「あなた……
 キイのとなりに来たフォーシュが、暗澹たる思いで声をかける。
 2人は、少女に歩み寄った。
 ――寄ろうとして、あと数歩まで近づいた。
「よせ! 彼女は調整者だ!」
 燃え上がる炎から、突然の声。
「何……!?」
 振り向き、視線を戻そうとした時、少女が力を放った。
 それをとっさに中和し、キイはフォーシュとともに、数メートル吹き飛ばされる。放っておいたら、壁に叩きつけられていただろう。
 受身をとって立ち上がり、2人は見た。
 幼い少女の向こうから、見覚えのある姿が現われる。
 黒いマントにフードの、黒ずくめ。しかし、そのわずかにのぞく顔に、赤い筋が見えた。
 それを手の甲でぬぐい、彼はことばを続ける。
「これが、罠ってやつさ……ほら、もう1人、カモが来たようだ」
「《時詠み》……?」
 キイたちが入って来たのとは別の入り口からの声。ところどころ焦げたコートをまとった姿が、ガレキと炎をよけながら近づいて来る。
「一体何がどうなってるんだ? キイ、フォーシュ」
「こっちがききたいところだよ……
 キイは、何か知っているらしい《時詠み》をにらむ。少女への警戒も、決して緩めないまま。
「ボクよりその子にきいたほうが早いのでは? 教えてくれればいいけど」
 軽い口調で答えながら、右の袖を持ち上げる。キイは知っているが、それは彼の戦意の証。
 取り囲まれた少女は、無表情だった顔に、ぞっとするような笑みを浮かべた。まるで、〈たくさん獲物を与えてくれてありがとう〉とでも言いたげな――。
 彼女は言った。
「じゃあ、始めましょう」
 炎が噴出した。キイと《時詠み》が、結界を張る。
 ロッティは、何が起こっているのかわからない。フォーシュは何となく見当がついている様子だが。
 この場に及んで、《時詠み》はおもしろがるように言った。
「この戦いは、普通の人間には厳しいようだね。ここはボクとキイに任せてくれないか?」
……わかったわ」
 一瞬考え込んだものの、フォーシュは自分が足手まといにしかならないことを理解していた。それに、ディアロのことを思い出し、彼のもとに戻る。それに、ロッティも続いた。
「悔しいが、ASの威力はよくわかってるからな……
「あなたは、ずっとGPにいるものだと思っていたけど」
「しょせん刑事の器じゃなかったのさ」
 答えながら、部屋の中央に目をやる。
 少女の姿をした調整者の実力も、かなりのものだろう。しかし、キイと《時詠み》を相手にできるほどとは思えない。ロッティもフォーシュも、それを確信している。
「あんたたちなんかに負けない!」
 ヒステリックに叫ぶ少女の右手の指先から、5つの光弾が発射された。しかし、それも2重の結界に阻まれ、標的に傷をつけることはない。
「死にかけてるわりに、なかなかやるじゃないか」
「きみこそ、傷を受けたにしては上出来だね」
 当のキイと《時詠み》は、いつもの気楽な調子でことばを交わしている。それがさらに、少女の神経を逆なでする。
「調整者でも、司祭でもないくせに……!」
「きみなら、ゼクロスの封印を解けるかい?」
 少女のことばを無視して、キイが問う。
「あれは、司祭長の封印だもの。何であたしがあいつの招待状代わりにならなきゃいけないのよ!」
 再びの爆発が部屋を襲った。フォーシュたちの方はキイがカバーしている。
 しかし、ボロボロの壁や床がさらに大きなダメージを受け、かすかに揺れ始めていた。天井から、パラパラと破片が落ちてくる。それが、細かな粒から、徐々に大きなものへ――。
「まずいぞ……キイ!」
 ロッティが叫ぶ。
 もう役目は果たしたというのか……少女の姿が、消え始めていた。《時詠み》がその姿へと、右の袖口を向ける。
「無駄だとは思うが……
 スパイクが発射され、それに続くチェーンが巻きつこうとうねる。しかし、彼のことば通り、それは宙を突き抜け、何も捕えることはなかった。
「脱出しましょう。もうここも耐えられない」
 考え込むキイと《時詠み》に、ディアロの手を引いたフォーシュが促す。
 大きくなる揺れと危機感を感じながら、一同は血と、炎で朱に染め上げられたパーティー会場を出た。

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