無限に広がる宇宙に、果てなどというものが存在するのか。
果てがないものに、中心も存在しない。ただ、当然ながら、意思あるものは自分を中心に考えたがる。その宇宙域にいる者たちが中央世界と呼ぶところにあるのは、フォートレットだ。巨大な富と人口、高い権力と技術水準を持つ、惑星と都市。
そこにはあらゆるウワサと情報、そして人物が集まる。陰謀も慈善活動も、表も裏も。すべてがあふれている。
他に行くべきところがあるものか。
ランキムの指標は、その中央世界を示していた。
「まだ大丈夫だな……」
この小型宇宙戦艦に乗る唯一のクルーは、緊張を解こうと身体を伸ばし、艦長席に背をもたれた。しかし、その表情はこわばったままである。
「現在の様子はどうだ?」
『艦長。5分ごとにそれをきいていますよ』
この戦艦に搭載された同名の人工知能が、平坦な声で答える。
唯一のクルー――ロッティ・ロッシーカーは肩をすくめた。この緊急事態にもかかわらず、ランキムはいつも通り、沈着だった。いや、ランキムにとってはそれは当然の反応なのだろうが……
それなら、今の状況に加わるのも当然の反応なのか?
ロッティは星の光が流れていくモニターから目をそらし、天井を仰いだ。
「ランキム。本当にこれでよかったのか?」
彼自身が思った以上に、その声には迷いがあった。
一方、ランキムはいつも通り冷静な声で応じる。
『それは、あなたのことに関してですか? それとも、私のことですか? ……あなたのことに関してなら、私にお答えできることはありません。……私のことなら、私は後悔するということはありません。後悔しないための選択肢を選んだはずです』
「……オレもそのはずだな」
ロッティの目から、迷いの色が消えた。替わって生まれたのは決意の光だ。
「他の何もかもを失ってでも、決して失ってはいけないものがある。ま、全部終わったら……というか、もうある意味終わったも同然か」
少し緊張が解けてきた様子で、彼は笑った。
『……これから始まるのではないですか。終わったら、お尋ね者として宇宙を放浪しましょう』
「そんな生き方に耐えられるのか?」
『あなたさえよければ。元刑事としてはお嫌ですか?』
意外そうに目を丸くしていたロッティは、やがて苦笑した。元刑事という響きが、妙に滑稽に聞こえる。
たった1人の人間を乗せて、元ギャラクシーポリスNO.2戦艦は、真空の闇を翔けた。
ロッティとランキムがGP本部を出る、3日ほど前。
オリヴン警備隊により回収された宇宙船XEX――ゼクロスは、約半日ぶりに、首都ベルメハンの上空に浮かぶラボ〈リグニオン〉に帰ってきた。
しかし、その中枢であるコンピュータには灯が入っていない。
「別の宇宙船を探知していましたが、我々が着いた時には姿をくらましていました。……しかし……」
警備隊の主任が、渋い顔で深い青の翼を持つ機体を見上げた。
アスラード博士と肩を並べた老博士、予定を急遽切り上げて帰還したバントラム所長が、同じく渋い顔でうなずく。
「こちらは我々にお任せください。ジャールス主任、そちらも忙しいでしょう」
〈宇宙の使徒〉の襲撃により、オリヴンは多大なダメージを受けた。今のところ遺体は見つかっていないが、粉々に吹き飛んだだけかもしれない。最終的な死傷者は、一体どれほどに昇るだろう?
気が滅入りそうになりながら、警備隊は地上に戻っていった。残された〈リグニオン〉のスタッフたちも、気力を振り絞って作業にかかっている。
スタッフは、ほぼ全員が戻っていた。キイ同様、爆発に巻き込まれたミライナの姿は無いが。
……復旧作業から間もなく、宇宙船の中枢AIゼクロスは目覚めた。
「ゼクロス。戻ったか?」
バントラム所長が声をかける。彼はXEX開発計画の責任者である。もっともこの人工知能のことを知りつくしている……ことになっている。
――所長はしばらく待ったが、答はなかった。となりに立つカート・アスラードが、悲痛な表情を浮かべている。
「……一言だけでいい。頼む、返事をしてくれ」
所長の厳しい顔にも、さらに深いしわが刻まれる。それから、間もなく、
『……キイはどこですか?』
ゼクロスのきれいな声が、感情を押し殺したような平坦な調子で響く。
自分で返答を求めながらも、所長は返すことばが見つからなかった。
『キイは?』
今度は少し強い調子できく。
言うべきことばが見つからない。『まだ望みはある。遺体が見つかったわけではない』とでも言うべきなのか? それは、音声になるにつれて嘘臭くなっていきそうな気がした。
『キイは……?』
かすかに苦痛をにじませながら、ゼクロスはなおも問う。
2人の博士は、答えなかった。
――調査は難航を極めた。
スタッフのそろった〈リグニオン〉はゼクロスの診断を開始した。簡易チェックではすでにオールグリーンの結果が出ているにもかかわらず、その異常は明白だ。突発的な苦痛が発作のようにゼクロスの回路を巡り、彼の意識を奪う。そして、徐々に彼は弱っていた。
「所長……あらゆるプログラムにウイルス的な活動も欠陥も見られません。これは、外部的な影響では?」
アスラードのことばに、資料に目を落としていた所長は意外そうに顔を上げた。ゼクロスの機体に外傷は見られないということは、すでにわかっている。
それに、当然機体は完全密閉構造だ。
「ASか……? しかし、ASで攻撃された様子もない……」
「直接攻撃とは限りませんよ。少なくとも、キイはこの事態を予想していたようだし、何か手がかりが……」
2人のもとに、青い顔をしたエイシアがやってきた。スタッフ全員が、丸2日間一睡もしていない。
「ベルメハンの南西の林で瀕死の人間が数名見つかったそうです。まだ詳しいことはわかりませんが、助かる見込みは全員薄いって……」
「そうか……」
エイシアは盆に載せてきたコーヒーを置いていった。スタッフ全員に配って歩いている。
アスラードが溜め息交じりに、今日何杯目かのコーヒーを手に取ろうとしたとき、小さな声が聞こえた。
『……ASが使えない……』
熱に浮かされたような、しかし、同時に必死に苦痛をこらえているような声だった。アスラードは思わず立ち上がる。
「ゼクロス、気づいていたのか。大丈夫か? 異常は?」
『……私が自己診断で把握できる異常はありません。苦痛は一瞬のことです……それと、私の弱体化を異常に含めなければですが。その影響か、ASも使用できないようです……』
だいぶ正気になっているものの、その声は弱かった。
「今の状態でASなど使っては致命的だ。大人しくしていなさい」
所長が子を叱る親のような調子で言う。だが、ゼクロスは反論した。
『しかし、キイが……』
「彼女がそう簡単にやられるわけがない。わかっているだろう。それより、自分のことを考えなさい。……なにか、心当たりはあるか?」
しばしの沈黙の後、彼は答えた。
『ASを使って何かされたような気がします……キイもそれを疑っているようでした。しかし、全システムに影響は見られません』
「ああ……」
と、その時、悲鳴が上がった。
ゼクロスをモニターするラボの監視システムが、同調したようにサイレンを鳴らす。聞きなれた美しい声が苦痛に引き裂かれるのを聞かされるスタッフも、気が気ではない。
「どうやったらこの生き地獄を止められるんだ?」
技術スタッフの1人が、途方にくれた様子で誰にともなく言った。
再び沈黙したゼクロスの機体を凝視したまま、所長はある決断を下す。
「これは、直接中枢をのぞいて見るしかない」
「しかし所長、それでは無防備……」
「わかっておる。だが、もうそれどころじゃない」
反論しかけた技術スタッフを制し、バントラム所長は指示を下した。
人工知能ゼクロスの本体、宇宙船の心臓部。それは、ブリッジの下にある。天井の低い狭い通路を、選びぬかれたメンバーだけが通ることを許される。最後のドアのパスワードを知る者は、この世に3人だけだ。
所長が、ドアを開ける。そこに広がるのは、狭い、半球状の部屋。
中央に、円柱状のガラスケースがあった。曇った青い液体の中に、何かが浮かんでいる。そこに、様々なコードやパイプが接続されていた。
ガラスケースの向こうに、コンソールつきの、灰色の装置が並んでいる。
『ううっ、う……』
うめき声を耳にしながら、バントラムとアスラードは、1歩、なかへ踏み込んだ。意識を取り戻したゼクロスは、異変に気づく。
『所長……? 博士……?』
バントラム所長がコンソールに近づく。ゼクロスという意識に近い場所へ。他の者たちは、入り口付近から様子をうかがう。
「何度もやってるが、セルフモニターも正常か。……久しぶりだな、ここへ来るのも。キイは滅多に来ないんだろう」
『ええ……私に異常がなければ。何も変わったところはないでしょう?』
ゼクロスは困惑気味に応じた。
この空間に何も変化がないとしたら、いったい異常をどう説明するのか? 何かあるはずだ。そう考え、アスラードは出入り口から、なか全体をにらんだ。どんなことも見逃せない。
その視界――その中央に、彼は蛍のような光を捉えた。
「なんだ……?」
ガラスケースに接続されたパイプの中から、点滅する光が透けて見える。科学者たちはそれをのぞき込んだ。
「なかを見てみないことにはわかるまい。毒を喰らわば皿までも、だ」
『丁寧に扱ってくださいよ……』
不安げな声をかけられながら、バントラムは技師に頼んでパイプの表面に四角い穴を開けさせた。束ねられたコードが剥き出しになる。
そして、その周囲にこびりついたものも。
「これは……」
アスラードは手袋をして、それを摘み上げた。指先をこすり合わせると、ボロボロと落ちる。わずかに弾力性があった。
「これはどうやら、我々の専門ではないかもしれませんよ、所長」
「うむ」
バントラムは、複雑な表情で肩をすくめた。