NO.8 鉄の棺 - PART I

〉鉄の寝台

 その老婆は、いつの間にかそこにいた。
 住宅街の外れにある一軒屋、全開にしたベランダのそばの木椅子に座り、毛糸で何かを編んでいる。髪はほとんど白に染まっているが、姿勢はよく、面長の顔は、しわも少ない。
 ステーションの天井のカメラからその姿を捉えながら、シグナは疑問を抱いていた。
 彼は、常にカメラの映像に注目しているわけではない。よほどのことが無ければ、識意下の処理で済ますことができる。認識した映像も、やはり普段は記録に残すことも無い。
 とはいえ、保安上、ステーションの中枢コンピュータであるシグナは、ステーション内に存在する者すべてを常に把握している――はずだった。
 しかし、その老婆は、完全にシグナの記憶の中から抜けている。
「昔、1人の女の子に会ってねえ……
 不意に、彼女は話し始めた。まるで、シグナが注意を向けて聞いているのを、知っているかのように。
「あたしが、『あなた、名前は?』って聞いたら、あの子、冗談めかしてこう答えたんだよ。
 
『アイス・ミュート。もしくは、〈鉄の寝台〉』

ってね。おおよそ年頃の女の子らしかぬ名前じゃないかい?」
 問いかけるように言い、しばしの間、沈黙する。
 シグナは複雑な心境だった。困惑と、そして期待混じりの好奇心と。
 老婆にどう声をかけるべきだろうか?
 一瞬にも満たない間迷った後彼が出した結論は、沈黙だった。
 まるでその結論を待っていたかのようなタイミングで、老婆は話しを再開した。
「あたしもそう思ってきいたさ。そうしたら、あの子、こう言うんだ。

『自らも凍りつくような冷たい鉄の寝台は生者に好かれることなく、死者との分かれの場となる。
 生者にも死者にもなれず、ただ、沈黙の中に横たわるのみ――』

だってさ」
 再び、しばらくの沈黙。
 生きても死んでもいない。寝台は生き物ではないから。
 では、自分はどうだろうか?
 昔から、生還の望みがなくなった宇宙船を『鉄の棺』と揶揄(やゆ)することがあるのを思い出しながら、シグナは陰鬱とした気分で考える。
「あたしの最期の仕事を聞いてもらおうかねえ」
 シグナの心境を知ってか知らずか、老婆は続ける。
「まあどうにしろ、それは、あたしがまだキイ・マスターと呼ばれていた頃の話だよ」
 
 灰色がかった黒髪をひとつに束ねた女性が1人、夜のアーチロードを歩いていた。この時間ともなると、他に人の姿は無い。
 ……無いにもかかわらず、彼女は楽しげに話し続けている。
「もー、心配性だねえ、シャーレルは。あんまり神経使い過ぎると回線がショートするよ?」
『誰がそうさせてるんですか!』
 楽しげな女性とは逆に、ヘッドホンの向こうの相手は、いかにも腹立たしげに反論した。
『ジョーティ、あなたの気まぐれにはついていけません。なぜ、突然船で寝ると言い出したのですか? 用意してもらったパナ・ステーション随一の高級ホテルを抜け出して』
「扱いが気に入らなかったわけじゃないさ」
 第5ゲートに向かいながら、ジョーティと呼ばれた女性は笑った。
「ただ、今夜はこっちにいたほうがおもしろいことが起こりそうだからねえ」
『迷惑です』
 シャーレルは即答する。
 しかし、その時、ジョーティは丁度、面白そうなものを見つけたところだった。
 アーチロードの脇に、うずくまっている姿があった。一見、少年のように見える……しかし、どうやら少女らしい。顔を上げ、漆黒の瞳を向けてくる相手を観察しながら、彼女は納得した。
 出会える気がしていたのだ。誰かに。
 ジョーティはしゃがんで少女の顔をのぞき込んだ。
「あなた、名前は?」
 彼女の問いに、少女は答える。年頃の少女に似合わぬ、どこか老成したほほ笑みを浮かべてこう答えた。
 アイス・ミュート。もしくは、〈鉄の寝台〉――と。

 ジョーティがミュートと呼ぶことにしたその少女は、一向に本名や出身地を明かそうとしなかった。ただ、しつこくきいたジョーティの質問に答えたところによると、人を待っているのだという。明日、5番ゲートに到着する者を。
 宿代も持っていない少女を、ジョーティは船に泊めることにした。
『大丈夫なのですか? ジョーティ。どうなっても知りませんよ』
 疑い深く警告するシャールのことばを、ジョーティは笑い飛ばした。
「ほんと心配性だねえ、シャル。何、鬼だろうが魔王だろうが、敵じゃないさ」
『本当に知りませんからね、ジョー』
 シャーレルはすねたように言い、それから一言も口をきかなかった。

 その夜、小型宇宙艦シャーレルは襲撃を受けた。
 艦内、空中から突然現われた、7つの黒ずくめの人影に。
『ジョー! 敵襲です、起きて!』
 シャーレルの声が艦内に響き渡る前に、ジョーティは飛び起きていた。いつも枕もとに置いて寝ているレーザーガンをひっつかみ、ブリッジに走る。
『相手は7体。人間ではありません。自由意志を持たない生体アンドロイドのようです……レーザーフィールドで捕えようとしましたが捕捉失敗しました』
 通路を疾走し、ブリッジに駆け込もうとしたジョーティの前に、背の高い黒ずくめが飛び出してきた。ジョーティはレーザーガンを右手に握ったまま、身をひねって左のひじを突き出す。
 ガツン、と、固いものに当たる感触があった。黒ずくめの下に強固なプロテクターを装備しているらしい。
 舌打ちしながら、横をすり抜け、奥に見えた別の1人に発砲。その相手は足を貫かれて倒れた。さらに続けざまに目に入る者を撃ち続ける。1発が逸れてコンソールに当たり、火花を散らした。
『5体は機能停止。もう2体は廊下に……ジョーティ! 廊下にミュートがいます!』
「なんだって?」
 再び舌打ちし、廊下に飛び出す。
 しかし、すぐに足を止めた。
 ドサリ、という音が、暗がりに、やけに大きく響いた。
「ミュート……あなた」
 恐怖に似た感情を抱きつつ、ジョーティは凝視していた。
 倒れて動かない黒ずくめたちを見下ろしている少女を。

「――次の日、あの子は知り合いだって言う科学者たちと一緒に去っていった。まあ、その直後、あたしはステーション内の事故で死んで、その直前にまたあの子に会ったんだけどね」
 死んだ?
 シグナは老婆……ジョーティのことばの意味がわからなかった。
……まだこの辺りにいたのか、ジョーティ」
 聞き覚えのある声が、突然その姿と同時に現われた。外見は十代前半くらいの少女。長い赤毛を背中に流し、大きな、陰りのある赤い瞳は、今日も悲しみがにじんでいる。
「久々だねえ、アルファ。まあまあ、あたしは今帰るとこだよ」
 ジョーティは立ち上がった。途端に、その姿が嘘のように薄れていく。
『アルファ……
 幻でも見ていたのか。茫然とした声を出すシグナに、アルファはいつもの平坦な声で言った。
「気にしないのが1番の対策だ、シグナ。知り過ぎるほどに危険は増加する」


〉風のない空

「コースは至って単純明快です。もちろんワープモードは禁止、通常航行モードのみ可となっています。途中様々な障害がありますので、何かありましたら無理をなさらず、棄権なさってください」
……だってさ」
 巨大スクリーンを通して説明を終えた女性スタッフのことばに続き、キイ・マスターはボソリと言った。その手ひらの上には、今回のレースのパンフレットが広げられている。
『参加は15機。一般参加は3機だけですね』
 イヤリング型通信機から、ゼクロスは抑揚のない口調で応じた。
 タウザル・ステーションから未踏領域の手前にあるDS-B-201HR基地までが、レースの行程だった。ワープモードなしでは、早くても2日かかる。直線距離では、途中、ブラックホールの近くや彗星群のなかに突っ込んでしまう。
 キイは、並んだ大小様々の宇宙船を見た。スポンサーのついた、速さを追求した機体と、プロの腕利きパイロットがほとんどだ。
 もちろん、キイもプロの、パイロットのA級ライセンスを取得している。本名・出身等、詳細不明の彼女といえ、それは本物だ。だが、XEXという優秀な人工知能を搭載しているため、キイの腕が必要になることはほとんどない。
 しかし、このレースに参加する機体で唯一人工知能を搭載しているということで、他の参加者からクレームがついた。そのため、自主的にレース中はXEXは全コンピュータを切り離し、操縦にもデータ提供にも関知しない、と宣言した。
「よ、調子はどうだ?」
 となりの、小型で古い機体から、50代くらいの男性が声をかけてきた。
 一般参加のパイロットで、ベテランらしい。しかし、彼の乗る機体は、ほとんどスクラップ寸前の代物である。
「みんな5、6人のチームなのに、お前さんがたがハンデを負うことになるとはねえ。そんなに賞金が欲しいのか……ま、借金だらけのオレはのどから手が出るほど欲しいけどな」
 笑いながら、工具を手に歩み寄って来る。その工具も、ほとんどここ十年以上見かけないものだ。
「スザックさんこそ、1人じゃないですか。行けそうですか?」
 キイのことばに、ベテランパイロットは再び大声を上げて笑った。そして、ボロボロの自機を振り返る。
「なに、この一流の腕と、こいつさえいればいいのさ。しゃべったりはしないけどな。もし賞金が手に入っても、新しいのを買う気はないな」
「はあ……わかります。でも、しゃべらないほうが静かでいいですよ」
……
 出発までの時間を計算しつつ、ゼクロスは黙っていた。
 キイがあえて触れないでおいた不機嫌な沈黙に気づき、スザックは白と青を基調とした機体を仰ぎ見た。ここに並ぶものの中では小型だが、スザックの1人用のシャトルに比べれば、数倍の大きさがある。
「やっぱり、自分で操縦して行きたかったかい?」
……ええ。ちょっと後悔しています』
 他の参加者たちの多くは、キイがプロのライセンスを持っていることを信じようとしなかった。証明書を見せても、だ。ライセンスを持っていること自体が大切ということではないのだろう。
 ようは、自分が勝てる自信を持つため、他人が大したことがないという証拠が欲しいのだろう、と、ゼクロスは精神科医的な診断を下した。それがわかっていても腹を立ててむきになった自分の性格は問題だろう、と。
 キイはこのレース参加さえ予定してなかった。だが、今は乗り気らしい。
「参加するからには、本気でやるさ。〈リグニオン〉の名誉にも関わるからね」
 キイとスザックは分かれ、それぞれの所有の機体に乗り込む。
 間もなく、レース開始のアナウンスがかかった。

「えーと。確か、これがこう……
 ステーションのゲートを離れると、XEXは一気に他の機体と差をつけた。エンジンへの影響を考慮して出せるスピードの最大だ。宇宙に漂う小惑星のそばをかすめながら、闇の中を突っ切っていく。
 再び小惑星をメインモニターに捉え、艦長席のキイがレバーを引いた。
「これでいいんだな」
『キイ! それは違っ……
 機首が急激に角度を変えた。小惑星がギリギリ真下を通過していく。
『キイっ!? 本当にライセンスを持ってるんですか!?』
 その時、機体が急停止した。ゼクロスは絶句する。
「おっと、再起動、と。こんなところで時間を失うわけにはいかないからねえ」
 わざとらしくいい、メインドライブを起動する。彼女は笑っていた。その様子は、とても楽しそうだ……
『キ、キイ……あなた、わざとやってますね! どうしてそんな』
 突然メインドライブを起動し、一気にスピードを上げる。
「もちろん、楽しいからに決まってるじゃないか」
 ゼクロスはこのレースに参加したことを心底悔やんだ。キイはオモチャを与えられた赤ん坊のように、この機体で遊ぶ気らしい。しかも、赤ん坊と違い、悪意たっぷりで。
 一応ゴールする気はあるらしく、彼女はブラックホールから離れたコースを取った。
「他の機体はずっと後ろだな」
『安全運転が1番ですよ……
 ゼクロスはぐったりした調子でぼやいた。
 出発から12時間ほどたった頃、キイはコースを固定した。しばらくは操縦の必要はない。ゼクロスはほっとする。
「そういえば、賞金5000万だっけ?」
 一旦席を外したキイが、艦長席に戻りながら言った。
「優勝したらしばらくバカンスにでも行くかな。……ゼクロス、しばらく休んでいたらどうだい?」
『まさか。あなたが操縦するのに放って置けません』
「しばらくオートモードだし、何もしやしないさ。きみがいないんじゃあな」
 ゼクロス、呆れの沈黙。しかし、それではなぜ、キイは休むように勧めるのか?
 そこまで考えるのに至って、彼はせっかくのキイの気遣いを受けることにした。久々に、休眠をとる。
 その後も、宇宙の旅は何事もなく続いた。ブラックホ-ルを迂回し、2日目には彗星群をCSリングとバリアで防御しながら突っ切り、後は基地へと一直線だ。
 しかし、キイがコントロールを固定しようとしたとき、彼女は通信を受け取った。
……のむ……た、者がいたら、……てくれ。彗星群が……SOS』
 ノイズがひどい上に、通信はすぐに切れてしまった。しかし、キイはすぐに機首をめぐらせる。
『キイ……?』
 異常を察したゼクロスが目覚め、サブモニターのひとつ、機体の状態を示しているものに別の映像を入れた。
『今、映像を受け取りました。かなり不明瞭ですが、できる限りの修正をしました』
 映像は、横殴りの雨のように後から後から通り過ぎる彗星群を映していた。蒼白い尾を引いたそれの向こうの小惑星で、2機の宇宙船が駐機している。
『彗星が細かくなっていますね……ルール違反では?』
「さあ……兵器を使ってはいけないとは書いてなかったし、あの彗星群に所有者はいないな。とにかく、戻ろうか」
 彗星群を抜けて、そう時間は経っていない。間もなく、蒼い川の前に到着する。
「これは……機体が大きいほど不利だな。強力なバリアがあればいいが」
 強力なバリアを持つXEXの機体はためらうことなく、絶え間なくほとんど隙間なく流れ行く彗星のカケラたちに挑む。
 しかし、ほとんどのレース参加機体は、スピード重視だ。貧弱なバリアしか搭載していないだろう。
 キイはバリアを張りながらも、彗星のカケラを避けた。一流の技を披露しながら、やがて、映像にあった小惑星に到着する。2機のうちどちらかの探査体が、金属の残骸となって機体のそばに落ちていた。
 キイは着陸させると、宇宙服を着込む。
『キイ、外に出るのは危険です! いつ彗星片に激突されるか……。ASを使わせてください』
「私が使う。ケガ人がいるかもしれない。こちらから出向く必要がある」
 キイはハッチから、重力の弱い小惑星に降り立った。慎重に、近くの1機へ。
 ――2機の船には、確かにケガ人がいた。さすがに両機を連れて彗星の川を渡るのは無理だ。ケガ人を連れているので、慎重に、そして素早くゴール地点であるHR基地に向かわなければいけない。
 ケガ人を機内に運ぶ作業も、慎重に行われた。幸い看護士の経験者がいたので、ケガ人がある程度の医療設備もあるゼクロス機内に運ばれる度、手当てにかかる。ゼクロスもそれを手伝った。
『9名収容。発進しましょう』
「全速前進」
 小惑星を飛び立ち、一気に加速。驚くほど、機内の振動は少ない。
 蒼い川を渡り、宇宙船XEXはHR基地に向かった。

『もうチェック・アウトですか?』
 運んだケガ人たちが病院に担ぎ込まれ、心配ない、ということを確認し、買出しを終えると、キイは3番ゲートのドアの前に立った。センサーに手をかざして照合を終えると、ドアが開く。
「ま、ここにはいずれゆっくり来たいと思うけどね、ここは私たちができるような仕事はなさそうだし」
『しばらくは探索計画もありませんからね。またの寄港をお待ちします』
 そうことばを返すのは、このDS-B-201HR基地の管理コンピュータ、ハンライルだ。もとは中央世界のフォートレットの経理担当だが、紆余曲折があってここに左遷されたという。
『残念でしたね、キイ……ごめんなさい』
 広大な室内に入るなり、聞き馴れた声がキイを迎えた。
「きみのせいじゃないさ。ま、仕方ないね」
 レース開始前、ゼクロスは全コンピュータを切り離し、操縦にもデータ提供にも関知しない、と宣言した。
 しかし、彼は救援要請の映像を修正し、ケガ人を手当てするための機器操作やデータ提供を行った。
 ……というわけで、失格である。
 最も、兵器を使用して彗星群を破壊しようとしたチームは自業自得の面もあるとはいえ、そのあおりを受け、後続の機体も棄権した。ゴールに到着したのはXEXを含めたった2機である。
……キイ・マスターさん、お客さんです』
 突然ハンライルの声が響くと同時に、部屋のドアがスライドした。そして、見覚えのある姿が入ってくる。
「よお」
 言うなり、ベテランパイロット――スザックはキイに重い物を投げ渡す。
「これは……
「それはあんたが持っときな。それと、これはオレからの祝いだよ」
 差し出された年代物のワインを左手で危なっかしく受け取りながら、キイはスザックに驚きの目を向ける。
「スザックさんが優勝者だったんですか」
『凄い……どうやって彗星群の川を抜けたんです?』
 驚く2人のことばに、スザックは豪快に笑った。
「すべては一流の腕と、あいつさえいればいいって言っただろ? あの彗星の川を抜けて、もっとボコボコになったけどな。……ま、小回りがきいたってわけだ」
「なるほど。しかし……
 右手に抱えたトロフィーに目を落とすキイに、スザックは背を向け、手を振った。
「オレがあんたらと同じ立場だったら、同じことをやろうとして、でも、できなかっただろうよ。それは本物の優勝者にこそふさわしい」
『本当にいいのですか……?』
 スザックは、ドアの前で立ち止まった。
「達者でな。機会があればまた会おう」
 スザックは笑い、去っていった。

「よかったね、ゼクロス、これが欲しかったんだろう?」
『なぜです?』
 黄金のトロフィーが、誇らしげにブリッジに飾られていた。
「だって、このトロフィーのモデルって……
 それは見慣れた機体だった。
 当然と言えば当然かもしれない。芸術と言われている機体なのだから。
『はい? 何のことです?』
「しらじらしい。それとも、ハンライルが目当てだったのかな」
 ギクリとした調子のゼクロスの声に、キイはいたずらっぽく笑った。――最高級のロマネコンティを傾けながら。

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