森の中に、一軒の家があった。木造の小さな家で、そばには畑や小川もある。のんびりと、自給自足で暮らすにはいい場所だった。
黒いローブにマント姿の少女が、その家を訪ねた。訪問者に顔を見せたのは、気の良さそうな、いかにものんびりした感じの若い女性である。彼女はにこやかに、快く少女を家に入れた。小さな家の居間のテーブルで向かい合い、自家製らしいハーブティーを入れる。
「人に会ったのは二年ぶりだわ。あなた、旅人さんね? 近くの、教会のある街には寄って来た?」
旅人は、彼女の問いかけにうなずいた。
「わたし、昔そこに住んでいたの。懐かしいわ」
と、女性は遠い目をして言う。
「……どうして、ここに住んでるんですか?」
ハーブティーを一口すすってから、黒目黒髪の少女が問う。女性は少し恥かしげに頬を赤らめ、それに答えた。
「実は、ここには一人で住んでるわけじゃないの。幼馴染みと一緒のなの。彼は、わたしと旅をしてるのよ」
家のなかには、女性一人の姿しかない。
「あなたは、魔術師なんですか?」
自身魔術師らしい少女は、首を傾げてから、なぜかそんな質問をした。
女性は首を振り、席を立つと、奥の部屋のドアを開けた。
開かれたドアの向こうには、部屋一面の棚に並んだカゴと、撚糸用の機械が備付けられた机が見えた。糸車はカタカタと音をたて、白い糸を巻き取っていく。それはさらにいくつかの棒や滑車に巻き取られながら、天井近くに空いた穴から外に向かっていた。
「これは、わたしと彼をつなぐ糸。ここから少し南に洞窟があるの。誰も知らなかった洞窟よ。彼は、そこを探索してるの。最初は心配だったけど、この糸車が回っている間は、彼が無事だって、信じていられる」
旅人は、立ち上がって奥の部屋を眺めた。女性は部屋の隅にあったバスケットから刻んだ桑の葉を取り、カゴの中の小さな蚕に与えながら、小さく笑う。
「ずっと、彼とつながって、一緒にいるみたいに感じるの。それに、これで、彼が迷わず帰って来れる。まるで、神話のなかのお話ね」
旅人は、立ったまま黙ってそれを聞いていた。だが、最後にひとつだけ、質問する。
「あなたが糸車を回し始めて、どれくらいになりますか?」
女性は素直に答えた。
「そうね、八年くらいになるかしら? 彼が出て行ってから」
「……」
少女はそれから口を閉じたままだった。
女性一人が住んでいる家を後にして、黒ずくめの少女は森のなかを歩いていた。彼女が向かう先には、ずっと、白い筋が見える。
(ねえ、生きてると思う?)
少年らしい声が、少女の脳裏に響く。遠方の者と会話をするための魔法、〈テレパシー〉によるものだ。
「さあね」
意見を訊かれた少女は、気のない様子でことばを返した。
ある、小さな国があった。そこを訪れた少女は、街のあちこちに洋服屋を見かける。ここを訪れる旅人はずいぶん珍しいらしく、少女は歓迎を受けた。洋服の店の者らしい女性たちが、しきりに様々なデザインの服を勧め、少女はしばらくの間、着せ替え人形状態だった。
「若いんだから、そんな黒いのばかり着ていてはダメよ」
白いウエディングドレスと見まごうような豪華な服を着せられて、少女はいつもの黒のローブを恋しそうに見た。しかし、この国を出るまでは、いつもの服装には戻れそうもない。
(結構似合ってるよ。たまにはいいんじゃない)
少年の声が、いかにも関心がなさそうな調子で言った。
即席歓迎委員会の女性たちは、少女を案内すると言って退かなかった。彼女たちは、ずっと旅人を取り囲んで歩くつもりらしい。
内心少しウンザリしながら、少女は案内を任せた。女性たちのそれぞれが観光名所として推す場所をめぐる。それにしても、どこもかしこも服屋ばかりで、名所のほとんども織物を展示した美術館やデザインコンテストの記録所などだった。
「ここは本当に、服や織物が多いですね」
少女は言い、頭上を見上げた。
「やはり、あれですか」
彼女がそう言うと、女性たちは笑顔でうなずいた。
「ええ。あれはまさに、天の恵みです。王が神に与えられた祝福の証。故郷を追われ、身を隠したわたしたちが生きてこられたのも、あれのおかげです。あれで暖かい服や毛布を作り、寒さをしのいでここまでやってこれたのです」
女性たちは祈るように手を合わせて、顔を上に向けた。
岸壁のはるか上に、薄らと明かりが洩れる穴があった。そこから、一筋の白い線が垂れている。それが国の中央の工場で巻き取られ、等間隔に切られて、無償で各家庭に配布されるのだという。
少女は、通りに並ぶ街灯に照らされた、石造りの家々を見回した。
耳を澄ますと、彼女は、カタカタという糸車が回る音を聞いた気がした。