人喰いのいる村

 そこは、小さな村だった。まばらな家々の間に畑が広がり、時々家畜の姿が見える。嵐が訪れたら一瞬にして滅びそうな村だが、そのためか、明らかに不自然なほど立派な城壁に囲まれていた。
 城壁の北と南には、重そうな扉がしつらえてある門があった。旅人が声をかけると、見張り役がいくつか質問をしてから、恐る恐る顔を出し、村長の許可を得てから招き入れる。
「旅人さんは、魔術師ですね。どんな魔法を使われるのですか?」
 見張り兼案内役の村人が村長の屋敷に向かって歩きながら、となりを歩く黒づくめの旅人に聞いた。その、一見若い魔女は素直に、
「ものを壊したり、燃やしたり、悪魔を召喚したりする魔法を少々」
 と答える。
 それから屋敷に着くまでの間、村人は引きつった表情のまま無言だった。

 屋敷に着くと、魔女は居間に通された。村の他の家の数倍は広いが、それも、あくまでこの村の基準での話である。
 居間には、黒髪に白髪混じりの村長と、その妻らしい女性、それに、もう一人、旅人らしい若い男が姿を見せていた。
「旅の方々、ようこそ我が村にいらっしゃいました。わたしが村長をやらせてもらっている者です。よろしくお願いします」
 村長は言って、丁寧にお辞儀をする。
「実は、折り入って、頼みたいことがございまして……。話だけでも聞いていただけないでしょうか? この村に宿はありませんので、我が家の部屋を提供します。夕食の時に、こちらの事情だけでもお耳に入れていただければと……お急ぎなら、仕方がないですが」
 急ぎの用事があるなら、この村を寄ること自体ない。それに、無料の夕食つき宿屋にありつけたようなものである。旅人たちは、村長の申し出を承諾した。
 屋敷の客室は、取り立てて豪華でも広くもないが、一晩泊まるのに不足はなかった。調度品も、並の宿屋とさして変わらない。
 黒づくめの魔女は、与えられた部屋で独りになると、荷物を脇に置いてベッドの端に腰を下ろした。
(頼みごとって、一体なんだろうね? 怪物退治?)
 室内には、魔女しかいない。だが、彼女の頭のなかには、少年のものらしき声が響いた。街中で暮す一般人にも馴染み深い魔法、〈テレパシー〉による遠方通話だ。最も、この村では魔法すべてが珍しい存在だろうが。
「どうも、そんな感じだね。城壁や守りの堅さを見ると」
(何を差し置いても守りは固めたいって感じだよね。家はどこもボロボロみたいなのに)
……そうかい? でも、家の造りは普通じゃないよ」
(そうなの?)
「シゼルは気づかなかった? 食事まで時間はあるようだし、依頼も果たさないといけないしね。ちょっと見て回ろうか」
 肌身離さず持っている、本当に大切な荷物だけを身につけて、魔女は部屋を出る。丁度廊下を歩いてきたメイドに外出の旨を話すと、玄関に向かう。
(セティアは、あの旅人について何か思わなかった?)
 シゼル、と呼ばれた少年は、お返しとばかりにそう問うた。旅人、とは、先ほど同時に呼ばれた、若者のことだろう。
「普通の旅人にしては身なりがいいし、なかなかハンサムだと思ったけど」
 屋敷の門をくぐり、道とも言えないような土の道に出ながら、セティアは若者の姿を思い出していた。金髪碧眼の精悍な横顔が、道の両脇に広がる、夕日に染まった田の稲穂に重なる。
(彼、この辺では有名な人だよ。本で見た。聖騎士団の団長で、伝説的な勇者。確か、名前はリヴ・ゼイア。セティア並みの有名人だよ。まあ、セティアは顔は知られてないけど)
「知られちゃ困る方面で有名だからね」
 セティア・ターナーの名は、強力な力を持ち長い時を生きる魔術師のものとして、広く知られていた。その名はあらゆる魔法関係の書物に記されているが、彼女の力を恐れてか、常に旅をしているためか、その詳しい容姿まで取材してあるものはない。
「だから、やりやすいんだけどね」
 そうことばを続けて、彼女はある一軒の家の前で足を止めた。
 家は木造で、壁が少し傾いていた。表面の汚れたドアも取り付けが悪く、隙間ができている。唯一の窓にはヒビが入っていた。
(なかなか風流な家だね。で、どこがおかしいの?)
 シゼルは、自分で考えるつもりがなさそうな様子で、すぐにそう質問した。
「土台を見てご覧よ」
 セティアは、視線を少し下に向ける。〈テレパシー〉と同時に使用されることの多い魔法〈ビジョン〉により、彼女とシゼルは視界を共有しているらしかった。
 二人の視界の中央に家の土台がくる。家が傾いている割に、土台は地面に対して水平だった。そして、家の壁は古そうな木だというのに、その下部は、切り出した石を積み上げて固められた、丈夫なものになっていた。
 次に、セティアは他の家々を見回してみる。ほかのどの村民の家も、村長の屋敷も、同じ造りになっていた。
(なるほど。おかしいね)
 納得の声を聞きながら、セティアは門に向かっていた。門には、この村に入ったときに案内をしてくれた門番の男が立っている。彼は、魔女に気づくとびくりと肩を震わせた。
「あの……どちらへお出かけで? もうすぐ暗くなりますし、危ないですよ」
「夕食まで、ちょっと散歩に。すぐに戻ってきますよ」
 荷物は、村長の屋敷に置いてある。それを置いたままどこかへいなくなったりしないだろう、と思ったのか、門番はそれ以上引きとめようとせず、門を開けた。
「さて……どこにいるのかな」
(村の中じゃないの?)
「それが、気配を感じないんだよ。やはり、下かな。外から気配を探ってみるか」
 セティアは日が沈むまでの間、城壁の外を巡っていた。

 夕食には、初めて屋敷に来た時と同じメンバーが顔をそろえていた。おそらくこの村で最も大きなテーブルの上には、採れたての農作物を使ったものを中心とする、それなりに豪勢な食事が並んでいた。
「では、いただきましょう」
 村長のことばを合図に、夕食の時間を始める。村の女性陣を中心に調理したらしい料理は、素朴だが、それだけに洗練されている。旅人たちは、しばらくの間無言で食事を続けた。
「それで、村長さん」
 スープでのどを潤してからそう切り出したのは、青年だった。シゼルの話では、リヴという名前のはずの、若い旅人である。
「我々に、頼みとはなんですか? 一晩の宿とこのおいしい食事の恩がありますし、少なくとも、わたしは大抵の依頼は引き受けますよ」
 彼は穏やかに言い、厳しい表情をしている村長に目を向ける。
 村長はひとつうなずくと、意を決したように口を開いた。
「実は……この村に、毎晩〈人喰い〉が来るんです」
「〈人喰い〉……?」
 セティアの問いに、村長は大きくうなずいた。
「ええ。まだ死者は出ていませんが、意識を失うほどの重傷を負った者が二名、それに、家畜の被害も大きいです。城壁を造り、何とか持ちこたえてきましたが、相手は魔性の力を持つ者。侵入されるのも時間の問題でしょう。そこで、お二人に警備をお願いしたいのです」
……警備だけでいいんですか」
 退治して欲しい、と来るかと予定していたセティアは、少し意外そうな声を出す。
「かまいません。お礼はしますが、大した額ではありませんし……相手が村に入ってきたら、追い返していただければよいのです」
(ふうん……ただの見張りか)
 セティアと旅人が交互に見回り、異常があれば屋敷に伝え、もう一方も起こす。今夜を乗り切れば、事前に近くの街で雇った傭兵たちが来てくれるのだという。
 この村に泊まる以上、どうせ〈人喰い〉の襲撃があれば戦うことになるのだ。
「わかりました。引き受けましょう」
「同じく」
 旅人たちは、依頼を快く引き受けた。セティアのほうは、青年のような笑顔で、とはいかなかったが。
 夕食を終えると、早速、青年が作戦会議を持ちかけてくる。
「最初、どうします? どちらが見回りに出ますか?」
 金髪碧眼の若者は、屈託のない笑みを浮かべて、廊下でそう問いかける。
「わたしは先に見回りのほうがいいですね。……ところで、あなたは」
 最初から予定を決めていたように答え、セティアは、暗く見上げるような目で相手を見据えた。
「リヴ・ゼイアという名前ですか?」
 相手は、一瞬キョトンとした後、驚きの表情を浮かべた。そして、それがすぐに、苦笑に変わる。
「ええ。お忍びで来ていますから、このことは内緒にしてくださいね、セティアさん」
 彼のことばに、セティアは一瞬だけ眉をひそめてから、屋敷を出た。

 すでに、辺りは完全に闇に包まれていた。家々の光は淡く、一軒一軒が離れているため、道を照らす役割を持たない。それでも、セティアはカンテラも魔法も使わず、月光だけを頼りに歩いた。
(おかしいね。村の案内の人は一緒に来ないのかな)
「来ると都合が悪いんだろうね……辺りが静か過ぎる。そろそろか」
 門のそばまで歩いたところで、セティアは足を止め、屋敷のほうを振り返る。
 その直後、叫び声と爆音が鳴った。
(敵襲?)
 〈人喰い〉とやらが襲ってきたのか、という調子で、シゼルが言う。だが、セティアのほうは何かを感じたか、その場から動こうとしなかった。
 屋敷から煙が立ち昇っている。遠くからの悲鳴や怒声が、かすかな震えとなって、空気に混じっていた。
「だぁぁ!」
 突然近くから上がった気合の声が、静けさを破った。男が、クワを振りかぶったまま、木の影から突進してくる。
 魔女は振り返りもせず、手を突き出す。男は吹き飛ばされ、白目をむいて気絶した。
(なに? 夜にそんな黒い格好してるから、人喰いに間違えられたんじゃないの)
「違うよ」
 ことばを返しながら、セティアは半歩、身を退いた。その鼻先の空気を、銀色の光が切り裂いた。脇の木の幹に、小さな矢が突き立つ。
「ちゃあんとわたしを狙ってる」
 セティアが手を振ると、ボウガンを手にした女が木陰から吹き飛んだ。
「やはり、こういうことか」
 一人納得して、彼女は屋敷へと走った。道の両脇からナイフや矢が飛び、斧や金属の棒などを手にした人間が襲いかかるが、セティアは妨害をすべて排除して進んだ。
 近づくと、屋敷は、煙だけでなく、炎を吹き上げていることがわかった。木の壁が音をたてて崩れ、悲鳴と叫びをひと時だけかき消す。脇腹を大きく斬り裂かれた村人が、煙を吐き出す玄関の前に倒れていた。
 その遺体をまたいで、セティアは臆することなく、内部に突入する。
 廊下は紅に染まっていた。魔法で炎と煙から身を守りながら、奥の部屋へ向かう。
 やがて、大きな部屋のなかに入ったところで、炎に映る人影を二つ、見つける。一人は立ち、手に細長いものを持っているらしい。もう一人は、床に這いつくばっていた。さらに近づくと、相手の姿がはっきりと見える。
「おや、やはり無事でしたか」
 リヴ・ゼイアが、ほほ笑みを浮かべた顔をセティアに向けた。左手にかまえた両刃の剣は、血に濡れている。
「これが、〈人喰い〉の正体です」
 彼が剣を向けた先には、恐怖の目で見上げる村長の情けない姿があった。壁を背に震えているのは、後退ってあとがなくなったためだろう。
「旅人を殺し、私腹を肥やす者たち……〈人喰い〉の依頼を利用して旅人を引き止め、自ら〈人喰い〉となった者たちです。わたしは、もともと〈人喰い〉を退治しに来ました。その使命を果たします」
 リヴは、剣を振り上げ、村長の首に振り下ろした。
 だが、剣は宙に受け止められる。斬りつけるための力が抜かれたわけではない。何か別の働きが、刃を抑えているのだ。
「こんな連中を助ける気ですか?」
 笑顔を崩さず、青年騎士は魔女を振り返る。
 魔女は首を振った。
「いいえ」
 きっぱり否定してから、彼女は小さく呪文を唱えた。何をするつもりかと警戒するリヴと村長の前に、突然、黒く大きな影が現われた。
 人とワニを掛け合わせたような、黒い姿。マンイーターとも言われる下級悪魔の一種だ。
「さあ、〈人喰い〉が現われましたよ。逃げるなら逃げるがいい。退治するなら退治すればいい。富にかじりついて逃げ遅れた者はただ、邪悪な炎に焼かれるであろう」
 村長は悲鳴を上げ、腰を抜かしていたのが嘘のように、全速力で走り出した。リヴはそれを追わず、愛剣をかまえなおす。
 セティアはその両方に興味がない様子で、マンイーターを残して屋敷の奥に向かった。

 屋敷の丁度中央に当たる場所に、下り階段があった。壁が崩れてむき出しになっていたことは幸いというべきか。
(なるほど……こういうのが、村の他の家にもあるんだね)
「ああ。ボロボロなのは表面だけさ」
 カンテラを手に、彼女は細かな装飾が彫り込まれた階段を降りていく。下って間もなく、広い部屋に出る。部屋の壁には、高価そうな物が並んだ棚や、大きな箱が積まれていた。だが、光すら放つそれらには見向きもせず、魔女は奥に続く、少し狭い、ひやりとした空気が流れてくる奥への通路に向かう。
 奥の部屋は前の部屋と違い、暗く狭かった。
 石造りの部屋には、十体の人骨が並んでいた。大きさから、そのうちの二体は子どものものらしい。
(こんなところで亡くなってたなんてね。とにかく、依頼を果たそうか)
 続けて、シゼルは祝詞に似た呪文を唱える。それは、悪魔を従えるセティアは使えない魔法だった。
 十体の人骨は淡く輝くと、光の粉となって、部屋の外へと飛び出していった。

 黒い炎に焼き尽くされた村を後にしたセティアは、夜明けまで、村からそう遠くない場所にある林のなかで息をひそめていた。木々の間からは、昨日魔法により空けられたばかりの大きな穴の他には外側には傷ひとつない、何者からも外から攻撃を受けたことがないらしい城壁が、朝日に白く輝いて見える。
(あの財宝、ちょっとくらいもらってくれば良かったのに。聖騎士団の物になっちゃうんじゃないの?)
「それでいいんだよ。彼が〈人喰い〉を退治したんだから」
 彼女が脱出した城壁の穴から、村人のほとんどは逃走に成功していた。聖騎士団が逃げた村人まで討伐に乗り出すかどうかは不明だが。
(でもさ……この場合、〈人喰い〉を呼び出したのはセティアな訳で……
「村人やリヴがわたしを征伐しようと考えるなら、そうすればいい。こっちは、降りかかる火の粉は払うだけ」
(彼は最初からセティアに気づいてたようだけど。それでもああしたってことは、戦っても勝てるって判断したのかな? それとも、こうなることがわかってた?)
「どうだろうね。騎士団としてなら、彼が〈人喰い〉を倒して解決したという、体面が立てばいい。多くの村人はマンイーターを恐れて逃げたわけだから、真実を知るのはわたしと村長くらい」
(村長のことばは、恐怖のため精神のバランスを崩したとでも言われれば、そのままもみ消せる……どうにしろ)
「早めに立ち去ったほうが良さそうだね。依頼人たちも待ってるし」
 仇を討ってくれとは依頼されなかったけど、と、彼女は独り言のようにつぶやく。
 太陽に追われるように、魔女は城壁に囲まれた村を離れた。