平和な楽園

 夏も終わりの時期のためか、数日前まで大量の緑の葉をまとっていた木々も、今は丸裸になっていた。まあ、昨日は風が強かったからね、とセティアは言い、枯葉の上に荷物を降ろす。使い込まれた肩掛け鞄には、様々な道具や食料が入っているが、非常食や本当に欠かせないものはベルトのポーチやマントの隠しポケットの中だ。
 そこは、小川のそばで、丘の上で、岩でできた小さな洞窟があって、野宿には最適な場所だった。薪になる木片も、探すまでもなく辺りに転がっている。なので、セティアはまず、たき火の土台に使う石を探し始める。
「火事が怖いからね」
 そう言って洞穴の周りを一周してきた彼女の両腕には、拳大の石が十数個、抱えられていた。
 洞窟は非常に狭く、高さも一メートル足らずだった。その入り口の近くで、ブーツの先で落ち葉を退け、石を輪になるように並べていく。剥き出しの土の上に仕切りができると、そのなかに同じくらいの長さに折った木の枝を並べる。枝の輪の上に、改めて落ち葉をかぶせた。
 ポーチから取り出したマッチを擦って、慎重に乾いた落ち葉に火を移す。赤く揺れる光が生れた。
「シゼル、一雨来ると思う?」
 彼女は火を見守りながら言った。周囲に、彼女の他に人の姿はない。
(まあ、普段の行い次第でしょ)
 と、シゼルと呼ばれた少年の声が、素っ気なく答えた。
 遠くの者と会話する魔法、〈テレパシー〉。黒いローブとマントという、典型的な魔術師ルックのセティアがその魔法を使えたとしても、誰も疑問は抱かないだろう。
 彼女が見上げると、空は厚い雲に覆われていた。まだ太陽は地平線の下に落ちきっていないはずだが、辺りは夜のように暗い。
 とりあえず彼女は枯葉の上に布を敷き、そこに腰を下ろすと、手際よく準備にとりかかる。
 彼女は背負い袋から、殺菌効果のあるハーブ数種類と、同じ効果のある大きめの葉のハーブに包まれた、二匹の魚を取り出した。どれも、道中川や草原で手に入れたものだ。
 セティアは魚を包む葉の中に香草をいくつかちぎって入れると、再びしっかり包む。細い枝で炎の上に網を作り、その上で蒸し焼きにする。
 それから、ハーブティーを作ろうと、水筒から金属のビンに水を入れ、それを火のそばに置いた。退屈なので干し肉をかじろうかと一瞬考えるが、とりあえず、魚を食べ終わるまでは我慢することにして、パンを取り出す。釘も打てそうな、カチカチに硬いパンだ。セティアはそれを、ハーブティーにつけながら食べることにしている。
 やがて料理ができあがったころには、完全に陽も落ち、夜闇が降りていた。
(それで、今日はここに泊まるとして、明日はすぐに出発するの?)
「そうだね……一目見て、特に用事もないってわかるし」
 パンの最後の一欠片を口に放り、ハーブティーと一緒に飲み下してから、
「シゼルが何か気になるなら、出発は遅らせてもいいけど」
 と、気のない様子で言う。
 同じく気のない調子で、別にいいや、とシゼルは答えた。
 セティアは食事を終えると、眠る準備にかかろうとする。だが、彼女は突然動きを止めて、背後の洞窟を振り返る。
「誰だ!」
 若い男の声だった。
 洞窟の岩の壁の向こうから、二つの姿が飛び出した。一方は松明を、もう一方は木の棒を手にしている。どちらも、まだ若い。十代半ばといったところの、少年だった。
「お、お前、魔術師か? ここで何をしている?」
 少年たちは、セティアの格好を見て、少し怯んだらしかった。
「見ての通り、野宿だよ。きみたちは、旅人には見えないね」
 警戒もなく言う魔女のことばに、少年たちは顔を見合わせた。

 洞窟はやや下り坂で、曲がりくねりながら奥に続いていた。その細い道を抜けると、天井の高くなった、広大な空間に出る。
 そこに、子どもたちの姿があった。思い思いの場所に座り、友だちと話をしたり、木の実を食べたりしていた。全員、二〇歳には達していないようだ。
 松明を持っていた少年が、皆にセティアを紹介した。子どもたちは、興味津々で目を向けてくる。
「まずは、どうしてここで生活しているのか聞かせてくれるかい?」
 セティアがそう尋ねると、木の棒を持っていた少年が答えた。
「オレたち、二ヶ月くらいまでは普通に暮らしていたんだ。でも、大人たちは近くの洞窟に住んでいるドラゴンが怖くて、イケニエを捧げようってことになった。『我々の一族は昔竜殺しの呪いを受けたから、犠牲無しでは生き残れない』とか言ってた」
「みんな、子どもより自分の命が大切だったんだ」
 松明を持った少年が、怒りを思い出したように、口を挟んだ。
 棒を手にした少年がうなずき、話を続ける。
「大人は臆病者だ。オレたちは相談して、全員でイケニエになりに行くことにした。大人たちは止めるどころか、歓迎したよ。『これで罪が流され、新しい時代を迎えられる』ってね。そして、オレたちが洞窟に来てみたら……この通り。ドラゴンなんていやしない」
 彼は辺りを見回し、肩をすくめた。
「そうして、オレたちはここに住むことにした。情けない大人なんていなくても、生活できる。ここは楽園だよ。面倒なことは何もない」
 少しの間、大人たちの不甲斐なさに複雑な表情を浮かべていた少年だが、すぐにそれが笑みに変わる。
「それより、旅の話を聞かせてよ。色々、危険な目にも遭ってきたんでしょ?」
 子どもたちが、セティアに期待の目を向けて集まってきた。
「べつにいいけど……
 洞窟内の滑らかな壁を注意深く見回してから、地面に布を敷いて腰を下ろし、彼女は旅の話を語り始めた。

 翌朝、セティアは洞窟を出た。大人に見つからないよう、できる限り洞窟内で生活しているという子どもたちは、外まではついてこず、洞窟内の広大な空間で彼女を見送った。
(あの洞窟に、竜がいたと思う?)
 洞窟を出るなり深呼吸するセティアに、シゼルが尋ねる。
「動物の骨もない。綺麗過ぎる。あれは、人の手が入ったものだよ」
 答えて、彼女は歩き出す。
「じゃ、行こうか」
(ここにいても仕方ないしね)
 早々に、洞窟を離れる。空には雲もなく、空気は澄み渡り、地平線までを見渡すことができた。本来なら邪魔をしていたはずの木々も、ある場所を中心とした円の内側では、すべて倒されている。
 その中心には、焼け焦げた家々の残骸と、押し潰されたようなガレキが散乱していた。