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・2007年7月26日:第9話 友情と旅立ちの火?(上)
・2007年7月26日:第9話 友情と旅立ちの火?(下)
第9話 友情と旅立ちの火?(上)
「あれ? アイちゃん、もうみんな外で並んでるよ」
わたしの今日一日は、部屋を出た途端の、レンくんのそんな一声で始まった。
彼も、これから出かけるのだろう。スポーツバッグを肩にかけている。
「ああ、わたし、今日残るから」
「ええっ、行かないの?」
レンくんの顔に浮かぶは、心底驚いたような、ショックを受けているような表情。
――そりゃ、大抵の人はこういう状況で声を掛けられれば行くと思うよなあ。
「うーん……まあ、ぼくは行って来るよ。できたら、何かお土産でも買ってくるから」
「ああ、気をつけて」
少しの間迷うような様子を見せたあと、彼は手を振って、階段へと姿を消していった。
窓から見下ろしてみると、顔馴染みの地球人たちのほかに、多くの水色のローブの学生さんたちが並んでいた。そのそばに見えるのは……備え役の、ロインさんにマリンダさん、あとはディルスラック教授か。
こりゃ、けっこう研究所内はがらんとしそうだ。でも、たまにはそういう雰囲気もいいかもしれない。
いつも通り鞄を手に、とりあえず、遅い朝食を取りに一階の食堂へ向かう。
この時間じゃ人が少ないのは当たり前だが、いつもより数倍空いているように見える。食堂のおばちゃんも二人しか残ってないし、わたしのほかに、二人連れの学生さんと力仕事担当らしい男の人一名のみ。
昼食までそんなに時間がないし、選んだのは、ロールパンと、具に肉団子と山菜が入ったスープという軽い食事だ。
それを片付けて食器を返す途中に、帰ろうとしていた学生さんたちのうちの一方が、声をかけてきた。金髪碧眼の、けっこう優男風な、穏かな感じの男子学生さんだ。
「きみ、異世界の人だろ? 残ってる人、珍しいね。何か用事あるの?」
学生さんとは一線引かれているな、と感じることが多いけれど、この人は異世界人かそうでないかとか、あまり気にしないような雰囲気があった。
「いえ……ゆっくり本でも読んで過ごそうと思ってたくらいですけど」
「じゃあ、午後から夕方までの間、湖の掃除に参加してみない? 思ったより人数が減っちゃって、困ってるんだ」
「湖の掃除……?」
意外な話に、ちょっと驚いた。こっちでも、ボランティア活動する人いるんだなあ。
「エレオーシュの街って、常に水があちこち流れ続けてるだろう? だから、ゴミとか色々な物が湖に流れ込んで来るんだ。何ヶ月かに一回、先生方や備え役の人たちと一緒に、有志を募って掃除してるんだよ」
なるほど。湖は表面上は綺麗に見えるけど、底のほうには色々沈んでるのかも知れない。
本を読む時間は削られるだろうけど、困ってるっていうのを断ってまで読まなきゃいけない本があるわけでもない。
「それじゃあ、昼食後に湖のそばにいればいいんですね」
わたしが言うと、彼はわたしの手を取って、嬉しそうな笑顔を見せる。
「協力してくれるんだね! ありがとう」
礼を言ってから、自己紹介。彼は地元エレオーシュ出身でリフラン・クレトーさん、連れの栗毛に長身の人はイラージ・エバスティンさんだという。
「それじゃあ、お昼から頼むね!」
元気よく手を振って去って行くリフランさんを、黙々と、イラージさんが追う。
――学生さんも、人それぞれだな。よく考えれば、当たり前のことだけれど。
まあ、ボランティアはいいことだ。わたしは午後に備えて、午前中に借りたままの本を読み切ってしまうことにした。
本を読み終え、新しい本を借り、医務室でビストリカとお茶をしたあとに一緒に昼食を食べ、一緒に外に出た。もう、ほかの人たちも大勢集まっているらしい。
備え役の人たちに、テルミ先生や学長さん、それに学生さんたちと、そして――
「あれ? 先生、行かなかったんですか?」
と、わたしが声をかけたのは、先生と言っても魔法研究所の教授ではない。大学教授だという、村瀬さんだ。
「ああ、残って調べたいことがあったからね。この世界の生態系を色々探ってみるのもおもしろいよ。地球と同じ進化を遂げた部分も、異なる部分もある」
難しいことは良くわからないけど、まあ、大体わたしと似たような感じで残ったらしい。
さて、どうやって掃除をするのか……と思っていると、学生さんたちや魔術師の皆さんが協力して、白い網を作り出す。魔法の網らしい。
それを、はるか遠くまで放り投げた。これも、魔法の力。
「湖には一応生き物もいますし、植物も生えています。だから、ゴミだけをすくうために、魔法の網を使うんです」
となりに立つビストリカが解説する。彼女は、網の生成の魔法は使えないのか、参加していなかった。
「まだまだ、これからが本番さ。引き上げたゴミを分類して、燃える物は燃やしたり、燃えない物は再利用したり分解したりするんだ。特に、ゴミの分類みたいな力仕事はボクには向いていないし、大変だね」
いつの間にかそばに来ていたシェプルさんが、やれやれ、という感じで肩をすくめる。たぶん、ビストリカ狙いだろう。
魚と違ってゴミは動かないので、すぐに網を引き上げる。ここからは完全に人力、ゆえに魔法が使えないわたしもここから参加する。
――出るわ出るわ、ゴミの山。
何かの柱の一部や食器らしき木材、ドアの取っ手にタルに木箱に枯葉、金属製の何かの飾りに錆びたイヤリングやネックレスといったアクセサリー、衣服を始めとする布類、本の切れ端や剣の鞘と思われるもの……何かの動物の死骸もちょっとあったりする。まあ、人間の遺体がなかっただけありがたいか。
それを、燃えるゴミと燃えないゴミに分けていく。たまに、これはまだ使えそうだなって物があると、先生にきいて別のところに集めておく。
完全に、力仕事。魔術師が得意とするようなことじゃない。
ヴィーランドさんがいればなあ、とちょっと思うけど、いないものは仕方がなかった。
「魔術師だからって、頭脳労働だけしてりゃいいってもんじゃないんだねえ」
「まあ、身体を動かすのは気持ちのいいことだよ。我々は運動不足になりがちだからねえ」
木製の馬車の車輪らしきものを、燃えるゴミの山に下ろしながらぼやいたことばへの返答に、わたしはちょっと驚いた。振り向いた先に、学長さんの姿があったからだ。
――学長自ら掃除に参加とは……。
ふと気になって周囲を見回すと、本城の出入口付近に、銀髪の少年の姿もある。さすがに、こっちはボランティアには参加しないが。
「そういえば、アイさん、きみに頼みたいことがあったんだよ」
学長さんは手を休めて、思い出したように言った。
何だろう。学長さんがわたしを名指しで頼むようなことなんて、覚えがないけれど。
「パルは嫌がっておるが、いつまでも家出状態のままともいかんからのう。魔術師を目ざしたいと言っておるが、まだ早過ぎるし、親にも何も言わずにここへやってきたそうだしな」
パルくんは、魔術師志望だったのか。家出までするということは、もしかして、親に反対でもされているんだろうか。
学長さんの血縁者だし、素質はありそうな気がするけれど。
「そろそろ、エンガの町に帰さねばと思うが、一人でというわけにはいかん。そこで、きみにもついていって欲しいんだ。気難しい性格だが、きみには懐いているようだしな」
「え……」
意外な申し出。
それにしても、懐かれているのか……? あれで……?
「でも、わたし、エンガの町がどこにあるのかとか、この周辺の地理も知りませんよ」
そうだ。地図くらいは持たされるだろうけど、エンガの町を往復する間にある色々な仕組みや不測の事態の可能性を考えると、かなり不安がある。
「ああ、一人、城の者を誰かつけよう。備え役か教授からきみが選ぶのがいいだろう。お礼はするよ。ちょっとした旅行だと思っていい」
そう言われると、かなり魅力的な誘いに感じる。今日エレオーシュの街に行かなかった分は、充分取り返せそうだ。
「わかりました。引き受けます」
そう告げると、学長さんは嬉しそうに、
「そうかそうか、ありがとう。詳しいことはあとで連絡しよう。パルにも、充分言い含めておかんとな」
と応じて、新たなゴミを運びに離れていく。
わたしも湖のそばへ向かおうとして、ビストリカと、この掃除に誘ってくれたリフランさんの姿があった。
「ありがとう、来てくれたんだね。あんまり働き過ぎると明日の授業に差し支えるから、疲れない程度に頑張ってね」
「これくらい、へーきです」
リフランさんに答えて、小さめのタルを担ぎ上げる。中身は空だけど、水を吸っているのでけっこう重い。
第9話 友情と旅立ちの火?(下)
「これ、あんまり濡れてないな」
タルを燃えるゴミの山に投げて戻ってくると、リフランさんが、一抱えほどの大きさの白い木箱を見つけたところだった。
「湖面に浮いていたんでしょうね。時間もそれほど経っていないようです」
ビストリカが綺麗な表面を指先でなぞった、そのとき。
聞き覚えがあるような、小さな鳴き声が耳をかすめた。
「今……なんか聞こえたような……」
ビストリカとリフランさんが顔を見合わせる。ちょっとくぐもっていて聞き取りにくかったけど、わたしの気のせいじゃないようだ。
少し警戒しながら、リフランさんが箱の蓋を開ける。わたしとビストリカも思わずなかを覗いた。
そこにいたのは、白い毛並みの、耳の垂れた子犬だった。尻尾がくるんと巻いている。
「か、かわいいー」
丸くなって眠っていたらしい子犬は立ち上がり、黒い大きな目で見上げてくる。小さな尻尾を一生懸命に振る姿に、ビストリカはすっかり魅了されたらしい。
彼女が抱え上げると、子犬はクンクンと甘えた声を出した。
「捨て犬か……良かった、助かって。でも、どうしよう?」
子犬の頭を指で撫でながら、リフランさんはちょっと困った顔をする。
「リフランさんが見つけたんだから、飼ったらどうですか?」
「だって、部屋で動物を飼うのは禁止だよ。ずっと面倒を見られるわけじゃないし……やっぱり、町の誰かに頼むとかしないといけないんじゃないかな」
と、彼が言った途端に、ビストリカが顔を上げた。
「わたくしが飼います!」
「……え、先生、いいの?」
「医務室で飼います。ちゃんと周りにはご迷惑が掛からないようにしますよ。シヴァルド学長がダメだと言ったら、何とか説得して見せます」
まあ……そこまで言うなら、大丈夫だろう。たぶん。
そう思うと同時に、学長の名前を聞いて、さっきの話を思い出した。
「ビストリカは、医務室を離れられないよねえ……」
そうだ、一緒にエンガの町まで行ってくれる人を考えなければいけないんだった。
と言っても、わたしが話したことのある相手は限られている。その中でも一緒に行ってくれそうな人はさらに数名か。四楼儀さんとかどうやっても動かなそうだしな。
「アイちゃん、どこかに行くんですか?」
子犬をローブの襟元に入れ、わたしのとなりを歩くビストリカが問う。ああ、子犬がうらやましい。
というのは置いといて、わたしは壊れた木箱を運びながら、簡単にさっきの学長の話を説明した。
「なるほど、それはいい経験になりますね。でも、誰を連れて行くのかは……シェプルさんか、ジョーディさんか、道化師さんになるとは思いますけれど、シェプルさんは……」
「それは、イヤだ」
木箱を山に放りながら、わたしは断言する。
「何か嫌なことでもあったのかい、レディ。さあ、このボクに打ち明けてごらん」
などということばが背後で聞こえた気がするが、聞かなかったことにする。
そういえば、いつの間にか周囲はかなり暗くなっている。太陽の縁が少しだけ地平線の上にかかっている程度だ。
ゴミも、ほとんど片付けられていた。燃えるゴミの山の周囲に、人が集まっている。
わたしとビストリカも人の壁に加わろうと歩いていくと、聞き覚えのある、凛とした女性の声が響いてきた。
「いい? 火力を上手く調節するのよ。初歩の魔法だからって気を抜いちゃダメ。ちゃんと息を合わせてね」
どうやら、学生さんたちに魔法で火をつけさせるつもりらしい。なるほど、これも練習のうちか。
と、感心していると――
「きみはやらないのか?」
声をかけられて振り向くと、道化師さんが目を向けている。
「いや、まだ松明魔法くらいしか使えませんし」
「〈マピュラ〉が使えるなら、火球を飛ばすくらいの応用は簡単だろう」
――よ……要求レベルが高いよ道化師さんっ!
そりゃ図書館で本借りて授業以上の知識は持とうとしているかもしれないけれど、応用云々は実際使ってみないとどうなるかわからないわけで、こっそり魔法使ってみるときも、ちゃんと実技の時間に使ってからにしているわけで。
と、混乱していると、相手もそんな状態を察してくれたらしい。
「……光と熱の名は同じだ。あとは、間接作用魔法と直接作用魔法の中の系統の違いだ。つくり出した火を投げるための、直接作用呪文を付け加えればいい」
系統がどうとかいうのはすでに習っている。暗記するしかない部分だけど、よく使われる作用を表わす呪文は限られているので、一応ちゃんと覚えていた。
頭の中ではわかった……つもりだけど、果たしてできるのかどうか。
「いい? やるわよ。呪文唱えて」
こっちの話が終わるのを待っていた様子のテルミ先生の声を合図に、学生さんたち、そしてわたしも慌てて呪文を唱え始める。何だか、魔術師、って感じがしてちょっと照れくさい。
そして、みんなでタイミングを合わせて。
「〈マピュルク!〉」
だいぶ暗くなった周囲に光が散った。それが、人間たちの環の中心に燃え移り、炎を立ち昇らせる。
できた……のか? 手のひらからあたたかいものが飛んでいった気がするが。
「凄いじゃないですか、アイちゃん!」
ビストリカが駆け寄ってきて、ちょっと茫然としているわたしの両手を握り、揺すった。
「ああ……まあ、これも、道化師さんのおかげです」
お礼を言おうと視線をずらす。が、そこに相手はいない。
なぜか離れたところから、ちょっと怯えた視線を向ける姿が環の外に。
「……なんで逃げてるんですか」
もしかして、わたしが狙いを外すと思ったのか? と考えたが、彼の目は、わたしではなくとなりに向けられている。
「もしかして……」
「犬は苦手だ」
ビストリカの胸元から小さな顔を出している、愛くるしい子犬。何の害もなさそうなものだけど、苦手な人は苦手なんだろうな。
「道化師さんに近づけません」
「医務室でも放し飼いは無理そうだね」
などと話しをしている間にも、炎は大きく燃え上がり、すっかり陽の落ちた周囲を照らす。
そのうち、食堂のおばちゃんたちがサンドウィッチと温かいスープをたくさん作って持ってきた。火を囲んでそれを食べる――何だか、キャンプファイヤーみたいでおもしろい。運動のあとの食事もおいしいし。
と、和んでいるところに、ざわめきが届く。
「おう、帰ってきたみたいだぞ」
というのは、ジョーディさんの声。明りの魔法を使っているらしい一団が、ぞろぞろワイワイガヤガヤとこっちに向かってくる。
ある程度近付くと、一気にこっちに駆け寄って来る人影がいくつか。
「へえ、こっちもなんか、おもしろいことやってるじゃん」
「掃除のあとですよ。ヴィーランドさんがいれば楽だったのに」
「そうそう、オレは頼りになるからな!」
と言って、スポーツ好きの大学生は、小さな包みをわたしに差し出した。お土産、だろうか。
開けてみると、そこには……木彫りの人形。曲げた片手を上げて、大きな目を見開いて、口をすぼめた、何か『不思議な踊り』とでも題がついていそうな。
「それ、いいだろ。鞄にでもつけとけよ」
「は、はい……ありがとうございます」
言われたとおりにつけておくが、ちょっと違和感が……これ、売ってたのか? 手作りだったりして。
と、その人形を見ていると、さらに別の気配が目の前にやってくる。
「アイちゃん、こんな物しか手に入らなかったけど……」
遠慮がちに、レンくんが渡してくれたのは、蔓を模した鎖状の腕輪だった。木の実や花を表わす小さな玉石が散りばめられている。
――これはちょっと、嬉しいかも。
「ありがとう、レンくん」
「オレのほうが高価だけどな」
ふっ、勝ったな、という顔をするヴィーランドさんと、むっとそちらをにらむレンくん――何の勝負だ、これは。
でも、一番のお土産をくれたは、二人の間から駆け寄ってきたマリーエちゃんだった。
「はい、これ」
そう言って渡してくれたのは、小さなクッキーの袋詰め。彼女はそれを、三つ抱えている。
「くれるの? ありがとう」
「うん。先生にも」
と、もうひとつはビストリカ。
「ありがとうございます、マリーエちゃん」
これは、昨日のお礼だろうか。となると、あとひとつは――
わたしの予想どおり、少女は道化師さんのところへ。
「わたしに?」
と、道化師さんは礼を言って受け取る。ちょっと嬉しそう。
しかし、わたしは、全然別のことを考えていた。
動かない動かないと思ってたし、今日の掃除だって一向に手伝いにも来なかったけど、一応仕事しているのにちっとも感謝されないというか、そもそも気がつかれもしない四楼儀さんに少し同情する。
――あとで、クッキーの何枚かでも持って行ってあげようか。
考えながら、わたしは両手に抱えた小さな袋の重みに、胸が温かくなるような感じを覚えたのだった。
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