エルトリア探訪日記

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・2008年08月02日:第44話 明日への飛翔PART1(上)
・2008年08月02日:第44話 明日への飛翔PART1(下)


第44話 明日への飛翔PART1(上)

 一気に明るい場所に来たせいか、目がくらむ。一面の緑が少しの間、どぎついくらいだった。
 少し上に視線を動かすと、そちらには青一色が広がっている。
 目が慣れてくると、ここが広い芝生の上だとわかる。目の前に、林とも呼べないような、小さな木の連なりがあった。
 振り返ると、そこには水陰柱とエレオーシュの街並みが、小さく見える。
 ――エレオーシュの郊外か?
 街の方に近づこうとしたとき、声が聞こえた。
 慌てて木の陰に隠れ、声のした方に顔を突き出して見る。
 この世にふたつとない服装をした少女が、凄い勢いでこちらを目ざして走っていた。遠いので表情は見えないが、どんな形相をしているのやら……表情が見えない距離で良かった、と思う。
 間違いない。わたしだ。わたしの背後には、ちょっと見えにくいけど、必死に追いかけるジョーディさんの姿もある。
 そうだ。最初の日は、こういう感じだったっけ。
 ――あ、捕まった。
 ぐったり倒れている過去のわたしの周囲に、道化師さんやジョーディさんといった、最後に顔を合わせたのはそれほど過去ではないのに懐かしく思える面々が集まり、何かことばを交わしている。
 過去の自分を見るという不思議体験に、少しの間目を奪われる。でも、我に返ると、すぐに問題に気がついた。
 ――これじゃあ、戻り過ぎじゃないか。もっと先に行かないと……。
 もしかして、また一年過ごさなきゃいけないんじゃないかと焦るわたしの脳裏に、また、重々しい声が響いた。
 ――では、もっと先へと送ろう。
 どうやら、また同じ時間だけ過ごす、なんてことにはならないようだ。
 ほっとしたのと同時に、温かいものが身体のあちこちに触れた。気がつけば、わたしがいるのは人込みのど真ん中。
 いきなり出現した場面を見られたのではないかと不安になるものの、見回してみたところ、どうやら周囲の人々の視線はこちらに向けられていないようだ。
 街並みや、少し離れたところにある水陰柱、そして見慣れた門の上部が民家の屋根の上から覗いていることから、エレオーシュの街並みだとわかる。
 で、集まった野次馬の群れが何に注目しているかというと。
「一体、どういうことだね、これは」
 エレオーシュの紋章つきの制服を着込んだ男が三人、不可解そうな目をしていた。
 その目が向けられた先では、大小さまざまな檻がいくつも並び、檻の中には、きらびやかな飾り羽根を持った鳥や可愛らしい小猿、手足の生えたオッサン臭い人面魚、ウサギのような耳を生やした猫など、奇妙な動物たちがけたたましい鳴き声を上げている。
「これは、優秀な魔術師たちと悪の魔術師の戦いのあとよぉ。ねえ、とっても面白いでしょう? お巡りさんも、じっくり見てっていいわよぅ」
 檻の前で楽しそうに変な踊りを踊っているのは、懐かしい、エミール族の幻術師。
「悪の魔術師、ねえ」
 警察の中でも年長らしい男の人の目は、少し離れたところで腕を組んであきれた視線を向けている、動物たちに負けないくらいカラフルな姿に向けられる。
「言っておくが……わたしは、魔法研究所の臨時備え役だ。悪の魔術師ではない」
「あの、今の本当です」
 さらにあきれた顔の道化師さんのことばを、後ろからリフランさんが保証する。
 道化師さんの姿は、警察の人たちだって何度も見ているはずだ。本気で疑っているわけではないはず。
「悪の魔術師は、そこだ」
 道化師さんが指さしたそこにいるのは……檻の中の、半漁人。キューリル先生の幻術で、そういう格好に見せられているのだろう。
 なんという晒し者。警察の人たちも、ちょっと哀れむような表情で、情けなさそうに助けを求める半漁人を見る。
「その魔術師は一応、重要な証人だ。首謀者は別にいる。ここからは、警察にも協力してもらわなければならない」
 溜め息をこぼす道化師さんが、ふとこちらを見た。
 ――まずい!
「きみは……」
 あきらかにこちらを視認した道化師さんの声を背後に、わたしはもともと低い背を小さくして、野次馬たちの波間に隠れるようにしながら駆け出した。
「待て!」
 止められるけど、止まるわけにはいかない。茂みや脇に置いてあった木箱で上手く隠れつつ、建物の角を曲がる。
 さすがに、この服装を見られると言い逃れもしづらい。顔だけなら、他人の空似、と思ってもらえるはずだ。
 ――そうだ、ちゃんとこの過去のわたしは研究所にいるわけだし、研究所でわたしを見かけた人にでもきいてもらえれば、アリバイは成立する。
 とにかく、ここにいても仕方がない。人の気配のない場所まで来ると、わたしは心の中で、あの装置に呼びかけてみた。
 ――時間の中は、自由に進めたり過去に戻ったりできるんだね?
 即座に答えが返る。
 ――あなた一人ならば。
 ――じゃあ、正確な時間と場所を指定して、そこに行くことはできる?
 ――可能。
 短い答を耳にしながら、わたしは気がついた。そもそも、正確な時間を覚えていない。ここは、感覚で行くしかないか。
 ――次の日食の日の夕方、日食が始まる前のサビキの町の前まで行きたい。
 頭の中で言い切るなり、湖が視界の大半を覆った。
 わたしは慌てて、布に包んだままの伝説の杖を握り締め、透明化の呪文を唱えた。透明になったのを感覚的に確認すると、街中に足を踏み出す。
 周囲は静寂に包まれている。風もなく、人の姿もない。
 これからどうするのか具体的に決めようと、一応神殿の柱の影に入ってから、鞄から携帯電話を取り出す。あのときに具体的に何が起こったのか、だいぶ記憶が曖昧になっている。
 携帯電話の画面で自分で書いた文章を読み返しているうちに、足音が聞こえた。こちらに向かってくる、見覚えのある姿が目に入る。
 ――もう着いてたのか。
 ちょっと慌てて、わたしは小声で透明化の魔法を掛けなおした。
 過去のわたしたちが、緊張した様子で神殿に踏み込んでいく。
 それを追い越すよう、現在の――このわたしは、息を詰めて、一気に過去の自分の横を駆け抜けた。一番異変に気がつかないのがわたしだろうし。
 そのまま、瓦礫が重なり合って、死角になる場所まで駆け抜けて膝をつく。ここに来ると、だいぶ記憶が甦ってきた。この埃っぽさ、張り詰めた緊張感、そして闇。すべて、体験したことのあるもの。
 わたしは呼吸を整えると、祭壇の奥の方を見てみる。暗くて人の姿は見えないが、誰かがいる気配はあった。
 そして、間もなく闇は晴れる。祭壇とは逆の方向を見ると、愕然としたわたしの顔が見えた。
 それからここで始まる出来事は、すでにわたしにとっては、経験したもの。
 道化師さんを護ろうとするわたしたち。そこへ、アクセル・スレイヴァの上級師官と、四楼儀さんの手にする剣が襲い掛かる。
 わたしは戦況を見て、祭壇の裏に移動する。ここからなら、神殿内全体も湖も良く見渡せる。
 過去のわたしたちは、無駄なあがきを続けるものの、結局、勝つことなどできなくて。
 タイミングを逃すまいと杖を握り締めるわたしの前で、過去のわたしが作り出した幻影が消滅する。
「〈キシェヴァル・ファイン〉」
 これは、普段は使う機会のない、魔法に関する気配を隠す魔法。
「〈イーミテッド・ルトリアファイン〉」
 小声で魔法名を告げると、もうひとつの幻影が道化師さんに重なる。
 道化師さんはあきらめのない目を四楼儀さんに向け、紙切れを取り出す。
「〈ソルファジオ〉、〈ソルファジオ〉、〈ソルファジオ〉」
 幻術を出したまま、道化師さんを三重結界で護る。口に出すとちょっと間抜けな感じだけれど、高位の防御結界とか知らないので、質より量で行くより仕方がない。
 簡単なものとはいえ、魔法をいくつも同時に使うのは、それなりの腕前でなければできないこと。それも、この伝説の杖が可能にしてくれた。
 そして、わたしは記憶から引き出した、道化師さんが貫かれて吹き飛ぶ幻影を被せれば、それですべてが予定通り――
 のはずだけれど、あの剣の力は完全には防ぎ切れなかったらしい。わたしの頭上を、弾かれた道化師さんが飛んでいく。
 この時点で道化師さんのすべての魔法を解除して、わたしは慌てて最後に取っておいた魔法を使った。
 この魔法なら大丈夫、とか、これで計算通りになる、なんて思っていたわけじゃない。ただ、ほかに方法がなかっただけだ。
「〈グノ・アルジレク〉」
 派手に上がった水柱の根元に、黒い闇のようなものが広がるのを見たのは、おそらく、わたしただ一人。
 座り込んだ膝の前に、ずぶ濡れの派手なローブ姿が横たわる。
 ――あとは、ひたすら姿と気配を隠していればいい。
 頭の中の半分でそれを実行しながら、もう半分は、自分のやったことが信じられない気分だった。
 わたしは過去のわたしたちやそれらを連れて引き上げていくアクセル・スレイヴァの人たちを見ることもなく、ただ、魔法に集中しながら物音を聞いていた。
 やがて、小一時間くらいで物音ひとつしなくなる。恐る恐る首を伸ばして覗いてみると、そこには誰一人いなくなっていた。
 ほっとして、ちょっと脱力。気がつかなかったけど、だいぶ肩に力が入っていたらしい。
 いつまでもぼうっとはしてられない。やっと、気絶してるらしい道化師さんの肩に手を置く。前にも、こんなようなことがあったな――などと思いながら、仰向けに起こしてみる。
 水に混じって、わずかに血が筋を作って流れ落ちているのを目にした瞬間、さっと血の気が引いた。
 ――まさか、結界三重でも防げなかったのか? これじゃあ、意味がないじゃないか!
 確実な答が欲しいような欲しくないような気持ちで、震える手を相手の首筋に伸ばそうとした瞬間。

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第44話 明日への飛翔PART1(下)

「……アイ?」
 声を掛けられて、思わずびくっと身を引いてしまう。
 でも、こちらに向けられた目を見ると、じわじわと、嬉しさというか、何と言うか……奇妙な感情がこみ上げてくる。
「良かった。道化師さん、大丈夫なんですね?」
「無事とは言いがたいが……。きみがわたしを助けたのか?」
 ずぶ濡れの服の裾を持ち上げて身を起こしながら、彼は表情を曇らせる。
「こんなことをして何になる。アクセル・スレイヴァはすぐにわたしが生きていることを察知するぞ」
 視線を逸らし、言われたことばは、わたしにとって少し心外なものだった。
 でも、ここで引き下がるわけにもいかないし、引き下がっても仕方がない。わたしは一生懸命脳を働かせ、ことばを選ぶ。
「道化師さん、言ってたじゃないですか。大人しく死んだら、次に魔王として生まれてくる者に申し訳ないって。でも、あなたがいなくなって苦労するのは、生まれ変わりだけじゃないんです。この後、研究所は大変なことになるんですから」
「しかし、わたしが引き起こした災難で多くの命が奪われたことは事実だぞ」
 それはマーガの街でのことだろう。確かに、このままでは、本人にその気はなくても、道化師さんは大量殺人の犯人になってしまう。
「きみは、ただ魔王討伐を引き伸ばしただけだ。わたしを助けたのは間違いだろう」
「だったら……」
 緊張がぷちっと切れたせいか、わたしは急に頭が熱くなったのを感じて、思わず道化師さんの襟首を握り締めていた。
「ほかにどうしろってーんですか! この後、わたしも研究所のみんなも死ぬかもしれないってのに!」
「わ、わかったわかった」
 道化師さんは目を見開き、激昂しているわたしの手を抑える。
「どうにもならない理由があるのは何となくわかった。だが、わたしにそれを救えと言うのか? 大量殺戮を行った魔王を受け入れる者などどこにいる?」
 わたしは両手を放す。熱を発散して、頭が冷えた。マーガを滅ぼしたことが障害になるのならば、その事実を変えればいい。
「わかりました。では、マーガの人々を救えばいいんでしょう」
 何となく、視線を斜め上辺りに向ける。そこにはもちろん、何もないんだけれど。
 ――もう一度過去に戻れる?
 ――可能だが、時間の流れの方向に逆らうには、今一度、わたしのもとに来てもらわねばならない。
 ――じゃあ、わたしたちを、明日のネタンへ。
 ――不可。
 こうすればすぐネタンに行ける、と嬉々として行った装置への指示は、あっさり却下された。
 ――あなた一人なら可能だが、その他の者を時間の流れから抜き出すには、やはり、わたしのもとへ来てからでなければならない。
 なるほど、道化師さんが過去や未来に移動するには、一度ネタンへ行かなければ駄目か。
「……どうかしたか?」
 じっと宙を眺めたままのわたしを見て、自分で怪我を治して服を乾かすために魔法の火球を作り出した道化師さんが、少し心配そうに顔を向けてくる。
「いいえ。ネタンに行きましょう。詳しい話は、道中しますから。しっかり変装もしていかないと」
 アクセル・スレイヴァの上級師官や腕のいい魔術師なら、その気になればすぐに魔王を探し出せそうな気もするけれど……。
「そうか。また、これの世話になる日が続こうとはな」
 そう言って、道化師さんはふたたび顔の半分を覆った仮面を触る。
「それなしで、普通の魔術師のふりをしたほうが良さそうじゃないですか?」
「見かけとしてはそうだろうが、この服装には、魔王としての力や気配を隠す効果があってな……」
 そうか。それが、道化師さんがこの服装を手放せない、やむにやまれぬ事情だったわけか。
「それじゃあ、その上から着なきゃ駄目ですね」
「少々暑そうだな」
 この時季はまだ暑さもそれほどではないし、道化師さんの服は冷暖房機能付らしいから、それほどでもないんだろうけれど。
「仕方がありません。わたしも、変装の必要がありますが……ここって、服のお店、ありましたっけ?」
「ここにはないが、すぐ近くの町にはあるだろう。……ところで、きみの様子からして勝算はあるのだろうが、マーガをどうにかしたところで、また同じことが起きるかもしれないぞ」
「でも、道化師さんは今まであちこちを旅をしていても、ああいうことはなかったんでしょう。封魔石も、そんなにあちこちに転がっているわけではないはずです」
「未知の場所に行けなくなるのは厳しいが……」
「そんな場所には、犠牲者になりそうな人も住んでいないでしょ」
 わたしが断言すると、彼は少しあきれたような、見慣れた目をこちらに向ける。
「きみには負けたよ。どうせ、わたしにはこの状況をどうにかする術はない。君の好きにするといい」
 そのことばを聞き、わたしは思わず、笑みをこぼした。
「好きにさせてもらいますよ」
 そして、本当に好きにさせてもらうことにする。
 服が乾くと、まずはサビキの村長に『アクセル・スレイヴァ上層部からの秘密の指令のため、誰が来ても口外無用』と念を押し、馬を一頭借りて、対岸の町へ。
 そこで道化師さんはフード付マント、わたしも旅人っぽい地味な服とフード付マントを買い、髪型も変えた。ポニーテールを下ろしただけなんだけど。
 必要な物を買い込み、馬車を借りる。サビキで借りた馬は、手間賃を払って送ってもらうことになった。
「ネタンの門番にでも何かきかれたときのため、口裏を合わせておかなければならないな」
 という道化師さんの提案のために、わたしは軽い短剣を買った。いつかのくじ引き占いを思い出し、駆け出しの剣士ということにする。そして、道化師さんはそんなじゃじゃ馬が心配でついてきた魔術師兼家庭教師役。
 この買い物で、所持金が半分くらいなくなった。それでもまだ半分なんだから、無駄にお金持ってるな。実家はちょっとしたお金持ち、という設定にしようか。
「で、ネタンには、剣士としての初仕事を探しに来たという話なんです」
「そうか。無謀な剣士志願の少女と後見人か……あり得そうな話だな。それに、きみには良く似合っている」
 荷台で無駄に凝った設定を話すわたしに、道化師さんは手綱を操りながら同意する。いや、似合うとか言われると、ちょっと複雑な心境だけれど。
 ちなみに、馬車は一頭立てで幌つき。もっと安物でも良かったけど、ちょっとしたお金持ちなので幌付のほうがいいか、天気がまったく変わらないほど短い旅でもないし、ということでこうなった。
 ネタンまで、一週間程度。
 わたしはどうすれば信憑性がある話し方になるのか考えながら、道化師さんに〈未来〉でありわたしにとっての〈過去〉を語る旅になった。


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