エルトリア探訪日記

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・2008年07月26日:第43話 計画の罠(上)
・2008年07月26日:第43話 計画の罠(下)


第43話 計画の罠(上)

 今朝。わたしは清々しい気分で目覚めた。
 この部屋で目覚めるのも最後かも、と思うと、天井の模様さえも目に焼き付けておきたい気になるけれど、じっとしてはいられない。引越しの前のように一抹の寂しさは感じるけれど、それを頭の隅に追いやって、朝食をとりに食堂に向かう。
 いつもより人の姿が多い。早起きした人が多いので時間帯が重なったみたいだけれど、あんまり見かけない顔がこの時間帯に朝食をとっているのもあるようだ。
「ここの食事、美味いなあ」
 と、いつもと余り変わらない様子で食べてる鬼姫さんもいるものの、全体の空気はやっぱりいつもとは違う。
「なんだか、これから決戦に向かうって感じだなあ」
 ヴィーランドさんとレンくんが、そばでそんな風に言い合っている。
「きっと、世界のあちこちで同じように思っている魔術師がいますよ」
 とは、普段は街のほうで朝食をとることも多いマリンダさん。向かいでは、ロイドさんも朝からステーキを頬張っている。
 そうだ、この研究所だけじゃない。世界中から、アクセル・スレイヴァの指令を受けたり、この計画に賛同した魔術師たちが、同じような気分でこの朝を迎えているんだ。そう思うと、少しだけ心強くなる。
「魔術師だけでなく、たくさんの人たちが、わたくしたちの成功を祈ってくれています。きっと成功しますよ……いえ、させますよ」
 シェシュ茶をぐっと飲み干して、ビストリカが、普段は大人しめの彼女にしては少しテンション高く言う。
「そうね。あたしたちの手で、世界を救うのよ」
 テルミ先生もぐっと拳を握る。みんな、こうしてモチベーションを上げてるんだなあ。
「そうですね。救いましょう」
 水をさす理由もないし、わたしも力いっぱい、拳を突き上げて見せた。
 学長さん、リアス先生、備え役のみんなや学生さんたちなど、余りここを離れることのなさそうな人たちも、出発の準備を終えている。鬼姫さんも含め、護衛として、魔法の使えない備え役の一部も同行。研究所は、エレオーシュ警備隊や雇われたお手伝いさんたちに任される。
 間もなく、飛竜船が次々と本城の前に着陸して、二隻並ぶ。遠くの方に、小ぶりの飛竜船がもう一隻、地上に降りていく。郊外から出る、この研究所以外に住む魔術師のためのネタン行きの船だろう。
 研究所では、一階にいる者から順番に、船に乗り込んでいく。わたしはビストリカと一緒に、だいぶ後のほうから乗り込んだ。
 船は、席と船室が多いものが用意されたようだ。わたしなんて飛竜船は三度目だけど、学生さんの中にはこれが初めてという人も多く、緊張した顔がけっこう見られる。
 食堂のおばちゃんたちが、船室に軽く摘める食べ物を用意してくれていた。わたしとビストリカは、船室で離陸を待つことにした。
 しっかり床に固定されたテーブルの上に、大きな箱がある。箱は紐でテーブルに縛り付けられ、中身は見ることができない。
 早く見てみたいなと思っているうちに上に引っ張られるような動きを感じ、どこかから歓声が聞こえた。
「動いたみたいだね」
 同じ部屋になったリフランさんが冷静な声を出す。彼とビストリカ、テルミ先生が同じ部屋だ。
 椅子で腰に紐を回し壁から出た縄を肩にかけたまま上昇中の揺れをやり過ごすと、やっと安全用の紐と縄から解放され、我先にと箱を開ける。
 中には、果物とクリームを飴で固めたタルトと袋入りのクッキー、切ったフルーツをシロップにつけて干したチップスが盛られていた。脇には大きな水筒と木の葉製紙コップが固定され、シェシュ茶が配られた。わたしは自分のペットボトルに入れてきたので辞退したけど。
 そんなこんなで、割とみんなリラックスした様子で、空の旅は過ぎていった。船室の壁にある小さな丸い窓から、時折、別の飛竜船が見える。一緒に出発したものらしい姿もあれば、遠くに、別の方向から来たものが横切っていくのが見えたりもする。
 途中、軽く眠ったり、上から配られた具を挟んだパンとプリンと乳果ジュースという簡単な食事をとったりもしつつ、船はネタンへ降り立つ。街中にそんなスペースはないから、郊外に特設スペースが設けられているらしい。
 降りて上に出ると、いくつも並んだ船に感嘆する。こうして見ると壮大だ。ただの船じゃなくて、鱗の色も大きさもさまざまな飛竜が顔を見せているのは、異世界ならでは。
「すべての船がそろうまで、三時間ほどここで待ちます。街で過ごすかたは、そちらで時間を潰してかまいません。ただ、三〇分前にはここに戻っているようにしてください」
 アクセル・スレイヴァの上級師官らしき翼のある姿が、魔法で声を大きく響かせる。
「どうします、アイちゃん?」
 ビストリカにそうきかれたときには、わたしは街に出てみようと決めていた。船に刻まれた〈ビービンズ〉号という名前を記憶しておく。
「だいぶ食べ物も少なくなってたし、何か買って来ようかと思ってさ。それに、ここにいるとちょっと気が休まらないし」
「ああ、あたしも同感。とりあえず、カフェで一服しない?」
 テルミ先生の提案に、わたしたちはすぐに賛成した。
 船を降り、門番の厳しい目を向けられながら街に入る。どうも、かなり警備が厳しいようで、警備隊員の巡回する姿が人込みにいくつも見える。
 わたしたちは前にも一度入った、小さなオープンカフェに入る。ここなら静かに過ごせそうだと思ったのだ。
 実際、ここは客の姿は少なく、のんびりと往来を眺めながらデザートを楽しめる。わたしは今度は奇をてらわず、木の実のケーキと花の蜜ジュースを注文。ケーキは香ばしい素朴な味で、花の蜜ジュースも自然のままの蜜の味がおいしい。
 ビストリカはフルーツパイ、テルミ先生は乳果ムースのフルーツゼリーソースがけをお茶と一緒に注文していた。
「なかなかいけるわね。いい気分で決戦に挑めそうだわ」
「そうですね。ここで時間をとれたの、良かったかもしれません」
 少し緊張しているのか、ビストリカはいつもよりやや硬い笑顔で深呼吸する。
 わたしもケーキを口にしながら、胸の奥に、何か重いものが固まっているような感覚を抱いていた。
 それを誤魔化すように人の流れを見ていると、ほんの一瞬、見覚えのある顔を見たきがする。でも、それはすぐに背の高い周囲の人々の姿に埋もれてしまう。
 ――そういやそろそろ、ここに着いているころだったか。
 未来の魔術師候補の彼も、今日の日を、わたしたちに賭けるような気持ちで迎えているかもしれない。そう思うとさらにやる気が出る。
「まだ時間はありますね。これからどうします?」
 もう三人ともデザートを食べ終わって、ビストリカが問うた。
「ん……少し、街の様子を見てみたいかな。さっきちらっと見たら、公園に出店とか出てるみたいだし」
 わたしが言うと、二人も賛成してくれる。
 これがわたしたちの――いや、世界の運命を変えるかもしれないと、このときは知るよしもなかった。

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第43話 計画の罠(下)

 テルミ先生が見覚えのある姿を見つけたのは、公園へ向かおうと、中枢塔を前にする中央通りを歩いているときだった。
「あれ、学長じゃない。もう一人も、どっかで見た気がするけど」
 そう言って先生が指さしたのは、角を曲がっていく、茶色のローブの背中。
「何かあったんでしょうか。街に出た学生さんが迷子になったとか」
 あれだけ人数が多いと、そういうことが起きても不思議じゃない。警備隊の巡回が多いのもそういう事態のための対策だろうし。
 何か手伝えることがないかという親切心と野次馬根性の両方に従って、わたしたちは学長さんの後ろ姿を追い、狭い小路に入った。
 途端に前方から漏れ聞こえてきたやりとりに、思わず足を止める。
「まったく……余計なことをしたものだ」
 溜め息交じりのこの若い声は、聞き覚えがある。そうだ、コラールさんだ。エルトリア水没救済計画全体の指揮をとる、あの美青年。
 続いて聞こえるのは、もっと慣れ親しんだ声。
「自分たちが預かった、大事な教え子たちだ。当然でしょう。しかし……すでにご存知なのですな。では、どうするのです? このままでは、計画は成り立ちません。参加者の大半が命を燃やすことになるのでしょう。仕切り直しますか?」
 命を燃やす……どういうことか。少し不安になって目を向けると、テルミ先生が、『魔力をすべて使い果たして死ぬってことよ』と、小声で教えてくれた。
「いや、このまま続行する」
 コラールさんのことばに、学長さんははっと驚いたような気配。
「それでは、見殺しにするも同然ではありませんか」
「大声を出さないでもらいたい。もともと、そのための異訪者だ。この世界の者を犠牲にすることなく、世界を救うための」
「そんな馬鹿な……」
 続く会話を聞きながら、わたしたちは愕然としていた。
 エルトリア沈没救済計画、そのためにわたしたち地球人は召喚され、今まで魔法を学んできたのだ。
 それが……。
「シヴァルド学長、あなたも貴重な魔法戦力だ。この計画には参加していただかなければ困る。協力いただけないのであれば、少しの間、あなたの身体だけでもお借りするしかない」
 何かを持ち上げるような気配に弾かれたように、わたしたちは飛び出した。目を丸くしている学長さんを庇うように、ビストリカが前に出る。
「何をするつもりです? それに、あなたたちは、最初からこの計画で、地球人を犠牲にするつもりだったのですか」
 短い杖を手にしたコラールさんは、一瞬だけ驚いた後、わたしたちに哀れむような目を向けた。彼の背後には、アクセル・スレイヴァの者らしい、二人の魔術師が控えている。
「そうだ。これは、必要な犠牲なのだ。……残念だよ、きみたちも理解してくれないのだね。自分の意志で参加して欲しかったが」
 彼が手にした杖が、妖しい緑の光を放つ。その光を目にしていると、なんだか頭がクラクラしてきて……。
 ――いけない!
 頭の片隅で警鐘が鳴り響くと同時に、背中を押された。
「逃げなさい!」
 テルミ先生の叫びに追い立てられるようにして、通りに戻る。
 走るうちに、意識がはっきりする。背後に追いすがるような気配と足音を耳にしながら、置いてきたビストリカとテルミ先生が気にかかる。でも、こうなってしまっては引き返すわけにもいかず、どうしようもない。
 人込みを避けて走っていると、顔の横を、火花が通り過ぎた。手加減はしているようだけれど、相手を痺れさせて捕らえるための電撃魔法だ。
 わたしはやっと自分の身の危機を察知して、苦しい息の中で呪文を唱える。
「〈イーミテッド・ファムビアサウザス〉」
 わたしの周囲に、四人のわたしの姿が現われる。本体も含め、全員がバラバラの方向へ。わたしはとりあえず、人込みにまぎれながら中央公園に向かった。
 ちらりと振り返ると、後ろで、戸惑うような魔術師たちの姿が見える。追っ手はしばらくはまけるだろう。
 ――でも、これからどうする?
 ビストリカと先生と学長さんは、操られて計画に参加させられるんだろう。その後は記憶を消されでもするかもしれないが、命の心配はないかもしれない。でも、地球人のみんなはこのままじゃあ命を落とすことになる。
 だからって、船に戻って何になる? あそこも、アクセル・スレイヴァに管理されている。わたしも捕まって、操られるだけだ。
 一体どうすればいい。こういうときに相談できる人たちは、もういなくなってしまった。街中にわたしたちと同じように時間潰しに出た者がいるかもしれないが、見回しても見当たらない。探している間に包囲網を敷かれると一巻の終わりだ。
 わたしは走っていた足を緩め、歩きながら考える。
 いつも通りに、街中を行く人々の姿がとても遠くにあるように錯覚する。平和な日常のそばにいながら、わたしはもう、取り返しのつかないところに来てしまった。
 わたしがどうにかしないと、ほかの地球人は死ぬ。でも、わたしにはそうするだけの力がない。
 一分一秒が惜しいのに、いい方法が浮かばない。
 何かのヒントでもないかと、公園の隅で鞄を開け、携帯電話を取り出そうと手を突っ込む。
 すると、別の物が指先に当たり、ジャリ、と擦れるような音を立てた。
 ――そうだ。
 ――わたしには、あるじゃないか。
 ――すべてを取り返す方法が。
 鍵を握りしめ、わたしは駆け出した。空高くそびえる、中枢塔へ。
 しかし、すぐに足を止める。
「あ、お姉ちゃん」
 見学中なのか、塔の正面に、両親と並んだパルくんが声を上げた。
「パルくん、ネタンに来てたんだ。頑張ってね」
 そのまま通り過ぎようかと思ったわたしの目に、少年が大事そうに抱えた棒状の包みが留まる。
「ゴメン、パルくん! 杖貸して! 絶対返すから」
 わたしが駆け寄ると、彼は勢いに驚いた様子で身を引くものの、素直に布に包まれた杖を差し出す。
「いいよ。もともと、お姉ちゃんにもらったんだし」
「ありがとう、借りるね!」
 急いで杖を受け取ると、そのまま中枢塔の敷地内へ。
「〈キシェファム・ファメル〉」
 ひと言口に出すと、魔力が解放されたのがわかった。呪文も無しで、この姿を消す魔法が発動できるとは、さすが、伝説の杖。
 そのまま走り続けて、以前も訪れた建物に向かう。途中、わたしを探しているらしい巡回の魔術師の姿があったが、幻術のおかげでどうにかやり過ごす。
 やがて、正面ではなく、前にも出入りしたあのドアを見つけて。
 ……ん?
 横からでは良くわからなかったけど、前から見ると、ドアは大きく穴が空けられているのがわかる。ドアのそばでは、魔術師が厳しい目で周囲を見張っている。
 わたしは疑問を確かめるような間もなく、穴をくぐり抜けた。見た目はアレでも伝説の杖の効果はテキメンだけれど、それでも、いつまで透明状態がもつかわからない。
 音を立てない範囲で急ぎながら、わたしはあの装置のある部屋に入った。どうやら、中には誰もいないようだ。
 しっかりと存在感を持って鎮座するのは、目的の〈時空歪曲装置〉のみ。
 それは以前来たときのまま、死んだように静かだった。でも、何もためらうことはない。ほかに方法もない。
「わたしのことばに答えて。時空歪曲装置」
 できるだけ装置に寄って、小声でそう問いかけてみる。
 返事は、すぐにあった。
 ――我が主よ。必要な動作を指示せよ。
 以前は『まだその時ではない』とか言われたけど、今は、その『時』が来たのだろう。返ってきた答は、わたしの望んだもの。
 わたしは透明化の魔法が解けたのを感覚的に知りながら、焦りと期待に急かされるようにして叫んでいた。
「わたしを、この世界に来てからの平和な過去に連れて行って!」
 瞬間、景色が変わり、緑が弾けた。


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