エルトリア探訪日記

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・2008年07月26日:第42話 最後のテスト(上)
・2008年07月26日:第42話 最後のテスト(下)


第42話 最後のテスト(上)

 水の塊を木の一番上よりも高く持ち上げてから木のタライに似た入れ物に移し、充分な量があるか確かめる。その練習のために地球人も学生さんたちも湖畔に並び、時折ずぶ濡れになったりする――今が暖かい季節で本当に良かった。冬だったら、けっこう酷いことになってたかも。
 とにかく、そんなある意味滑稽な練習風景も、やっと見納めになった。
 地球人担当の教授たちと学生さんたちを主に担当する教授たちがそれぞれのテスト会場を受け持って行われた最終テストの内容は、練習通りの、以前から伝えられていたものそのままだった。充分な量の水を持ち上げられるかどうかが課題だったけれど、わたしはそのテストを、どうにかクリアすることができた。
 テストでのチャンスは二回。学生さんたちのほうはわからないけれど、本城のほうでは、一回目でクリアした人は十人もいないらしい。そして、わたしはその十人以下の中に入っていた。
「マリーエちゃんも、一回目で成功したの?」
 順番的にも早めの方だったので、テスト後に少し時間をもてあましていたわたしは、軽い足取りで城内に向かう少女を見つけて声をかけた。
 彼女は振り返ると、笑顔でうなずく。
「うん、成功したの。テルミ先生、褒めてくれたんだ」
「そりゃ、凄いもの。マリーエちゃん、今までずっと本当に真面目に勉強してるし、魔法、得意なんだね」
 わたしが言うと、彼女は少し頬を赤く染めて照れ笑いを浮かべる。
「うん、頑張ったよ。あたし、ずっと魔法使いになりたかったの。それに、地球じゃ、いつもみんなに『のろま』って言われてたんだ。勉強は頑張っても、誰も褒めてくれなかったし、あんまり楽しくなかったし」
「そっか……マリーエちゃんは、地球に帰ったら何がしたい?」
 廊下を並んで歩きながら、そんなことをきいてみる。
「エルトリアでのこと、話したいな。きっと、お婆ちゃんなら信じてくれるから。あとは、冷蔵庫の奥に隠してあったプリンを食べて、エルトリアの絵を描いて……将来のために、絵の勉強をするの」
 そうか、マリーエちゃんの中ではもう、自分の未来予想図ができてるんだなあ。わたしよりしっかりしてるかも。
 ――わたしは、帰ったらどうしようか。
 帰ってしばらくの間は、この世界でのことをあれこれ思い出したり、考えたりして過ごすかもしれない。もっと深く突き詰めてみたい興味深いことも、ああすれば良かったな、と後悔することも、色々ある。
 このブログに送ったものを読み返して、一年の間に体験したことを色々と考えてみよう。それから、魔法についても、もっと学びたい分野がある。鞄に入れている魔導書も研究してみたい。
 こう考えるのも、気の早い話かもしれない。地球に帰ってからのことを考えるのはまず、エルトリアを救ってからだ。
 わたしたちを医務室に迎え入れ、お茶を用意すると、ビストリカは笑顔で最後のテストをクリアしたお祝いを言ってくれた。
「食堂の奥さまたちに頼んで、ちょっとしたパーティーを企画しているんです。夕方になったら、みんなで集まりましょう。わたくしも、少しは参加できそうなんです。全員、受かるといいですね」
 とは言うものの、最終テスト合格は、全員とまではいかなかったらしい。まだ本番までは時間があるので、再テストがあるみたい。
 そんな合格者にはおめでとう、不合格者には合格祈願という感じで、あちこちでささやかなパーティーが開催された。学生さんたちは自分たちの部屋で友人たちと集まって、というのが多いらしかったけれど、地球人と関係者は、食堂に集まる。
 大きな黒蜜ケーキと簡単に摘めるいくつかの料理だけは食堂のおばちゃんたちに用意されていたものの、そこに食べ物を持ち寄って、夕食ついでのパーティーになった。わたしも、エレオーシュの街で買ったクッキーを借りた皿に盛る。リビート先生が地鶏のローストレッグを、テルミ先生が何種類かの果物を、学長さんが飲み物とチーズと芋の串揚げを提供してくれた。
「あーあ、落ちちゃったなあ」
「オレは何とか成功したぜ。本番には強いからな! 大丈夫、練習して自信をつければ成功するって」
 珍しく少し落ち込み気味のアンジェラさんを、ヴィーランドさんがローストレッグ片手に励ましている。
「あたしだって、本番には強いはずなのよ。演劇や歌じゃあ、どんな舞台に立とうと緊張なんてしないのに。やっぱり、使う脳の部分が違うからかな」
「へえ、やっぱりそういうのが得意なんだ。じゃあ、演劇のつもりでやってみたらどうだ? 魔法使い役でさ」
「あ、それ、いいかも」
「それぞれ、向いてる覚え方があるものだからねえ」
 大皿から料理を取るためにそばを通りかかった村瀬先生が口を挟んだ。
「わたしは、数式の集合体だと思って呪文を覚えているよ。まあ、『魔法を使う感覚』というのは、やっぱり身体で覚えたほうが早そうだけれどね」
「練習あるのみ、でしょ」
 仕事を終え、遅れて参加してきたテルミ先生がわたしのとなりで言い、シェシュ茶をすする。この時季になると、お茶も冷たい物が主流だ。
「それにしても……本当に、みんな良くついてきたわよね」
 小声で付け足したことばは、柄にもなく感慨深げだった。
「まったくです。本当に、地球人の方々が来てから色々なことがありました。こうして皆さんと出会えたこと、ともに学びエルトリアを救えることが嬉しいですし、誇りに思います」
 ビストリカのことばに、近くの席にいたリビート先生やテルミ先生、巡回の合間を縫って連れてこられたマリンダさんも笑顔でうなずき、自分だけのことじゃないとしても、わたしは何か照れくさい気分になった。
 その翌日から。不合格だった人たちはテスト後の三日間、みんなが休日のところ、補習に回される。
 丸々休日になったわたしは、読書や散歩、街のほうを散策したりして過ごした。ほとんど日課になった魔法の練習もしていたけれど。
 休日二日目の、昼間のこと。
 外で昼食をとろうと、わたしは盆に載せたサンドウィッチとゼリーとジュースを抱えたまま古城の周りを抱え、座るのにいい場所を探していた。
 湖畔では、練習兼遊びとしてか、アンジェラさんとヴィーランドさんらが、水を持ち上げてはお互いに掛け合っている。涼しげで気持ち良さそうだ。
 それを横目に、わたしは結局、例の腐りかけた木の根元に盆を置いた。
 まずはベーコンと山菜を挟んでやや辛味のあるクリームを塗ったサンドウィッチにかぶりついたところで、意外な姿が本城を出るのを視界の端に見つける。
 わたしはサンドウィッチを置き、そちらに早足で近づいた。
「鬼姫さん、研究所に何か用事ですか?」
 相手はこちらにまったく気がついていなかった様子で、振り返ると目を丸くする。
「ああ、アイ。ここで働くことにしたんだよ。街のほうで、募集の知らせを見てさ」
「鬼姫さんが働くって言うと……備え役の募集ですか?」
「そ。いつまでもぼうっとしてるのは退屈だし、あたいらしくないからね。それに、ここまで来たら、世界が救われるのを最後まで見届けたいと思って」
 鬼姫さんはそう言って、新調したらしい、刀の鞘を叩いた。
「鬼姫さんが備え役にいると、心強いですよ」
「そうかい。ま、安心しな。雇われたからには、契約終了まで、全員無事でいるよう護るからさ」
 彼女に明るく自信満々なことばをかけられると、本当に心から安心できる。
 こうして、この日から、鬼姫さんは臨時備え役に加わった。

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第42話 最後のテスト(下)

 そして、その翌日。つまり三日間の最後の日――昨日の夜。大広間にて、盛大なパーティーが催された。いわゆる、壮行会というやつだ。
「この一年余り、色々なことがあった。喜ばしいことも、辛いことも。しかし是非、締めくくりは充実感と、誇りを胸に終わりたいものです」
 壇上で、去年よりちょっと老けた印象のあるシヴァルド学長が開会の挨拶を述べる。まるで、三日前のビストリカのようなセリフだ。
「明日、いよいよネタンへの飛竜船が迎えにきます。さらにネタンから、水陽柱へ向かうことになるわけです。ここで磨いてきた力をすべて発揮できるよう、今夜は思う存分楽しみ、それからゆっくり休んでください」
 優しく穏やかな声が途切れ、拍手がひとしきり弾けると、あとは談笑がひっきりなしに大広間を支配する。
 料理も、素朴だが種類豊富。まあ当たり前だけど、食堂での小さなパーティーとは比べ物にならない。
 一口大のサンドウィッチに植物性バターの味が染みた丸パン、チマキに似た葉に包まれた具入りオニギリ、肉料理は骨付き肉のハーブ巻きに肉団子にサイコロステーキに地鶏の丸焼き、それにチーズや野菜と串に連ねたもの、魚介類は豆と山菜と川魚のスープに乳果スープ、海草サラダと焼き貝、野菜類は豆と小さく刻んだ野菜のソテーにハーブと果物のサラダ、野菜ケーキ。デザートも豊富で、パイにゼリーにプリンに果物に一口ケーキ、最近暖かいのでシャーベット風アイスなんかも出されている。
 飲み物に冷たいシェシュ茶をカップに注いでもらってから、地鶏の丸焼きを切って、一口頬張る。
 ――おいしい。
 食べ物の魔力は凄い。色々なことを忘れて、このパーティーの間だけは、純粋に楽しめそうだ。
「アイちゃん、これ、けっこうおいしいですよ」
 ビストリカが声を掛けてきた。彼女が示した大皿に載っているのは、水牛のベーコンとクパンズの実の炒め物らしい。
 お勧めに従って、皿に少し取り分けて口にしてみる。クパンズの実の酸味とベーコンの旨みが上手くお互いを引き立てているみたいで、さっぱりした味だ。これもおいしい。
「デザートも色々あるし、デザートだけでお腹いっぱいになりそうです」
「ある程度、食べる物を決めてかからないと駄目ね」
 と、ビストリカの横に歩み寄ってきたテルミ先生は、肉類と果物類に照準を定めたらしい。手にした皿の上に、肉団子やサイコロステーキと、何種類もの果物が並んでいる。
 後ろのほうで、ヴィーランドさんが鼻歌交じりに、皿に骨付き肉や地鶏の丸焼きの切れ端を山にしているのが見えた。
 その向こうには、笑顔満面のマリーエちゃん。こちらが手にするお皿に載っているのはやっぱり、デザートの山。
「魔法もけっこう体力を使うから、しっかり食べないとね。それにしても、いよいよだね、アイちゃん」
 わたしを見つけたレンくんが、こちらに声をかけてくる。
「そうだね、いよいよ明日、水陽柱かあ」
 何だか、妙に遠い目になってしまう。
 わたしたちがこの水の世界エルトリアに呼ばれた理由。今まで、研究所で魔法を学んできた、最終目的。
 それが終われば、わたしたちは地球に帰される。この世界で起きたこと経験したことは、それぞれの胸の中だけに仕舞われて、召喚される前の日常に戻ることになる。
 なぜか今は、地球での日常に戻ることになるだろうっていうのが、信じられない気分だった。
「色々、感慨深いね。明日ですべて終わって、地球に帰って、みんな散り散りになるのかと思うと」
 そう、エルトリアの人々とだけでなく、奇妙な巡り会わせで一年間ひとつ屋根の下で暮らしたわたしたちも、明日でお別れになるんだ。
「でも、みんな二度と会えなくなるわけじゃないだろ」
 ヴィーランドさんが器用に骨付き肉をくわえたまま、口を挟んできた。
「全部終わったら地球に帰る前に、みんなの連絡先交換しような」
 それは、誰ともなく、今までも何度も耳にしてきた意見だ。それが、今やだいぶ現実的になってきている。
「どうせ地球に帰るなら、きっちり役目を果たして、帰りたいねえ」
 手にしたカップを回しながら、アンジェラさんが同意した。
 部屋も片付けて、お世話になった人たちにひと言お礼を言ったりして。留守中にレコの面倒を見てくれるお手伝いさんと話したり――子犬も、見つけたときに比べてだいぶ大きくなった。マリーエちゃんは、帰るとレコに会えないのが寂しい、と口にしていた。
 そんな風に、地球人であるわたしたちは、なんとなく別れの準備をしたここ数日だった。
「地球人の皆さんが居なくなると、寂しくなりますね……」
 となりで、ビストリカが少し表情を曇らせる。
「今から沈んでいても仕方がないよ。今夜は、楽しくやろう」
 少しでも、いい思い出を作るために。
 別れるときには、涙することになるのかもしれないけれど。そんな気分では明日の魔法にさしつかえるかもしれないし、今日は楽しい気分のまま終わりたい。
「そうですね……アイちゃんの言うとおりですね。泣くときは、いっぱい泣けばいいんです。でも、今は笑うときだから、いっぱい笑わなきゃ」
 すっきり気分を切り替えて、彼女はほほ笑んだ。
 少し、以前何度か行われてきたパーティーより寂しい印象もあるような気がするけれど、周囲には常に楽しげな談笑の声があふれていて、この日の夜、わたしはとても穏やかな気分で眠ることができた。


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