エルトリア探訪日記

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・2008年07月10日:第41話 その死の意味は(上)
・2008年07月10日:第41話 その死の意味は(下)


第41話 その死の意味は(上)

 あの戦いから十日間。風景や日常の流れは変わることなく、でも、色々と変わったこともあった。
 あの後、四楼儀さんはどこへともいなくなり、ジョーディさんもこの地を去った。鬼姫さんはエレオーシュの街に逗留し、しばらく次の仕事を捜しながら休むという。
 わたしたちが魔王討伐隊に抵抗したことは、アクセル・スレイヴァには伝えられなかったようだ。レゴールさんたちにも、きっと何か思うところがあったんだろう。あんなに親しそうだったリアさんも、あんなことになってしまったんだし……。
 あれからの数日間は、わたしは現実感がないような、ふわふわした気分で過ごした。でも、周囲の会話を聞いたり、やっぱりどこへ行っても会えない顔を捜しているうちに、徐々にあれが夢でも何でもないと実感してきた。
 一番強く感じたのは、物見台に上ったとき。
 そこに座り込んでいたのは、いつもいつもここに来たときに目にしていたのとは違う、もっと鮮やかな色の背中。
「ここ……先生が担当になったんですか?」
 わたしの問いかけに、アキュリア・テルミ先生は振り返ってほほ笑んだ。いつもより曖昧な、弱々しい笑顔だ。
「専門がいなくなったからね。交代で、手の空いてる人が担当することになったの。前はあんまり来なかったけど、ここ、考えごとをするにはいいわね」
「そうですね……」
 わたしはテルミ先生の横に歩み寄り、そこに座って周囲を見回してみた。
 空は晴れ渡り、湖の対岸まで見渡せる。遠くの山並みが青紫色に浮かび上がり、水彩画のようだ。
 この景色を見ながら、四楼儀さんは何を考えていたのだろう。
 最初に思い出すのは、やっぱり最初に会ったときのこと。アクセル・スレイヴァの上級師官とのやりとりも、魔王討伐を巡るものだったんだ、と、今ならわかる。それに、キューリル先生が亡くなったときも、マーガが滅んだときも、彼にはその理由がわかっていたんだ。わかっていても黙っていて……できるギリギリまで、魔王と戦うのを避けようとしていた。でも、お姉さんを長生きさせた代償は、払わないわけにはいかず……。
 それに、道化師さんも。きっと、マーガのときには、気がついていたんだと思う。
 そう、わたしたちも止められたのかも知れない。気がつくことができたのかもしれない。
 あのアズナの化水族の、世界に不幸を撒き散らす、ということばを聞いたときの表情。マーガの翌朝、生まれてきたことを後悔しているようなことを言ったとき、魔王のことを説明するとき。
 変えられたのかもしれない。気がついていたら。別の今があったのかもしれない。
 悲しみよりも、悔しさ、後悔ばかりが胸をいっぱいにする。
 それは、『道化師は魔王であり、討伐された』とか『四楼儀は役目を果たしここを去った』とか、断片的な情報しか伝えられていないであろう、テルミ先生やほかのみんなも同じなようで。
「なんだか、長い人生、平和に過ごしていると同じような日常が続いているばかりに思えるけど……もっと目を凝らしていれば見えたのかもしれないわね。日常とは違う、たくさんのことが」
 きっと先生もみんなも、討伐隊の参加者に何があったのか、ききたいと思う。わたしは正式に参加はしていないけれど、わたしの様子で、ビストリカを初め、親しい相手には見抜かれているに違いない。
 でも、誰一人、わたしやジョーディさんにも尋ねる人はいなかった。シェプルさんだけはいつも通りに見えるけれど、やっぱり、あの日のことについて、自分から口に出すことはないみたい。
「そのときには、気づけないものですよ。後になって気づくんです。あのときああしていれば違ったのに、とか、あれはああいう意味だったんだ、とか」
「それが人生よね」
 そんなあっさりしたひと言でしか言い表せない。
 わたしたちは日が暮れるまで、座り込んで空を見ていた。
 そんな、ぼうっとした時間をしばらく過ごしたあと、わたしはひとまず、思考停止するような考えごとをすっかり忘れて、目の前にあるものに打ち込むことにした。最後のテストというものがあったのは、わたしにとって幸いだったかもしれない。
 最後のテストは、ズバリ、湖の水をできるだけ大量に持ち上げること、らしい。すでに本番で使用する呪文も教えられているので、あとはいかに素早く正確に呪文を唱え、多くの水を浮き上げられるかだ。
 湖のそばでは、練習に励む地球人や学生さんたちの姿も見える。上手く高く球状の水の塊を持ち上げている光景もあるが、失敗して水が噴き出し、ずぶ濡れになっている人もいたりする。
 わたしはどうにか、最初の挑戦でも水を持ち上げることができた。それを毎日のように繰り返しているうちに、段々水をもっと多く、高く持ち上げられるようになってくる。
「相変わらず、アイちゃんは凄いね。ぼくはまだ、コップ三杯分くらいしか持ち上げられないんだよ」
 座って休んでいると、レンくんが声をかけてくる。
「レンくんも、魔力が足りないって言われてたんだっけ」
「うん。ぼくの魔力評価はC−だったんだ。だから、寝る前には瞑想とかしてみてるんだけど、いいのかどうかも良くわからなくて」
 困ったように言う彼の後ろの方に、ヴィーランドさんが魔法で水を持ち上げているのが見えた。持ち上げている水の量はわたしより多いしずいぶん高いところまでぐんぐん上がっていくが――上昇が止まった途端、バチン、と破裂したように水が弾けてしまう。
 びしょ濡れで頭を掻くヴィーランドさんから視線をずらし、わたしは少しの間、ことばを探した。
「ああ……なら、レンくんもわたしと同じく、魔法を限界まで使いまくるってのをやってみたら? 瞑想よりは効果が実感できるよ。これ、凄く疲れるけどね」
「へえ……本に瞑想すると魔力が上がるって書いてあったからやってるんだけど、ほかにも方法があるんだね。アイちゃんは物知りだなあ」
「いや、これは……」
 四楼儀さんに教わった、と言いかけて、わたしはなぜか、言い換えていた。
「確か、先生に教えてもらったんだ」
「そっか。きき辛いけど、やっぱり先生に聞いたほうが確かだね」
 相手は、特に不思議がることも無く、納得顔を見せる。
 けど、そろそろ自主訓練に戻ろうというように腰を浮かしかけたレンくんは、何かを思い出したように、こちらに笑顔を向けた。
「そうだ、アイちゃん。ビストリカ先生が、夕食を一緒に食べようって言ってたよ。何か、用事があるみたいだったなあ」
 そういえば、ここのところ、ビストリカと一緒に食事をすることもなかった。できるだけ遅めに、人のいない時間帯を選んで食べるようにしていた。
 ――そうだ、裏メニューっていうのも、結局食べないままだったんだっけ。
 それとも、別の話だろうか。医務室にも余り顔を出していなかったけど、顔を合わせたときには、今まで通りに接してくれていた。
 レンくんと別れて、わたしは一人で訓練を続ける。
 夕食まで、あと一時間足らず。薄っすらと周囲が暗くなってきたころ、賑やかな声が近づいてきた。
「おお、この薄暗い黄昏にも映えるブロンド、神秘なる夕闇に等しい瞳! まるで、キミはボクを深遠の彼方に誘う妖精のようだ」
 スラスラと出てくる、演劇のような口上。張りのある声は、やっぱり金髪美女学生を口説く、貴公子から。
「おお……待ってくれ妖精よ、この哀れな子羊を置いていくのかい? 誰がボクを、この迫り来る闇から救い出してくれるんだい?」
 情けない声を上げて逃げる女学生を見送りながら、見回りの順路からは外れることなく、こっちに向かってくる。
「あれ……? シェプルさん、お一人ですか?」
 巡回は二人一組。それなのに、シェプルさんの脇には誰もいない。そのことに気がついて声をかけると、なぜか相手は、目を輝かせてこちらに歩み寄った。
「ボクの帰るべきところには、確かにフリスというボクを待つ人は居るけれど、帰るまでは確かに、いつでもボクは独りさ! まさか、キミがボクの孤独を癒してくれる気になるとは……」
「そういう意味じゃありません!」
 いつもの酔ったようなセリフが自分に向けられたことでやっと相手の勘違いに気がつき、わたしは思わず、大声を上げてしまう。
「なんだい、このボクを誘惑しておいて拒絶するのかい? なんという試練! おお、偉大なるメセト神よ、この地上には、今夜このボクに救いをもたらす女神は存在しないというのかい?」
「あんなことがあったばかりなのに、変わりませんねえ、シェプルさんは」
 まあ、この人にはこの人なりの葛藤とかがあったんだろうとは思うものの、思わず、ちょっとあきれた声が出る。
「それも、ある意味強さなのかもしれませんが」
「いやあ、そんなことはないさー」
 また脳内オペラが続くのかと思っていたけれど、意外にも、ちょっと控えめな答が返ってきた。
「ボクはほかのみんなと違って、身分もこの先もはっきりしているからね。たとえば、ジョーディくんのような振る舞いは、ボクにはできないのさ。家だけでなく、フリスの名前にも傷をつけてしまうからね」
 『オレにはもう、ここに居る理由がねえ』と言い残して、わずかな荷物を斧にくくりつけ、肩に担いで門の向こうに去っていった緑の後ろ姿が、一瞬、目に浮かぶ。
 ――そうか、家柄のはっきりしたシェプルさんは、ジョーディさんのように自由にはできないのか。
 わずかな同情のようなものが湧くと同時に、じゃあ普段の彼の振る舞いは家に傷をつけていないのか、という疑問も浮かぶが、ここは好意的に解釈しておくことにする。
「そうだ、巡回は、二人でやるんじゃなかったんですか?」
 やっと当初の疑問を思い出してきいてみると、相手は大げさなくらい手を広げて肩をすくめる。
「何せ、人がいなくってね。これからしばらくは、朝から夕方までは一人で見回りをしなきゃいけないんだ。ああ、ボクの孤独を満たすのは、美しきレディだけ。キミも今夜、ボクと二人の時間を過ごさないかい?」
「遠慮しておきます。先約もあるし」
 さらに誘われたのを苦笑して返し、そろそろ、城の中に引っ込むことにする。
 後ろで、『おお、なんという悲劇!』などという声が高らかに響くのを背中に聞きながら、そういや口説かれたの初めてだったかなあ、などと、悔しいんだか嬉しいんだか良くわからない気分を味わっていた。

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第41話 その死の意味は(下)

 夕食時、わたしは廊下でビストリカと鉢合わせして、そのまま食堂で食事をとった。この日の夕食は、ハーブの香りつきロールパンに自家製ジャム、魚肉ソーセージと野菜のソテー、ゆで卵に飲み物はミックスジュース、デザートにカットフルーツの乳果クリーム掛けという献立を選んだ。
 サンドウィッチと魚のスープという軽めの食事を選んだビストリカが、わたしの前の席に座る。
「アイちゃん、食べ終わったら、一緒に出かけません?」
 そろそろ食べ終えるというころ、彼女はそう切り出す。
「出かけるって……研究所の外に?」
「いえ、そんな遠くまでじゃないんですよ。北の塔の最上階で、星が綺麗に見えるそうなので」
 古城を利用した本城と別棟の四方を囲む、東西南北の塔。わたしも探検したことがあったけど、北の塔の最上部には古い星図が刻まれた石版が置かれており、もともと星を眺めるために建てられたのか、〈星見の塔〉という別名もあるらしい。
「いいね、今日は雲もないし」
「それで、戻ったらここに来て、裏メニューの壷入りプリンを食べるんです。実は、もう食堂の係のかたたちには言ってあるんですよ」
 と、ビストリカは楽しそうに言う。
 知ってる人だけが食べられる裏メニューは三種類あって、中でも食指を動かされたのは夜食用壷入りプリンだった。
 ――それも、ジョーディさんと道化師さんに聞いたんだっけな……。
 かすかに胸をかすめるものを無視して、わたしはデザートまで全部たいらげると、先に食べ終えていたビストリカと一緒に、本城を出て北の塔へ向かった。塔の向こう側には、水陰柱とエレオーシュの神秘的な街並みが見える。
 巡回のロインさんとマリンダさんが歩いているのを遠くに見ながら、わたしたちは螺旋階段を登る。七階分くらい。
 天井も壁もなく、腰の辺りまでの囲い、そして星図の刻まれた石版だけの空間に出る。
 まだ闇が薄めだけれど、それに負けじと強く輝く満天の星々が周囲三六〇度を飾る。
「この星図は古いので、今とは違ってしまっているみたいですね」
 ビストリカは、星図と空の星々を交互に見ながら言う。
 この世界にも、牛座とか羊飼い座のようなものがあるのは調べて知っていた。でも、ひとつわからなくて気になっていたことを思い出す。
「そういえば、生まれ月による星座とかってあるの? 地球ではあるんだけど……ほら、あったら探すの楽しいじゃない」
 わたしのことばに、相手は少し寂しそうなほほ笑みを向けた。
「あるにはあるんですが……わたくしは、自分の本当の誕生日も良くわかりませんし……。仮の誕生日だったら、不死鳥座、らしいですが」
 そうか、彼女は孤児院出身だったんだ。でも、不死鳥座って、けっこう格好いいんじゃあ?
「不死鳥座の由来は確か、永遠に生死を繰り返し、その羽根から舞い散る火の粉で生物に息吹を与えるっていう伝説だったよね。ビストリカには、似合ってるんじゃない?」
「そうでしょうか。何だか、わたくしにとっては大げさなような……」
「そんなことないって。正に、ビストリカのことみたい」
 わたしが言うと、彼女は少し照れたように笑った。その笑顔を見て、わたしは安心する。わたしも、笑っていたほうが周りは安心するかな、とも思う。
「そう言われると、愛着が湧いてきますね」
「そうだ、探してみよう」
 と、わたしたちは不死鳥座を探してみた。しばらく探すと、それは、地平線近くに輝いているのを見つける。
 さらに別の星座をいくつか探した後、明日の午後は図書館に一緒に行こうとか、裏メニューってどんな味なんだろうとか、そんな他愛のない会話をしながら、食堂へ。
 裏メニューの壷入りプリンは大きくて、夜食には充分な量があった。味はまあ……普通だ。普通と言っても、地球で何度も食べた物よりは薄味で、クリーミーなプリンだけれど。
 ビストリカは何も言わなかったし、きかなかった。
 彼女のおかげで、久々に〈いつもどおり〉の生活を送れたような気がする。
 ――この心に引っかかってるものは、わたしは異世界の人間だからこっちの風習や文化に納得いかなくても仕方ないとか、全体のためには一人の犠牲は仕方がないと、納得はできないけれど。
 このまま、何か引っかかるものを抱えたままでも生きてはいける。そんな引っかかりは、誰しもいくつも持っているものだし。
 ただ今は、できることをやろう。
 それしか、結論は出せなかった。


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