エルトリア探訪日記

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・2008年06月30日:第40話 最後の戦いPART2(上)
・2008年06月30日:第40話 最後の戦いPART2(下)


第40話 最後の戦いPART2(上)

 風景だけは以前訪れたままの、水のあふるる地サビキ。奥には空までをつなぐ水陰柱、脇には湖、反対側には家々の並ぶ坂、湖に迫り出す神殿、そのそばに教会。
 騒ぎを聞きつけたか、女司祭さんが教会から出てくる。彼女は少し茫然と神殿へ向かうわたしたちを眺めたあと、手を組んでひと言、『メセト神よ、闇に彷徨うあらゆる魂に平穏を』とだけ祈りを捧げた。
 闇が世界を支配するときが近い。黒い影がどんどん太陽を隠して、もう、光は三日月くらいしか残っていない。
「行くわよ」
 神殿の前で、リアさんが感情抜きの声をひとつかける。
 束の間、夕日に似た黄昏に染まっていた世界が、今度は少しの間紫に、一気に闇に変わる。神殿に足を踏み入れた瞬間には、世界が真っ暗になった。その瞬間、一陣の風が奥から脇へ吹き抜けた気がした。
 立ちくらみでも起こしたかと思えるような闇に視界を奪われたのは、ほんの一瞬だ。またふたたび、わずかな光が世界を照らし始め、神殿の奥にひび割れた祭壇が見えた。周囲に散らばる残骸と、奥の大穴。大穴の向こうには、黄昏に染まる湖と大部分を黒に覆われた太陽。
 その太陽に重なるように人影が見えた。
 魔王……?
 自分で望んで来たにもかかわらず、状況が信じられないような、夢心地のような気分と、無意識にはしる緊張の狭間で、ただ、その影から目を離せない。
 リアさんたちが奥へ歩き出し、やっとそれに気がついて小走りに追いかける。
 その間にも、徐々に明るくなる周囲。いつもの世界に戻っていき、あらゆるものの姿が明確になる。それで祭壇の奥にある姿を確認する前に、声が響く。
「……遅かったな」
 影を見たときからデジャ・ヴュは感じていた、でも。
 なんで……いるの?
 驚き、声もないのはジョーディさんもシェプルさんも同じ。ただ、どんなに信じられなくても、少しずつ戻ってくる太陽の光が、肩越しにこちらを振り返っている人物の全身を明らかにしていく。
 カラフルなローブとも言えないようなローブにマント、妙な形の帽子。白い仮面。その奥からのぞく空色の目。
「お前、なんで……」
 静かにこちらを見ている道化師さんへ、ジョーディさんがやっと声を出した。
 道化師さんは祭壇を越え、少しだけこちらに近づく。
「魔王は日食の日に、ここに引き付けられる。そういうことだ」
 淡々と言って、彼は今まで誰にも触らせようとしなかった、顔の上半分を隠す白い仮面を外す。
 ずっと隠されていたその左目の下に、黒い模様が浮かんでいる。
 『魔王は闇の力と魔王たる証を持って生まれてくる』――最初に出会った日に、彼自身が言っていた。
 わたしは、色々なことを思い出す。本で読んだ魔王のこと、マーガでのこと、キューリル先生が亡くなったときのこと、一緒に魔獣退治に出かけたときのこと、ほかにも……。
「あいにく、本人にその気がなくても、魔王は夢魔を引き寄せたり、封魔石の力を引き出したりしてしまうものらしい。それに、夢魔の増加も、年々力が増しているせいだろう」
 まるで講義でもしているように、彼は穏やかに説明する。
 今までの色々なことがつながる。でも、返って混乱する。
 ただ、アクセル・スレイヴァの者たちは動じず、迷いもしない。
「ならば、大人しくここで果てるか」
 レゴールさんが言い、宙から槍を取り出した。そのとなりで、ヴァリフェルは剣を抜いた。
「ちょっと、本気で戦うのかい?」
「それが役目だ。魔王を倒さねば、世界はいずれ水没する。犠牲はやむを得ない」
 さすがに困惑した声を出すシェプルさんにも、レゴールさんは冷静に言う。
 彼の立場からすれば、それは当然のことなのかもしれないけれど……。それでも、わたしは納得できるわけがない。
 ただ、道化師さんは怯まず、翼ある者たちを見据えた。
「そう易々と死ぬわけにはいかない。それでは、わたしの後に魔王として生まれてくる者に対して、申し訳が立たないからな」
「抵抗する気か」
 レゴールさんが言い、槍をかまえた。
 同時に、ジョーディさん、シェプルさん、鬼姫さん――わたしも飛び出す。少し出遅れたけど、行動自体に迷いはなかった。
「きみたち……馬鹿なことはやめろ」
 驚きはなく、むしろあきれを持って、道化師さんは前に並ぶ四人を眺めた。
「あたいは勇者じゃねえ。依頼人は大事だけど、もっと大事なもの守らにゃ剣が曇っちまうんだ」
 刀を抜き、むしろ嬉しそうな鬼姫さん。
「オレは自分に素直なんでよ。それに、そこに並ぶ連中よりゃ、お前の方が信じられるし大事だ」
 ジョーディさんは肩に担いでいた斧を両手に持ち変える。
「友人を見捨てるのは、華麗な男のすることじゃない! こうしないと、レディたちに顔向けできないのさ」
 こんなときでも騒がしいシェプルさん。
 そしてわたしは。
「たとえ後世に、魔王についた悪の大王とかって伝えられても、後悔はしません」
 ――夢魔相手じゃなきゃ鞄も通じない。それでも、少しでも魔法を駆使して役に立たなきゃ。役に立ちたい。
 恐怖も何もかもぶっ飛んで、妙に迷いのない気分でいた。
「無駄なことだよ。もう、流れは止められない」
 彼は、こちらについてはくれないようだ――四楼儀さんがこちらを見ずに言う。それに、レゴールさんも同意した。
「魔王は倒される。それが定めだ。怪我をしたくないなら、離れていろ」
 哀れむような声と目。わたしはわざと、それに対し挑戦的ににらみをきかせる。自分を鼓舞するつもりもあった。
「倒されるために生まれてくるなんてことがあっていいわけない! レゴールさん、あなたの子どもが次の魔王になる可能性もある。それでもあなたは、定めだと言うんですか」
 もうすぐ生まれてくる子どもが魔王かもしれない。道化師さんが消えるといずれまた、誰かが魔王として生まれてくる。そして、いつ次の魔王が生まれるのかに法則性はないから、それがレゴールさんの子である可能性もあるのだ。
 それに思い至った衝撃に銀髪の上級師官は一瞬目を見開くが、すぐに、重い決意を持って口を開く。
「それでも、定めに従うだけだ。わたしが守りたいのは、我が子だけではない。すべてのために、ひとつを犠牲にする必要があるならそうする」
 そこまでの覚悟があるということには、ある意味尊敬する。もちろん、賛成はしないけれど。
「平行線だな」
 ヴァリフェルが声を抑えて言う。彼もまた、重い空気に呑まれたような顔をしている。
「……さあ、聖霊の剣を」
 口を結んで成り行きを見守っていたリアさんが、不意にそう言った。

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第40話 最後の戦いPART2(下)

「聖霊の剣は、失われたんじゃ……」
「失われてはいない」
 わたしのことばに答えて、四楼儀さんがリアさんの前に歩み寄る。
 憂鬱そうな彼の表情とは逆に、その姉の顔は穏やかだ。
「何も、後悔はないわ。ありがとう」
 リアさんが祈るように手を組む。四楼儀さんが右手を差し出し、呪文を唱える。わたしたちはそれをじっと魅入られたように見ていたけれど、ヴァリフェルさんとレゴールさんはそちらに背中を向けたまま。
 何が起きたのか、理解できなかった。
 リアさんの全身が光に包まれたかと思うと、赤いものを散らしながら崩れ落ちる。彼女のまとったローブのあちこちから血が染み出していて、倒れた後も床に赤い染みが広げ……その上に、四楼儀さんが毛布を被せた。
「何を……?」
 愕然として、道化師さんが問う。
 青い玉石が埋められた白い両刃の剣を右手に、四楼儀さんは目を閉じる。
「姉はすでに死んでいた。それを、この剣の力で生きながらえていた」
 淡々と、彼は説明する。
 ここ、サビキで起きた事故で弟を庇い、アウレリア・ミスバーンは重傷を負った。ほぼ、即死と言ってもいいくらいの。
 しかし、四楼儀さんは教会に保管されていた聖霊の剣を持ち出し、姉に仮の命を与えることにした。その暴挙をアクセル・スレイヴァが許したのは、剣を扱える者が現在、彼だけだからだ。
わんは最初から、こうするために研究所に入った。しかし、当時の記憶は失われていたものの、無意識のうちには理解していたのだね。これを、ずっと先延ばしにしていた……何が悲しゅうて、姉の命を奪い仲間を殺さねばならぬのかと」
 言いながら、彼は剣先を上げる。直刀の刃が鋭く輝いた。
「だが、これ以上はどうしようもない。姉の寿命を延ばす代わりに役目を果たすのが契約であり、決して逃れられぬしがらみなのだ」
 剣先がわたしたちの背後を――道化師さんを狙う。
 彼と戦うのは避けられない。
 わたしは覚悟を決める。
 一番最初に動いたのは、銀髪の上級師官。
「〈キシェビアルク〉」
 レゴールさんが言い、わたしが叫ぶ。
「〈ソルファジオ〉!」
 爆風が壁にぶつかる凄い音。
 それを合図にしたように駆けるヴァリフェルに、ジョーディさんが突進しながら斧を押し付ける。
「〈ヴァルカイオン〉!」
 シェプルさんが使ったのは、鬼姫さんの刀への強化魔法。
「〈ディベルラ・ガロウズ〉!」
 道化師さんは召喚魔法。白い小龍が三匹、相手へと直進する。
「〈メセト・ビアポーマ〉」
 鬼姫さんの一撃を受けながら、四楼儀さんが魔法を放つ。無数の赤い蝶が彼の足元から噴き出した。
「ちっ」
 鬼姫さんが身を引く。蝶に怯んだのではなく、一度刃を合わせただけで、刀にひび割れが走ったからだ。
 ――強化の魔法をかけてすら、聖霊の剣には敵わないのか。
 うるさく取り巻いてくる蝶を鞄で振り払いながら、わたしは呪文を唱え、考え続けた。どうするのが最善か、どうするのが後悔しないか。
 ジョーディさんは龍の援護を得ながら、力押しでヴァリフェルを壁に押し付ける。怪我は負っているみたいだけれど、厚い皮膚のおかげか、どれも浅手だ。
 鬼姫さんは刀を手に、四楼儀さんとにらみ合う。
 シェプルさんはわたしと同様、次の呪文を用意しているところだった。
 ――レゴールさんは?
 見当たらない姿に違和感を感じて見渡すと、蝶にまぎれて上空から飛来する姿。
「〈ソルファジオ〉!」
 呪文を中断し放った結界は、槍の一撃につらぬかれた。
 後ろに跳び退きながらもう一度魔法に集中しようとしたとき、何かが背後を駆け抜ける。
「ぐっ」
 かすかなうめき声。
 視界の端に砂埃が舞う。
「無駄だよ」
 剣を手にして独り言のように言う四楼儀さん。ゆっくりと歩み寄ってくるその前に、鬼姫さんとシェプルさんが転がっている。どちらも、致命傷ではなさそうだが。
「くそ……」
 鬼姫さんが立ち上がろうとする。その手にした刀は、途中から折れて失われていた。
 床に、強く引っ掻いたような白い直線が引かれている。ずっと奥の壁まで。
「冗談がキツイよ……」
 シェプルさんも埃だらけの頭を振り、弱々しい声を出す。
「だから、無駄なのだ」
 石突でわたしを打とうとしたレゴールさんを、道化師さんが札を放って召喚した蔦のような植物で絡めとろうとする。
 蔦はあっさり打ち払われるが、大きなスキができた。
「〈シャルデファイン〉!」
 わたしがとっさに放った氷結魔法で、彼の足が、床に縫い止められる。
 ――魔法で溶かされる前に、無力化しないと。
 思った瞬間に、横からの衝撃。
 わたしは一瞬宙を舞った。横に転がるように回転しながら、奥へ弾き飛ばされる。凸凹の床の上に落ちてさらに転がり、あちこちを打った。鞄で頭をガードできたのは奇跡に近い。
 いや、意識を保っていたこと自体、奇跡なのかもしれない。保っていたとはいえ、全身が痛くて身体が動かせなかった。皮膚が擦り切れて血がにじみ、強か打った膝や腕には青い鬱血が散る。
 殺されなかっただけ手加減はしているのだろう。でも、自分の死の危険より、この状況を何とかしたくて仕方がなかった。
 なのに、止められない。大き過ぎる力に抵抗はできず、大きな流れを止めることはできない。
 蝶たちは龍を道連れに消え、出入り口側へ、ヴァリフェルごとジョーディさんが弾き飛ばされるのが見えた。
 ずっと見続けても流れは変えられないように思える。でも、目を背けることはできない。最後まで見届けなければ。
 そして、流れを変える方法を探さなければ。
 わたしは呪文を唱える。ほんの、時間稼ぎにしかならないかもしれないが。
「〈イーミテッド・ルトリアサウザス〉!」
 幻の道化師さんが本物の周囲に現われる。
 でも。
「無駄なことだ。聖霊の剣は、魔王を倒すために造られた」
 道化師さんの放つ光球を一振りで散らし、四楼儀さんは剣をかざす。すると、刃から放たれた光が本物の道化師さん一直線に飛び、弾き飛ばす。それと同時に、周囲の幻影は消えた。
 祭壇の前で埃に咳き込みながら身を起こす道化師さんに、四楼儀さんはあきらめたような目を向けた。
「すまん、道化師。これが流れなのだ」
 剣先を向ける四楼儀さんに、まだあがこうというのか、道化師さんはナイフを手にするが、それは、聖霊の剣の刃に跳ね返った光に照らされただけで砕けた。
 わたしはどうにか身体を動かそうと力を込めるが、まるで動かない。他のみんなも、同じような状況らしい。動こうとしても、ほんの少しだけ這いずって力尽きる。
 道化師さんはみんなを一度見渡してから、懐の札をつかむ。
「逃げ……」
 それすらも不可能な選択だと、心のどこかではわかっていた。でも、言わずにはいられなかった。
 しかし、言いたかったことの全部を口に出す間すらなく。
 無駄な努力の甲斐もなく、あっさり、白い刃が突き出されて。
 剣先から放たれた光に胸をつらぬかれ、軽々と大穴の外まで吹き飛ばされて、道化師さんは落ちた。湖へ。
 その一瞬、やけにはっきりと見えた横顔は、驚いているようにも、こうなることはわかっていたという風にも見えた。
 わたしはまるで現実感がない中で、バシャン、という水音を耳にし、大穴の外でわずかに白い飛沫が飛び散るのを目にする。
「すまん」
 もう一度謝って、四楼儀さんはこちらに背中を向けた。
 わたしはまだ、何が起きたか完全には理解できないままそれを見送る。
 
 わたしたちの最後の戦いは、こうして、終わった。


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