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・2008年06月30日:第39話 最後の戦いPART1(上)
・2008年06月30日:第39話 最後の戦いPART1(下)
第39話 最後の戦いPART1(上)
それは一昨日から始まった。
講義を終えて自室で本を読んでいると、廊下の方が何やら騒がしい。本にしおりを挟んで出て行くと、窓から、大きな飛竜船が降りてくるところだった。
ネタンに寄り、水陽柱へと向かう日は、まだ先のはずだ。だって、最後のテストもまだなんだし。
着陸する船を囲み歓声を上げるヴィーランドさんや学生さんたちに加わろうと、走って階段を下りきり、外に出る。すると、縄梯子を使って慎重に降りてくるリアさんの姿が大きく目に映った。
「あれ? リアさん……あ、鬼姫さんも」
鬼姫さんは軽々と船の縁から飛び降り、その後ろから、翼のある二人組がふんわりと降りてくるのも見えた。
わたしが歩み寄ってくるリアさんを目を丸くして眺めているうちに、騒ぎを聞きつけた備え役の巡回組が駆けつけてきた。
「何の騒ぎだ、こりゃあ?」
シェプルさんと一緒にやってきたジョーディさんが、少しあきれたように肩をすくめる。
「お騒がせしてごめんね。ちょっと、シヴァルド学長にお願いしたいことがあって来たの。学長はいらっしゃるかしら?」
ああ――と言いかけたジョーディさんの前に出て、シェプルさんが手を差し出した。
「美しきレディをエスコートするのは、美男子の役目さ! さあ、学長のもとまでご案内しよう!」
意気込む彼の手を、リアさんは素直に取った。
「あら、紳士ね。お願いするわ。行くわよ、ヴァリフェル、レゴール。鬼姫さんは、少しお待ちくださいな」
おお、と返事をする鬼姫さんと、少し感激気味にリアさんの手を引き、城の中に向かっていくシェプルさん。
「何だってんだ、いったい」
再び肩をすくめ、ジョーディさんは遠巻きに眺める学生さんたちの前を巡回し始める。
その様子や城を物珍しそうに眺めていた鬼姫さんは、やがて、やっと気がついたようにわたしに歩み寄ってくる。
「よう。けっこう早いうちに顔合わせることになったな」
「どうしてこうなったんですか、これは」
「ああ、魔王討伐の面子を集めてんだよ。参加希望者は何人かいたんだが、いざ戦場が決まるとみんな逃げ出してなあ」
戦場って言うと……そうか、あの神殿か。そして、日食は明日の夕方辺り。具体的に戦う場所や日取りが決まると、心変わりしやすいんだろうか。それに、マーガの悲劇が魔王の力によるものだと知れば、怖気づくのも無理はない。
それでも逃げなかった鬼姫さんはやっぱりただ者じゃない。
「でも、見つかったんですか? 魔王を倒すには聖霊の剣が必要、とか聞いたんですけど」
わたしが尋ねると、彼女は一度、腰に吊るした刀に目を落とす。
「それは、リアが何とかするとか言ってたよ。魔王には普通の武器が効かない、とかじゃないといいけどなあ」
「それもきっと、魔法で効くようにできますよ」
「じゃ、優秀な魔術師を誘わないとなー」
そうだ。リアさんは学長さんに、ここの魔術師や戦士を戦力として貸して欲しいと頼みに来たんだろう。一体誰が選ばれるのか――あるいは、希望するのか。
それと同時に、わたしは、魔王がどういう人物なのか見てみたいという好奇心にかられた。本当に悪人なのか? それとも、まさか本で読んだような、子どもや赤ん坊なんてこともあり得るのか。
「……鬼姫さん、討伐隊って、学生や魔術師候補でも参加できると思います?」
思い切ってきいてみると、鬼姫さんは腕を組み、悩むように唸った。
「どうだろうな。そんなに人手はいらなそうだし、ここで集めるのだって、保険みたいなものじゃないか? ナントカの剣が手に入れば、魔王に勝つのは難しくないとか言ってたし。でも、ここの学長さんとかが許可するかな」
確かに……シヴァルド学長は、そんな危険なところには行かせられない、と言うだろうなあ。
行くとしたら、こっそり抜け出すしかないか。幸い自習期間中だから、余り周りの目を気にしなくてもいい。こっそり行ってこっそり帰ってくれば大丈夫だろう。
わたしが考えている間に、ヴィーランドさんが鬼姫さんに呼びかけていた。魔法なしのスポーツに誘っているようだ。鬼姫さんもああいうの、得意そうだなあ。
少しして、城からレゴールさんが出てきて、鬼姫さんに今夜はここで一泊すると伝える。討伐隊に誘われた側にも考える時間は必要だという配慮らしい。
わたしはとりあえず、女たちの社交場・医務室へ。いや、リフランさんとか、男の人もよく居るけど。
「魔王討伐ねえ……あたしはパスね。最後のテストの準備もあるし、危険なのはできるだけ避けたいし」
シエナさんからいつものようにシェシュ茶が配られると、まず、テルミ先生がそう言って肩をすくめる。
「わたくしは、怪我人が出そうならついて行きたい気もしますけど……ここでの仕事を放り出すわけにもいきませんし……」
というのは、ビストリカ。確かに、彼女には抜けられない仕事がある。
「参加するとしたら、やっぱり備え役からなんじゃない? 魔術師だけでなく、力仕事担当も必要だろうし」
「そうですねえ」
お茶を含みながら、テルミ先生にわたしも同意する。剣士は鬼姫さんがいるけれど、壁役はもっと必要だろうしなあ。
いつものお茶会を終えたあと、わたしは階段をのぼり、備え役の控え室を目ざした。いつも思うけど、ちょっとだけエレベーターが恋しい。もう慣れたけど。
階段をのぼり切って角から出たところで、話し声が聞こえてきた。
「お前らが行くなら、オレが行けないだろーが」
そう愚痴を洩らしているのは、備え役のリーダー、ロインさん。見ると、控え室の前にロインさんやマリンダさん、ジョーディさん、シェプルさんらが集まり、思い思いに樽や木箱、床に腰掛けている。
「何言ってんだか。リーダーが離れられるわけないだろ」
あきれた風に言って、ジョーディさんが木のカップを傾ける。
「そうさ。それにロイン、キミにはマリンダという、大切なレディを守る役目があるんだよ。伝説に名を残す勇者になる役目はボクらに任せておきなよ!」
「……伝説に名を残すはともかく、たまにはいいことを言うじゃねえか」
いつものオーバーアクションで胸を張る貴公子に、ジョーディさんが金の目を見開く。今日はきっとシェプルさんにとっていい日だ。
二人にたしなめられなくても、ロインさんの方も、本気で備え役業務を放り出してまで行く気はないのだろう。
「しょうがねえ。気をつけて行って来いよ」
「ジョーディさんとシェプルさんが、魔王討伐に参加するんですか?」
見るからにそうだが、彼らに歩み寄りながら、一応確認してみる。
「ああ。オレは魔法は使えねえから、せめて別の方法で世界を救う手伝いでもしようと思ってよ」
「ボクは、世界のレディを守るナイトになりたいのさ」
ジョーディさんも心意気は凄いけど、シェプルさんは、動機はアレでもそこまでいくともう、アッパレと言うかなんと言うか。
「あとは、四楼儀のヤツが参加するみたいだぜ。まあ、まだ本決まりじゃねえが」
参加できないのが悔しいためか、少しつまらなそうに言って、ロインさんは物見台を仰ぐ。
少し雲の多い灰色の空が、何だか重たくのしかかってくるように見えた。
――四楼儀さんが積極的に参加するなんて、珍しい。それとも、要請でもあったんだろうか。姉のリアさんもいるわけだし。
ハシゴをのぼり、空気の生ぬるい物見台に出た。中央辺りには、いつもの藍染浴衣に似たローブ姿が寝そべっている。
「四楼儀さんも、魔王討伐に参加するんだよね」
声をかけても返事はない。でも、ちゃんと聞いているのは知っている。
「珍しい。やっぱり、伝説の魔術師として力を発揮したいから? それとも、実力を買われて頼まれたとか。お姉さんの頼みじゃ断れないでしょうね」
「姉との付き合いもあるがね……」
溜め息まじりに言い、彼は上体を起こす。こちらを振り返ることはないまま。
「
「アクセル・スレイヴァのですか?」
「色々だ」
それ以上は答えるつもりがないのか、別の角度に寝なおす。
これ以上きいても無駄だということも経験上わかっているので、わたしはハシゴに向かう。
「アイ」
珍しく名前を呼ばれて、なぜかドキリとした。
肩越しに振り返ると、彼は背中を向けたまま。
「お
勇者たちと、魔王の戦い。王道RPGで描かれるような、正義対悪の戦いとは違うと言いたいのか。
「それはわかってる。魔王も血肉を持った人間に近い者なんでしょ? その命を絶つことが綺麗な戦いになるとは思わない。それとも」
わたしは、本に書かれていたエピソードを思い出していた。
「魔王が悪ではないと……普通の人間の場合もあるということ?」
わたしの問いに、相手は仕方なさそうに息を吐いた。
「そこまでわかっているか。それでも行くつもりなら、何も言うことはないさね。ただ、何が起きても、自分の命だけは守ることだ」
「ただ見てるだけのつもりだから、そこは大丈夫」
戦い自体に参加するつもりはなかった。参加して、役に立つとも思えないし。
「行って後悔するも、行かずに後悔するのも同じことだ……」
そんな独り言のようなことばが耳をかすめた気がしながら、わたしは物見台をあとにした。
第39話 最後の戦いPART1(下)
夕食をとったあと、わたしは本を返すため、図書館を訪れた。夏も近づく時季のため、この時間帯になってもけっこう明るい。
窓から遠くの山並みの少し上にある太陽を眺め、明日は日食なんだなあ、と、妙な感慨を覚える。地球でも日食は経験しているけど、世界が静まり返るような、あの独特の雰囲気は忘れられない。
というのは置いといて、今夜は何を読むか。やっぱり、魔王についてもう少し調べておこうかな。
そう思って本棚の間を巡っていると、机に向かっている、見慣れた姿が見えた。
「……ああ、きみか」
読んでいた本から顔を上げ、道化師さんは肩をすくめた。
「魔王討伐に参加しないんですか、道化師さんは」
それがずっと気になってて、わたしは開口一番にそう尋ねる。
「もう充分、間に合っているだろう」
彼は興味がなさそうに答え、視線はふたたび、『ザッハーク西方の動植物』と題が書かれた本へ。
「道化師さんなら行きそうだと思っていたんですけどね」
「魔王討伐には興味はない……きみは、彼らと一緒に行くつもりか」
あっさりそう言われて、わたしは肝を冷やした。
「……なんでそう思うんですか」
「もうそれがわからないほど、浅い付き合いじゃないだろう。きみは何でも、自分の目で確かめようとするからな」
ここ一年余り、色々なことを経験してきた。そして、その色々の多くの部分で、道化師さんがそばにいた。見られてたんだなあと思うと、嬉しいような、少し恥ずかしいような。
「決して止められない流れがある。行くなら、見ているだけにすることだ。巨大過ぎる力は、どうやっても止められない。触れようとすれば怪我をする」
「見ているだけにするつもりです」
四楼儀さんにしたのと同じように返しながら、わたしは、四楼儀さんとの違いに気がつく。
「止めないんですね、道化師さんは」
「きみの場合、止めても無駄だろう。きみの幻術を見破るのは魔術師でも容易ではない。それに、きみがどうするか選ぶのはきみだ」
本のページをめくりながら、そう答える。
「行った場合と行かない場合、どちらが後悔するのかもわからない。それなら、せめていくか行かないかを自分で選んだ方がいい」
四楼儀さんと同じようなことを言って、パタンと本を閉じる。
「あとは、できるだけ後悔しないための準備を怠らないことさ」
本を手に、立ち去っていく。
何だか、明日が後悔するためにあるみたいで、わたしは少しだけ、魔王討伐に同行するのが恐ろしくなった。
でも、わかりきっている。絶対に、同行しない方が後悔する。
――できるだけ後悔しないための準備って何だろう?
道化師さんが座っていた椅子に腰掛け、少しの間そう考えて出した結論は、今まで習ったことの復習と、研究所で知り合った人たちと、できるだけ多く話すことだった。
ヴィーランドさんも、レンくんも、アンジェラさんも、マリーエちゃんも、村瀬先生も。
ビストリカ、テルミ先生、シヴァルド学長、リビート先生……リアス先生には会えなかったけど。
リフランさんにイラージさんたち学生さんに、備え役のみんな。二度と会えなくなるわけじゃない。きっと。そう思いながら、わたしは何だか、不安だった。
夜、昼間の曇天が嘘のように、空には綺麗な星々が散った。
――どうか、魔王討伐が何事もなく、みんな無事で終わりますように。
自室の窓から、わたしははかない神頼みと知りながら、そう願いをかけた。
翌日、わたしは朝食時に食堂で一緒になった鬼姫さんに、討伐隊の参加者を聞いた。結局行くのは、四楼儀さんにジョーディさん、シェプルさんの三人で間に合う、ということになったらしい。
――あの船にそれくらいの人数なら、目を盗んでこっそり乗り込めるかも。
そんな風に思ったと同時に、鬼姫さんが美味そうに鶏の串焼きを頬張ってから、こちらへ目をやった。
「あ、アイも来るんだろ? あと二時間くらいで出発だってさ。ちゃんと飯食って、トイレ行ってから、わからないように来いとさ」
思わず、わたしは飲んでいた乳果ジュースを噴き出しかけた。
「え……それで、わたしが行ってもいいと……?」
「ああ、リアが言ってたぞ。止めても、どうせついてくるってな」
リアさん……わたしのことを、誰かに聞いたんだろうか。
まあ、正々堂々と――でもないけど、正式に飛竜船に乗り込めるんだったら、それに越したことはない。
同じテーブルにビストリカも加わり、わたしは少し朝食の時間を引き延ばして食べた。今日の朝食は、トロトロに煮込んだ牛肉と山菜を挟んだ焼きたてパンに、何種類もの豆とカシタの葉入りスープ、若鶏のハーブ蒸しを刻んでとじた玉子焼き。デザートはクリームと果物を挟んだパイ、飲み物は乳果ジュース。いつもより元気をつけようと、重めのものを選んだつもり。
それでも、ビストリカがとなりの席につくころには、デザートにとりかかっていた。
「アイちゃん、今日は多めですね。どこかに出かけるつもりですか?」
「ああ、まあね」
少し曖昧に返事をする。向かいでは、タダだからたくさん食べようというのか、鬼姫さんが串焼きとクパンズの漬物を追加注文していた。
「そう言えば、噂の裏メニュー、今日の夕方に注文してみません? ジョーディさんが前に言ってた壷入りプリンっていうの、食べてみたくって」
わたしはデザートをボソボソ食べながら、ビストリカに言うべきかどうか迷っていた。この様子だと、わたしが行くってことは伝わっていないようだし。
きっと、彼女なら止めるだろう。止めなくても、凄く心配する。だからって言わずに出て行くのは、裏切り行為みたいで嫌だなあ。それすらも、ビストリカは許してくれそうではあるけど。
さんざん――時間にしては短い間だけれど、悩んだ末に、結局言わないことにした。
――ごめん、ビストリカ。
「夕方はちょっと、外に出かける予定があって……ほら、日食だし」
自分ではちょっとわざとらしいかな、と思う誘導に、ビストリカは素直に乗ってくれた。
「そうですね、今日は日食なんですよね……日食はロマンチックですけど、魔王との戦いの始まりでもあります。鬼姫さん、頑張ってくださいね」
鬼姫さんに話題が振られ、内心ちょっとだけギョッとする。頼む、言わないでくれ!
わたしの焦りをよそに、串焼きを両手にした鬼姫さんは上機嫌で、
「ああ、だいじょぶだいじょぶ。魔王なんて、あたいが軽く捻ってやるよ」
そう言い放った。
わからないように来い、ということは、幻術を使えということか。みんなの顔は昨日見たことだし、わたしは昼食後は、さりげなく外に出て、木の陰で呪文を唱えて透明化魔法を使い、縄梯子をのぼった。途中、ワイバーンの金色の目がこちらに向けられてドキッとしたけれど、何事もなかったかのように大きな顔が正面に戻され、助かった。
この船の主もヤシュラ船長。わたしはとりあえず透明なまま、船室に降りる。今の状況で乗員に見つかっても厄介だし。
そのまま船室の隅で待っていると、上で話し声がした。
――みんな乗ってきたのかな。さて、いつ出て行くか。
とりあえず、早めに出て学生さんたちに見つかる危険性も考えて、飛び立ってから出て行くことにする。
上が騒がしくなって、浮遊感があって――大きく揺れだして慌ててベッドにしがみつく。そうだ、上昇中はかなり揺れるんだった。
揺れがおさまると、恐る恐る階段をのぼる。顔を出すと、途端に金の目と目が合う。
「嬢ちゃんも来たのかい! 命知らずだなあ」
「おお、ちゃんと乗ってたか」
驚くジョーディさんの横で、鬼姫さんがあっさり言い、ジョーディさんは途端にあきれ顔。
四楼儀さんは、やはり来たのか、と言いたげにこちらを一瞥したあと、顔をそむけて座ったまま。
「良く来たわね、アイ。あなたの勇気は尊敬するわ」
リアさんだけは笑顔でわたしを迎えてくれた。
「自分の目で、何が起きるのか確かめたいですから」
わたしが言うと、彼女は小さくうなずく。
「最後まで、見逃さないでね」
声は少しいたずらっぽいが、彼女のほほ笑みは少し、寂しげに見えた。
船上で昼食を食べ、陽が傾き、飛竜船はサヴァイブの、決戦の地の郊外に降り立つ。門をくぐったときには、太陽の一部が欠けかけていた。
「……それ、何かに使うんですか?」
四楼儀さんが片腕に抱えている大きな毛布が気になって、声を出すのが苦痛になりそうな緊張した空気をどうにか押しのけ、問いかけてみる。
「儂にとって必要になるものさ。気分的にね」
振り返らずに歩きながら、一応答えてくれる。
「奇妙な雰囲気だなあ。この世の終わりが来るみてえだ」
「実際に終わるのは、闇の世界さ。もうしばらくの辛抱だよ」
ジョーディさんとシェプルさんは、雰囲気に飲まれないなあ。それに、足取り軽い鬼姫さんも。
前方を行くリアさんや上級師官の二人、それに四楼儀さんは、どこか重い表情で歩いている。
今から思えば、当たり前だ。
彼らはすでに、その後何が起こるのか、知っていたのだから。
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