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・2007年7月02日:第5話 異世界の休日(上)
・2007年7月02日:第5話 異世界の休日(下)
第5話 異世界の休日(上)
今日は休日だった。
さすがに、毎日毎日勉強ばかりというのは疲れる。先生たちの都合や講義の進行具合で変わることもあるけれど、大体、定期的に休みの日があった。
図書館に入り浸ってみたり、本を借りて部屋で読んでみたり、ビストリカとお茶したり、ヴィーランドさんたちがやってるスポーツの試合を観戦したり、風景を写生してみたり、休みの過ごし方のバリエーションもだいぶ増えてきた。
部屋でずっと寝て過ごす、というのもアリかもしれないけど、せっかく異世界に来たんだから、わたしはもっと積極的に動きたい。
朝食を終えて一旦戻ると、『エルトリア南方の植物』という本を鞄に仕舞い、自分の部屋を出る。
この城の周囲にも、けっこう色んな植物を見かける。今日は、それを観察してみることにしていた。
やや曇り気味の空を窓の外に見ながら階段を降りていくと、一回の廊下で、あてもない様子でうろうろしている姿を見かける。
彼は確か……レンくん、だったけ。
「おはよう。何か捜してるの?」
声をかけると、彼は、地獄に仏、というような表情で振り返る。
「あ、おはよう、アイさん……探し物、といったらそうなんだけど……正直、何をすればいいのかわからなくてさ。ここ、テレビもゲームもないしね」
「図書館へは行った?」
「あそこ……行きずらくないかい? 学生さんたちが、ローブ着てないぼくをじっと見てくるんだよ」
確かに、最初は行きずらいかも。正直、もともとここにいた学生さんたちとは、一線の溝を感じる。でも、何度も行ってりゃ慣れるし、顔見知りになった学生さんたちはみんないい人だけど。
「今日は、ヴィーランドさんたちとスポーツしないの?」
図書館のほうは置いておくことにして、そう訊いてみる。
彼はヴィーランド党というか、よくスポーツの試合に参加していた。そういえば、学生さんも混じってやってるわけだから、レンくんも学生さん全員が苦手なわけではないらしい。
「ヴィーランドさんは、今日は腕相撲大会やるって……ぼくは腕力はちょっと自信がないから、逃げてきたんだ」
まあ、魔術師候補として呼ばれたんだし。その割に、運動神経は良いけど。わたしと同い年だけど、たぶん、地球で通ってる学校じゃ、人気あるんだろうなあ。
「ぶっちゃけ、ヒマなわけね。じゃあ、一緒に植物観察でもしない?」
「植物観察?」
と、問い返す彼の目の前に、わたしは鞄から『エルトリア南方の植物』の表紙を出してみせる。
「そこらへんに生えてる植物の名前とか覚えておいたら、何かの役に立つかもしれないじゃない。せめて、この世界の一般常識レベルの知識は持ってたいし」
エルトリアの人間じゃないからこれは知らないだろ、と思われるのは何か悔しい。それに、相手に説明の手間をとらせるのもできるだけ避けたかった。
レンくんは、わたしのことばに感心したようにうなずき、笑顔を見せた。
「そういう向上心があるのはいいことだよ。じゃあ、ご一緒させてもらおうかな。ありがとう、誘ってくれて」
その嬉しそうな笑顔を見たとき、一瞬、わたしの脳裏に、
――これって、デート?
という考えがよぎるが、気のせいということにしておいた。
「へえ……このクパンズの実っていうの、食べられるんだ。摘んで食堂に持っていってたら料理してくれるかな」
「でも……『食べられるかどうか』と『おいしいかどうか』は別だよ?」
本を見ながらのわたしの何気ないことばに、レンくんが至極最もな指摘をする。
確かに、物理的に食べられたって、味的に食べられない可能性はある。
試しに、青い実を一粒摘んで噛んでみたら……凄く酸っぱかった。
「野イチゴみたいなものかと思ったんだけどなー」
ぼやきながら、まだ名前を確認していない植物を探す。城の周囲を歩きながら本で植物の名前や特徴を確認する作業は、すでに二時間目に突入したくらいか。
「あ、この草、薬草学で習ったやつだ」
「エキスパグナの草、だっったっけ? 解熱剤や頭痛薬になるって、ビストリカが言ってた」
ギザギザした葉に近付いて覗き込んでみると、陰に、奇妙なものが見えた。
葉を手で分けてみると、そこに、血のように真っ赤な葉を棘のように生やし、中心から太い茎が丸い蕾のようなものを支えているという植物がある。
「なんだろう、これ……載ってないや」
レンくんが本のページをパラパラめくるものの、植物の絵に、その赤い葉の何かの絵は見当たらない。
――まさか、新種の植物か?
そう思った一瞬、わたしの背筋を怖気が走った。横目で見ると、レンくんも同じ状況らしい。
この、独特の冷たい気配は、まさか……
「その植物は、ガグトの竜眼という魔法植物なのですよ」
ヒヒヒ、と続けて笑うその声は、呪術と禁術の授業でお馴染みの、リョーダ・リアス教授。わたしとレンくんが、ギギギ、と音がしそうなぎこちなさで振り返ったそこに、見慣れた白衣にメガネの姿が映る。
「植物に興味を持つとは……感心ですねえ。どうです、お二人とも……わたしの研究を、少し手伝ってみませんか……?」
「いや、その、それは……」
口ごもるわたしたち。
怖いもの見たさと言うか何と言うか、ちょっとだけ、興味が引かれる部分はある。世界の裏側をほんの一握りの者だけは知っている、その一握りの側になりたいとか、本当は知ってはいけないものを知ってみたい気分とか。
「あ、あの、ぼく、大事な用事を思い出しました」
わたしが戸惑ってるうちに、レンくんがとなりで言ってのけた。
「だから、今忙しいので、ちょっと!」
「え、さっき思いっきりヒマ――」
「ごめんアイさん!」
彼はそう言い残して、さっと風のように去って行く。
――足速いな。
頭のどこか冷静な部分でそんなことを思いながら、冷汗をかいて白衣姿を見る。
いつも顔色の悪い教授は、メガネの奥でにやりとほほ笑んだ。
「なあに、ちょっと作業を手伝ってもらうだけですよ……大した物じゃあありませんが、お礼もしますよ?」
お礼、ということばに、心惹かれる。
大した物じゃないとか言いつつ、何かとんでもない物だったらどうしよう。一滴で千人殺せる毒薬とか、記憶を消す薬とか。
いや、この研究所内でのことなんだから、大丈夫だろう……たぶん。
「ちょ、ちょっと手を貸すくらいなら……」
我ながら物好きだと思いつつ、わたしは彼の手伝いをすることにした。
第5話 異世界の休日(下)
植物観察を中断して屋内に戻り、向かう先は、リアス教授の研究室。大抵の先生は一階や二階、あるいは城の四方にある塔に研究室を持っているらしいが、やっぱりこの人は違う……彼の研究室は、地下にあった。
窓もなく、真っ暗な部屋は、案外狭い。ローソクの灯が頼りなげに、資料が散らばる机と真四角のテーブルを浮かび上がらせる。
テーブルの上には、小さな、口の広い壺が置かれていた。周囲には魔方陣が描かれ、それを、半透明な青に輝く立方体が包んでいる。
「もうすぐ完成するのですが、どうしても、一人じゃあできない作業があってねえ。なに、簡単なことですよ。壺に、同時に四つの素材を入れるんです」
と言って、彼はわたしに、ふたつの小袋を渡した。
彼自身も袋をふたつ手にして、小さく何かをつぶやいた。テーブルの上から、結界だったらしい立方体が消える。
相手の向かいに立って、わたしは両手に袋をかまえる。
「あのーところで、これって一体、何なんですか?」
思い出したように質問すると、メガネの奥の笑みが、さらに濃くなったような気がした。
「これはねえ、魔術師にとってはかなり厄介な毒ですよ。まあ、まだそれほど完成されていないし、そうじゃなくても、運が悪くなければ死ぬことはないですよ」
運が悪いと死ぬのか。
「ささ、入れましょうか。せーの」
深く考えるのをやめて、慌てて袋の中身を壺に空ける。黄色っぽかった壺の中身が、一気に紫へ、そして赤へと変貌していく。
「おお、上手くいったようですねえ。これで依頼は果たせそうだ」
依頼、と聞いて少し意外に思う。これは、この人の趣味の研究じゃなかったのか。
「何か、物騒な依頼ですか?」
案外何をきいても答えてくれそうな雰囲気なので問うてみると、
「ああ、ある町からの依頼なんです。魔術師にも、悪さをする者はおりますからねえ……っと、これがお礼です」
答えて、黒い小袋をくれる。
「英知の粉です。使い方は、誰かにきいてください……さて、わたしは自分の研究の続きにかかりましょうかねえ」
と、机の横にある箱を開く。
わずかに差し込む光に導かれ、わたしは見てしまった。
箱に収まる、色々なもの――としか言いようのない色々なもの。何かの獣の片腕の剥製らしいもの、蛇に似た植物の蔦、コウモリに似た不気味な鳥の剥製、そして袋入りの何かの目玉が無数……。
「し、失礼しましたあぁっ!」
悲鳴を上げずにそう言えたのは、自分でも良くやったと思う。あとは、振り返りもせず一目散。
地下を出て古城も出て、緑の芝生へ。とにかく闇から離れたい。あの闇の中の色々なものの光景をさっさと消したい。太陽の光を浴びたい。
湖のそばに来て、やっと立ち止まってから、手にした袋の存在に気がつく。
こっこっ……これどうしよう。中に目玉とか入っていたら。というか、なんで袋まで黒いんだ……!
恐怖だけでなく妙な苛立ちを覚えるものの、英知の粉、という単語を思い出す。そうか、粉なら素材がどうあれ、ある程度耐えられるはずだ。大丈夫だ。べつに、触り心地も怪しくはないし。
――それにしても、覗いてはいけない世界ってものはほんとにあるんだなあ。
湖に向かって立ち尽くしたまま、わたしはぼけーっと空を見上げていた。
「どうした、アイちゃん」
黄昏ていたわたしのそばを、見覚えのある人物が横切る。
体育会系大学生、ヴィーランドさんだ。満足そうな笑顔を見るに、腕相撲大会は彼の優勝に終わったのだろう……そりゃ、魔術師の中じゃなあ。
でも、今はその辺に突っ込む気分じゃなかった。
「今は……人生の奥深さに黄昏てるところです」
適当に答えると、彼は何か感動したようにうなずいて、
「ああ……人生は深いな。オレもこれが人生最大の出会いだと思った直後、その人と別れないといけなくなったり、一巻の終わりだと思ったとたんに道が開けたり色々あったけど……まあ、予想がつかないのが人生の醍醐味さ」
遠い目をして言うと、彼は、ぽん、とわたしの肩を叩いた。
「はあ、どうも……」
何か色々誤解されているような気がするけれど、まあいいや……。
ヴィーランドさんを見送ると、わたしは腹の虫でそろそろ昼食時なのを思い出し、食堂に向かった。
食堂でレンくんと顔を合わせると彼はすまなそうに謝ってくれた。別に怒ることもないので、普通に昼食をとる。
ビストリカは忙しいらしいので、午後はとりあえず、本を返しに行くことにする。植物観察は途中で終わったとはいえ、もうほとんど、そこら辺で見かけるのは確認していた。『エルトリア南方の植物』を返して、別の本を借りたい。
もうわたしは平然と、図書館の扉をくぐる。
学生さんだって、普段図書館をよく利用する人っていうのは、大体顔ぶれが決まっている。そういう人たちにとってわたしが見慣れた存在なら、そうそう違和感は感じさせないはず。
まあ、ちょっと白い目で見られたって、わたしは気にしないけど。
本をカウンターに返して、次に何を借りようかと本棚めぐりに出る。こうやって選んでいるときが一番楽しいかも。
――さて、どれにしようか。
みつくろいながら、一番奥にある読書ブースに近付いたとき、本棚の間から、なにやらカラフルなものがのぞいた。
そっと近付いてみると、テーブルに数十冊の本が積み上げられていた。椅子に腰かけて『基礎魔術一式』と題された本をパラパラめくっているのは、名は体を表わす道化師さん。
「基礎の復習とかですか?」
「いや……」
気配に気がついたのか、彼は驚くでもなく小さく首を振る。
「司書が数日前、貸し出した覚えのない本が無くなっていることに気がついた。それが、昨日の夜に戻されていたらしい」
「その犯人探しってわけですか」
言って、わたしは本の背表紙を眺めてみる。
『実用魔法の初歩』、『基本的な魔法の構成』、『魔術師の歴史』、『魔法の成り立ち』――そんな魔法関連書籍に混じって、『実録・英雄ラバトールの冒険』、『絵物語〈世界の寓話〉』、『子どもから大人まで〜おいしいお菓子の店』など、茶目っ気のあるタイトルが見える。
「犯人は、魔法の基本的なことも良く知らなそうだし学生さんではなさそうですねー」
……いや、ってことは、犯人は地球人ってことになるんじゃあ。
べつにやましいことなんてないのに、わたしは道化師さんの視線を受けて、ぎくっと少し身を引いてしまう。
「図書館に興味を示す地球人は限られているな」
「イヤだなあ、わたしはしてませんよー、いつもちゃんと借りてるし……わざわざ司書の人の目を欺く必要ないじゃないですかー」
本気で疑ってる風でもないが、わたしは自分でも怪しく見えると感じるであろう態度で首を振ってしまう。いや、だって、何も悪いことしてなくったって、疑われれば焦るじゃないか。
幸い、相手は追及するつもりはないらしい。
「そうだな。わざわざ姿を隠さなければならない者の仕業か……。ここに存在しないはずの者、存在してはならない者か」
そう言えば、なんかそんな話が前にあったような……。
「一般人がどこかに紛れ込んでいるとかですか。あとは、幽霊がどうとか。最近、あまり聞かなくなりましたねえ」
「あの幽霊は……」
と言いかけて、道化師さんは手にしていた本を閉じる。
「まあ、きみに言っても仕方のないことだな」
「いや、途中でやめないでくださいよ。気になるじゃないですか」
本を段の一番上に置いて立ち上がる彼を、引き止める。もともと強い好奇心を揺さぶられながら放り出されるのは、気持ちが悪くて仕方がない。
「騒動が起きていたときの、単なる勘だがな。夢魔の可能性もあったということだ。すでに騒動が治まったとは言い切れないし、しばらくは夜の巡回も強化される予定だが」
夢魔というと、水を汚し生き物を傷つける厄介な怪物の名前、だったか。それが備え役の最大の敵だと、何度か耳にしていた。
「夢魔がお菓子についての本を読むとは思えませんね。そんなのが部屋の近くを徘徊していたらイヤだなあ」
「まあ、我々備え役は、きみたちが安眠できるように努力するさ」
手がかり探しはあきらめたのか、本の山を抱えて歩み去って行く。
――そういえば、英知の粉のこと、きいてみれば良かったかな。
鞄の内側のポケットに突っ込んだままの小袋の存在を思い出し、ふと思う。
でも、それからまた、わたしはこの今日の記録を書き始めるまでの間、その不気味な袋について忘れ去った。
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