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・2007年6月25日:第4話 怪しい妖しい風見鶏(上)
・2007年6月25日:第4話 怪しい妖しい風見鶏(下)
第4話 怪しい妖しい風見鶏(上)
朝、わたしは奇妙な音で目を覚ました。
強い風が吹き抜けるような、少し寂しげにも聞こえる、ピューッという音。ときどき途切れては、また鳴り始める。
意識がはっきりしてくると、わたしはそれが気のせいとか、本当に風の音だとかいうことじゃないのを確認した。
ベッドの中に寝そべったまま、顔を上げて頭を振ってみる。周囲がどこか、いつもの朝より騒がしい気がする。
ドアの外の廊下に、人の足音と声が聞こえた。それも、一人じゃなさそうだ。
「そっちはどうだった?」
「ああ、今のところ、何もなさそうだ。四楼儀も、気配を感じていないのだろう。別棟だけのようだな」
「これで三回目か……まったく、厄介なもんだ」
何となく聞き覚えのある声が、ことばを交わしながら、遠ざかっていく。たぶん、備え役の人たちだろう。
まだ眠い頭を振り、身体を引きずるようにしてベッドを降りると、わたしはドアを開けて廊下を見回した。
あいにく、すでに廊下を歩く姿は角を曲がって去っていったらしい。視界に続くのは、いつもの石造りの廊下だけ。
気がつけば、あの笛と思しき音も聞こえなくなっている。一体、何だったんだろう。
とは思うものの、わたしは睡魔に負けて、好奇心を満たすよりも二度寝することを選んだ。
おかげで、ビストリカとの待ち合わせに遅れそうになる。
「おはようございます、アイちゃん」
わたしが駆けつけたとき、待ち合わせ場所に選んだ外への扉の前で、彼女はすでに、いつもの涼しげな笑顔で待っていた。
「ごめん、待った?」
「いいえ、今来たところですから」
わたしのお決まりの一言に、彼女も、よくある反応をする。こういうところは、地球と変わらないらしい。
「ちょっと寝坊しちゃって……今朝、何かうるさくなかった?」
早速、気になってたことを訊いてみると、ビストリカは少し表情を曇らせた。
「あの笛の音は、備え役の合図なんです。わたしも詳しいことは知らないんですけど、今朝、別棟のほうで何かあったみたいですね。講義が終わったら訊いてみましょう」
「そっか……とりあえず、今は図書館だね」
話題を本来の目的に戻すと、返すものらしい本を二冊脇に抱えたビストリカは、にこりとほほ笑む。
「色んな本があるから、読みつくせませんよ。毎年、エレオーシュの町や立ち寄った魔術師のかたからも寄付があるんです。わたくしもまだ、全部読めていないくらいです」
談笑しながら、まだ人の姿が少ない城内から、外へ出る。もちろん、外はもっと人の姿が少ない。やっぱりいつもより警戒しているのか、遠くに備え役の誰かが巡回しているのは見えるけれど。
まだ薄い陽の光に朝露が輝く芝生と、もっと強く光を反射する水面が少し眩しい。歩きながら見上げると、白い小鳥が城の尖塔に集まっている。
――朝陽の中の古城も風情があるもんだ。
エルトリアに召喚されることなく日常を過ごしていたら、見られない光景だろう。本当に、『日常』から遠いところに来たんだなあ。
「アイちゃん、あそこですよ」
ちょっとぼーっとしていたわたしに、ビストリカが嬉しそうに言って目で前方を示した。医務室で見たあの建物が、大きな入口を開放していた。
すでに、水色のローブの学生さんたちも、いくらか姿が見える。
わたしは新聞部員だ。調べ物のために高校の図書室や地元の図書館も良く使ったし、物語を読んだりもしていた。
そんな馴染み深い空間ではあるものの、ここの図書館は、今まで感じたことのない雰囲気を持っている――いや、当たり前っちゃあ当たり前なんだけど。
カウンターは円形の建物の中心にあって、円の外に行くほど段が高くなっている。中心からすべての本棚が見える形だ。読書ブースの仕切りに隠された部分を除くと、すべての利用者が中心から見渡せる。
実用的でいて、本棚が複雑に配置され外に行くほど上昇していく光景を見ると、魔法仕掛けの塔の中にいるような、妙な感覚を抱く。
「あら……そういえばあの絵、ついこの間まではありませんでしたね。誰かの寄付でしょうか」
見上げたビストリカの視線を追うと、太い柱に、本を手にした青い服の女性の絵がかけられていた。
「図書館の雰囲気に合った絵だね。モデルはいるのかな?」
「誰でしょう、古い魔術師の絵に似てますけど……あとで捜して見ましょうか。素敵な絵なのは確かです。では、最初に、必要な資料を集めてから読みたい本を選びましょう」
「それがいいね」
と、わたしたちがまず向かうのは、魔法書の本棚だ。それから、次に必要な資料があるのは動植物事典の並ぶ一角や、医療・薬品の本がある一角。
そうやってビストリカが必要な本を吟味している間、わたしは突っ立っているだけ。でも、視界には色々な本の背表紙が映る。
『エルトリア縦断の旅・一〇五日』、『三〇〇歳の魔術師が教える老舗料理店百選』、『歴代の王の施政で見るバイドリア戦記全七巻』、『世界の山々と生態系』――どれも、名前を見ると好奇心がうずき出す。
いやいや、そんなことを言っていたら全部借りたくなってしまう。
「終わりました。じゃあ、好きな本を探しましょうか。借りようと思えば何冊でも、好きな本を借りられますよ」
さっさと資料集めを終えたビストリカが目を輝かせる。
「わたしは今読んでる小説のシリーズの続きを借りようと思うんですけど……アイちゃんは、どんな本が読みたいですか?」
「うーん、エルトリアの日常生活のこととか、あとは……魔術師の歴史とかかな」
「それじゃあ……」
と、彼女はすぐ近くの本棚から、一冊の本を取り出した。本の表紙には、『ある技能訓練所所長の日常』と書かれている。
「これなら、色んな職業や種族の人の生活や日常が書かれていてお勧めですよ」
「じゃ、それ借りようかな」
こういうときには、知っている人に従うに限る。
「あと、魔術師の歴史は……」
と、歩き出す彼女にわたしもついていく。どうやら、読書ブースの近くの本棚のようだった。
読書ブースから出てきて戻る途中らしい女学生さんたちが、歩きながら何かを噂し合っている。
「知ってる? 例の話」
「ああ、今朝もうるさかったもんね」
「あれ、銀髪に赤い目の女の子の幽霊らしいよ。アミィも見たって言ってた」
「ほんとにぃ?」
「どうせ、目の錯覚でしょ」
何やら興味深い話をしているが、会話は後ろに流れていく。
「基本的なことはこの『魔術師制度の成り立ち』に書いてありますけど、もっと色々な観点から見るなら、『検証・魔術師の歴史』とか……もっと捻ったところだと、『老魔術師の激白』なんかが有名ですね」
目的の本棚に到着したビストリカが説明してくれる。
『老魔術師の激白』というタイトルにかなり心惹かれたわたしは、それと『魔術師制度の成り立ち』、すでに手にしていた『ある技能訓練所所長の日常』の、三冊を借りることにした。ビストリカのほうは、資料用の本のほかに例の恋愛物を一冊だけ借りた。
戻って朝食を食べたら、すぐに講義だ。休み時間に読むことはできるものの、それだと続きが気になって仕方なくなりそうだし、本は放課後の楽しみに取っておいて、わたしは目の前の勉強――特に薬草学と魔法薬学に集中することにした。
第4話 怪しい妖しい風見鶏(下)
今日の科目も全部終わり、それじゃあ早速部屋に帰って本を読むか、と思ったところで、わたしは廊下でビストリカに呼び止められる。
「あ、アイちゃん、これから物見台に行きません? 今朝のことも聞きたいですし」
そうだ、そういえば今朝の笛、気になってたんだ。興味が一気に、本のことからそっちに移る。まあ、本を目の前にしたら、そっちのことも一時的に忘れるだろうけど。
「四楼儀さん、って人に会いに行くんだっけ。でも、医務室空けて大丈夫なの?」
城の外から聞こえる賑やかな声を聞き流しながら、そう質問してみる。今日は、ついに仲間を集めたヴィーランドさんたちが、サッカーの試合をやっているらしい。
「ミルアさんはしっかりしてるし、ちょっとくらい大丈夫ですよ。急いで戻ってくれば」
軽い調子で言って、それでも少し、歩く足を速めた。
物見台と言えば、城の一番高いところにあるのが普通だ。階段をどんどん登り、わたしの部屋の前を通過して、さらに階段を登る。
すると、外周の道に出た。天井はあるけど、廊下の壁がすっかり取り去られているような感じ。眺めはいいけど、今日は風が強いせいか、ちょっと寒い。
「あ、あそこです」
通路がちょっと出っ張ってるところの上に、筒状の足場が見えた。その中心から金属のハシゴが下にのびている。その上が物見台らしい。
それを確認すると同時に、ビストリカの指の先には、見覚えのある姿があった。一度見たら忘れられない、緑の肌。
「ジョーディさん、休憩中ですか」
こちらの姿を見るなり、『よお』と声を掛けて来たシュレール族の備え役は、草を編んだ敷物の上にあぐらをかいて、カップを手にしているところだった。
彼はビストリカのことばに、小さく肩をすくめる。
「ようやくうるさいのから解放されたんで、一息ついてるところだ。まー、今ごろ、別棟が賑やかになってるだろうがよ」
うるさいの、というのは、シェプルさんのことに違いない。
「お嬢さんがたは見学か?」
「まあ、そんなところです。それと、今朝、何があったのか気になって」
ビストリカが言うと、ジョーディさんは困ったように、あー、と声を洩らしながら目の後ろの辺りの硬そうな皮膚を掻いた。
「オレはこっちにいたからなあ。ロインのヤツが大したことじゃないとか言ってたから、大方、幽霊の噂話を聞いた学生が、誰かをそうやって見間違えたんだろうよ」
なんだ、そんなことか……と、わたしが少しがっかりしたところで、ジョーディさんは空のカップを置いた。
「じゃ、オレはそろそろ見回りに出るか。四楼儀にゃ説明は期待でねえけど、景色を眺めることはできるだろ。じゃあな」
「お疲れさまです」
「気をつけて」
わたしとビストリカに軽く手を上げて応え、歩いていく背中を見送る。
が、その足が角に差し掛かる直前で止まった。金色の目が、脇を駆け抜ける姿をなぞる。
ここの学生さんであることを示す水色のローブを着込んだ姿は、わたしたちには見覚えのあるものだ。酷く焦った様子でめざすのは、わたしのとなりに立つ治癒術師の第一人者。
「どうしたんです、ミルアさん」
普段は柔らかなほほ笑みが閉めるビストリカの顔に、仕事をするときの、引き締まった表情が浮かぶ。
ミルアさんはよほど急いできたらしく、必死に呼吸を整えてから、やっと口を開いた。
「先生、大変なんです! 外で地球の人たちと一緒にスポーツをしてたディルスラック先生が怪我をしたみたいで……」
「ええっ、大変」
まあ、お世辞にも肉体労働が得意そうとは言えない、魔術師であるリビート・ディルスラック教授に、いきなりサッカーの試合をやらせようというのが大きな間違いだよなあ。
と、素直な感想を抱くわたしの横で、ビストリカは驚きの声を上げたあと、背筋を伸ばす。
「アイちゃん、わたくし、行って来ます。できるだけ早く戻ってきますから、待っててくれますか?」
「もちろん」
と、うなずくのを見て、彼女はスカートの裾を持ち上げ、ミルアさんと並んで早足で階段に向かっていく。手を貸すつもりなのか、途中で止まっていたジョーディさんもそれに続いた。
それを見送るわたしが、ぽつんと一人残される。
待ってる、と言ったものの、ヒマな状況だ。
こういうとき、本の一冊もあれば……一度、部屋に戻って取ってこようか。いや、あんな厚い本手にしてたら、ビストリカが戻ってきたとき、いかにも退屈しながら待ちましたって感じに見えてイヤかも。
別の方向に退屈しのぎを見つけよう。
まず、景色を眺めてみる。だいぶ傾いた太陽が照らす、湖と水の柱、それを取り巻く草原や家々。未だ見慣れない、幻想的な風景。半透明な建物の合間を流れる運河を、同じく半透明な舟が滑るように動くのが見えた。
次に、目を背後に向けてみる。大きなドアが開け放たれたままの部屋の中が見えた。木箱や樽が隅に並び、槍や剣、弓矢が壁に立てかけられている。部屋の真ん中に広げられているのは、この研究所の見取り図――ってことは、備え役の拠点か。案外無用心だな。
――いや、違う。ここにはまだ、人がいるのだ。
そうと気がついて、わたしは、大きな円形の影に入った。ハシゴに近付き、見上げてみると、ハシゴと壁の途切れた向こうに、円形に切り取られた空が見えた。
この上に、まだ備え役の一人がいる。
待っているとは言ったものの、ただ突っ立ってるのもやっぱり退屈だ。上で待っていても、ビストリカが戻ってくればわかるだろう。
ハシゴに手をかけ、慎重に、ゆっくりと登り始める。落ちても死ぬことはないだろうが、骨の一本や二本は折れるかもしれない。
全神経を集中する意気で半分以上登った辺りで、声が聞こえた。
「しつこいねえ、お
「いつになったら、あなたの言う『機』は訪れるのだ?」
あきれたような、面倒臭そうにも聞こえる男の声に、少し棘のある、凛とした男の声が即座に反論する。
「もはや、充分過ぎるほどときは経た。もしや、この研究所に住むうちに情が移ったとでも申すのか? あなたは、ここに来た理由を忘れておられる」
「忘れてはおるまいよ。重大事なのは覚えている。しかし、お主らこそ、エルトリアのもうひとつの危機について忘れておいでではないかえ?」
「先の長いもうひとつの危機より、まずは、ひとつの目的を果たすことが大事。そのためなら、幾人犠牲になろうとも、この地が滅びようともかまわぬ」
「乱暴なこったねえ」
ずいぶんと、物騒な話だ。わたしはつい、息を潜めて話に聞き入る。
だが、その会話も、終わりが近い。
「それが役目だ」
有無を言わさぬ声が断定する。
「わかってるよ」
承知ではなく、会話を終わらせるためのわずらわしげな一言に、鳥のはばたきに似た音が重なった。
ハシゴがかかる縦のトンネルの出口を見上げていたわたしは、内心愕然とする。
空を、翼の生えた人間が横切った。
――天使……?
そんな単語が頭をよぎる。
「厄介な話を聞かれたもんだねえ」
誰もいなくなったはずの物見台に、当人ではない誰かに向けた声が響く。
そう、その誰かはわたしだ。わたしはハシゴを登りきると、声の主を捜した。
「あなたが四楼儀さん?」
藍染の浴衣に似た衣をまとった、名前だけでなく、見た目も日本人めいた男が、石の床の上に寝そべっていた。ただ、その袖に入った紋様だけがひどく異質に見える。
「ああ、
独特な喋り方をする人だ。でも、今はそれにかまっている場合じゃない。わたしは必要以上に彼に歩み寄った。
「話、聞きましたよ。一体どういう役目があってここにいるんですか。ずいぶん物騒なオトモダチが来てたみたいですけどー?」
「お主には、関係のないことだよ」
と言いつつも、少しは後ろ暗い心持なのか、明後日の方向に目をそらす。
「何人犠牲にしてもいいとか、ここが滅んでもいいとか」
わたしがさらに身を乗り出すと、彼は何かの植物を利用したらしい笛を片手でもてあそびながら、仕方なさそうにこちらに目をやる。
「エルトリア特有の問題は、水没だけではないということだよ。そして、水没救済計画への風当たりもひとつの方向だけじゃあない。どこにでも穏健派がいれば強硬派がいるってことさ」
「それで、なんであなたに?」
「長く生きていると、いらんしがらみも生まれる。騒動を起こしたくなければ、このことはその胸ひとつにしまっておくことさね」
――それって、つまり……
「わたしを口止めしようというわけですね」
我ながら、あからさまに嫌な喜びのこもった声だった。
その声に、相手もわずかに身を引く。
「お主、なにを……」
「気が向いたら、黙ってますよ?」
「それは脅迫という」
「公平な取引です」
初対面にして、相手の弱みをゲット。これほどオイシイ状況はそうそうない。
いやまあ、四楼儀さんのオトモダチの望みを考えると、あまり喜んでいられるような話でもないが……とりあえず、日常が平和な間はおもしろい。
その後、ディルスラック先生の治療を終えたビストリカがわたしたちの対照的な表情や雰囲気を、不思議そうに見比べたのも自然な成り行きだった。
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