エルトリア探訪日記

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・2007年6月20日:第3話 呪いの言葉に人は集う(上)
・2007年6月20日:第3話 呪いの言葉に人は集う(下)


第3話 呪いの言葉に人は集う(上)

 そろそろ、この異世界にあるエレオーシュ魔法研究所の生活にも慣れてきた、ある日のこと。
「つまり、禁忌である呪術というものは、人の恨みつらみを力に発動する魔法なのですねえ、恐ろしいものです」
 リョーダ・リアスという名の教授は、説明してから、ヒヒヒ、と不気味に笑った。
 目の下にクマの出た痩せた顔に、白衣に眼鏡の出で立ちは、マッドサイエンティストか単純にイっちゃった人に見える。
 ――恐ろしいのはあんただよ。
 そんな地球人たちの視線に気がつくこともなく、教授はやけに楽しそうに講義を続ける。
「この世界には、過去の恨みつらみのせいで、妙な力を持ってしまった呪文というのがいくつもあります。知らずにそれを口にしてしまい、悪魔になった男の子の話や、虫になって息子に踏み潰されてしまった老婆の話は、もうしましたっけねえ?」
 独特のゆっくりした、回りくどい話し方は、怪談のような効果を充分に果たしていた。静かな教室に、何だか冷たい空気が流れる。
「皆さんも、強力な呪いの言葉くらいは勉強しておいたほうがいいかもしれませんよぉ。中には、伝説級の魔術師がそろうこの研究所の方々でも解けない呪いもあるからねえ」
 ヒヒヒ、とまた笑って、手にしていた本を閉じる。
 こうして、今日最後の授業が終わった。
 教授が出て行くと、教室内はざわつき、それぞれの好きなことをしようと出て行く――のがいつもの様子だけど、今日はちょっと、違っていた。
「呪いの言葉って、誰に聞けばわかるんだろうね?」
 そう言い出したのは、一体誰か。
「やっぱり、リアス先生に質問すればいいんじゃない?」
「嫌だよ、あの先生……近づくと呪われそうだもん」
「でも、やっぱ一番詳しいはずだろ?」
「ほかの先生にきいてみようかなあ」
 教室の中は、終わったばかりの『呪術と禁術』で聞いた話題で一杯になる。やっぱり、我が身に降りかかるかもしれない災難にはみんな敏感だ。
 わたしとしても、言ってはいけないことばがあるなら知っておきたかった。いや、覚えたら覚えたで怖いので、ただ、日常生活で言ってしまいそうな呪いのことばがあるかどうかだけ、知っておきたい。
 そうしてざわつく地球人ご一行の中で、か細い声が上がった。
「あの……」
 ざわめきがあっさり止んだのは、声の主が誰なのか、みんなが理解したからだ。
 長いブロンドをオレンジ色のヘアバンドで留めた、お人形さんのように可愛らしい少女。まだ十歳にもならないんじゃないかと見える彼女は、おそらく、わたしたちの中でも最年少だろう。
 こんな幼い子も呼ばれるなんて……母親が恋しいんじゃないか、と思うが、彼女は帰らず、こうしてまだここにいる。
 恥ずかしそうに下を向き、顔を赤らめながら、彼女はその小さな身体に不釣合いな、分厚い本を開いてみせる。
「あの、これ……図書室で借りてきたの。禁術の本」
 本の表紙には、『呪術・禁術概論』と書かれている。
「どれどれ、見せて見せて」
 誰がそう言い出したのか。誰であれ、他のみんなも興味津々だ。
 かくして、軽い自己紹介のあと、即席の勉強会が始まった。
 思えば、こうして召喚された人たち全員で話すのは初めてだ。何とも、個性的な面々が集まったものである。
 それとも、この世界に必要な力を持っている人たちに、同じ傾向があるんだろうか。
「それで、どうなんだ? 呪いのことばってのは」
 リーダーシップを発揮してるのは、ヴィーランド。それに、あの女の子――マリーエちゃんというらしい彼女のとなりに座り、本のページをめくっている赤毛の女性、アンジェラが答える。
「んー、うっかり言っちゃいそうな呪文はないね……色々過去の事故が載ってるけど、どれも魔術師の事故ね。相手を呪おうとして、自分に呪いがかかっちゃうとか……でも、この治療魔法の事故って何のことだろう」
「どれどれ」
 とのぞき込んだのは、黒目黒髪の、三〇歳前後の男性だ。名前は、村瀬啓司。アジア人がいるなーとは思っていたけど、日本人だと知ったのはつい今しがたのことだ。
「パッシブ村の治療医が治癒魔法を使ったものの、その相手が日ごろ疎ましく思っていた男だったため、転じて呪いとなり男は全身に毛を生やして絶命す」
 治癒魔法が呪いに転じる。一体、どういうことなんだろう。
「なんで、癒しの魔法が呪いに変わるんだろう」
 不思議そうに首をかしげるのは、栗色の髪の少年、レンくん。さっきの自己紹介によると、わたしと同い年らしい。
 アンジェラさんがページをめくるが、その件についての記述は見当たらない。書いてあるとしても、その部分を捜すのは手間がかかりそうだ。
 ――ああ、もどかしい。
 好奇心とそれがすんなり満たされないもどかしさに、少しイライラしかけたときだった。
「可愛いレディたち、一体何にお困りなんだい?」
 青空のように澄んだ声が、一気に周りの注意を引きつけた。
 それにしても、レディとは、上手く訳したものだ。でも、道化師さんいわく精神に作用するとか何とかっていう話だから、わたしの脳が無意識のうちに、彼に最も似合う二人称を選び出したのかもしれない。
 教室に入ってきて、教授のように真正面に立った彼――ゴージャスなブロンドの青年、シェプルさんに。
「えーと、癒しの魔法についてわからないことがちょっとあって……」
「おお、癒しの魔法かい! 美しいレディに癒しの魔法をかけてもらうっていうのが、多くの男たちの夢なのさ」
 アンジェラさんのことばに、彼は夢を見るかのように視線を天井辺りに向け、わたしたちの疑問とはちょっと違う方向性で応じる。
「でも、癒しの魔法っていうのは難しいんだ。実用に足る癒しの魔法が使える魔術師は、ひとつの国に一人いればいいほうなんだよ。この研究所にも、使える者は五人しかいない。いや、五人しかって、五人も一ヶ所にいるのは異常なくらいなんだけどね」
 訊かれてもいないことを相手の都合おかまいなしにしゃべるのは典型的なナルシストっぽくはあるが、言ってる内容は、けっこう興味深い。
「何を隠そう! 五人のうちの一人がこのボクなのさ。そう、癒しの魔法で重要な要素、それは『愛』――」
「そんなわけあるか」
 開け放たれたままの出入口から何か黒っぽくてトゲトゲした物――後から考えるに、おそらくタワシ――が投げ込まれ、シェプルさんのこめかみ辺りに命中した。
「痛あぁぁ! ボクの顔に傷がっ!」
 懐から手鏡を取り出し、必死にチェック。なんてゆーか、懲りない人だなあ。
 彼がそうしている間に、仕方がなさそうに教室に入ってきたのは、見覚えのある、忘れようにも忘れられない姿。みんなもう見慣れているからいいものの、外見だけならシェプルさんをはるかにしのいで奇人変人第一位な、道化師さんだ。
 どうやら、見回りの途中だったらしい。彼は用途不明のタワシを仕舞うと、乱暴にシェプルさんの袖を引く。
「見回り中だろう。油を売っている暇はない」
「レディたちの安全を守る見回りも大切だけど、美しいレディたちに、新たな知識を教えるのも決して無駄な時間じゃないさ!」
 召喚された地球人の半分以上は男性なのだけれど、彼の脳内からは男の姿は消えているらしい。
 慣れているのか、道化師さんは淡々と応じる。
「わたしたちは備え役。教える立場ではない。知識を伝えるのは、その役目の者たちに任せることだ」
 しかし、冷静に相手をされればされるほど、ハンサム青年のほうはことばに熱がこもっていく。
「じゃあ、ここで迷える子羊たちを見捨てろって言うのかい? ボクにはできない、そんな残酷なこと! 癒しの魔法で疲れた男の心を癒したいという、可憐な乙女たちの願いを無碍にするなんてッ!」
 妙に演技かかった調子で曲解全開のセリフを吐くその様子に、道化師さんの視線もかなりあきれ気味なものの、最後まで聞くと、少しだけ興味を引かれたように、わたしたちの方に目を向ける。
「癒しの魔法……? 治癒魔法の授業はまだだし、実技のほうは最初から予定されていないはずだが?」
「いや、そうじゃなくて」
 シェプルさんと比べると、話の通じる相手だ。そう考えたのか、ヴィーランドさんが一言で軌道修正する。
「呪術について調べていたら、この本に、治癒魔法が呪いになったとか書かれてて、何でかなっていう話しをしていたんだ」
 唐突に目の前で始まった漫才に気を取られていたものの、そもそもの原因になった疑問への好奇心は、失われてはいない。
 何か期待されているのを感じたらしく、道化師さんは仕方なさそうに教室内を見渡して口を開く。
「治癒魔法は、精神集中が重要な魔法だ。術者の意思を元に発動する、原始の魔法に近いものということになる。近代魔法は作法は難しいが、雑念が入っても暴走することはないからな」
 最初に、神が魔法という力を人間の代表に与えた。しかし、それは大き過ぎる力なので色々と事故を起こし、それを防ぐために魔法は細分化され、強力なものほど難しい呪文や手順が必要になった。
 その辺は、割と最初のほうの授業で教えられていた。
「つまり、治癒魔法には、純真な気持ち、いたわりの気持ちを持ってかからないといけない。相手を恨めしいなどと思っていると、呪いが発動することもある。ある意味、どちらも感情を鍵として相手の身体に直接的な変化をもたらそうという、同根の魔法だからな」
 術者の精神状態をもとにする魔法か。わたしには、絶対に無理だと思う。
 治癒魔法かけようとしたときに『夕食は鶏肉がいいな』とか思ってしまい、相手の手が手羽先になったりしたら目も当てられない。
 ――リアス教授の言うとおり、元に戻すのは不可能そうな、恐ろしい話だ。
 勝手な想像で鳥肌立ててるうちに、話はまとめに入る。
「治癒魔法は細分化すると充分な効果を得られず、呪術や禁術はそもそも禁止されているので細分化されない。そうして、原始魔法に近い状態で運用しているから事故が起こりやすく難しい。よほど純真な人物か、精神コントロールに秀でていなければ使えない」
「そう、治癒魔法が使える魔術師は、超エリート」
 自分に酔ってる調子で、シェプルさんは髪をかき上げる。
「そのエリート魔術師たちの講義が聞けるとは、今日のきみたちは運がいい。このお礼は、今夜ボクと――」
 ガタン、と音がして、ナルシスト魔術師の端正な顔が歪む。どうやら、道化師さんが足を踏みつけたらしい。
「仕事の途中だということを忘れるな。さっさと戻るぞ」
 まさか肉声で聞くことになるとは思われなかったような歯の浮くようなセリフを一撃で止めて、痛みに固まっている同僚を教室の外へと引きずっていく。
 嵐のような、漫才のような――それでいて、まあ、ためにはなったひとときの強烈さに、わたしたちはしばらくの間、茫然としていた。

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第3話 呪いの言葉に人は集う(下)

 勉強会が終わったあと、わたしはいつもの日課で、一階医務室に向かった。
「ビストリカ」
 ドアを開けるなり、それもいつも通りに呼びかける。
 でも、目にした光景はいつもと少し違っていた。見慣れた白い姿と学生さんの医療係という取り合わせのほかに、見慣れぬ姿がふたつ、視界の中央を占めている。
「ああ、アイちゃん。いつもより遅かったですね」
 ビストリカが身をのり出し、隠れていた顔をのぞかせる。
 椅子に座った彼女の前に立つのは、金属で補強した革の鎧を着込んだ体格のいい男と、ビストリカに似た雰囲気の、長い銀髪の女性だった。
 男のほうは黒髪に灰色の目で、二〇代半ばくらい。腰には鞘入りの剣を吊るしている。
 女性はそれより少し若く、白と水色のローブを着ていて、金色の装飾が美しい杖を手にしていた。
「ああ、ウワサのアイちゃんか」
 男のほうのことばに、一体何の噂だろう、とわたしが思っていると、
「備え役じゃ、あなたが一番迎えるのに手間がかかったということで有名なの。御免なさいね、こんな噂されるの、気分が悪いでしょう?」
 女性のほうが、色の白い顔に優しそうな笑みを浮かべてことばを続ける。
「いや、そんなことは」
 ――あるけど、事実なのでどうしようもなかった。
「アイちゃん、こちら、備え役のロインさんとマリンダさんです。ロインさんは備え役のリーダーなんですよ」
 ビストリカが立ち上がって、わたしに二人を紹介した。リーダーと言われたのが照れくさかったのか、ロインさんは頭を掻きながら笑う。
「まあ、もとは流れの傭兵だから、そんな大したもんじゃないけどな。……時間が許せば是非ジョーディたちを撒いたときの武勇伝を聞きたいが、そろそろ街の見回りなんで、失礼するぜ」
 わたしは、彼らに時間がないことを感謝しながら、出て行く姿を見送った。
 研究所の備え役は、エレオーシュの街のほうも護っているのか。わたしが知らない人たちもまだいそうだ。
 わたしが少し少しぼうっとしてると、ビストリカがのぞき込んでくる。
「お二人とも、いいかたですよ。どうかしましたか?」
「いや……まだまだ知らない人が多いと思ってさ」
「ああ。あのお二人は、別棟や街のほうを主に担当していらっしゃいますしね」
 わたしに椅子を勧めながら、彼女は説明した。
 慣れたもので、今週の当番の医療係、わたしと同い年の女学生ミルアさんが、三人分のお茶を入れてくれる。甘党のわたしは砂糖多めで、渋みが嫌いなビストリカはミルクを入れ、ミルアさんは辛味のあるジャムを足すのが好みだ。
「備え役の人たちは怪我人や病人を見つけることも多いので、よくこちらに顔を出されるんです。……たまに、怪我をしてお見えになることもありますけれど」
 少しだけ表情を曇らせ、付け加える。やっぱり、危険なお仕事とはいえ怪我人は出ないほうがいい。当たり前のことだけど。
「ところで、今日は何かあったんですか? いつもよりだいぶ遅かったようですけど」
 ビストリカが尋ねてくると、彼女のとなりで、ミルアさんまで興味津々の目を向けてくる。
「ああ、即席の勉強会があって……」
 呪いの言葉の勉強会から、治癒魔法への疑問、そして備え役の人たちの乱入、と、かいつまんで説明する。
 治癒魔法の話になると、専門家らしく、ビストリカの目が輝く。
「治癒魔法を使えるのは、わたくしのほかに、シェプルさん、道化師さん、シヴァルド学長、それに、四楼儀さん、です。五人もいるのは本当に珍しいことですし、安心できますよ」
 治癒魔法の恩恵を受けられればこの周辺にいる人たちは安心だし、特に、備え役に治癒術師がいれば彼らの生存率――と言うのは大げさかもしれないが――も、上がる。というくらいは簡単に想像できる。
 それにしても、ひとつだけ、聞き覚えのない名前があったような。
「シロウギ、さん?」
 わたしの耳には、そう訳された。ビストリカが、紙に羽根ペンで名前を書いてくれる。書き文字まで翻訳されるんだから、ほんと便利。
「ええ、四楼儀さんです。いつも、物見台から研究所の周囲を監視していらっしゃいますよ。物見台からの景色はとってもいいんです。時間があるときにでも行ってみませんか?」
「物見台かー」
 高いところは嫌いじゃない。煙とナントカはのぼりたがるというけれど、冷静に考える場合にこそ、全体を把握するのも重要だと思う。
「でも、今は図書館にも興味あってさ」
「図書館なら……」
 ミルアさんが窓の外に目をやった。
 その視線を追うと、三階建てくらいの、幅の広い塔のような建物が見える。別棟に一角がつながっているけれど、こっち側にも出入口があった。
「それじゃあ、次の薬草学・魔法薬学の講義のある日の朝、授業前に一緒に行きません? わたくしも、授業のための資料を借りに行きたいんです」
 嬉しそうにわたしの手を取ってくるビストリカ。今のところ、この手から逃れたことはない。逃れる気もないけれど。
「そうしてくれると、わたしもありがたいよ」
 やっぱり、初めての場所に一人で行くっていうのは少し不安になる。
 喜んで『竜騎士と月妖精』だの『千年恋愛物語』だの『悲恋の魔道書』だの、好きな本をお勧めしてくるビストリカと、夕食を挟んで暗くなるまで話しをしてから、わたしは、ようやく自室に戻った。
 読書は好きだ。面白い本があればいいな。本を借りてくると、もう少しこの部屋で過ごす時間が増えるかもしれない。
 その分、ビストリカと過ごす時間が少なくなるかもしれないけど……。
 それが少し寂しいような気がして、わたしは複雑な気分でベッドに入った。


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