エルトリア探訪日記

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・2008年06月22日:第37話 空からの帰還(上)
・2008年06月22日:第37話 空からの帰還(下)


第37話 空からの帰還(上)

 脇のお菓子屋さんで手早く土産を買い、早足でわたしと鬼姫さんが戻ると、すでに出発の準備はできていて、飛竜船に乗り込むだけとなっていた。ワイバーンのワニに似た足を踏み台に縄梯子をのぼり、船上のみんなと再会する。
 空を行くにしては飛行機、というより船のような感じ。飛行船とかはこういう感じなのかな。
「どうでした、レストランは」
 わたしがビストリカとテルミ先生に声をかけると、テルミ先生は満足そうに、いつもよりちょっとだけ出た腹を叩く。
「そりゃもう、大満足だったわよ。料理も、多過ぎたくらい。ああ、これからしばらくは食事制限だわ」
「お土産ももらったんです」
 と、ビストリカがバッグから取り出したのは、薄いピンク色の可愛い包みだ。
「ハチミツ入りのクッキーみたい。後で、みんなで食べましょうね」
 後で、と言っても、わたしは飛んでる間はそれどころじゃなさそうだけれど。
「おう、準備はいいかい。そろそろ出発するから、お嬢ちゃんたちもこっち来てくれ」
 黒い船長帽を被ったヤシュラさんが、船の中央部分から手招きした。中央には船室へのドア、周囲に四角い部屋の外を囲むように、木のベンチがある。ベンチはしっかりと固定され、背中の部分に太い縄が回され、足元にも爪先を引っ掛けておく出っ張りがある。
「上昇中、安定するまではちょっと揺れるからなあ。船室に入っているか、そこで座っていてくれ」
 船室のほうが安全なんだろうけれど、道化師さんやジョーディさん、シェプルさんもベンチで済ますつもりらしい。
 それにしても、シェプルさんの頬に紅葉が見えるのだけれど……大体想像はつくし、触れないでおこう。
「おお、いいねえ。やっぱり、旅立ちは自分の目で見ないとな!」
 鬼姫さんが嬉しそうにベンチに座る。わたしもそのとなりに腰掛け、縄を前にして靴の爪先を出っ張りに引っ掛ける。何か、遊園地の乗り物に乗るみたい。
 ビストリカとテルミ先生は少し迷っていたようだけれど、結局ベンチに座ることにしたらしい。
「こういう経験は滅多にできることじゃないですもの。外で、しっかり目に焼き付けておきたいですからね」
 とは言うものの、その横顔は少し強張っている。わたしも、鞄を抱えながら縄を握りしめている手に、無意識のうちに力が入る。
 十人くらいの船員たちには、まったく緊張感がないのが救いだろうか。それにしても、ちょっと怖い。
 と、思っていると――。
「落ち着かないのなら、結界を張ろうか。ワイバーン自体も飛行時には結界に包まれる。だからこの船は、ワイバーンに吊るされるのではなく乗った形で固定されている。飛行中に振り落とされるようなことはないぞ」
 鬼姫さんのとなりから、道化師さんが安心させるように言う。それを聞いて、わたしは――ビストリカも、ちょっと安心した。
「おお、タルマバ。今日も頼むぞ」
 ヤシュラ船長が声を上げる。それに、わずかな振動とともに、グルルルル、と低い唸りが返った。
 タルマバというのが、わたしたちの船が乗るワイバーンの名前らしい。
 タルマバが立ち上がったのか、グイ、と船が押し上げられる。次に船の両脇に、コウモリに似た巨大な翼が持ち上げられる。
「離陸準備! 目的地はネタンだ。野郎ども、ミスるなよ!」
「おう!」
 船長の指示が飛び、男たちが声を上げる。みんな命綱のような縄を肩にかけたまま、それぞれの場所で役目をこなす。
 どうやって舵を取るんだろうと思っていると、ワイバーンの目の前に奇妙な魔方陣が刻まれた円盤が吊るされている。舵を動かすとそれが角度を変え、ワイバーンもそちらに視線を動かす。という風に操作するようだ。
 翼がバサリバサリと音を立ててはばたく。大きな音がしている割に、こちらには全然風が来ない。
 特に衝撃もなく、ふわり、と浮いた。少しだけ頭をもたげ、ワイバーンはぐんぐん加速して空の高みをめざす。
 どこまで上昇するのだろう、というかすかな不安が胸をかすめたとき、ヤシュラ船長が声を上げた。
「上昇停止! ネタンへの空路に入る!」
 指示に従った操舵手が舵を操作し、タルマバも素直に従った。
「おお、もういいぞ。あと一時間くらいはこのままだ」
 船長のことばで緊張が解ける。鬼姫さんはさっさと縄から抜け、縁に駆け寄った。少し出遅れて、わたしも向かうけど……縁までは寄れない。
 飛行機とは違い、あんまり高くは飛んでいない。それが返って、恐怖心を煽るかも。
「へえ、おもしろいもんだね。ほら、もうマーガが見えてきたよ」
 鬼姫さんはなんの恐れもなく、縁に手をついて身を乗り出す。
 空の彼方に大きな鳥のような影が見えたかと思うと、近づくにつれ、それが有翼の人間だとわかる。たぶん、レゴールさんたちの調査隊だ。
 その下に広がるのは、一見、それほど普段と変化のないような街並み。あちこち崩れてはいたけれど、遠目にはわからない。
 ――ああ、わたしたちはこういう経路をたどってやってきたんだなあ。
 この状況に慣れて恐怖心が和らいでくると、わたしは地上の道を目で追ってみたりする。マーガの異変もあったことだし、旅人の姿はない――
 と思ったら、ネタンへ向かう三人組の旅人の姿が見えた。さすがにここからでは人相風体はわからないけれど。
「アイちゃん、お菓子食べません? この景色の中で食べられるのって、素敵ですよ」
 わたしはけっこう夢中で眺めていたのか、ビストリカに声をかけられて一拍後に、ようやく気がつく。
「食べないなら、全部食べちまうぞ?」
 ジョーディさんに言われて振り返ると、ベンチに広げられたハンカチの上に盛られたクッキーは、もう半分くらいに減っていた。船員さんたちも何人か、通りすがりにつまんでいる。
 ああ、食べられてしまう! と、急いで駆け寄ってクッキーを手にする。よく考えればクッキーの一枚や二枚で慌てることもないのだけれど、やっぱり、有名な店のお土産なわけだし。自分の鞄に入っている安物クッキーとは違うのだ。
 実際食べてみて、そんなに大きな違いが感じられたかどうかというと、ちょっと微妙だけれど。
「早いもんだねえ。もう、ネタンが見えてきたよ」
 クッキーにも目をくれず、行く手を眺めていた鬼姫さんが言う。
「鬼姫さんは、ネタンで降りるんですよね?」
「ああ、魔王の討伐隊ができんだろ? あたいもそれに参加させてもらおうと思ってね。その日暮らしの傭兵だって、できればデカイ仕事がしたいものだし」
 わたしの問いに彼女はそう答えて、依頼料も高いだろうしね、と付け加える。
「魔王退治か……とっても、華麗なるナイトに相応しい役目だよ。悪しき魔王を打ち倒す勇者、それを助ける仲間たち! 参加できないのが残念だね」
 夢見るようなシェプルさんのことばに、となりで道化師さんが肩をすくめる。
「我々には、我々の役目がある。とりあえずは、水陽柱をどうにかするのを手伝うだけさ」
 そう、鬼姫さんやリアさんたちは、魔王を討伐することで。スールー氏は科学の力で。わたしたちは水陽柱を魔法で直すことで、世界を救う。
 もう、この世界での生活も残り少ない。研究所に帰ってもこれからはほとんど自主学習で、テストも最後の一度を残すのみ。
「ああ、もう見えてきたみたいよ」
 妙に感慨を抱いてたわたしの思考を、テルミ先生の声が遮った。
 地平線から綺麗で神秘的な都市の街並みが顔を出し、どんどん大きくなっていく。それを確認すると、ヤシュラ船長が降下の合図を出した。飛竜船が着陸するのは、アクセル・スレイヴァの敷地内にある専用スペースだ。

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第37話 空からの帰還(下)

 ――それからはもう、駆け足で時が過ぎていったような気がする。
 わたしたちはバタバタしていたからもう少しのんびりしたいところだったけど、ネタンで待っていたみんなにとっては、待ちくたびれるくらいの時間だったろう。一応、再テストには全員受かったらしく、わたしは置いていた荷物を取りに降りるだけで、すぐに飛竜船に戻ることになった。
 同じくネタンに残っていたみんなも船に乗り込み、見送りにフリスさんや食事時にお世話になった食堂の人たち、短い付き合いだった講師の魔術師数人とレゴールさんが顔を出していた。それと、船を降りたばかりの鬼姫さん。
 わたしはお土産に、フリスさんとリアさんあてのお土産を渡す。リアさんの分は、レゴールさんに。お土産としてサヴァイブで買ってきたのは、甘い乳果の餡入りパンの詰め合わせ。何個か多めに買って自分でも食べてみたけど、例えるなら、生ホワイトチョコレート入りのパイみたいな感じかも。レゴールさんにも、リアさんに渡してくれるお礼として、三つほど渡した。子どもの握りこぶし大くらいはあるので、三つでもけっこう食べ応えはある。
「ありがとう。うちのも喜ぶ」
 もののついでだけど、レゴールさんはかすかな笑みを浮かべて礼を言ってくれた。もともと美形で、いつもはクールな雰囲気だけど、そんな彼がほほ笑むと何だか妙に柔らかい印象で……ちょっとだけ、美男子にクラッなる女の子たちと同じ気分を味わう。
 でも、相手は既婚者だし異世界人だし、わたしはけっこう身持ちが固い。
「そういえば、どうなったんですか、マーガのこと」
 どんどん飛竜船に乗り込む他の地球人たちを横目に、わたしは誤魔化すようにきいてみた。実際、それはずっと気になっていたし。
「ああ。どうやら、魔封石から解き放たれた魔王の力が原因で間違いないようだ。その力に引かれて、夢魔どもが集まってきたのだろう」
「それで、町の人たちは……」
 この問いには、彼は少し言いよどむように、間をおいて答えた。
「今のところ、見つかってはいない。……魔王の力は、その他の生命を一瞬で蒸発させるほどの圧力を持つと、古い文献には書かれている。そして、魔封石の封印が解かれるのは、魔王が近くにいるか、その力が封印を砕くほど強大になっているときだ。アクセル・スレイヴァの上層部は間もなく、マーガの民が蒸発したことを発表し、早急に魔王討伐を行わねばならないと発表するだろう」
 ――やっぱり、マーガの人たちは駄目だったか……。
「なあ、あたいも参加できんだろ?」
 いつの間にかそばに来ていた鬼姫さんが口を挟む。
 レゴールさんはそちらをチラリと見て、
「正直、人手が足りないから歓迎したいところだが……きみには、いくつかテストを受けてもらうことになる。きみの腕なら簡単なことだ」
 そう断じる。鬼姫さんの剣技を見る機会なんてほとんどなかったと思うけれど、見る目があれば実力はわかるものらしい。
「じゃあ、頑張れよ、アイ。あたいも頑張るからさ」
「ええ。ちゃんと世界を救いますよ」
 わたしが苦笑すると、彼女は少し離れたところで船上を見上げていた道化師さんにそっと歩み寄り軽く肘打ちを食らわせる。
「あんたも、達者でな」
「ああ……きみも気をつけてな」
 ちょっと迷惑そうにしながら、道化師さんはそう応じた。

 地球人一同とエレオーシュ魔法研究所の教授・備え役たちを乗せた飛竜船は、半日ほどかけて移動し、研究所の広い敷地内に到着した。連絡が行っていたらしく、周囲には学生さんたちや残った人々が並び、迎えてくれた。
 地面に足をつけたときには、ほんの一年くらいだけど、何だかずっと住んでいた我が家に帰ってきたような気がして、ほっとした。同時に、妙に脱力してしまう。
 行きと比べて全然体力は使ってないけれど、環境が変わったせいだろうか。すぐに学生さんたちがパーティーを開いていくれる予定だったそうだけれど、わたし以外のみんなも疲れているようだったので、パーティーは三日後にずらされた。
 その三日後までは、休日だ。先生たちや備え役のほうも、色々と調整があるようだし。
「わたしたちがいない間、何か変わったことはありました?」
 休日の二日目の昼には、わたしは医務室に顔を出していた。それに、ビストリカはすぐにいつも通りの仕事に入っている。
 買ってきた首輪を着けたレコと遊んでいるマリーエちゃんのとなりで薬の整理をしているリフランさんが、わたしの問いに笑みを向ける。
「変わったといえば、雨が降ったことくらいかな。卒業間近な人も多いから、そっちで忙しくてね」
「卒業ですか。リフランさんたちは、まだこちらの方に?」
「ぼくとイラージは、来年卒業することにしたんだ。本当は今年だったんだけど、勉強したいことが増えてね」
 一体、どんなことを学びたいんだろう。そう思ってきいてみると、異世界とエルトリアの境界や、移動系魔法についての研究だという。わたしたちと出会ったことが、けっこう影響したのかな。
「アイちゃんたちも勉強、頑張ってね。わからないことがあれば、ぼくらも力になるから。……まあ、ぼくらもテストが近いんだけどね」
「そうそう、あなたたちも気合入れなきゃ駄目よ。それに、わからないことがあれば教授にききなさい。でないとこの時期、けっこうヒマなのよ」
 ことばを挟んできたのは、シェシュ茶入りのカップを手にしたテルミ先生。
 リフランさんはそれに笑みを返す。
「パーティーが終わったら、是非お願いしますよ」
 そう、翌日、そのパーティーはつつがなく行われた。
 会場は大広間。学長さんや、すっかり夫婦らしいロインさんとマリンダさんといった、ちょっと懐かしい顔も出席する。
 食堂のおばちゃんたちにより料理が用意され、わたしたち地球人も、ネタンで買ったお土産を振舞った。みんなでお金を出し合って買ってきたこのお土産は、干してハチミツに漬けた果物を載せた、小さなケーキの詰め合わせだ。わたしたちも食べるのは初めてだけど、香ばしくてかなりおいしい。素朴で、噛むほど色々な味が口の中に広がる、飽きない味。
 長いこと離れていただけに、居残り組みとの話は尽きない。でも、明日からも会話はできる。わたしは眠たくて、早めに切り上げることにした。
 あくびをしながら廊下を歩いていると、外が妙に明るいのに気がつく。窓から頭を出して見上げると、月が半月を過ぎ、徐々に満ちている風だ。
 その影に、何かが動く。誰か、月を眺めているのか、それとも星座観察か。
 パーティーには出ていない顔もあった。道化師さん、四楼儀さん、リアス先生、ジョーディさん、シェプルさん。
 備え役が全員出ることはできないから、道化師さんたちは見回りだろうか。
 妙に周囲が静かなのが落ち着かなくて、早く部屋に戻ろうと、歩き出して足を速める。
 どこかの部屋の前にさしかかったとき、話し声がした。
「なるほどねえ……」
 聞き取れたのは、その一言。聞き覚えのある声だ。
「やれやれ、また厄介なことにならなければいいけどねえ……」
 足音が聞こえ、わたしは急いで、角に姿を隠す。
 ドアが開き、頭を掻きながら去っていくのは、白衣にメガネの後姿。講義でもなければ地上では滅多に見かけないはずの、リョーダ・リアス教授だ。
 ――厄介なことって、一体なんだろう?
 妙な予感はしたものの、関わらないほうが安全かもしれない。それに……何か、あの人に声をかけると不幸が降りかかる気がするし。
 それでも、わたしはベッドに入ってからもしばらくは、そのことを気にかけていた。


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