エルトリア探訪日記

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・2008年05月31日:第33話 気分転換の日(上)
・2008年05月31日:第33話 気分転換の日(下)


第33話 気分転換の日(上)

 その日は、休日だった。魔法研究所にいるときよりは頻度は少ないが、ちゃんと休みの日はある。
 いつもは、宿の近くにある大きな図書館に寄ることが多かった。図書館には研究所の図書館にはない本も多いが、掲示板に張ってある論文やニュースも面白い。新魔法発見とか、水陽柱の研究とか。最近、夢魔が増加傾向にあり、それが水の流れの狂いの元凶ではないか、直すには魔王を倒さなければ根本的な解決は望めないのではないか、という意見が巷を騒がせているようだ。
 もし魔王を倒さなければ世界が救われないのなら、わたしたちがやることが無駄になるかもしれない。それでも、今わたしたち地球人にできることは、一生懸命勉強することだけれど。
 ――勉強は一生懸命やるからこそ、休みにはちょっとくらいハメを外してもいいはずだ。
 そう自分に言い訳をして、スカートのポケットに入れた鍵を確かめる。狙う時間は、黄昏時。それまで、どう時間を潰そうか。
 やっぱり図書館にでも行こうか、と石畳の道を引き返そうとしたとき、見覚えのある姿が近づいて来るのが見えた。
「あら、こんにちは、アイちゃん。お出かけですか?」
 ビストリカとテルミ先生と一緒に、マリーエちゃんもいる。
「夕方まで、どこかで時間潰そうと思って。今日は、マリーエちゃんも一緒なの?」
 挨拶を交わしたあと、わたしは屈み込んでマリーエちゃんに視線を合わせた。
 少女は嬉しそうに、左右の二人を見上げる。
「先生たちがね、あたしに可愛い服を買ってくれるの。この服も好きだけど、たくさんお洗濯してたら色が薄くなってきちゃったんだ」
 この一年間、べつに服は着て来た物一着だけだったというわけじゃない。寝巻きは支給されてるし、違う服を借りることだってできる。でも、みんな面倒なのか愛着があるのか、大抵、着てきた服を毎日洗って着ていた。
 わたしもほぼ毎日この制服を着てるけど、さすが丈夫、全然色落ちもしないなあ。
「買い物のあと、お店でお茶する予定なの。気分転換のつもりだったけど、時間を潰すにもいいんじゃない。それにしても、ネタンで用事って、何かあるの? 今日は別に、お祭りも近くの店のバーゲンセールもないはずだけど」
 テルミ先生が訊いて来るけど、まさか、本当のことを言うわけにはいかない。
「それはまあ、ここ少しの間にも、ちょっとした知り合いとかできてるし……その人、けっこう人見知りみたいで」
 嘘は言っていない。嘘は。
「まあ、そういうこともあるわよね」
「そうですね。アイちゃんは、すぐ仲良くなるから」
 テルミ先生のほうは、ちょっと怪しむような目を向けてくる。ビストリカのほうは信じきってるが。
「買い物とお茶、付き合いますよ。まだお小遣いもたくさん残ってるし。それに、そろそろ研究所のみんなへのお土産も買っておきたいし」
 やっとこの町にも慣れてきたところだけれど、そろそろ去る日が近づいている。
「あたしも、レコにお土産買うの」
「そうですね。レコの分も、忘れないようにしないと」
 マリーエちゃんが声を上げると、わたしたちだけでなく、近く通りかかった人たちにも笑顔がこぼれていた。

 ビストリカとテルミ先生が買い物に選んだのは、大通りに面した衣料店だった。そこで予想通り、マリーエちゃんは着せ替え人形状態。本人も喜んでいるからいいんだけれど。
 可愛いスカートと上着、ワン・ピースのスカートにリボンを買い込み、店を出たのは一時間くらい後のこと。本当はもっと買い込みたかったけれど、かさばるのでどうにか絞り込んだ。それでも、マリーエちゃんが持つには袋が大き過ぎるので、テルミ先生が持つ。
「何か、遠くまで歩く体力なくなっちゃったわね。そこのお店に入りましょう」
 と、テルミ先生が指さしたのは、小さなオープンカフェみたいな感じのお店。あんまり流行ってなさそうだけれど、大丈夫かな?
 お客さんは、わたしたちのほかに二人。席は空いている。奥の家の窓から見える主人が作り手で、注文をとりに来た女性が奥さんだろうか。
 ビストリカとマリーエちゃんは、地球で言うところのショートケーキ、テルミ先生はフルーツパフェを注文。わたしは、珍しい南方のデザートが気になって頼んでみたんだけど。
「……おいしくないですか?」
 わたしの微妙な表情を察して、ビストリカが小声で尋ねてくる。
「まずいってことはないんだけど……」
 南方っていうから、南方のさっぱりしたフルーツを使ったデザートだと想像していたんだけれど、実際は、何やら赤黒い鍋に刻んだ具が入ったもの。言われなければデザートとはわからない。
 味は、強いて言うなら、キムチと溶けたバニラアイスを混ぜたような味か。舌の上でうっ、となるような味になりかけたと思ったらバニラのような甘さが広がったり、何か、曖昧な味だ。
「好みに合わなけりゃ、残してもいいのよ。お金は払ってるんだから」
 テルミ先生はそう言うけれど、出されたものはできるだけ残さないのがわたしの流儀だ。黙々と、どうにか食べきるけれど……正直、口直しが欲しい。
 でも、変に珍しい物を頼んだ自分が悪いので仕方がない。ああ、ビストリカやマリーエちゃんみたいに、オードソックスなデザートを頼めばよかった。
「アイは、これから用事があるんでしょう?」
 まだちょっと早い時間帯だけれど、あんまり長く一緒にいると、感づかれるかもしれない。わたしはテルミ先生の問いかけにうなずいた。
「そろそろお別れしますね。……マリーエちゃん、良かったね。レコのお土産も買ったんでしょ?」
「うん、可愛い首輪を買ったの!」
 服も買ってもらったし、おいしいデザートも食べたし、少女は上機嫌だ。まあ、彼女は不機嫌な顔とか、全然見せないけど。
 宿に戻るマリーエちゃんとそれを送るという二人と別れ、わたしがまず向かったのは、近くの大きな公園。そのそばに、飲み物や軽めの食べ物を売っているお店がある。
 口の中にあの濃い味が残って仕方がない。わたしは木の葉製入れ物入りの、さっぱりした果汁をブレンドしたお茶を買い、ベンチに座って何の気なく周囲の人の流れを眺めていた。
 すると、その風景を、見覚えのある姿が横切る。
 布に包まれた人間大の何かを担いだジョーディさんと道化師さんが、どこかへ行くところだった。
 ―― 一体、どういう状況なんだ、それは。
「どうしたんですか。お二人とも」
 向こうはこっちに気がつかず、さっさと行ってしまいそうだったので、わたしは考える前に声をかけた。
 こっちを一瞥して、足を止めないまま、道化師さんが説明する。
「シェプルの奴に、これをイスマイル家に運ぶのを手伝って欲しいと呼び出されたのだがな……」
「そのわりには、シェプルさんは見当たりませんね」
「ああ。だから、我々だけで運ぶことにした」
 ずいぶん軽々と運んでいるけれど、わたしの目にも、荷物に軽量化の魔法がかけられているのがわかる。
「中身、何なんですか?」
 二人について行きながら、そう問うてみる。今度は、ジョーディさんが答えた。
「何でも……フリスはネタンに残るから、しばらく会えなくなる。だから、この愛の証になる贈り物を、とか何とか言ってたからなあ。飾りか芸術品かもなあ」
 ――芸術品でこの大きさ……というと、石像とか?
 中身が気になって、わたしはついて行くことにした。それにしても、プレゼントを贈るなら、当の本人がいなきゃダメだと思うんだけれど……一体どこにいるのやら。
 という疑問は、イスマイル邸で明かされることになる。
 イスマイル邸は、貴族の多く住む、閑静な住宅街にあった。
 豪邸だろうと思ってはいたけれど、敷地は予想以上の広さ。立派な門の向こうに、二階建ての屋敷の扉が小さく見える。扉に続く道の脇にある花壇は、端々まで手入れが行き届いている。
 わたしたちが扉に辿り着く前に、向こうから扉が開かれ、フリスさんが待っていた。彼女は貴族らしい、上質そうな生地のベージュのドレスを着ている。それでも、装飾は少ないし、貴族のお嬢さんにしてはかなり地味なほうな印象だけれど。
「あら、アイも来たんだ。でも、アイツはこなかったの?」
 目を丸くしているフリスさんに、ジョーディさんが、わたしにしたのと同じような説明をする。
「そうだったの。それはすまないわね。お茶の準備をしているから、三人とも、一服していってちょうだい。それは、とりあえずその辺に置いといて」

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第33話 気分転換の日(下)

 わたしたちは、屋敷のロビーに招き入れられた。クリーム色の天井に豪華なシャンデリアが美しい。壁の半分くらいは半透明なガラス張りで、銀の縁取りも綺麗だ。
 そこに、白水晶のような石を切り出したテーブルと椅子がしつらえてある。椅子の背もたれと腰掛部分は綺麗な金の刺繍が入った厚い布で覆われ、お尻や背中が痛くならないようになっている。
「それにしても、ずいぶんデカイ物をよこしたものだねえ。まあ、こういう物のほうが、ここには合ってるかもしれないけれど」
 お手伝いさんたちがお茶の準備をしている間、フリスさんが立てられた像らしき物に近づき、それを包む布に手を掛けた。
「でも、どういう像なのかが問題――」
 ばさり。
 布を取り払った途端、周囲の空気が止まった。
 そこでは、薔薇を一本くわえたシェプルさんが、天に手を差し出すようなポーズを取って立っていたのである。
「おお、やっと会えたねフリス! 待ち遠しかったよ」
「あんた……なんで……」
 我に返ると同時にあきれた声を上げるフリスさんに、ポーズをとったまま、シェプルさんが答える。
「きみへのプレゼントは、とても美しくて芸術的な物をと思って、一晩中悩んだんだ。そして、ボクは気がついた……そう、美しいものといえば、このボク自身を置いてほかにはないじゃないかと!」
 目を輝かせ、酔ったように抑揚をつけた声で告げる。
「さあ、フリス。ボクの美しさを充分堪能してくれ!」
 と、差し出された薔薇にフリスさんは、
「誰がするか!」
 慣れた調子でチョップを返した。

 フリスさんたちとお茶を飲んで、おいしいケーキも食べて――南方デザートの味も完全に口の中から払拭されたところで、わたしは早々に、お茶会から離れた。本当はもっと色々みんなの話を聞いていたかったんだけど……道化師さんとは図書館で良く会ってたし、ジョーディさんもどこかの川で何か釣ってきた、くらいのことは人づてに聞いていたけれど、フリスさんの今後の話とか、シェプルさんとのやり取りとか、好奇心をくすぐられることはあった。
 でも、それ以上に興味深いもののために、豪邸をあとにする。そろそろ、夕暮れどきだ。
 目的地の東倉庫は、中枢塔の近く。わたしは近くの公園――道化師さんたちと会ったのと同じ、中央公園でベンチに座り、行くタイミングを計る。
 やがて、黄昏が降りた。昼から夜へ移り変わる、ほの暗さが地上を包む。
 人が通り過ぎるのを見計らい、木の陰に入って呪文を唱える。
「〈キシェファム・ファメル〉」
 以前も使った、姿を消す幻術。今なら、二分程度は維持することができる。
 とはいえ、余裕があるほど長い時間じゃない。こんな時間でも人の出入りが多い門を駆け抜けて、わたしは、見回りの人だけがそばにいる東倉庫へ。
 幸い、両開きの大きな扉に飛びついたときには、誰もいなかった。わたしは鍵を取り出し、鍵穴に突っ込む。
 が、まったく合わない。鍵に対して、鍵穴が大き過ぎる。
 鍵の別の場所に差し込めるような部分はないし、鍵穴もほかに見当たらないし。まさか、鍵を間違えたとか、エベリンさんの時代とは鍵を変えたとか?
 焦るうちに、足音が聞こえてきた。
 ――そろそろ、幻術が切れる!
 わたしは急いで、建物の左手に回る。すると、そこにも小さな扉があった。正面の扉とは違う、勝手口のような、粗末なものだ。
 素早く鍵を差し込むと、そことは鍵が合う。
 鍵をあけ、ドアの中に滑り込むと、わたしは内側から鍵を閉める。これで、見つかることはないはず。
 やっと落ち着いて、周囲を見回す。中は暗く、空気は冷ややかで、少し、金属が錆びついたような臭いがした。
 ドアの隙間から差し込む光を頼りに、短い廊下を歩く。すぐに辿り着いた部屋には小さな窓があり、周囲を眺めるには充分な明るさがある。
 部屋はけっこう狭く、正面入り口側とわたしが入ってきた側の壁に地味なドアがある。
 でも、目的のものはこの部屋にあった。どうやら、エベリンさんは直通のドアの鍵をくれたらしい。
 奥の側の壁に、色々な装置をつなげたような塊があった。塊の一部には、古い魔法語らしい言語が刻まれている。
 ――これが、わたしたちを呼び出した装置か。
 見たところでは、ガラクタの山のような印象もあるけれど……理解できない物は、そう見えるというだけか。
 そういえば、時間を操る魔法の研究内容が書かれた魔導書に、似たような文字が書かれていたような気がする。
 そう思いながら、手を伸ばして、その文字に触れてみると。
 ――……よ……。
 人の声が聞こえた気がした。
 誰かに気がつかれたのか。少し焦って周囲を見回すものの、辺りは、変わらず静かで冷ややかな空気に包まれている。
 じゃあ、今のは一体。
 ――我が主よ。わたしは、時空歪曲装置。
 重々しい、男の声だ。装置、というと、この、わたしたちを召喚した装置のことだろうか。そのナビゲーションが、この声……?
「……あなたは、この機械なの?」
 ちょっと間抜けな様子だけれど、装置に触れたまま、声に出して聞いてみる。
 ――肯定。それがわたし。わたしに用事があるときには、いつでも命じられたし。
「それじゃあ、わたしが今すぐ地球に帰りたいとか言ったら、帰してくれる?」
 ――今はまだ、そのときではない。
 何だ。けっこう融通が利かないな。
 しかし、何だってわたしを主と呼ぶのだろう。あ、もしかして、わたしを変幻自在の魔術師アイと勘違いしているのか?
 でも、実際に用事を頼むことなんてなさそうだな。
 ――時を越える、世界を越える力が必要になるときが来る。それまで、わたしは眠りにつく。さらば、我が主よ。
 言うだけ言って、声は黙る。
 時を越える力……あの老魔術師ラードックが研究していたものと同じようなものか。もしかして、彼はこの装置の力を解析しようとしていた、もしくは、魔術師アイに先を越されたのかもしれない。
 わたしは、色々と想像しながら倉庫を出た。もちろん、ドアを開ける前に呪文を唱え、幻術を使ってから。
 装置と話せることがわかって想像以上に面白かったけれど、次、わたしがあそこを訪れるとしたら、帰るときになるだろう。いや、来たときのことを考えたら、これが最初で最後になるかもしれない。
 そう思うともうちょっと長くいたかったが、陽は落ち始めると早い。もう周囲はほとんど夜の景色だ。
 そろそろ、ネタンでのしめくくりになるテストもある。それが終わると、帰りは飛竜船で魔法研究所に舞い戻ることになる。ネタンには、魔法研究所での勉強を終えた後にも、一度寄ることになるけれど。何せ、水陽柱を直すため、動員できるだけの魔術師を呼び集め、飛竜船に乗せるそうだし。
 そうしてみんなで一斉に力を注いだ魔法が成功すれば、わたしたちの役目も終わる。
 ……と思ったけど、そういや例の議論はどうなったのかな? 結局、魔王を倒さないと駄目なんだろうか。
 まあ、それはコラールさんとか、上の人たちが考えることだろう。魔王がどういう人物なのかとか、色々と興味はあるけれど……きっと凶悪で強大だろうし、そこまでの危険に首を突っ込む気にはならない。
 大人しく宿に戻る途中、掲示板の前を通りかかる。すると、丁度今考えていた議論のレポートのほかに、新たなニュースが貼り出されていた。それによると、となり町で保管されている封魔石が、最近力を増しているらしい。
 封魔石、と聞くと、嫌な思い出がよみがえる。わたしはそのニュースを忘れることにして、足を速めた。


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