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・2008年05月20日:第32話 聖王都の奥に(上)
・2008年05月20日:第32話 聖王都の奥に(下)
第32話 聖王都の奥に(上)
ネタンの街並みは、ガラス細工のように芸術的だった。写真の一枚も撮っておいたら記念になるかも、と、携帯電話のカメラで撮る。そうだ、後でビストリカたちも撮っておこ。
ともかく、都市の中心にあるのは太く背の高い塔。アクセル・スレイヴァや市庁が入っているという、中枢塔だ。
それよりは貧相だけど、いくつも魔術師の拠点になる塔が建っている。石造りの古風なものから、白く半透明な、本当にガラス細工のように綺麗なものまで。
わたしたちがまず案内され、以後宿泊場所にしているのは、中世ヨーロッパの宮廷にも似た、大きな宿。二階建てで、赤と緑の外壁がお洒落だ。
食堂は研究所より広いけど、シャンデリアが豪華なだけで余り雰囲気は変わらない。勉強も、図書館を借りたり宿のロビーを借りたり、中枢塔の一室を借りたりしながら、その道の権威に教わったりするものの、やっぱりやってること自体は余り変わらないかも。それでも、良く考えてみれば、初期よりだいぶ高度な内容をやっているかもしれない。
そんな感じで、ネタンでの勉強にも慣れてきたところで、わたしはいずれはやろうと思っていた、聖王都探検を決行することにした。
探検と言っても、放課後に一人で、行ったことのない場所に行ってみよう、というくらいの話だ。子どもがやる『探検ごっこ』に等しいかもしれない。それも、この都市の治安がいいからこそできること。
それでも、薄暗い小路の奥に踏み込んでいくと、ちょっと不安になるものの、その不安も、スリルとして楽しむくらいの余裕はある。
今日わたしが探検するのは、余り社交的ではない魔術師たちが静かに生活しているという居住区だ。余り人の手が入っていないような場所にある洞窟を住処とする魔術師がいたり、蜘蛛の巣のような建物に住む魔術師がいたり――ともかく、風景を眺めているだけでも飽きない。
それにしても、驚くほど通行人がいない。途中、茶色のフードつきローブに身を包んだ、わたしと同じくらいの背格好の魔術師らしき人、ひとりとすれ違ったくらいだ。
アーケードのような、装飾は巨大な大聖堂のようなトンネルに入って間もなく、わたしは声を聞いた。
「そこのお嬢さん」
低い、あきらかに年寄りめいた声だ。少し疲れたような、必死に声を絞り出そうとしている感じがあった。
声の主を捜すと、トンネルを飾る像の向こうに、小さな穴が開いていることに気がつく。
「こんにちは。あなたは、そこに住んでいらっしゃるんですか?」
穴をのぞくと、空間はけっこう広い。棚や机、本棚などが並び、声の主はベッドに横たわっている。顔が白い髭と白髪に埋もれそうな、ローブ姿の老人だ。
「ああ、ここがわたしの家さ。ところで……きみは、魔術師だね?」
「ええ……正確には、その卵ですが」
「それじゃあ、是非渡したいものがある。こっちへ来てくれるかい? お茶の一杯も出すから」
お茶に釣られたわけでもないけれど、わたしは好奇心を刺激され、穴を通り抜けて、古そうな木の椅子に座った。目の前の机の上に載った厚い本が勝手に開き、パラパラとめくられる。同時に、カランカランとスプーンがかき混ぜるような涼しい音が響き、本の上のティーポットが自動的に傾いて下のカップに熱いお茶を注ぐ。
――お客さんが座ったら、勝手にお茶を入れるような魔法の仕掛けを施してあるのか。便利だな。
「いただきます」
遠慮なく、お茶を口にする。馴染み深いシェシュ茶じゃなくて、もっと濃い、渋めのお茶だ。日本茶に近いかも。
「それで、渡したい物って……手紙とかですか? ちょっと遠くっても、エレオーシュの帰りに届けられるかもしれませんよ」
そう、わたしは親切をするつもりで首を突っ込んだのだった。
でも、彼の渡したい物は、予想とは違っていた。
「いや……手紙じゃないんだ。きみに、これを受け取って欲しい」
そう言ってベッドのそばの棚の上からこちらに突き出したのは、魔導書だ。
「わたしはね、こう見えても古い魔術師で……名を、ラードックという。長年、時を操る魔法を研究してきた。しかし、もうわたしも寿命だ。これをきみに託したい」
時を操る魔法、と聞いて、わたしは好奇心を揺さぶられながらも、驚いた。この魔法が使えれば、世界を根底から揺るがすことになるんじゃあ。
「いいんですか、そんな重要な物……」
「あいにく、それは未完成でね。でも、危険な物なのも確かだ。だから、わたしはきみに託したい。人を見る目はあるつもりだよ」
失礼だけど、もっと信用できる魔術師の友人はいなかったのか、と、ちょっと思う。でも、わたしの格好を見て異世界人だと気がついたのかもしれない、と思い直した。危険な魔導書も、異世界に持っていけば意味を成さない。
「では、これはいただいて行きます」
わたしがそう決意して鞄に魔導書を仕舞うと、老魔術師は、満足げに何度も礼を言った。最後に心残りを解消した彼は、何の心配事もなさそうな幸せな様子で眠りについた。
起こさないようそっと抜け出し、わたしはまた、考え事をしながら奥へ歩く。
魔導書、と言えば、怪盗アルトにもらった魔導書も読み込んでいた。どうも盗みに役立つ魔法らしく、少し離れたところにある物を手もとに引き寄せる魔法らしい。壁があろうと対象が見えていさえすれば引き寄せられるが、けっこう近くじゃないと使えない。まさに、盗み以外じゃ役に立たなそうな魔法だ。
もっと熟練した腕があるなら、呪文無しで使えるから両手塞がってるときに便利かも。上着を着ながら荷物を足元に引き寄せるとか。
――でも、いちいち魔法を使うまでのことじゃないよなあ……。
そんな風に、せっかく習得してしまった新魔法の使い道を色々と考えているうちに、ずいぶん奥まったところに来てしまったらしい。トンネルを一旦抜けて入った神殿らしき建物内で足を止める。そろそろ、行き止まりになりそうだ。
引き返そうと振り向いて、一瞬、心臓が止まりそうになる。
そこに、つい先ほどまでなかったはずの姿があった。
安心させるようにほほ笑んでいるのは、綺麗な女性。白い肌に栗色の長い髪、服は白い神話に出てくる女神が身に着けているようなデザインで、本当に女神に思えた。
「え……あの、すいません。勝手に入って」
まず謝るのは、日本人の性かもしれない。
でも、相手は気分を害した風でもなく、
「あら、いいのですよ。一緒にお茶でもいかが? わたしはエベリンっていう、ここで隠居してる魔術師なの。あなた、アイちゃんでしょう?」
唐突なことを言う。
「え……なんで、わたしの名前を?」
「同じ名前の人に凄く似てるの。だから、そうじゃないかなって、何となく」
同じ名前の人って……変幻自在の魔術師アイのことだろうか。
ちょっと放心したような気分のまま、わたしは招かれるままに、奥の客間らしい部屋に通された。建物自体は石造りだけれどここは木造で、小さめだけれど、温かみのある部屋だ。
温かいお茶が入れられる。これは、馴染みのあるシェシュ茶。それと、木の実入りの、香ばしいケーキが出された。
――何だか、今日はお茶してばかりだなあ。
そんな風に思いながら、カップを傾ける。何か、いつもと味が違うような気がした。ビストリカとかが入れるのとは違うような。
「これ、何か入れてあるんですか? ミルクでもないし……でも、味がまろやかなような……」
第32話 聖王都の奥に(下)
お茶の味の違いなんて良くわからないけれど、わたしの感想は割と的を射ていたらしい。
「北方産の蜂蜜と海草の葉がブレンドしてあるの。ストレートもいいけど、わたしはこっちのほうが好きでね」
「色々種類があるんですね」
「お茶にうるさい人は、本当に色々と自分で考えてブレンドするの。シェシュ茶を元にしたお酒も、けっこう種類が多いのよ」
「へえ……」
こっちの世界独自のお酒なんて持って返ったら、父さんやお爺ちゃんが喜ぶかも……などと一瞬考えるが、どう説明するのかとか、そんな得体の知れないもの飲んでくれるのかとか色々疑問が浮かび、よしておくことにした。
「エベリンさんは、魔術師アイの顔を見たことあるんだから、会ったことあるんですよね? どんな人でした?」
ケーキを口にしてみる。いい香りがふわった口の中に広がり、木の実と、柔らかい生地の歯触りもいい。
「そうね……好奇心旺盛で、いつも、周りを楽しませてくれる人ね。それに、優秀な研究者でもあった。あなたたちをこの世界に召喚した装置も、彼女が造ったものなのよ」
「その装置って、ネタンにあるんですよね?」
そう言えば、今まであんまり考えてなかった。どうやって世界に召喚されたのか。大規模な儀式を行って、帰りは召喚された瞬間の一秒後に戻されるとかいう話だったけれど。
「ええ、そう。大勢の魔術師が力を合わせて魔力を高めないと動かせないものだけれど、製作者である彼女だけは、面倒な儀式も大きな魔力も必要なく、装置を自在に動かせたの。装置は、今はアクセル・スレイヴァの監視下にあるわ」
そりゃ、簡単には動かせないとはいえ、それだけ重要なものは厳重に保管されているだろうなあ。ちょっと見たかったけど、無理そうだ。
「立ち入り禁止の先にあるなら、見れなそうですね」
わたしが溜め息交じりに言うと、エベリンさんはちょっといたずらっぽくほほ笑んだ。
「あなたに、これをあげちゃう」
お茶目な口調で言ってテーブルに置いたのは、綺麗な青い石が飾られた、大きな鍵だ。
――これってまさか……。
「アクセル・スレイヴァの東倉庫の鍵よ。警備は厳重だけど、あなたならきっと大丈夫」
「……何で、そんな物をわたしに? それに、なぜあなたがそれを……?」
ちょっと混乱しているわたしに、彼女はさらに深い笑みを作る。
「わたしも、昔はアクセル・スレイヴァでちょっとした役職についていてね。今は、こうして使い捨てにされたようなものだけれど。ここに訪ねて来るのは、わたしの子どもたちか、たまに古い知り合いが来るくらいのことよ」
使い捨て、ということばを口にするときの彼女は、ちょっと懐かしそうにも、自嘲気味にも見えた。アクセル・スレイヴァにも権利闘争とか、何かドロドロしたものがあるんだろうか。
それにしても、子どもがいるとは。魔術師だから当たり前だけれど、とてもそういう歳には見えない。
「この鍵は、あなたへのお礼よ。こんなところに訪ねてくれる人は、そうそういないし。それに、あなたがわたしの古い友人に良く似てるっていうのも、理由のひとつかもしれないわね」
理由はどうでも、わたしにとってはありがたい。これでちょっとは好奇心を満たせる。
「ありがとうございます。本当に嬉しいです」
わたしは大事に、鍵を鞄に仕舞った。
「今日は、本当にいい日だわ。久々に、子どもたちも訪ねてくることになっているの。こんなに楽しい日は久々」
「え……それじゃあ、わたしは、そろそろ失礼します」
わたしが立ち上がると、彼女は、えっ、という顔をした。
「あら、まだいいのに」
「でも、色々準備とか、あるじゃないですか。わたしもそろそろ戻らないと、心配されるかもしれないし。ケーキもお茶も凄くおいしかったです、ありがとうございました。それに、鍵も」
鞄を胸に抱いて、頭を下げる。一応ビストリカには言ってきてるし、まだ戻るには早いかもしれないが、親子水入らずを邪魔しちゃ悪いし。
エベリンさんは名残惜しそうに、神殿の出口まで出て手を振ってくれた。
わたしはとりあえず、もと来た道を戻る。トンネルを抜けて、街の喧騒が近づいてくるまで。
やっと街らしい雰囲気の通りへ近づこうというとき、行く手に立ち塞がるように、見覚えのある姿が見えた。
「相変わらず、好奇心旺盛だね、お
あきれたようにこちらを見る、黒目黒髪の魔術師。
「安全なところにしか行きませんよー。四楼儀さんは、待ち伏せ?」
「別に、お主を待っていたわけではない」
溜め息を洩らし、彼はこちらに一歩踏み出す。
「お主……この奥で、誰かに会ったか?」
何か、含みがあるような言い方だった。会われてまずい相手でもいるんだろうか。
「いいえ、別に」
わたしは何のためらいもなく即答していた。鍵をもらったことがバレたらエベリンさんの立場が悪くなるかもしれないし、時を操る魔法のことも、余り広めないほうがいいだろう……相手が四楼儀さんなら問題なさそうだけど、念のため。
四楼儀さんは、深くは追求してこない。
「そうか、ならいいが。暗くなる前に戻ったほうがいいさね」
「わかってる」
ことばを交わして、彼はわたしが行って来た道を辿っていく。
その背中を見送り、わたしは何となくわかった。
――そういう、ことか。
理解して、でも、それ以上詮索することもなくて。わたしは一度、大きな通りに出た。
それから、近くにある小さな池で舟にでも乗ってみようと思ったものの、船着場でシェプルさんとフリスさんが何か話し込んでいたので、邪魔にならないよう、素通りすることにする。何を話しているのか気にはなったが、それも詮索するようなことじゃない。
そういや、二人とも実家はネタンにあるんだっけ。きっと、豪勢な家なんだろうな。今度、貴族の居住区でも散歩してみよう……凄く、場違いになりそうな気もするけれど。
――それに、鍵を使う計画も立てなくちゃ。
わたしは歩きながら、鞄の中の鍵の感触を確かめた。
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