エルトリア探訪日記

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・2008年05月10日:第31話 水のあふるる地にて(上)
・2008年05月10日:第31話 水のあふるる地にて(下)


第31話 水のあふるる地にて(上)

 わたしたちがサビキを訪れたのは、もう一週間以上前のこと。
 湖畔の町、というのは聞いていたけれど、ここまで水辺に近いというのは予想していなかった。湖はまるで鏡のような湖面に、空と塔のような水陰柱を映している。少し目を凝らしてみると、底に、苔むした古い街並みが見えた。
 少し崩れた門の外の木に馬車をつなぎ、わたしたちは町の大通りだったらしい、広い道を歩く。すぐに、水の枯れた噴水と木の長椅子に突き当たった。
 同じ平地にある建物は少ない。小さな港に、奥に見える教会らしき建物と、何軒かの、人が住んでいるかどうかもわからない民家、それに湖に突き出したところにある半壊した古い神殿に、ずっと奥にある水陰柱とそれを支えるような塔。
 人々が住むのは、湖とは反対側にある、段になった岡だ。高い位置ほど建物が多い。水位上昇対策か。対岸に小さく見える町も、似たような構造らしい。
 空は青く水は澄み、古代風の街並みも趣があるけれど、どこか物悲しい――そんな街並み。
「で、あいつらどこに行ったんだ?」
 とりあえず木のベンチに腰を落ち着けてからジョーディさんが言ったのは、もちろん、四楼儀さんとアウレリアさんのこと。
 ここまで来る間にもいくつか村や町に寄ったけれど、二人の足取りはつかめず。ただ、目的地は一緒だから、それほど心配はしてなかった。
 きっと、二人とも――少なくともアウレリアさんのほうは、ここに来ているはず。
「わたしがその辺を探して来よう。きみたちはここにいてくれ」
 ビストリカがお茶の準備をしている。そう言えば、前に寄った町でおいしそうなクッキーを買って来てたんだった。楽しみだなあ。
 そんなのん気なわたしたちの様子を一瞥して、道化師さんが奥へと足を進める。とりあえず、今回の旅の目的のひとつである、水陰柱の近くを調べてみるつもりらしい。
 そして、捜索行はすぐに終わった。
「あ、あなたたちも来たのね。ようこそサビキへ!」
 明るく言って教会から出てきたのは、まだ付き合いも短い、アウレリア――リアさん。彼女は最初に出会ったときのコートを脱ぎ、ローブ姿になっている。教会がいかにもお似合いの、ちょっとマリンダさんに似た感じのローブだ。
「お茶してるの? そのクッキー、おいしそうじゃない」
「リアさんも、一緒にどうです?」
 わたしが誘うと、肩をすくめて戻ってくる道化師さんの横で、彼女は嬉しそうに声を上げる。
「いいわね、一休みしましょう。空気もいいし、ティータイムには丁度いいわ」
 さばさばした感じで言って、わたしたちと一緒にベンチでシェシュ茶をすすり始める。クッキーは木の実入りで、サクサクしておいしい。
「……それで、四楼儀は来ているのか?」
 しばらく腕組みをして目を細めていた道化師さんが、わたしが何か忘れているような気がしていた、その忘れていたことを指摘する。
 リアさんはクッキーを摘みながら、何気なく答えた。
「ああ、その辺にいるわ。まったく、久々に姉に再会したのに、何も逃げることないじゃないの」
 ぶはぁっ。
 聞いていたジョーディさんが茶を噴いた。
「あ、姉ぇ?」
「似てない姉弟だねえ……」
 思わず本音が洩れてしまう。でも、リアさんはそれを気にした様子もなく、機嫌良くクッキーを味わっていた。
 わたしはお茶を全部飲み干すと、持ち前の好奇心が頭をもたげてくる。まだクッキーは残っているし、食べたい気もしているけれど、それより、色々見てみたい気持ちのほうが強い。
「ちょっとその辺、見てくるよ」
 ビストリカに断って、わたしはとりあえず、湖を眺める。
 下には、古い街並み。墓や、公園らしきものも見える。犠牲者も出たそうだし、未だ行方不明のままの、亡くなった人が眠っていたりもするのだろう。
 それにしても、なんであの神殿は古そうなのに、あんな高いところにあったんだろう。
 そちらに足を向けようとしたとき、人影がその神殿の向こうから、奥へ向かうのが見えた。
 ――もしかして、あれは。
 そう思って、追いかけてみる。教会と神殿の間を抜けた、さらに奥へ。
 視界を遮る建物が何もなくなると、中心に、水陰柱が見えた。それを中心に突き立てたような、黒い岩のような素材でできた塔が建っている。塔の表面には古い魔法の紋章のようなものが刻まれ、魔力が天まで立ち昇っているのを感じた。
 天から流れる水を抑えるその力が弱まっているから強化しようというのが、今回の旅の目的のひとつ。その抑制魔法がどれほど弱まっているのかどうかは、わたしには確かめられないが。
 そして、その辺にゴロゴロと、塔の壁と同じようなものや、崩れたそれの残骸のようなものが転がっていた。今、水陰柱を支える塔に欠けた部分はない。元々塔の役目を果たしていた、使い古しの壁だろうか。
 半ば雑草に埋もれたそれらを避けて歩きながら、わたしは、水陰柱を見上げる、見覚えのある姿に近づいた。
「ようやく来たみたいだね。……わんの話も聞いただろう」
 気配に気づいていたらしく、振り返りもせずにちょっと嫌そうに言う。
「なんで逃げたの? 別に、仲が悪いわけじゃないでしょ」
「仲の問題ではないよ。おんしに兄か姉がいればわかるかも知れんがねえ」
 あいにく、わたしには兄も姉もいない。でも、なんとなくわかるような、わからないような。
「しかしまあ、血のつながりは、逃げても仕方がないものだがねえ……ここへ来て、良くわかったよ」
 辺りを見回して、彼は意味深長な調子で言う。
「ここって、町が沈んだほかにも、何かあったとか……?」
 草がまばらに生えた大地は、ところどころ穴が開いていて、さっきから目に付く残骸がゴロゴロしているのもあって、ちょっと退廃的な雰囲気がある。かつて、ここで何か悲惨なことがあったような、そんな余韻が。
 そして、そんなわたしの印象は、間違いではなかったらしい。
「ここでは、昔、大きな事故があったのさ」
 どこか遠い目で、彼は水陰柱を支えるような塔を見上げた。
「当時、この装置を設計した連中が、少し水陰柱の力を見誤った……いや、予想以上の速さで、前の抑制魔法が弱っていたのかもしれないがね。それで、塔は崩壊し、弾けた。もちろん、犠牲者もたくさん出たよ。随分昔の話だし、儂も、記憶が薄れておったがねえ……」
 ――何だか、事故当時、現場にいたような口ぶりだな。
「ここに来て、思い出したこともある。無意識のうちにここに来るのを避けておったが、来て良かったよ」
 やっぱり、彼は事故があったときにここにいたらしい。そう言えば、前にそんなような話を聞いたような……?
 一人でなにやら納得している様子だけれど、わたしはなんとなく、説明を求める気にはなれなかった。
 これからどうするか、と振り向いて見ると、お茶をしていたはずのみんながこちらに歩いてくるのが見える。
 リアさんの姿を見ると、四楼儀さんはちょっとビクッとなって、後退る。
「……本当に苦手なんだね……」
「苦手だ。もはや、条件反射のようなものだよ。走って逃げ続けて、近くの村の前でぶっ倒れてやっと捕まったくらいさね」
 ちょっとあきれたわたしのことばに、彼は非常に情けない話を披露する。
 普段は泰然自若としている彼の情けない話は、普通なら愉快なもののはずだけれど、むしろここまでくると、同情を禁じ得ない。
 そんなことおかまい無しに、リアさんは張り切って駆け寄ってくる。
「ほら、そろそろ始めるわよ。これも仕事のうちなんだから」
「わかっている。だから、余り近づくな」
 手招きして塔に向かうリアさんから少し距離を置いて、四楼儀さんが歩く。それを、顔を見合わせて、道化師さんとビストリカが追った。
 わたしは近くで見学したい気もしたけど、ジョーディさんとヴィーランドさんが外に残るようなので、そちらにお付き合い。それに、事故があったという話を聞いたばかりだし、分かれてたほうが、何かあったときにいいかもしれない。
「ほんと、いつ見ても凄いよな、水陰柱って」
 残骸のひとつを椅子代わりにしながら、ヴィーランドさんが世間話を振る。
「おう。でも、水陽柱はもっと凄えぞ。これの何十倍も太いからな。ま、オレも一回だけしか見たことねえけんどよ」
「確か、それって、海のど真ん中にあるんですよね」
 見るには、船か……あるいは、空からじゃないと無理だ。
「まあな。サヴァイブの飛竜船に乗ったことがあって、それで遠くに見たんだよ。遠くからでも、はっきり太い柱みたいに見えたぜ」
 ジョーディさんが空を仰ぐ。きっと、水陽柱がある方向だ。
 まあ、わたしたちだって、そう遠くないうちに水陽柱を目にすることになる。水陽柱を直すこと、それがわたしたちがこの世界に呼ばれた理由なのだから。
「ネタンからの帰りは、飛竜船を使おうって話もあるからな。それに」
 と、ことばを続けようとして、ジョーディさんは視線をめぐらせた。わたしたちも同時に見上げる。

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第31話 水のあふるる地にて(下)

 キイイ、と高い音がして、光が塔の根元から天へ立ち昇る。
 光はすぐに薄れるものの、つい先ほどまでより、水陰柱を囲む魔力が強くなったのがわかる。
「一仕事終わったか」
 ジョーディさんの言うように、間もなく、塔に入っていった四人が出てくる。四人とも、ちょっと疲れた顔。
「あとはネタンに行くだけだが……」
「でも、けっこう疲れたでしょう? それに、町長が是非、お礼をさせて欲しいって言うの。大役をこなした後なんだし、ちょっとゆっくりしたってバチは当たらないわよ」
 リアさんがそう積極的に提案すると、誰も反論しようがない。べつに、反論する理由もないし。
「じゃあ、町長と話をつけてくるから、用事がなかったら一番高いところにある家に来て。今夜はご馳走作ってくれるそうよ」
 嬉々として言って、彼女は階段へと駆けて行く。
「わたしも長老の家に行っておこう」
「儂もだ。少々疲れたしな」
 道化師さんと四楼儀さんは早速、長老の家へ。ジョーディさんとヴィーランドさんは港を見るつもりらしい。魚が釣れるのかな。
 わたしはと言うと――。
「アイちゃん、わたくし、教会を見てみようと思うのですが……良かったら、一緒に見てみます?」
「うん、一緒に行こうか」
 ビストリカと一緒に、まずは教会を覗いてみることにした。
 教会は装飾はそれほど凝っていないが、歴史はありそうだ。その分、荘厳というか、重々しさを感じる。
 でも、それだけに、人が住んでいるとは想像しにくかった。
「あら、今日はお客さんがたくさんですね」
 シスター風の老女が、めくっていた本から顔を上げた。
 内装は木で補強されていて、暖かそうな雰囲気だ。ただ、人の気配は老女一人だけ。並んだ長椅子も、滅多に使われていなそうだ。
「わたくしたち、旅の仲間なんです。先ほどこちらにいたリアさんも仲間でして」
「そうでしたか。今、お茶をお出ししますね。どうぞ、お座りになって待っていてください」
「いえいえ、おかまいなく」
 言いながら、素直に椅子に腰を下ろす。天井が高く、窓から入った光とロウソクの光が独特の空気を作り出している。
 奥の祭壇にある小さめの石像は、メセト神のものか。
 老女が戻ってくると、ビストリカが持参したクッキーの残りをハンカチに乗せてテーブルに置きながら、口を開く。
「こちらに住んでいると、怖くありません? いつまた、水位が上がるのかと」
 その問いに、老女はほほ笑んだ。
「魔術師のかたにはわかりづらいかもしれませんが……歳をとると、なかなか動きづらいものでしてね。それに、皆さんが水陰柱を抑えてくださったんでしょう?」
 どうやら、わたしたちについての簡単な話は聞いていたらしい。
 わたしはでも、全然別のことを訊いてみたかった。
「あの神殿も、ここの教会と同じメセチア教のものなんですか?」
 考えてみれば、ひとつの小さな町に教会と神殿があるというのは、何か特別な理由がありそうだし。
 わたしのことばに、椅子に腰を下ろした老女は少し沈んだ顔をする。
 ――訊かない方がいい話だったのかな。
 言いたくなければいい、とわたしが断る前に、彼女は話し始める。
 あの湖に突き出したところにある神殿は、魔王の神殿、だと。
 正確には、魔王を引き寄せるためのものらしい。日食の日、魔王の魔力を引き寄せるのだとか。そして、かつては魔王を引き裂くために作られた聖霊の剣が祭られていたらしいが、今はその剣もどこかに失われたらしい。
「この教会は、魔王の魂を鎮めようという目的のために建てられたのだそうです。だから、数々の魔王の魂が葬られた、湖にできるだけ近くありたい。そう、先代の司祭さまはおっしゃられていました」
 魔王の魂を鎮めるためか。
 どうでもいいけれど、魔王が葬られていたり、たくさん人が亡くなっている湖で釣った魚とか、食べる気になるかな……わたしは、ちょっと微妙。
 そんな馬鹿馬鹿しいような質問にも、司祭さんは笑顔で答えてくれた。
「大丈夫ですよ、水は流れて行くものですから。この湖で亡くなった人々も流れに乗り、水陽柱で吸い上げられて天に召されたことでしょう。天に湛えられた水は、すべてを浄化する……心配しなくても、大丈夫ですよ。気兼ねなく、魚料理を楽しんでください」
 別に本気で悩んでいたわけじゃないけど、ちょっと安心した。
 少し世間話をしてから、わたしとビストリカは教会を出た。すると、もう陽が傾き、大地にオレンジ色の光を投げかけている。神殿のほうを向くと、黄昏のような風景になって趣がある。
「そろそろお腹がすいてきました」
 と言うビストリカと別れて、わたしは神殿に入ってみることにした。遺跡やなんかみたいに入場制限があるのかと思えば、どうやら出入り自由らしい。
 建物は古いけれど、何か特殊な素材ででもできているのか、撫でて埃を落とせば壁の表面に傷ひとつない。そう簡単に壊したりできないから、放置されているのかも知れない。
 ――それじゃあ、あの穴はなんなんだろう。
 神殿に入ると、奥の壁から天井に至る、大きな穴から湖面が見える。
 穴の周囲の壁にはひび割れが走り、最初からあったものだとは思えない。それに、祭壇の上やその周囲の床にも、残骸らしい岩が転がっている。
 ここで大きな戦いがあって、その余波でこうなったとか。
 そんな想像をしながら、穴に近づいてみる。この穴から、何代もの魔王が葬られていったのかと思うと、何の関係もないのに感慨深い気になる。
 それにしても、魔王に対抗できる剣が失われてると言うけれど、それじゃあ今魔王が現われたらどうするんだろ? そういや、次の日食は来月だっけ。
 まあ、それは余計なお世話というヤツか。わたしたちがこっちの世界にいる間に、魔王が現われるとは限らないし。もちろん、ビストリカたちのことは心配だから、こっちの世界も平和なのが一番だけれど。
 穴からさし込む光が、暗さを増してくる。
「あら、ここにいたの」
 丁度そろそろ戻ろうかと思ったとき、入り口から声がかかった。
「ここ、魔王の神殿なのよねえ。ネタンの記録でも、何度も戦いがあったそうよ。わたしは参加したことないし、良くわからないけど……ここに来ると、何だか妙な気分になるのよね」
 リアさんはちょっと眉をひそめて、歩み寄ってくる。眠っている何かを起こさないようにするような、慎重な足取りだ。
「そろそろ長老の家に行きましょ。みんな集まってきてるし」
「そうですね」
 わざわざ迎えに来てくれたらしい。
 その夜、わたしたちはささやかな宴に招かれて、おいしい料理を堪能した。もちろん、魚料理も。翌朝には、町長の奥さんがお弁当を用意してくれた。
 それからさらに一週間以上も馬車に揺られ、ネタンに到着し、宮殿にも似た寮に入って部屋をもらうことになるのだけれど、ほとんど馬車に揺られていただけなのに長旅の疲れが出たのか、わたしは丸一日爆睡していた。ほかの地球人のみんなと再会を喜ぶのは、その翌日の話である。
 ネタンでやることは、研究所でやることと余り変わりない。講師にその筋の第一人者が多くて、より実践的なことを多く学ぶし、ネタンの色々な施設に見学とかも行けるらしいけれど、長旅の直後だし、今は小手調べの勉強をするくらい。
 この聖都に慣れるまでは、もう少し時間がかかりそうだ。


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