エルトリア探訪日記

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・2007年12月14日:第22話 知らないうちにも世界は回る(上)
・2007年12月14日:第22話 知らないうちにも世界は回る(下)


第22話 知らないうちにも世界は回る(上)

 昨日の朝早く、わたしは自室の窓から見た奇妙な光景に引き付けられるようにして、本城を出た。通路で擦れ違う人もいないような、早い時間帯だ。
 空気がずいぶん冷たい。ここ数日、先生がたや備え役の人たちも、そろそろ雪が降るんじゃないか、と噂し合っている。
 空は白く、少し暗い。まだ太陽は昇り切ってはいない。
 その空の下、少しもやがかかっているようにも見える草の上を、見知った姿が歩いてくる。
「おはようございます。本当に早いですね。……何かあったんですか?」
 何かあったような顔をしている相手――リフランさんに、ためらいつつも質問した。
 相手は少し迷ったように口ごもってから、それでも素直に答える。
「それが……イラージがここを辞めて、親仕事を継ぐって。そう言って、親と一緒にここを出て行ったって、門番が……」
「へ……?」
 何でまた、そんな急に。この様子だとリフランさんに何も言わずに出て行ったんだろうけれど……。
 わたしは必死に慰めのことばを探した。
「それはでも……イラージさんはきっと、親しい人にはそういうこと、言いにくかったとか……」
「そんなはずないんだよ」
 碧眼が、行き場を失ったようにさまよう。あるいは、かすかな霧に覆われた湖のほうに親友の姿を捜しているのか。
「彼は……両親を嫌っていた。両親が、彼を嫌っていたから。だから、十年くらい前から、ぼくの家で一緒に暮らしていたんだ。今さら、何年も帰っていなかった家を継ごうなんて思うわけがない。きっと、両親に何か言われて強制されたんだよ」
 付き合いの浅いわたしがそんな事情を知らされていいんだろうかと思わないでもなかったけど、きっとリフランさんも、誰かに言わないと気が済まなかったのだろう。
 でも、彼の言うとおりなら確かにおかしい。何で唐突にここを辞めて嫌いな両親のもとに?
 わたしの耳に、最近聞いた彼の声が蘇る。
 この町が好きだ。でも、場所は関係ないのかもしれない。ここには気の合う友人がいるから、ここが一番だと思うだけなのかもしれない。
 友人、とは、きっとリフランさんや、この研究所の人たちのことだ。それなのに、ここを離れようとするだろうか。
「とにかく……学長さんに話を聞きに行きましょう。わたしたちだけでどうにかできることじゃないですし」
 もしわたしがリフランさんの立場だったらこっそり抜け出してイラージさんを連れ戻しに行ったかもしれないけれど、さすがに他人にはお薦めできない。それに、向こうのしたことが誘拐みたいなものなんだから、コソコソすることはないはずだ。
「そうだね。シヴァルド学長なら、悪いようにはしないはずさ」
陽が昇り、霧が晴れ始める。
 わたしはリフランさんについて、滅多に足を踏み入れることのない、学長室を訪れる。早起きな学長さんは、すでに机に向かっていた。
 リフランさんが事情を説明すると、にこやかだったその表情が曇っていく。
「それが本当なら、困ったことだね。でも、嫌ならどうして、彼は実の両親について行ったんだろう?」
「それは、きっと脅されて……」
 学長さんの悲しげな顔を見て、リフランさんはことばを切る。
「血のつながった両親のすることだからね。出て行ったことが本人の意識ではないと証明できなければ、手は出しにくい。とりあえず、保護者であるきみの両親と連絡は取ってみるが」
 そりゃ、研究所は警察じゃないし、警察でも、家族のゴタゴタにはなかなか介入できないくらいだしなあ。
 頭のいいリフランさんもそれがわかっているからか、何か言いたげなのをぐっとこらえて、礼を言って部屋を出た。わたしもそれに続く。
「良かったんでしょうか、これで」
 これ以上どうしようもないと思いながらも、何か、やり残した気分だった。
「イラージの家はあちこちに店を持っているんだ。ぼくの両親に頼んでもどうしようもないよ。警察に動いてもらうか、無理矢理にでも取り返さないと」
 ……この人はやる気だ。
「で、でもひとりでどうにかできるわけじゃないでしょう。せめて、放課後まで待ってください」
「悪いけど、急がないと連中はエレオーシュを出るよ。ぼくは仮病で休んででも追いかける。きみは普通に授業に出てよ。巻き込んで悪かったね」
 そう言い残して去って行く、何かを決意した背中を見送っていると、わたしの脳裏をかすめる記憶があった。
 ――巻き込んで……?
 思いだしだ。閉じ込められられたときに言われたこと。
 巻き込んだ、ということは、あれもイラージさんの両親の仕業で、それを彼は知っていたのか。
 ……ってことは、わたしを巻き込んだと思ったのがきっかけでイラージさんはここを出たんじゃないか!
 ――何とかしないといけない。
 改めてそう思って、とりあえず、誰に相談すべきか考える。ひとりで抜け出してリフランさんに合流することもできるだろうけど、そうすることに事件解決へ向けた効果があると思えない。
 一瞬、ビストリカの顔が思い浮かぶが、医務室は人の出入りが多過ぎる。道化師さんがすぐ見つかればいいが……大事になる心配がなくてすぐ捕まる相手といえば、やっぱりあの人か。
 どこまで協力してくれるかわからないけど、わたしは急いで物見台へ。
 と思って四階に上がったところで、背の高い、体格のいい剣士の姿が目に入った。
「おはようございます、ロインさん」
「ああ、おはよう。本当に早いな。朝っぱらから、こんなとこに用事か?」
 こちらに歩み寄りながらの問いかけに、わたしはちょっと迷って、一応きいておくことにした。
「大した用事じゃないんですが、道化師さんはどこでしょうか?」
 相手は少し目を細めて答える。
「あいにく、今日は休みでなー。どこにいるかわからん。どうも、研究所内には居ないようだが」
 そうか、それではどうしようもない。道化師さんの協力はあきらめよう。
 わたしはロインさんに礼を言って、規則正しく低い金属音をたてながら、物見台のハシゴを上っていく。我ながら、慣れたもんだ。
 外の空気はだいぶ寒くなってきた時季だけど、物見台の上は暖かい。これも、中央に横たわる和風の雰囲気漂う伝説級の魔術師が使った魔法の効果だろう。
「こんな朝早くから、どんな厄介事を持ち込んでくるつもりかね」
 あくび交じりに言い、四楼儀さんは少しだけ顔をこちらに向ける。
 わたしは前置きもなく、単刀直入に事情を説明した。相手は聞いているのかいないのかわからない風だけど、経験上、ちゃんと聞いている。
 説明が終わると、彼は溜め息を洩らした。
「それは、難しい話だねえ……無理矢理取り返しても、こちらが犯罪者扱いされかねん。おんしの予想どおりなら、まずは相手が犯罪者であることを証明することさね」
「でも、警察の捜査とかを待ってる余裕はないし……」
「相手は魔法が使える、もしくは魔術師を雇っているのだろう。アクセル・スレイヴァなら動きが早い」
 言って、懐から紙切れを出し、何かを筆で書きつけて宙に放る。すると、紙切れは白い鳥になって空の彼方に飛び去った。
「これでアクセル・スレイヴァに事態が通告され、近くにいる魔術師に犯罪に荷担した魔術師を追う命令が下される。昼前にはカタがつくだろうよ。お主はいつもどおりに授業を受けておればいい」
 ――いいのかなあ……。
 ちょっと後ろめたい気持ちはあるけれど、わたしにできるようなことは何もない。
 他人に任せるだけは落ち着かないけれど、わたしは食堂で朝食をとってから、授業に向かった。
 それから続く日常は、いつもと変わらないもの。別棟のほうでは、イラージさんとリフランさんがいない授業風景が展開されているんだろうな。
 そんなことを思いながら過ごしていたら、どうやらぼうっとしていたらしい。
「ずいぶん身が入っていなかったわね。何か気になることでもあるの?」
 これから昼休みという講義の終わりに、アキュリア・テルミ先生が、教室を出るがてら、声をかけてきた。
「いや、まあ、大したことじゃあないので……」
「あなたがぼうっとしてるときって、ロクなことにならないのよね。もしかして、学生さんたちのこと?」
 ギクリとした……その表情を、テルミ先生は読んだらしい。
「おかしいと思ったのよ。リフラン・クレトーは病欠だっていうのに、一度も医務室には顔を出していないっていうし」
 言われてみれば、そこでバレるか。先生たちは別棟にも行ってるから、誰が欠席しているかもわかるしな。
「まあ、友人が突然辞めたんだから、落ち込むのも仕方ないか」
 あれ? どうやら、わたしが覚悟していた部分までは伝わってないようだ。
 わたしはできるだけ深刻そうな表情を作る。
「時間が解決してくれるといいですが。まあ、明日は休日ですし、いい気分転換でも考えてみましょう」
「あなたもけっこーおせっかいね。でも、そうしてくれると助かるわ」
 先生にうなずいて見せ、廊下を去る背中を見送ってから、わたしは急ぎ足で物見台へ向かう。
 でも、四楼儀さんから得た答えは、連絡はない、との一言だった。一応調べてくれたらしく、イラージさんの実父、バクタース・エバスティンは顔が売れた信用ある商人で、ここにも何度か出入りしていたという情報をもらう。そして、わたしたちが閉じ込められた日も……。
 イラージさんは大抵それを避けていたようだ。でも、手紙を受け取ったりはしていたという。
「部屋から手紙が見つかったりはしませんでした?」
「さあね。綺麗に片付けていったと聞いたがねえ……」
 じゃあ無理か。
 わたしにできることは、信じていつもどおり過ごすことだけ。
 きっと、こうしてる間にも事情を知った誰かが解決に奔走してくれているんだろう。
 ただ、ことあるごとに物見台へ行っても一向に進展があったというような連絡はなく、不安を抱いたまま一夜が過ぎていく。

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第22話 知らないうちにも世界は回る(下)

 休日の朝、自室を出ると、ビストリカがこちらに向かってくるところだった。
「おはよう、ビストリカ」
「おはようございます、アイちゃん。これから、どこに行くつもりですか?」
 このときのわたしの格好は、いかにも急いでどこかに向かう風だったらしい。
 ビストリカに本当のことを言うべきかちょっと迷う。でも彼女はすでに何かを知っているような気配もある。
 それに、親友だし。話したところで、この状況なら騒ぎになったりはしない。
 わたしは正直に、昨日からの心配事を相手に説明した。
 彼女の色白な顔に、真剣な表情が浮かぶ。
「昨日、戻ってくるはずの学生が一人帰ってこなかったそうですけれど……やはり、リフランさんのことでしたか」
 リフランさん……帰ってこなかったのか。
「それだけじゃないんです。アキュリアさんがおっしゃっていましたが、キューリルさんと連絡が取れないとか……いつもは、もういらっしゃっているはずなんですけど」
 キューリル先生は、普段はエレオーシュの宿に泊まっている。もしかして、アクセル・スレイヴァの指令を受けたのって、キューリル先生だったんだろうか。
 どうにしろ、アクセル・スレイヴァから何か連絡が来ているかもしれない。ここで悩んでいても仕方がないので、わたしたちは朝食前に、物見台に向かうことにした。
 そうして、四階に上がったとき。
 待ちかまえていたように、ジョーディさんとロインさん、マリンダさんに……この場所で見るのは初めてな、四楼儀さん。ひと目で何かが起きたとわかる光景だ。
「おはようございます。えーっと……」
 視線がこちらに集中する圧力にちょっと怯みながら、そう切り出す。
 それに挨拶を返して、備え役のリーダーであるロインさんが一同を代表するように口を開く。
「まったく……何か問題があるんだったら、オレたちに言ってくれりゃあ良かったのによ。ま、問題は、こういう事態を予想できなかったオレたちにもあるがな」
「閉じ込められた件のときにちゃんと調べていたら、今回ほど大事にはならなかったかもしれないしなあ」
 あの事件のときに余り深く考えていなかった様子のジョーディさんは、反省しきり。
 一方、いつもどおりの面倒臭そうな表情で木箱に座る四楼儀さんは、
「大事にしたくないと言うから従ったまでだよ。わんは、アイに弱みを握られているものでねえ」
 などということを言い訳にしていたりする。
 こいつはいくらいじっても無駄だ、という思い入れでそちらを一瞥してから、ロインさんがさらに続ける。
「道化師が帰っていない」
「ええ? 道化師さんも?」
 わたしとビストリカの声がほぼ重なる。
 イラージさんに、それを追ったリフランさん。それに、なぜか行方不明のキューリル先生と道化師さん。これだけ研究所からいなくなってるんじゃ、そりゃあ、備え役も黙っているわけにはいかない。
 それにしても……あまり、まずいことになってなきゃいいけど。今さら、かなり心配になってきた。
「とにかく、エレオーシュ警備隊の連中に探ってきてもらったが、エバスティン商会のほうは出入り禁止になってて、かなりキナ臭いようだ。警察をつついて動いてもらうほうがいいだろうな。そのためには、指令を受けた魔術師に犯罪の証拠とやらをつかんでもらうのが先決だが」
 視線を向けられ、四楼儀さんが肩をすくめる。
「おそらく、キューリルか道化師、もしくは両方がアクセル・スレイヴァの指令を受けたのだろうね。しかし、何の連絡もないのは妙だ。キューリルはともかく、道化師は戻れなければ連絡をよこすだろう」
 余り顔を合わせていなさそうだったけど、キューリル先生の性格を良く把握していらっしゃる。
 となりのビストリカは、それどころではない様子。いや、わたしもこの瞬間は、それどころじゃなかったけど。
「連絡できないということは、魔法が使えない状況か、どこかに閉じ込められてでもいるのか……怪我でもしていなければいいですけど……」
 その心配はもっともだ。道化師さんは昨日四楼儀さんがやったように、呪文なしでも連絡用の魔法が使えたはず。それすらもできない状況だとしたら。
「とりあえず、向こうで何が起きているかをきちんと把握しないとな。オレとマリンダが巡回がてらに探りを入れて……」
「その必要はない」
 突然背後から声がしたので、わたしとビストリカは驚いた。通路の端によけると、階段から、見慣れた姿が現われる。
「連絡しなかったのは、もうここにいるからだ。学長のところで時間をとられてな」
 意味ありげにこちらを見てから、道化師さんは疲れた様子で肩をすくめる。
「一度、ここを正式に辞めているわけだから、それを取り消すにも色々面倒な手続きが必要だった」
 と、いうことは……。
 期待するわたしの視界に、階段を上ってくる三つの姿。
「ご心配をおかけして、すみませんでした」
 速攻で謝ったのは、リフランさん。となりのイラージさんもともに、怪我もなさそうだ。
「いや、謝るのはオレのほうだ。結局、皆に迷惑を掛けてしまった」
「ほんと、大変だったのよぉ」
 イラージさんのとなりから、キューリル先生が口を尖らせ、説明する。
 宿で気持ち良く眠っていたとこで指令を受けた先生、仕方なくエバスティン商会に向かう。そこでリフランさんに合流。悪の魔術師らしき気配を辿ったら道化師さんだったので手伝ってもらうことに。
 地道な聞き込み……など面倒な先生は、幻術で相手をあぶり出したり脅迫したり。
「本当に大変だったぞ。周囲の住民も幻術に巻き込むし、警察は呼ばれるし、危うくこっちが悪の魔術師として捕まるところだ」
 キューリル先生から距離をとったところで、しみじみと、道化師さん。まだ犬耳には慣れていないらしい。
「エバスティン商会の者は出入り禁止、イラージ・エバスティンは復帰を許可された。あとは警察とアクセル・スレイヴァに任される」
 バクタース・エバスティンは逮捕され、それなりの処罰を受けるだろうし、彼に協力した魔術師もアクセル・スレイヴァに何らかの罰を与えられるだろう。
 それにしても、わたしの知らないところですべて解決してしまったなあ。ちょっと悔しい。
 なんて思っていると……。
「……きみは、街にいたか?」
 突然、道化師さんに怪しまれる。
「アイちゃんは、ずっと研究所にいましたよ?」
「……他人の空似か」
 ビストリカがフォローしてくれると、道化師さんは納得したようなしてないような、微妙な様子で空を見上げた。それ以上追及されたりはしなかったけど。
 まさか、行きたい気持ちが強過ぎてドッペルゲンガーが出現したなんて……あるわけない、と言えないのが魔法のあるこの世界の怖いところ。でもまあ、何か悪いことをしたわけじゃなさそうだし、べつにいいか。
 ――こうして、イラージさんは研究所にいられることになり、すべてもとのさやに戻ったのだった。


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