エルトリア探訪日記

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・2007年12月07日:第21話 閉ざされた世界(上)
・2007年12月07日:第21話 閉ざされた世界(下)


第21話 閉ざされた世界(上)

 よくある、休日のはずだった。少なくとも、午前中までは。
 わたしは最近、研究所の敷地内にある色々な建物を探検することが多くなっていた。だいぶこの世界、この研究所にも慣れてきたし、学生さんの視線も気にならない。学生さんたちも、わたしが一人でフラフラしているのを見たって、大した気に留めなかった。
 別棟にも何度か行ったし、リフランさんに誘われ、ヴィーランドさんたちやビストリカらも交えて、学生さんたち主体のちょっとしたパーティーに参加したこともある。
でも、ここしばらく探検しているのは、敷地の四方にある塔。あまり人の姿を見かけることはなく、寂しいけれど落ち着く。全然自覚はないけれど、やっぱり集団生活をしていると、一人になりたい部分もあったりするのかもしれない。
 今日わたしが訪れたのは、湖に面する南の塔だ。地下に開かずの間があったり、床に干からびたコケがこびりついていたり、なかなか趣のある塔。歩くと、足もとの石が少し揺れ、ゴトゴトと古さを感じさせる音を立てる。
 くり抜きの窓から入る涼しい風を受けながら、壁に合わせカーブした階段をいくつか登り、最上階へ。さらに上への階段もあるけれど、今は屋上に出るつもりはない。
 とりあえず、窓から湖を眺める。対岸が見えない広い水面を見ているうちに、昨日あったことを思い出した。

 放課後、わたしはビストリカと一緒に、図書館で本を読んだり選んだりしていた。そんなとき、ふと、例の絵が目に留まった。
 描かれている女魔術師は、わたしと同じ名前の、変幻自在の魔術師アイだ。
「あの魔術師は、この研究所の湖に眠っているという伝説があるそうですよ」
 本のページをめくる手を止めて、ビストリカが口を開く。
「湖で亡くなったってこと?」
「そう言われていますが、熟練の魔術師のことですから、実は生きているという説もたくさんあります」
 恋愛小説について話しているときのような輝く目をして、彼女は説明してくれた。
 あるとき、当時の研究所――この城の主だった男が、付近の町を訪れていた魔術師アイに恋をしたという。
 しかし、城主は強欲な男だった。自分の思いが受け入れられないと次々と姑息な手を使い、やがては死者まで出した。
 魔術師アイはついに城主の招きを受けて城を訪れると、そこで城主を拒絶し、湖に飛び込み命を絶った。
 間もなく城主は奇怪な死を遂げ、魔術師アイの呪いだとささやかれていた……だそうだが。
 遺体が見かけられたわけじゃないそうだし、確かに本当に亡くなっているかどうかは怪しい。〈変幻自在の〉などという二つ名をもっていた魔術師らしいし、魔法でどこかに逃げ延びたか、湖にどこかに続く通路でもあるのかもしれない。
 そう思いながら眺めると、湖の上に浮かぶ小さな島々が見えた。でも、ああいった小島には何もないらしい。誰かが調べたわけじゃないし、キューリル先生とかが舟を用意して小島巡りを計画しているようだけど。
 そんなことを考えているうちに、背後に気配を感じた。振り返って、そこにある大きな姿に、思わず仰け反りそうになる。
「……すまん。驚かせてしまったか」
 低い声でそう言ったのは、水色のローブの長身に栗色の髪の、イラージ・エバスティンさん。良くリフランさんと一緒にいるのを見かけるけど、声を聞いたのは初めてかも。
「い、いえ、わたしが勝手にぼーっとしていただけですから……ここ、よく来るんですか?」
 一人でいるのが似合いそうな相手だったので、何となく、そうきいてみる。
「ああ。ここは静かだし、一人で考えごとをするにはいい」
「お邪魔でしたら、すぐに……」
「いや、気にすることはない。それに、きみが先客だ。出て行くとしたら、オレのほうだろう」
 予想はしていたけれど、表情を動かさず、ずいぶんと淡々とした話し方をする人だ。
「いえ、べつに何か用事があったわけじゃ……」
 そう言いかけたところに、くぐもったような、ドタン、というような音が重なった。
 音がしたのは下からだ。下の階には二つほど、どう使われていたのかわからない部屋がある。調度品も残っていない小部屋だけど、暗い緑のドアだけは金属製で丈夫そうなのが印象に残ってる。
 普通なら何か鳥でも入り込んだのか、と思うところだが、耳に届いた音はそういう感じじゃなかった。あきらかに、人為的な連続する音……足音だ。
「同じことを考える者がほかにもいたようだ」
 あきらめたように逞しい肩をすくめ、イラージさんが背中を向ける。ここを立ち去るつもりらしい。
 わたしも今日のところは、新たな訪問者にこの塔を明け渡すことにした。大した用事があったわけじゃないし。
 ただ、わたしと同じような考えでここを訪れたのが誰なのか、見てみたい気がした。どうにしろ、階段を降りれば開けっ放しのドアから部屋の中が見える。
 イラージさんに続いて階段を下り、下の階についたところで、わたしは思わず、大きな背中にぶつかりそうになった。
「何か……」
 声をかけながら、首を立ち塞がる相手の脇から出し、前方に目をやって、少し驚く。
 開け放たれた重そうなドアの向こう、石造りの床の真ん中に、何とも異質な物が落ちていた。出入口と窓を結んだ直線上だ。赤い生地が使われた、女物――少女向けの靴の片割れ。
 窓から投げ込まれたのか? と思い、靴を無視して窓に歩み寄ってみるが、下は湖。そうでなくても、この高さに正確に投げ込むのは至難の業だろう。
「来るときは、確かになかったはずだ」
 イラージさんが靴を拾い上げ、眉をひそめて言う。わたしも来たときにそれとなく部屋の中を見ていたけど、そのときにはなかった。
「おかしいですね。片方だけってことは、誰かが落としたんでしょうけれど。それなら、その誰かが近くにいるはずですね」
「もしくは、わざと落としたか……魔法ならば、不可能ではない」
 彼の顔に、何か不吉なものを感じたようなかげがよぎった。
 でも、それに気がついたときには遅い。
 唐突に背後で響いたのは、何かを急激に引きずるような音と、ひしゃげた爆音。慌てて振り返る目に、ドアが出入口を閉ざす瞬間が映る。
 一拍の間、何が起きたか理解できなかった。
 わたしがポカーンと眺めている光景の中で、先に我に返ったイラージさんの大きな姿が動き、ドアの取っ手をいじったり、体当たりしたり、押したり引いたりしている。
 ようやくわたしが状況を理解したときには、彼は呪文を唱え始めていた。
「〈シャルデファイン〉」
 ドアが霜を吹き、凍りついた。そこへさらに、彼は魔法を重ねる。
「〈マピュラファイン〉」
 熱風にも眉ひとつ動かさず見据えるイラージさんの前で、白く染まっていたドアが、今度は赤に包まれる。
 ――いくら金属の丈夫なドアでも、古さと今の魔法攻撃でだいぶ脆くなっているはずだし……。
 という期待は、やっぱり裏切られた。かなり強度のあるドアらしい。
「どうやら、ドアをぶち破るという手段で脱出するのは難しいようだ」
 振り返った彼の顔には落胆の色はないものの、気分的に少し疲れているようにも見える。
「外側からなら開けられそうだが、その前に、閉じ込めた連中がどう出るか……」
「まずは、そいつらをどうにかしないといけないわけですね」
 ドアについた小さな窓からは相手の姿は確認できないが、ドアの向こうに誰かがいそうな気配はある。それに、わたしたちをおびき寄せるために用意されたらしい靴は、確かにイラージさんの手の中だ。
一体何のいたずらかわからないけど、こんなことをする者は懲らしめねば。
 わたしはドアの窓から外の通路を覗くと、呪文を唱える。もうだいぶ、この系統の魔法に慣れてきた。
「〈イーミテッド・ファムリアフェザス〉」
 小窓の向こうに現われた幻影は、わたしとイラージさん。閉じ込められたはずのわたしたちが、通路を駆けていく。
 それを何か黒い影が追うのが見えた。周囲が暗くてよくわからないが、確かに人間らしい……研究所の人には見えないけど。

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第21話 閉ざされた世界(下)

「凄いな」
 後ろで息を潜めていたイラージさんが、率直な感想を洩らす。
「幻術が使える者は、学生の中でも少ない」
「それは、使おうとする人が少ないからじゃないですかー?」
「いや、幻術は想像力が必要だからな。誰もが使えるわけじゃない。しかし……」
 その緑色の目が、背後の窓に向けられる。
「幻術で助けを呼ぶにも、この窓の方向では見つけられないだろうな。どこにでも幻影を出せるわけではないんだろう?」
「見ている範囲じゃないと出現させられませんし、四〇秒くらいしか持ちません」
 それに、一目で助けを求めているとわかりそうな幻影は複雑で難しそうだ。
 でも、打つ手なしだろうと、それほど危機感は持っていなかった。
 それは、イラージさんも同じらしい。
「もう少しすれば、備え役の巡回がやってくるだろう。オレたちをここに閉じ込めた者も、一度出て行った以上、容易に周囲の目を誤魔化して戻ってくることは難しい」
「じゃあ、ただ待ってるだけでいいってことですね」
 とはいうものの。
 この、ただ待ってるだけ、というのも難しい。特にわたしのような、じっと黙っているのを苦痛に感じる人間には。
 壁を背中に、鞄を抱えるようにして座り込んで、反対側の壁際に立つ長身を見上げる。すると、目が合った。
「いやあの……何ていうか、災難ですねー。こんなとこに閉じ込められるなんて」
 我ながらちょっとわざとらしいが、この重い空気を何とかしたかった。これが、一緒に閉じ込められた相手がもっとおしゃべりな人なら違うんだろうけれど、ここは自分が何とかしないと、という使命感みたいなものがあった。
 相手は、わずかに顔を下に向けて視線を外す。
「いや……もしかしたら、オレのせいできみを巻き込んだかもしれない」
「え? 何か心当たりが……」
 言いかけて、本当にきいていいことなのかどうか迷う。まさか、イラージさんがイジメられてるとかいうようには見えなかったけど……。
 そうでなかったとしても、それ以上に、彼の目には追及をためらわせる何かがあった。
「何でもない。忘れてくれ」
 そんなことを言われたら、余計忘れられなくなるに決まっている。でも、ここは忘れるふりをするのが大人の対応ってものだろう。
 それからわたしは、他愛のない話をした。
 地球でのこととか、今わたしたち魔術師候補が習っていることとか、ビストリカたちと医務室で話すようなこととか。
 そんなに深い話をしているわけでもないし、相手もときどき相槌を打つ程度で、聞いているんだかいないのかわからないくらいだ。
 でも、わたしが退屈しのぎになるのでそれでよかった。はたで見ている人がいれば、その人の目には寒い状況に映ったかもしれないけれど。
 ただ、小一時間くらい過ぎて、そろそろ窓から見える湖の水面が淡いオレンジに染まりかけたころ、彼はぽつりと言った。
「きみの故郷も、良いところだな。オレも、故郷であるこの町が好きだ」
 その切れ長の目が、今まで見せたことのない光をたたえる。何か懐かしむような、遠い目だ。
「まあ……場所は関係ないのかもしれない。ここには気の合う友人がいるから、ここが一番だと思うだけなのかもしれない」
「それは、みんな同じですよ。わたしも、友だちがいるところが一番ですもん。まあ……たまには、一人になりたいとも思いますけれど」
「そうだな」
 言って、やっと視線を合わせる。
「世話をかけたな。きみと話ができて嬉しかった」
 話ができてって、ほとんど一方的にわたしが話していたんだけど……と内心思うものの、そのことばは、わたしもちょっと嬉しかった。
 もうすでに、彼は近づく気配に気がついていたのだろう。
 ドアの向こうから話し声が聞こえてきたのは、それから間もなくのことだった。

「ほんと、災難だったよなあ」
 となりを歩くジョーディさんが、同情の声をあげる。
 イラージさんがリフランと一緒に別棟へ帰るのを見送り、わたしは備え役のジョーディさんと道化師さんに部屋へ送られるところだった。べつに危険があるとは思えないけれど、閉じ込められるという危険な体験をした直後なので念のため、といったところか。
 もともと、イラージさんを捜しに来たリフランさんが妙な人影を見て、備え役を呼んで一緒に塔へやって来たというのが、わたしたちが助け出された顛末である。
 そして、助けられたあとちょっと話をきかれ、わたしたちは事実を話した。イラージさんがなぜ、自分が狙われたと思うのか……それについて彼は話さなかったし、わたしはもともと知らないので話しようもなかったけど。
「それにしても、物騒だな。我々の目を盗んで誰かが侵入したとするとなると……」
「まさか。おかしなヤツは門を出入りしてないっていうし、誰かが魔法で湖を越えようとすれば、四楼儀が気がつく。学生のイタズラだろ」
 やや深刻そうに溜め息を洩らす道化師さんとは反対に、ジョーディさんのほうはあきれたような表情。
「ま、イタズラはイタズラで厄介だけんどよ。オレらだって、常に学生たち全員を見張ってられるわけじゃねえし、魔法も使わなけりゃ、四楼儀も建物の中はさっぱりだからな」
 外からの襲撃とかならともかく、学生内でのイタズラとかじゃあ、確かに備え役の巡回でも見つけずらいかもしれない。
 しかし、道化師さんは納得していない様子。
「学生同士のイタズラで、わざわざこんな物を持ち込むか……?」
 仮面の奥で目を細めて見つめる先の手には、小さな靴が摘み上げられている。もう片方は、まだ見つかっていない。
「地元や近場のモンなら、誰かのお下がりとか、どっかで拾った靴ぐらいいくらでも持ち込めるだろ。家族に頼んで持ってきてもらうとかな」
 と、ジョーディさん。
 学生さんに会いに家族が訪ねてくるとか、家が近い学生さんが休みの日は帰って家族と過ごすとか、けっこうよくあることらしい。
「そこまで手をかけるなど、よほど恨まれているようだな、きみは」
 なぜかこちらに目を向ける道化師さんに、わたしは慌てて首を振って見せた。
「そんなことありませんよ、わたしは……たまたまあの場にいたから狙われただけですよ。まったく、イタズラ好きな人には困りますねえ」
 やっぱり、あのときイラージさんが言いかけたことは、話さないほうがいい。
 まるで、こうすることは備え役の人たちを信頼していないような……ちょっと罪悪感を感じながらも、わたしはそう、心に決めた。


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