エルトリア探訪日記

カテゴリ“探訪日記” アーカイブ
・2007年9月11日:第14話 華麗なる貴人のたしなみ(上)
・2007年9月11日:第14話 華麗なる貴人のたしなみ(下)


第14話 華麗なる貴人のたしなみ(上)

 あの、シェプルさんが言っていた十日後に何があるのか。
 それは、昨日にはわかっていた。
「パーティー……ですか?」
 時は放課後、医務室にて。
 テルミ先生のことばに、わたしは少し驚く。
「そ。アクセル・スレイヴァ関係のお偉い貴族がネタンから来るから、その人の趣味に合わせて、ダンスパーティーを開くの」
 アクセル・スレイヴァといえば、魔術師の組合みたいなもの、だっけ。ネタンっていうのは隣国ザッハーク共和国の首都で、アクセル・スレイヴァの本部がある大都市だ。
「学長がわたくしも出ていいって言ってくださってるんで、出るつもりです。貴族のかたに、ドレスを貸して頂けるとか……アイちゃんも、どうです?」
 ビストリカは、かなり嬉しそうだ。こんな機会でもなければ、ドレスなんて着ることないもんなあ。
 でも、わたしはヒラヒラした服は、ちょっと苦手だった。
「わたしは、このままでいいや……いや、この格好で失礼じゃなければだけど」
「それは大丈夫だと思いますよ。でも、ドレス姿、見たかったのにぃ」
「それは、またの機会に」
 またの機会があるのかどうかわからんけど。
 ――それが、昨日の話。
 今日はパーティーの関係で休みになったので、わたしは例によって、部屋でダラダラしたり、図書館で本を借りたり、外や物見台で読書したり、医務室でお茶したりしてるけれど、どこも今夜の話題で持ちきりだ。
「アイちゃんは、どんなドレス着るの?」
 外をフラフラしていたら、レンくんが声をかけてくる。この質問も、今日は三度目。
「いや……わたしは、このままでいんだ。ダンスパーティーとかちょっと苦手だし、早めに抜け出すつもりでさ」
 大勢で踊るダンスなら学校とかで何度か経験はあるけれど、特に社交ダンスみたいな一対一のとなると、どうも気恥ずかしくて苦手だ。
「良かったら、ぼくが教えようか? 何でも、慣れが肝心だよ」
「気持ちは嬉しいけれど……正直、踊るのより食べるか部屋で読書でもしてたほうが楽しそうなんだよねえ」
 わたしのことばに、レンくんはガクッと肩を落とす。
「これがただの立食パーティーとかなら、最後まで会場にいるんだけれど」
「つまり、『花より団子』ってことかあ」
「そういうこと。それじゃ」
 ちょっと残念そうに苦笑する相手に笑みを返して、わたしは寄ってくる羽虫を手で払いながら城内へ。
 ――昼食には少し早いか。一旦部屋に戻るかな。
 そう思って階段に向かいかけたわたしの前を、大荷物を抱えた一団が通り過ぎて行く。荷物の一部、四角いバッグの正面には、四楼儀さんの袖にあるのにちょっと似た紋章が刻まれていた。そのアクセル・スレイヴァの紋章は、さすがに授業で習ってる。
 すでにやってきているというその貴族は、イスマイル家、というらしい。女系の力が強い貴族で、跡継ぎの一人娘はかなりやり手だと言われているとか。
 貴族の使用人らしき一団が通り過ぎるのを見送ると、さらに、珍しい人が近づいて来るのが見えた。
 いや、珍しいというか、見慣れてるっちゃあ見慣れてるんだけれど。
「おやあ、また読書ですか。感心なことですねえ」
 できればそのまま通り過ぎて欲しかったけど、彼はメガネの奥から底知れない目を向けてくる。
「そそそ、そうですか。……先生こそ、こんな時間から地上にいるのは珍しいですね」
「ああ、わたしも、パーティーに呼ばれておりますので。賑やかしというやつです。わたしとしては、研究に時間を使いたいところですがねえ」
 そりゃ、この人にとってはそうだろう……わたしも他人のことは言えないが。
 といったところで、こうしてリョーダ・リアス先生を前に、ようやく心に引っかかっていたことを思い出す。
「そういや、あの魔術師に効く毒が効かなかったとかって……やっぱり、わたしがやったせいで失敗したんじゃ……」
「いや、あれはちゃんと成功していましたよ。それはわたしが保証します」
 そう言ってもらえて、わたしはちょっと肩の荷が下りる。
「ただ、効かなかったとは、おかしいですねえ……わたしも気になって色々と情報を集めたんですが、あのイグロボーンとかいう魔術師も、そんな毒を受けた覚えはないとか言ってるようですし」
 イグロボーンは、エレオーシュの街にある裁判所にかけられるところだという。少なくとも二〇〇年は出てこられないらしい……魔術師だから、刑期も桁違いだ。
「あなたたちが出会った傭兵たちは、すでに国外に出ているようで、話が訊けないのが残念です。ま、あとは警察に任せましょう」
 と、ここで話が終わるのかと思えば、彼は声をひそめ、
「一番考えられるのは、誰かが毒の中身を入れ替えたことです。そうなると、魔術師にとって厄介な毒が誰か正体不明の相手に渡っているわけで……厄介なことに、なるかもしれませんねえ」
 ヒヒヒ……と、あんたは何故そこで笑う。
 などと突っ込みを入れられたのはあとになってのこと。わたしは去って行く白衣姿を、ただ、固まって突っ立ったまま見送るしかなかった。

 そして、太陽が完全に沈んでから、飾り付けられた大広間に灯がともる。
 ここには最初にこの世界に来た日も入ったけど、まったく別の場所のようだ。天井に吊るされたシャンデリアは蒼白い光を放ち、テーブルに載せられた燭台もどこか豪奢な印象。
 思えば、古城の広間でパーティーなんて、何とも幻想的じゃないか。幻想的とは一線を駕した格好のままで何だけど。
 でも、わたしの横には、この場に良く似合った幻想的な姿もある。
 ビストリカは淡い桜色のドレスをまとっていた。綺麗で可愛げもあるデザインだ。髪は、長いブロンドの左右を編みこみ、少し控えめな、それでも物の良さはわかるティアラを飾る。まさに、物語の中のお姫さまのよう。
「へえ、良く似合ってるじゃない」
 と、会場に入るなり声をかけて来たのは、いつもの姿のテルミ先生。
「あれ? アキュリアさんは、ドレスを借りなかったんですか?」
「あー、あたしが着ると、何か女王さまっぽくなるって言われるのよねー」
 ――ああ……先生は目がキツめだし、わかるような気がする。ある意味、貴族らしくなりそうではあるけれど。
「じゃ、あとでね」
 テルミ先生は何か用事でもあるのか、手を振って壁際のほうへ。
 会場内は、すでに人の姿で賑わっている。まだダンスは始まっていないらしいけれど、奥には楽器を手にした人たちが見えた。
 そして、そのそばに設けられた席にいる一団が、イスマイル家の人たちか。上品だけど気のよさそうなお婆さんに、執事っぽい老人、もうちょっと若い顔の似た女性が二人、それに、わたしとそう変わりない年頃に見える少女が一人。
 話によると、この少女が一人娘か……確か、名前はフリスティ・イスマイル。茶色の髪を三つ編みにした、わりと純朴そうな感じの娘さんだ。着てるものも、上質そうだけど飾り気は少ない。なんか、〈貴族〉のイメージと違うなあ。
「アイちゃん、お皿取ってきますね。ここにいてください」
「あ、それなら……」
 ビストリカは動きにくい格好してるんだから、わたしが――と言いかけたときには、すでに相手はテーブルに向かっている。何か、凄く張り切ってるように見えた。
「どいて」
 一瞬立ち尽くしたとき、背後から冷たい声がかかる。
 横に避けて振り向くと、女学生らしい、見覚えのない女性がいた。肩にかかるくらいの銀髪を左右ひと房ずつ、宝石のワンポイントがついた青いリボンで束ねている。
 その身にまとうは、空色のドレス。ふわふわした生地は、たぶんかなり高価なものじゃないだろうか。それに、散りばめられた宝石……たぶん、偽物じゃあない。
「あの人、ミカサさんだよ」
 見送ってから、後ろから声を掛けられる。この声は、シエナさんだ。振り返ったそこにある見慣れた姿は、普段とほとんど変わりない格好をしている。
「エレオーシュの名家のお嬢さんなの。さすがにイスマイル家には遠く及ばないけれど、お金持ちの家の一人娘」
「機嫌を損ねないほうが良さそうですね」
「そうそう。けっこうワガママだって噂ね」
 肩をすくめたところで、ビストリカが戻ってくる。
「あら、シエナさんも一緒ですか。一緒に食べます?」
「そうしたいところですけど……」
 彼女はちょっと残念そうに、首を横に振る。
「一緒に踊ろうって誘われているんで、そろそろ失礼します」
 残念そうだけど、手を振って人込みを掻き分けていく背中は、嬉しそうにも見えた。
 それを見送るうちに、わたしは、そばでビストリカが目を輝かせていることに気がつく。その視線の先を追っていくと、近づいて来たシエナさんに何か声をかけている、いつものローブ姿のリフランさんが見えた。
 ほほう……。
「こういう催し物って、普段は見えないような人と人の関係が見えてくるから面白いですよね。ささ、アイちゃん、まずはあの辺で観察しましょう」
「か、観察?」
 ――それは、目的が特殊なんじゃあ。
 などと思っているうちに手を引かれて、壁際のテーブルにつく。できるだけ、目立たないところを選んだようだ。
 わたしはまず、テーブルの上の料理に目を引かれる。作り手はいつもの食堂のおばちゃんたちだろうけれど、素材や食器が変われば雰囲気もかなり変わるものだ。
 一口大のサンドウィッチに、ぶ厚い肉をトロトロになるまで煮込んだもの、豆とベーコン入りのスープ、野菜のミルク煮、キノコや肉を炒めた物、果物にケーキやクッキーなどのデザート類などなど。
 どれから食べようかなーっと、楽しく考えているうちに、音楽の演奏が始まった。すでに準備が終わった二人組たちによるダンスも始まる。
「あの二人は、もう決まりですね」
 ダンスが始まって――わたしが料理に手を出して間もなく、ビストリカが奥のほうを見て言う。
 そこで踊っているのは、備え役のロインさんとマリンダさん。マリンダさんは銀の髪を頭上に結い上げ、草色のドレスを着ている。ロインさんはいつものまんまだけど、剣士の格好で踊るというのもまた趣がある。
「へえ……やっぱりそうなんだ」
「みんな知ってますよ。もう婚約もしたらしいし」
「へえー」
 ロインさんは一曲踊ると、マリンダさんと一緒に会場を出て行く。そういや備え役の人たちは姿がないし……みんながパーティーに出ている間でも、裏で働いている人たちは大変だな。
 そう思いながら二股のフォークで肉を刺したところで、目の前に近づく気配に気がつく。
「アイちゃん、一回くらい、踊らない?」
 と、昼間と同じように声をかけて来たレンくんは、いつもよりちょっと上品な感じの服を着ている。何か、映画俳優にでもいそうな雰囲気に見える。
 その背後に、また別の姿。こちらはいつもの格好だ。
「おー、抜け駆けはズルイぞ。アイちゃん、オレと踊ろうぜ」
 レンくんとヴィーランドさんの視線がぶつかる。何か……火花散らしてる?
 でも、わたしにはほかに選択肢がない。
「いやその、やっぱりいいや。見てるだけで充分。どうせなら、二人で踊ったら?」
 わたしの適当過ぎることばに、二人はバランスを崩して転びそうになる。
「それじゃあ、意味がないじゃないか……」
「残念だなあ」
 溜め息を洩らしたり肩をすくめたりするものの、二人はすぐに声を掛けられる。ヴィーランドさんは丈が短めのドレス姿のアンジェラさんに、レンくんは女子学生に。
 そちらから視線を戻せば、ビストリカが学生さんからの誘いを断っているところだった。そりゃ、彼女のような美女を放っておく男はいないだろう。
「踊らないの?」
 手を振って学生さんと別れた彼女は、グラスからジュースを一口すすってから答える。
「わたくし、不器用ですから……こういう服で踊ると、相手の足を踏んでしまうことが多くて……。それに、周りを見ていたほうが楽しいですよ」
 それには、わたしも賛成する。踊るのはともかく、こういう場所の雰囲気は好きだ。

HOME | BLOG TOP | 探訪日記 [ 2007/09/11 21:14:28 ] posted by ai


第14話 華麗なる貴人のたしなみ(下)

 人間観察も良くやるほうだし、と見回すと、可愛らしいドレス姿のマリーエちゃんが、何かを捜すようにキョロキョロしながら近づいてくるのが見えた。
「マリーエちゃん、楽しんでる?」
 訊くと、彼女はちょっとびっくりしてこっちを見たあと、にっこり笑った。
「うん、楽しいよ!」
 その両手に抱えたお皿には、色んな種類のお菓子が載っている。
「何か欲しいものがあるなら、持っていきなよ。ジュースも色々あるよ」
「うん。でも、もうお腹一杯になりそうなの」
「誰か捜してたの?」
 わたしの質問に、少女は首を傾げて少しの間考え、
「ないしょー」
 と悪戯っぽく人さし指を唇に当て、逃げるように離れていく。
 良くわからないけど、かなり楽しんでいるのは確かみたいだ。
「アイちゃん、もう少しここにいます?」
 唐突に、ビストリカが訊いてくる。その目は、マリーエちゃんに負けないくらいに楽しげに輝いている。
「そろそろ、あちこち見て回りません?」
 あちこち、たってどこのことかわからないけど……そろそろお腹も膨れてきたし、退散しようかな、と思っていたことも事実。
「そうしようか」
 と、同意したことを、わたしは直後に、少しだけ後悔することになった。
 彼女に手を引かれ、忍者のごとく柱や人陰に身を隠しつつ見て回るのは、主に学生さんたちの恋愛模様。
 良くもまあ、ここまで情報を集められるものである。
「アイちゃんたちが来てからは、学生さんたちのほうは、ちょっと疎くなっちゃったんですけどねー」
 つまり、その確認もあっての隠密行動か。
「でも、おおむね良好で良かったです」
「そ、そお……」
 ようやく、柱の陰で一休み。
 このとき、ビストリカの視線は、わたしたちが座ってたほうの席とは反対側の壁際に向く。そこには、主に男性教授たちが集まってる一角があった。
 学生さんを担当する、余り見覚えのない姿もあって新鮮だ。ディルスラック先生とか、リアス先生の姿もあるけど。
 って……改めて、ビストリカの視線を追ってみる。その先は、やっぱりあの白衣姿……。
 そう言えば、以前も何度かあのヒトを褒めるようなことを言っていたような。専門分野もちょっと被ってるし、いつだったか、廊下で話してるのを見かけたときにちょっと嬉しそうだったり、だけどだけど。
 ――チクショー、ビストリカは渡すもんかー!
「ビストリカ、あっち行こっ」
 わたしは妙な衝動に突き動かされ、わけがわからない様子のビストリカの手を引いて、その場を離れる。
 すると、背中に刺すような視線を感じた。
 ――また?
 立ち止まって振り返っても、人の姿が多過ぎて良くわからない。
「どうかしたんですか、アイちゃん?」
「いや、何でも……」
 ビストリカがちょっと心配そうにのぞき込んでくる。
 丁度そのとき、声がかかった。
「先生、来てたんですね。久々に恋愛小説の話でもしません?」
 友人らしい三人の女の子たちと一緒ににこやかに近づいてきたのは、あのミカサさんという女子学生。
「あら、ミカサさん。いいですね、それ。アイちゃんも……」
「いや、わたしはそろそろ退散するよ」
 ビストリカとは親しそうだし、顔を合わせたのも今日が初めてだけど……なんか、この人たちとは仲良くできそうにない。機嫌を損ねると怖いみたいだし。
「そうですか……じゃあ、また明日」
「それじゃあ」
 ま、女の子たちと恋愛話に夢中になってれば彼女も安全だろう。わたしは手を振って、人込みを抜け出す。
 会場も、少しずつ人の姿が減っているようだ……と、出る瞬間に振り返ると、何かが足りない気がした。そうだ、あの貴族の娘さんがいないのか。
 ――ネタンからはそれなりに長い道のりだし、疲れちゃったのかも。
 わたしも、少し疲労感を感じていた。人がたくさんいる場所の雰囲気は好きだけれど、やっぱり疲れる。
 大広間を出て、階段への廊下を歩く。会場を出ると、周囲の雰囲気はまるで深夜のように人の気配がなく、独特な感じだ。
 やがて、前方から話し声がした。つい反射的に、会場でやっていたように、陰に隠れてしまう。
 角から顔を覗かせると、見えたのは、シュメール族の目立つ姿に、見慣れた狐目の美女。
「ふうん。パーティーだってのに、備え役は大変ね。でも、一人で?」
「おお、人手不足なもんでよ。道化師はビストリカの代わりに医務室だし」
「せめて、交代ででも出てくれば良かったのに……愛想のないこと」
 ――へえ、そうか。テルミ先生は道化師さんを誘いたかったんだ。……ちょっと衝撃かも。
「シェプルはシェプルで、あの貴族に呼ばれてよ」
 あ、そうだ。そう言えば、シェプルさんは何を恐れていたんだろ?
 このままじっと隠れているのも何なんで、できるだけ自然体を装って、二人に歩み寄っていく。
「シェプルさんとあの貴族の人たちって、何かあるんですか?」
 質問してみると、相手は緑の肩をすくめる。
「さあな。でも、特別に呼ばれてるってことは、何かあるんだろ」
「シェプルさんだけ特別に呼ばれ……あれ? でも、会場に姿はなかったですよ」
「確かに、いなかったわね」
 わたしのことばに、テルミ先生も同意する。それに対し、ジョーディさんは金色の目を丸くして口を開いた。
「そんなはずはねえ。ここ通ったのも見ねえし……まさか、魔法使ってまで抜け出したんか?」
「そういや、貴族の娘さんもいなくなってましたけど、見ました?」
 わたしが訊くと、彼は予想通り、首を振る。
 ――何となく、見えてきたぞ。シェプルさんのあの態度の理由が。
「一応、捜してみましょう。わたしは三階に行っときます」
「悪いな。オレ、二階回るわ」
「あたしは一階ね」
 ほかの階かもしれないけれど、それは、ほかの備え役の人に会ったら手伝ってもらえばいい。
 こうして即席捜索隊は手分けして、シェプルさんとフリスティ嬢を捜し始めた。
 二人一緒とは限らないのかもしれない。でも、三階を捜し回りながら、わたしは、きっと二人一緒なんじゃないかと思う。
 そして、どこかから爆音が聞こえ、その発生源となる部屋に辿り着いたとき。
 ある意味予想通り、ある意味予想外の状況を目にすることになった。

 部屋のドアは、見事に、周囲の壁の一部ごと吹っ飛ばされていた。
 空き部屋のひとつと思われる、調度品もない一室。その奥に転がる白い姿に、こちらに背中を向けて仁王立ちの少女の姿。
「今日という今日は、覚悟してもらうわよ!」
 少女の剣幕に、さすがのシェプルさんも少し狼狽している様子。
「おお、待ってくれよフリス! ボクがレディたちと戯れるのは、決してキミへの愛が足りないからじゃないんだ。愛があふれ過ぎて、大き過ぎるからなのさ!」
 いや、あんまり懲りてないわこの男……。
 フリスティさんの握りしめた拳が、わなわなと震える。
「まだ言うかっ! もう、とっくに約束の期日は過ぎてるのよ! ドワール家の優秀な魔術師の血統をもってイスマイル家を継ぐと、あなたが約束したんじゃないの!」
 え……っと、つまり。
 婚約者……?
「フリス、ボクはもっと、キミに相応しい男になるべく経験を積みたいんだ!」
「何の経験だっ!」
 至極真っ当なツッコミと同時に、烈風がナンパ男を吹き飛ばす。喰らったほうは、壁にメリッと少しめり込んだ。
「あの……」
 これ以上部屋を壊されるのも何なので、勇気を振り絞って声をかける。相手はやっとこっちに気づいた様子で、勢い良く振り返った。
「なにっ?」
「おっしゃってることには一々同意ですが、ここでシェプルさんを叩きのめしてもあんまり意味がないのではないかと……」
 このタイミングで、幸い、と言うべきか。騒ぎを聞きつけたジョーディさんやら近くの部屋の人やらが駆けつけてくる。
 その多くの人たちに注目されると、フリスティさんも我に返ったらしい。
「わ、わかったわ……」
 そう言うと、目を回しているシェプルさんに歩み寄って襟首をつまみ、引きずり始めた。

「何でわたしが、ゆっくりできるはずの日にシェプルを治さなければいけないのか……」
 文句を言いつつ医務室で治癒魔法を使っているのは、道化師さん。まだ、ビストリカは戻っていないようだ。
 ただ、室内にはテルミ先生やジョーディさんのほかに、マリーエちゃんとリフランさん、医務室当番のクレハさんの姿もある。
 わたしとフリスティさんは、外から室内を眺めている。
「心配なら、中に入ったほうが……」
「べつに、心配なんかじゃないわよ。ただ、あんなんでも、死なれたら困るし。イスマイル家を絶やすわけにはいかないんだから」
 声をかけると、彼女は顔をそむけて応じる。
「じゃあ、シェプルさんより一途で名門貴族のお坊ちゃんが婿に入ってくれるって言ったら、そっちに鞍替えします?」
 何となく訊いてみた。べつに、深い意図があったわけじゃない。
 それに対する相手の反応は、予想以上。
「そ、そんなことするわけ……付き合い長いから、愛着があるし、今さら鞍替えなんてできるわけないでしょっ」
 そむけた顔の頬が、赤く染まっている。
 ――ああ、愛しちゃってるんだなあ。あんな男を……。
 まったく、世の中間違ってるっ!
「な、何か悪いこと言った?」
「……どうかしたか?」
 どうやら、思わず両手を握りしめて震わせていたらしい。フリスティさんはちょっと不安そうに見ているし、道化師さんら医務室内の人たちも……こっちを見てる。
「いいえ。フリスティさんは、ぜーんっぜん悪くないです。何もかも、この世の理不尽さが悪いんですっ。それじゃあ」
 みんなの不思議そうな視線を受けながら、わたしは逃げるように、医務室をあとにした。

 妙な腹立たしさを覚えたまま、そのまま部屋へ戻ったわけだけど……。
 途中、四階廊下の分かれ道を通る一瞬、妙な会話を耳にした。
「準備、きちんとできてます?」
「ちゃんと実験結果も出てましたし、いつでも行けます。それで、やっぱり水霊祭のときに?」
「いえ、水霊祭だと、機会がない可能性が大きいわ」
 そんな女の子同士の会話が遠くなっていき、聞こえなくなる。告白の算段か何かだろうか。
 それにしても、会話内容からして女学生だろうけれど、何でわざわざここに? それに、声には聞き覚えがあるような。
 それが誰なのかわからないまま、わたしは自分の部屋に戻った。


目次 | 前項 | 次項

HOME | BLOG TOP | 探訪日記 [ 2007/09/11 21:23:36 ] posted by ai