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・2007年9月1日:第13話 波乱の幕開け?(上)
・2007年9月1日:第13話 波乱の幕開け?(下)
第13話 波乱の幕開け?(上)
休日の、昨日。この日も、暑い一日になった。
わたしは朝起きて遅めの朝食をとるまでの間を、どこが一番涼しいか考えることに費やす。いつもは朝食後には医務室へ行くところだけれど、今日も忙しそうで、入りにくい。
――実は、一番体力的にキツイのって、ビストリカじゃないかなあ。
ふとそう思って、少し心配になる。休めているといいけど。
むっとした空気に顔をしかめつつ窓の外へ目をやると、キューリル先生とアンジェラさん、女子学生たちが湖の水を大き目の桶に汲んでかけあっていた。
そういや、アンジェラさんは湖で泳ぎたかったらしいけど、あの湖は急に深くなっているところが多くて危険だから駄目、という判断が下されていた。
反対側、別棟と図書館のほうを見ると、男子学生さん五、六人と道化師さんが何か話しこんでいる。
何があったのか、何となくわかった。ここしばらく、何度か見かけた光景だ。
つまり、暑いとイライラする人間が多いために、普段は起こらないいさかいが起きたりするわけだ。一度なんて殴り合いになってて、止めに入ったディルスラック先生が殴られてたなあ。
場をおさめた道化師さんは、こちら側を振り返る。
「シェプル、行くぞ」
が……案の定、シェプルさんは女学生に声をかけていたりするわけで。
暑いとか寒いとか、極限状態での人間の反応には、三種類ある――と、わたしの地球での友人が言っていた。ひとつは、イライラしたり興奮したり、つまりテンションが上がるタイプ。ふたつ目は、無気力になったり投げ遣りになったり、テンションが下がるタイプ。最後のひとつは、奇妙な行動をとったりする、テンションがおかしくなるタイプだ。
投げ遣りってこともないけど、たぶんふたつ目らしい道化師さんは、長い溜め息を吐く。これがカーッとなるタイプだったら、とっくにぶっ倒れていそうだな。
ちなみに、わたしはテンションがおかしくなるタイプらしい。自分じゃよくわからないけれど。
「シェプル……好きなことをするのは仕事が終わってからにしろ」
「か弱いレディたちを、夜まで待たせろって言うのかい? ボクにはできない、そんな残酷なことっ! それにっ」
ここでシェプルさん、同僚の肩をつかむ。
「おかしいと思わないかい? この炎天下で、もう二週間も休み無しだよっ! ボクの繊細な肌は、もう悲鳴を上げている。レディたちの愛を分けてもらわなければ、ボクという花は枯れてしまう!」
その割に、メチャクチャ元気なんですけど。
道化師さんは、にやり、と珍しい表情。
「ロインは、きみには一日でも長く働いてもらって、一日でも長く研究所に安息をもたらそうというんだろうさ」
つまり、少しでもシェプルさんを弱らせようとしているっていう、皮肉なんだろうけど。
「そうか……ロインは、このボクの力を必要としてるんだね! ボクの情熱は太陽にも負けないさ!」
――通じてねー。
結局、疲れた様子の道化師さんが何か感激しているらしいシェプルさんを引きずるという、いつもと大差ない結末。
まあ、弱ってるようなシェプルさんなんて、想像できないもんな――と、思っていた。このときは。
備え役の人たちがいなくなると、視界に入った図書館を見て思いつく。あそこなら涼しいかも。
本城を出て、図書館へ。返す本も鞄に入れたままだし。
と、開け放たれたままの扉をくぐろうとしたところで、良く見知った姿を見つけた。相手も、こっちに気づいて歩み寄ってくる。
「ビストリカ、休みとれたの?」
「はい、シヴァルド学長が、午前中は自分が代わるからって。部屋でゆっくりしてました。久々に、本も読めそうです」
――良かったなあ、学長さんが気を回してくれて。
「あ、そういえばアイちゃん、あの絵のこと、調べてみました?」
ビストリカは何か悪戯でも思いついたような、ちょっと得意げな顔をして、柱に掛けられた絵を見上げる。幽霊騒動の原因になった、夢魔が取り付いていた女魔術師の絵だ。
「そういえば、忘れてたなあ。どんな人だったの?」
相手はそのことばを、待ってました、という感じで口を開く。
「その魔術師は、変幻自在の魔術師、と呼ばれるとても古い女魔術師だそうです。ただ、会うごとに姿が違ったとか……だから、あれも本当の姿かどうかわからないんですけれど、その名は、〈アイ〉っていうらしいですよ」
「へえ……」
アイなんて名前、日本じゃありがちだろうけれど、こっちじゃどうなんだろう。凄い偶然、といえば偶然なのかもしれない。
「悪い魔術師でなければいいけれどね」
「大丈夫ですよ、きっと。優しそうな人ですもの」
と、彼女は笑顔であの絵を見上げた。絵の中の女魔術師も、周囲を優しく見守るような視線をこちらに向けている。
「じゃあ、ビストリカ、ゆっくり休んでよ。ビストリカが倒れたらどうしようもないんだから」
「アイちゃんも身体には気をつけて。それじゃあ、また医務室で会いましょう」
彼女はすでに、借りたい本を抱えていた。恋愛小説が二冊。
軽い足取りで図書館を出て行くのを見送り、とりあえず、わたしも借りる本を探すことにする。
図書館は確かに、ほかの場所より涼しい。でも、それを狙った学生さんの姿が多く、読書ブースは埋まっている。ちっ、先を越されたか。
そんなことも頭の隅に押しやり、一度入ってしまえば、本を探すのに夢中。結局借りたのは、『幻術の初歩』と『魔法具大事典』だ。最初のテスト以来、キューリル先生が使った幻術が気になっていた。
図書館で読めないので、また涼しい場所を捜そうと、外に出る。
できるだけ日陰を歩くように本城へ近づいていく。
その間に、一匹の羽虫がブーンと羽音をさせながらまとわりついてきた。足を速めて逃れようとしてもついてくる。
耳もとで羽音がうるさい。
ブーン、ブーン……。
「――じゃかぁしいぃぃっ!」
思い切り振り回した鞄の一撃は、ぷちっ、と標的を捉えたらしい。
が……。
――あ。みんな引いてる?
周囲の学生さんたちの、ちょっと怯んだ視線が気になる。ああ、恥ずかしいっ。
逃げるようにして本城内への出入口に辿り着いたところで、犬耳犬尾の、目立つ姿が出てきた。
出てくるなり、飛びつかれた。
「あなた、幻術に興味があるの? 嬉しいわぁ」
「え、ええ」
暑い。早く離れて欲しい。
「幻術って想像力が必要だし、地味な印象だし、覚えること多いから敬遠する人が多いの。今は、安全で練習もしやすいのにぃ」
最終的に使うことになる水陽柱安定の魔法が直接対象魔法なためか、幻術についてはサラッとしかやっていないけれど、精神操作系の幻術が三〇〇年余り前に禁術に指定された、というのは習った。今使われている幻術は、空間投射系、だそうだ。
「知性レベルの低い相手とか、直感で動く相手には余り効かないしねえ」
と言いながら、やっと離れてくれる。
「でも、色々応用が利きそうじゃないですか」
注意をそらしたり、動きを止めたり、何かを隠したり、伝えたり――相手を傷つけることなく捕えるのにも適した魔法だと習っていた。
「そう言ってくれると嬉しいわぁ。ね、わからないこととかあったら、いつでも質問していいからねっ」
ふたたび、むぎゅっと抱きしめられる。暑いというより、今は周囲の好奇の視線が痛い。幸い、すぐに離れてくれたが。
それはともかく、幻術に関する質問相手ができたことは嬉しかった。
キューリル先生と別れると、わたしはじっくり本を読みたいので早めに軽い昼食をとり、早速幻術の本に取り掛かる。このときは、どこで読むのかすでに決めていた。あそこならきっと、涼しいはずだ。
第13話 波乱の幕開け?(下)
足を向けたのは、ほぼ常に風が吹く物見台だ。その上、今日は――。
「あー、いいのかなコレ」
物見台の四方からアーチ状に伸びているのは、半透明な氷の壁。それらが交差する天井部分は、だいぶ日光が和らいでいる。氷の壁の内側は非常に涼しい。
「魔法は滅多なことで使ってはいけないんじゃないですかー?」
そう言うと、中央に寝そべる相手が、振り返りもせず答える。
「陽の光で床も熱せられる。風通しが良くても、ずっとここに居たら死んでしまうさね。命に関わることは、滅多なことではないかえ?」
「それはそうかも」
――あ、納得させられてしまった。
わたしだって、本気で非難しているわけではない。涼しいのはむしろ好都合。
座って本を読み始める。氷で冷えた風が気持ちいい。
「そういえば、ここは虫が少ないな」
「……こんな高いところまではそうそう来ないであろうよ。しかし、幻術とは、また妙な本を持ち出してきたものだ」
「ええ。まだあのオトモダチのことも覚えていますから、ゆくゆくはその幻を映し出すこともできるかもしれませんね」
「するな」
こちらを一瞥してから、彼はごろんと向こうへ転がる。だらしなく寝ているように見えて、実は研究所内の気配を探っているのだ――と聞いたけれど、見た目は全然そうは思えない。
おかげで、こっちも静かに本を読んでいられるんだけど。
しかし、その静けさを、やがて悲鳴に似たいくつもの声の重なりが破る。
「何か問題かね」
物見台の端に寄る彼の横から、わたしも見下ろしてみる。
本城と別棟の間辺りに、人だかりができていた。ほとんどは水色のローブ姿であはあるものの、中心近くにはヴィーランドさんやレンくんの姿もあった。中心には、誰か倒れているようで、駆けつけようとしている道化師さんにジョーディさん、それに、図書館から出てきたところらしいディルスラック先生。
「また熱中症か。今年は多いねえ」
取り出していた笛を、吹く必要なしと判断したのか、彼は懐に戻して肩をすくめる。
倒れた男子学生は、窓から医務室に入れられるところだ。
「一応……行って来るかな」
行ったって何の役にも立たないだろうし、手伝いの人数は足りてるだろうけど、騒動を見ておきながらじっとしているのも落ち着かない。
わたしは本を鞄に入れ、ダッシュで一階の医務室へ。中は込んでいるのかと思ってたが、人が一杯なのは窓の外で、医務室内にいるのはビストリカにリフランさん、シエナさん、それに担ぎ込まれた体格のいい感じの男子学生だ。
「クーリン・イシェーナは去年入った地元の魔術師志望者で、特に持病などは持っていないそうです」
外から、ディルスラック先生がビストリカに説明している。それを、シエナさんが机に向かって記録していた。
その間にリフランさんは患者さんの襟を開き、氷枕の用意をしている。もう、慣れきった対処法だ。
「そんなに熱は高くありませんけれど、日なたにいらっしゃったんですね?」
患者の脈や顔色を確認しながら、ビストリカが外に問いかける。
「日陰から日なたに出て、少し歩いたところで倒れたそうだ」
「軽い熱中症と思われますけれど、完全に意識を失っているので、油断はできませんね」
道化師さんの話を聞いて、ビストリカはそう診断を下す。
このときは余り気にしていなかったけど、一方で、リフランさんがありったけのコップに冷水を入れて窓の外に配っていた。みんな炎天下の中に立っているので、脱水症状を起こさないための処置らしい。
「たぶん、すぐに目覚められるでしょう」
彼女のことばに、みんなもほっとした様子だ。
状況が落ち着くと、わたしはビストリカと少しの間だけお茶をして、物見台に戻ることにする。この時間帯じゃ、まだまだ患者さんが増えるかもしれないし。
医務室を出て間もなく、外から視線を感じた気がしたけど、外には学生さんが多いし、誰かに見られているとしてもわからない。気のせいだということにして、涼しいところでの読書に集中することにした。
遅めの夕食をとったあと、わたしは食堂のおばちゃんにまだビストリカが来ていないと聞いてしばらく待っていたが、一向に来なかったので、トレイを借りてサンドウィッチと果物を運んでいくことにした。必要なければ、夜食にでもすればいい。
医務室へ向かい、開かれたままのドアをくぐる。
「あれ? 皆さんおそろいで……」
医務室には、いつになく多くの姿がある。どれも見慣れた相手ではあるが。
まずはビストリカにリフランさんとシエナさん、リフランさんを迎えに来たと思われるイラージさん、いつもの机近くの椅子にレコを抱いたテルミ先生、いつでも逃げられるように出入口付近に道化師さん……なぜ逃げる必要があるかというと、テルミ先生がよくレコを突きつけてくるから。一種のイジメである。
医務室の中に入ってしまえば、みんなが集まっている原因は何となくわかった。ビストリカは、クーリンさんのベッドの脇にいる。
「それが……まだ、お目覚めにならないので……」
「叩いても殴っても駄目なの?」
「な、殴ってはいませんけど、いくら揺すっても起きませんし」
トレイを机に置いて、ベッドに歩み寄る。割と体格がいい感じの男子学生は、少しも目覚める気配もなく横たわっていた。
「魔法で目覚めさせたりできないの?」
「そりゃーできないこともないだろうけれど、無理に目覚めさせるのは身体に負担を掛けるわ。原因がそのままだと、また倒れるかもしれないし」
ビストリカに問うたわたしのことばに、テルミ先生が答える。
その間に、ビストリカは改めてクーリンさんの状態を確認していたのだけれど……
「あら?」
突然の声のトーンを変えての声に、注目が集まる。わたしはそばにいたので、彼女の手もとを覗き込む。
クーリンさんの、首の後ろ辺り。そこが、赤く小く腫れていた。
「虫刺され……?」
そう言えば、最近羽虫が多くなってきたし、刺すヤツもいるのかもしれない。
「体力が落ちているときに熱中症になって、長引いているという可能性もありますが、気になりますね。あとで調べてみましょう」
「病気を媒介するような虫は、もうだいぶいなくなっているはずなんですけどねえ」
と、シエナさんが棚から厚い本を引っ張り出してくる。
「でも、突然、ふたたび流行し出すこともありますからね」
あくまで慎重なビストリカに、道化師さんは備え役らしいことを訊く。
「虫に気をつけるよう、注意を促したほうがいいか?」
「気をつけても、完全に防げるものではありませんし……病気を持っているものがいる可能性は、しばらく伏せておきましょう。まだ確信があるわけではありませんし」
と、彼女もちょっと不安そうだ。その辺の窓を閉めてたって、けっこうあちこちに羽虫が通れそうな隙間はあるからなあ。
この日――結局、クーリンさんが目覚めることはなかった。
でも、その翌日。つまり今朝。
早朝、気になって自室から医務室に直行すると、ベッドの上で身を起こしたクーリンさんが、医務室に泊まったらしいビストリカとテルミ先生に質問を受けているところだった。
「あ、目覚めたんだ。良かったですねえ」
ほっとした様子のビストリカたちをよそに、男子学生のほうは、状況が良くつかめていない表情。
「ああ、うん……何か、首にチクッて感じたとたんに、目の前が暗くなって……」
「最近、疲れがたまってたってのはあります?」
「暑いし夜も余り寝れないし、知らないうちに疲れてたのかもしれないけど、ほかの人たちもそれは一緒でしょう? 丈夫なほうなんだけどなあ」
本人が一番戸惑っているような様子だ。それにしても、彼の話では疲れのせいか、虫のせいか、良くわからない。
でも、虫が持ってる病気をうつされたんなら、こんな風に目覚めたら元気、になるかなあ?
「うーん……とにかく、大丈夫みたいですし、これから一週間ほど、放課後にここに通っていただいて様子を見ましょう」
ビストリカも不可解そうな顔をしているけれど、とりあえず、そんなところで手を打つことにしたようだ。
――まあ、とにかく目が覚めて良かったな。
安心すると、朝食前に一旦自室に帰ることにする。いつもよりずいぶん早起きをしたので、廊下にも人の姿が少ない。
しかし、途中、階段を登って三階の角を曲がろうとしたところで、わたしは、聞き覚えのある声を聞いた。
「何てことだ……十日後だって?」
声は、確かにシェプルさん――だけど、何だか雰囲気がおかしい。いつもの芝居がかった調子はない。
角を曲がると、落ち着きなく歩き回る、白い姿。
「どうしてこんなことに……」
頭を抱えている相手に、思い切って声をかける。
「どうしたんですか、シェプルさん」
すると、彼は飛び上がらんばかりに驚いて、引きつった顔に張り付いたような笑みを浮かべ、
「な、何でもないさ、お嬢さん。少し、愛に迷っていただけだよ。それじゃ!」
早口で言い切ると、そのまま、逃げるように、というか、全力疾走で去って行く。
――十日後に、一体何があるんだろ。
シェプルさんのただならない様子に、わたしは、何か大きな波乱が起きることを予感せずにはいられなかった。
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