エルトリア探訪日記

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・2007年8月11日:第12話 最初のテスト(上)
・2007年8月11日:第12話 最初のテスト(下)


第12話 最初のテスト(上)

 むしむしむし蒸し暑い。
 この世界は水陰柱と水陽柱で水を循環させているせいか、かなり雨が少ない。晴れているか少し曇っているか、という天気が圧倒的に多い。しかも、カラッと晴れているようでも湿度は高い。
「あー、今日も暑いね」
 もう挨拶の一種と化したことばを口にしながら医務室に入るものの、そこに一番馴れ親しんだ姿はない。代わりに、今週ここの係なリフランさんと、最近ここでよく見かけるマリーエちゃんがいた。
「お疲れさま、アイさん。ビストリカ先生なら、ちょっと診察に行ってるよ。この暑さで、今日ももう三人倒れてるしね」
 と、説明するリフランさんの笑顔にも、汗が光る。
 この炎天下じゃスポーツは自殺行為だっていうんで、ヴィーランドさんを始め、アウトドア派の面々も今は日陰で談笑したり、カードゲームなんかに興じているのが窓から見えた。
「すぐ帰ってくるって、言ってたよ」
 お人形さんのように可愛らしい少女が、舌を出した、これまた可愛い子犬を撫でながら付け足す。
 子犬は、ビストリカの勧めで、第一発見者のリフランさんが名前をつけた。その名は、レコ。この地方の古いことばで、『助け舟』という意味があるそうだ。
「それじゃあ、待たせてもらおうかな」
 と、ベッドに腰かけると、リフランさんが冷えたシェシュ茶を入れてくれる。カップを差し出しながら、彼は思いついたように口を開く。
「そういえば、今日、テストなんだろう?」
 そう。いつもは放課後な時間だけれど、まだひとつ、授業が残っていた。それも、初めての実戦対象魔法テスト。外でやる予定なんだけれど、あまりに暑いので、夕方にやることになったのだ。
「二人とも、頑張ってね。夕方なら、まあ陽射しもほとんどないし、湿度も下がっていると思うから」
「ええ、何とか頑張ります」
「あたしもー」
 わたしに続いてマリーエちゃんが元気良く答えると、抱えられていたレコも、クーン、と鳴いた。
 ほほ笑ましい光景に、自然と笑みがこぼれるのを感じながら、お茶をすする。そして、ふと窓の外に目をやると、日陰の一同の前にべちゃっとシェプルさんが倒れ、その背中を踏んだ道化師さんが何か言っていた。
 よく考えたら普通はあり得ない光景なのに、何があったのか簡単に想像がつく。おそるべし、ナンパ男。
 すると、同じく外を見ていたリフランさんが目を細める。
「備え役の人たちって大変だよね。炎天下でも、広い敷地内を回らなきゃいけないんだし。先生、心配してたよ」
 確かに、巡回は日陰を選んでできるわけじゃないし、ここ数日の猛暑は、服に空調魔法付で快適安心生活なはずの道化師さんでもかなり暑そう。
 むしろシェプルさんが無駄に平気そうなだけに、そのナンパ男の相手をしてるだけでも疲れるよなあ――と、リアルタイムで高価そうな服の袖を引っ張っていくの図を見つつ、しみじみ思う。
「――アイちゃん、来てたんですね」
 外に気を取られていたわたしは、少し驚いて、聞き慣れた声の主を振り返る。となりには、狐目の女教授の姿もあった。二人とも、やっぱり暑そうだ。
「テストまで、体力温存しないと。それにしても、座ってるだけで疲れるわね。こうなったら、アイス百個くらい買ってもらおうかしら」
 シェシュ茶を飲みながら、いつもの指定席に座ったテルミ先生はそんなことを言う。
 わたしがエンガの町への旅から帰ってからよく話題の中心になるのが、一〇〇〇レアルの使い道だった。学長さんに渡そうとしたけれど、「わたしは関係ない、好きに使いなさい」と言われた。本来は道化師さんが貰うべきものだけれど、まったく興味がないみたいだし。
 そんなこんなで、良くビストリカやテルミ先生とあーだこーだと話していたのだけれど、一部は使い方が決まっていた。レコの世話にかかる費用だ。
 それに、多めだけど五〇〇レアルと計算して、残りの使い道が最近の焦点になっていた。
「やっぱり、アイちゃんの希望が最優先です。何か、欲しい物はないんですか?」
「うーん……」
 今までも、図書館にない本を買うとか、服を買うとか、ちょっといいな、っていうアイデアはあったものの、どうも決定的に欲しいっていう意欲に欠けた。
「何か、後に残る便利な物がいいんじゃないかな? あとあと役に立ちそうな」
 とは、リフランさんの意見。
 役に立つ、と言えば、医務室のために薬を買うとかいう案もあったけれど、別に資金には困っていない、と、ビストリカに断られたんだった。
「ま、ゆっくり決めればいいじゃない。意外な出費もあったりするかもしれないし」
 お茶を飲み干すと、テルミ先生は腰を浮かす。
「え、もう行くんですか?」
「ええ、打ち合わせよ。やっぱり、あの子のことだから、もう一度きちんと説明しておかないと……」
 それじゃあ、と手を上げて、医務室を出て行く。
 打ち合わせに、あの子、って……テストの担当は、先生だけじゃないんだろうか。
 ――その疑問は、間もなく解けることになった。

 夕方……誰だよ、涼しくなるって言ったのはっ!
 遠くの山並みにオレンジ色の光がかかる頃になっても、まだ蒸し暑い。そりゃ、直射日光はなくなったし、多少は楽ではあるけれど。
 でも、みんなは一時、暑さを忘れていた。アキュリア・テルミ教授のとなりに立つ人物が、不思議な姿をしていたからだ。
 淡い金髪に金色の目――そこはまだいい。頭の上には薄茶色の耳、お尻にはフサフサの尾。どちらも、作り物ではなさそうだ。
「えー、特別講師のエミール族の幻術使い、キューリル先生よ」
 暑さのせいか、いつもに増して手短なテルミ先生とは逆に、エミール族、という種族の女性は、親しげな笑顔を見せる。
「本当はシシルキューリルフィアっていうんだけど、長いから、みんなキューリルって呼ぶの。よろしくねっ! アキュリアちゃんとは、古い友だちなんだよ」
 言いながらとなりと腕を組もうとするが、
「あ・つ・く・る・し・いっ!」
 と、テルミ先生が離れる。それを、寂しそうに見る特別講師……どうやら、子どもっぽい人のようだ。
「とにかく、すぐに始めるわ。まずは、テストだということを忘れないこと。誰かに頼ろうとしちゃダメ。いいわね?」
 それは、至極当然のことに思えた。わざわざ、注意されるほどでもないような。
 しかし――
「じゃ、いっくよー。頑張ってね!」
 と、キューリル先生が呪文を唱え始めると、急に周囲に白い霧が立ち込め始める。戸惑っているうちに、完全に白に包まれた。
 幻術で強制的に、一人の状況を作られる。
 ――なるほど、そういうことか。
 でも、一人で何をするんだろう。どういうテストなんだろう。
 わたしは、今まで習ったことを頭の中で復習した。覚えている魔法は四つ。明りを作り出す〈マピュラ〉に火の球を投げる〈マピュルク〉、光の球を浮かべて操作する〈マピュファル〉、それに四角い面の固系防御結界を作り出す〈ソルファジオ〉の魔法だ。それらを使って、何をするのか。
 などと考えていると、ゴー、という妙な音が聞こえ、見上げた空の高いところから、大きな氷の塊が落ちてくるところだった。
 ――へ? こっちに落ちる?
 一瞬慌てるものの、テルミ先生のことばを思い出す。そう、これはテストだ。あの氷塊を何とかしろというのだろう。
 やっぱり、〈ソルファジオ〉で防ぐか。でも、消滅系反射系とか色々ある結界の種類の中で、固系は、モロに術者の魔力が強度に反映されるんだっけ。わたしの魔力で持つのか?
 〈マピュルク〉で溶かせればいいけど、そこまで火力はない。それでも、少しは溶けるだろうけれど。
 氷塊が落ちるまではもう少し時間がありそうだ。それなら――。
「〈ソルファジオ〉」
 ガツン、と音がする。氷塊が少し砕けた。
 結界をすぐに消し、さらに続けて呪文を唱える。
「〈ソルファジオ〉」
 少しずつ砕けていく。結界にぶつかると落下スピードが緩くなるので、何度も魔法を使う時間は充分あった。
 そして、七回目。
「〈ソルファジオ〉」
 もとの三分の一くらいになっていた氷塊に亀裂が入り、一気に砕け散った。小さな欠片が、氷を反射しキラキラ輝いて降りそそぐ。
 涼しいな――というのは、気のせいだけれど。
 ――これで終わりかな?
 少し待つと、霧が晴れ始めた。

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第12話 最初のテスト(下)

「お疲れさま」
 テルミ先生の声で、ちょっとあたふたしていた地球人一同も我に返る。
「とりあえず、テストは終了よ。成功しなかった者は明日補習の連絡をするから、覚悟しなさい。では、解散」
 ――わたしって、テストをクリアできたのかなあ。たぶん、大丈夫……だとは思うけれど。
 これで、今日の授業はすべて終わり。みんなそれぞれにテストの内容について話している。でも、一部、特に女性陣はキューリル先生に夢中のようだ。
「アイちゃん、どうだった?」
 声をかけて来たのは、そばにいたレンくん。
「まあ、大丈夫だと思う。ところで、わたしは〈ソルファジオ〉連続撃ちで砕いたけど、レンくんはどうやった?」
「ぼくも同じだよ」
「へえ、そういうやり方もあるのか」
 ヴィーランドさんが口を挟んできた。
「オレなんて、〈マピュルク〉でちょっと溶かしたあと、この拳で粉砕してやったぜ」
 ……補習じゃないのか、それは。
「ま、まあ、みんな受かっているといいですね……」
 何にせよ、終わったんだ。妙な解放感を感じながら、とりあえずテルミ先生も医務室に行くなら一緒に行こう、というつもりで視線をめぐらせると、城の太い柱の下に、見覚えのある姿がふたつ見えた。台座部分に腰を下ろしている道化師さんと、その横に立つジョーディさん。
 ――うわ、テスト前に気づかなくて良かった。気づいてたら無駄に緊張したかも。
「見てるくらいなら、引き受けてくれればよかったのに」
「備え役が足りなくなる。それに、幻術はあまり使い慣れていない」
 溜め息交じりのテルミ先生のことばに、少し疲れている様子の道化師さんが答える。もともとは、彼に特別講師を頼んでいたらしい。
「ほんと、慢性的な人手不足よね。それとも、この暑さのせいかしら。何でも、マリンダが今朝から寝込んでいるとか」
 ビストリカが心配してたものの、もうすでに、備え役にも被害が出ていたらしい。学生さんたちも、かなり熱中症で倒れた人がいるみたいだし……地球人は、丈夫なのか余り外に出なかったのか、今のところ大丈夫だけれど。
「それもある。補充員のエレオーシュ警備隊員と、手伝いの男子学生が一人、別棟の休憩所に担ぎ込まれたな」
「へえ……次に誰か担ぎ込まれるなら道化師さんだってみんな話してたのに」
 と言ったのはアンジェラさん。それに対し、道化師さんはガクッて感じで肩をすくめる。
「ちなみに、次に多かった意見はディルスラック先生だったんだけど、実は今日休みだったのよねー」
 ――真昼間から何を議論していたんだあんたらは。
「みんな、わたしをどういう目で見て……」
 あきれ半分、疲れ半分に溜め息を洩らす彼をフォローするのは、ここはやっぱり、心優しいわたし。
「まともな目で見てるんでしょー。シェプルさんは炎天下でもあんなんだし、ジョーディさんもけっこう……」
「平気そうだよね」
 レンくんが同意してくれる。
 トカゲ人間とか良く言われるシュレール族のジョーディさんは、その緑色の硬そうな皮膚の上に、汗ひとつかいていない。
「おう。エミール族やクル族もそうだけどよ、シュレール族は気温の変化に強えかんな。これくらいは、まだ余裕だぜ」
 胸を張り、手をひらひらと振る。
 わたしは、その手が気になった。
「ジョーディさん、握手」
 手を差し出すと、
「はあ?」
 と不思議そうにしながらも手を握ってくれる。素直な人だ。
「あー、冷んやりしてる」
 全然ベタついてないし、冷たい、とまではいかないが、水枕のような感触と温度。
「ほんとー?」
 ここに召喚された地球人は好奇心旺盛なのです。みんな、ジョーディさんの周囲に集まってくる。キューリル先生に続いて、今日のアイドル。
「こら、ベタベタ触るなっ」
 キューリル先生がノリノリだったのに対し、ジョーディさんは逃げ回ってるけど。
 そして、解放されたキューリル先生が入れ替わるように、こちらへ。
 それを見た道化師さんは、唐突に離れたところに避難。
「えぇ、なんで逃げるのぉ?」
「わ、わたしに近づくなっ」
 じりじり近づく犬耳娘から後退りつつ、しっしっ、と手を振る。
 ――犬扱いかい。
「キューリル、あたし行くから、あんたも適当にとっとと街に帰りなさい」
 テルミ先生が友人を放っぽって背中を向けた。というか、本当に友人同士なのか? と思いつつ、わたしもくっついて医務室へ。
 しかし、開け放ったままのドアをくぐるなり、お茶をしている雰囲気ではない気がしてきた。八つあるベッドのうちのふたつが学生さんの姿で埋まっている。
「あ、お帰りなさい。先生もお疲れさまです。アイさん、テスト、どうだった?」
 行くべきか去るべきか迷って立ち尽くすわたしに、リフランさんが声をかけてくれる。
 何だか、この人の声を聞くと安心するなあ。ビストリカにもちょっと似た雰囲気だけど、お母さん、みたいな印象の――実際のお母さんはそんな優しくないけど。
「まあ……それなりです。ところで、ビストリカは……」
「また診察だよ。そろそろ帰ってくる頃だろうけれど」
「ほんと、この時期は忙しいわね、あの子も」
 テルミ先生は慣れているのか、平然といつもの席に座って、大き目の木箱からレコを抱え上げる。
「今日は、これからゆっくりできそうですけどね」
 リフランさんはお茶を入れてくれると、窓を閉め始めた。
「あれ? もう閉めるんですか?」
 正直、まだ少し暑いので、閉めないで欲しかった。熱中症の患者さんたちも寝ていることだし……。
「ああ、ごめん。開けていたほうが涼しいだろうけど、そろそろ羽虫が増えてくる時季なんだ。この辺りは夜も多いから、清潔のために、早めに閉めることになってるんだ」
 羽虫かあ……これからは、ウカツに窓を開けたまま眠れないなあ。
 窓、と言っても、ガラスがはまっているわけじゃない。城の窓は四角い孔みたいなものだ。窓を閉めるときは、厚い布か、木の板を組み合わせたすだれを使う。医務室はすだれだ。
「暑い上に、虫は嫌ですねえ」
「まったく」
 わたしとテルミ先生がお茶を飲みながら話しをしていると、間もなく、ビストリカが帰ってくる。
「どうだった?」
「早いうちに倒れられたかたは、ほとんど快復されていましたよ。現在重症なのは、こちらのお二方と、休憩所のディルスラック先生ですね」
 あり得ない名前を聞いて、わたしとテルミ先生は顔を見合わせる。
「ディルスラック先生は、今日は休みだったんじゃ……?」
 患者さんの顔色を確認しながら、ビストリカが答える。
「それが、用事があって別棟に向かっている間に倒れられたとか。それほど深刻ではありませんけれど」
 ……どこまで不運なのか、あの先生は。
「思ったよりは、被害が少なくって良かったです。でも、これからの時間帯も油断できません。水分を取らないと脱水症状を起こす可能性がありますが、水分を録り過ぎてお腹を壊すかたもいらっしゃいます。それに、夜、暑苦しいからと毛布を掛けずに寝てお腹を冷やすかたとか……」
 夏の過ごし方の注意点が色々語られたあと、アイちゃんも気をつけて、と締めくくられる。
「ああ、大丈夫。寒いのよりは、暑いほうが得意だと思うし」
 そろそろ、涼しくなってきた。ほっと息を吐きながら、わたしはうなずいてみせる。
 もうしばらくこの暑さは続くというので、ビストリカ並に気を使うのも必要かもしれない。
 異世界まで来て身体を壊して行動不能になるというのはつまらない。どうにか健康に過ごせるように気をつけようと、わたしは心に誓った。


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