エルトリア探訪日記

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・2007年8月11日:第11話 剣の舞に悪夢閃き(上)
・2007年8月11日:第11話 剣の舞に悪夢閃き(下)


第11話 剣の舞に悪夢閃き(上)

 頭に赤や青の飾り羽をつけた白い小鳥が、ふわりと翼を広げて、召喚主である道化師さんの手の上に降り立つ。
「どうするんです、それ」
 周囲の注目を代表して聞いてみると、道化師さんは何かを書きつけた紙切れを手に説明した。
「予定より長く留守にするからな。研究所に何も知らせないわけにはいかないだろう……きみも、何か伝えたいことがあれば、手紙でも書くといい」
 言われて、ルーズリーフのノートの一ページを使い、『わたしは元気です』的なことをさっと書く。ビストリカに宛てて。わたしが何の連絡もしないと、凄く心配する気がするし。
 わたしと道化師さんの手紙を脚にくくりつけられ、小鳥は空の彼方へ消えていく。
 ――わたしたちがエレオーシュ魔法研究所を出て、半日以上が過ぎている。すっかり雲に覆われた空は、もうすぐ夜の闇を降らせるだろう。
 五人の傭兵の人たちは、交代で、町の見回りに出ているらしい。今は、赤毛の兄弟が姿を消している。
「便利なもんだねえ、魔法ってのも」
 そう言って、物珍しそうに鳥を見送った鬼姫さんは、パルくんと一緒に、わたしが持ってきたクッキーに夢中だ。
「魔法も、一対一では達人の剣技にかなわないがな」
 と、ちょっと自虐的なことを言う道化師さんを、鬼姫さんはげしげしと叩く。力の加減ができていないのか、ちょっと痛そうだ。
「そういうのはあれだ、敵以外敵将、いや、宅配撤収だったかな? ってヤツだろ。確かに、この刀ひとつで生きてきたから、自信はあるけどな」
 言っていることは良くわからないけれど、あまり記憶力は良くないらしい。
「何せ、戦場で落ちてた赤ん坊を老剣士が育てたのが、このあたいなのさ。戦場を駆け抜ける鬼のような剣士になれと、鬼姫なんて名前がつけられた。物心ついたときには、短剣で獣を狩っていたさね」
「じゃあ、本当の家族、とかはわからないんですか?」
「ああ、敗残兵の子どもか、戦場付近の家のもんが捨てていったんだか……べつに家族を捜す気もないし、捜しようもないだろうよ」
 ちょっと不躾な質問かなあ、と思いながらのわたしの問いに、彼女はあっけらかんと答える。
「傭兵なんてヤクザな商売やってるヤツなんて、大体そんなもんさ。魔術師だって似たようなもんだろ」
「そうかもな」
 曖昧に返事をする道化師さんと、少し離れたところで苦笑しているヴェトラさん。
 わたしも一応、魔術師に入るんだろうか――と、考えを突き詰めるような余裕はない。周囲がどんどん暗くなるにつれ、頭の中で睡魔が大きくなってきている。
「……魔術師は、夜中に来るんですよね?」
「ああ、大魔術師イグロボーンとかいうヤツなんだけれど、いつも、真夜中に実験を行うんです。迷惑な形で」
 ヴェトラさんの返事で、そういえば、相手魔術師の名前は初めて聞いたことに気がつく。
「……聞いたことあります?」
「いや……初耳だな。どこか遠くの出身か、若い魔術師なのか」
 道化師さんのことばに、もう一人の魔術師がうなずく。
「ええ、ここ数十年で何度か世間を騒がせている、比較的若い魔術師のようです。ただ、歪んだ存在を召喚させたら、その腕前はかなりのものとか……」
 歪んだもの、っていうと、禁術だろうか。
「いつやって来るのか、油断はできませんが……今まで通りなら、夜までは大丈夫なはず。それまで、どうぞ休んでいてください」
 わたしとパルくんの眠たげな様子に気がついたのか、そう気を回してくれる。
「じゃあ、しばらく休もうか、パルくん」
 わたしのことばに、彼は素直に、うん、とうなずいた。本当に疲れているってのもあるんだろうけれど、最初の頃に比べると素直になったなあ。
 もうだいぶ涼しくなってはきているけれど、布団無しで寝て風邪をひくほどじゃない。焚火のそばなら温かいし。鞄を枕代わりに、草の上に横になる。目を閉じたところで、鬼姫さんと道化師さんの声が聞こえた。
「まー、安心して眠りなよ。寝てる間に襲ったりしないからさ」
「……言っておくが、他人がこの仮面や服を取ろうとすると対抗魔法が発動するように仕掛けてある」
「へー、残念。そりゃ、おっかねーなあ」
 あー、わたしも機会があればこっそりと、なんて考えていたけど、無理っぽいなあ……。
 などと考えつつ、わたしの意識は闇に落ちていった。

 どれくらい眠っただろうか。わたしは妙な感覚で目が覚めた。
 何だか、近くで大きな風船にぎゅうぎゅう空気が詰め込まれていくような……形容しにくい感触。
 目を開けると、夜闇の中、そばでパルくんが丸くなって寝ている姿が焚火の明りに浮かぶ。鬼姫さんが火に木の枝をくべ、ほかの傭兵の人たちは見回りかテントの中らしく、姿がない。道化師さんは木を背に、寝てんだか起きてんだか良くわからない様子で腕を組んでうなだれている。
 身を起こそうとすると、テントからヴェトラさんが顔を出し、道化師さんが顔を上げる。
「きみも感じたか。どうやら、相手の魔術師とやらが来たようだ」
 ってことは、この感触は、魔力? そんな場合じゃないけど、ちゃんと魔術師らしい感覚が身についていたらしく、ちょっと嬉しい。
 鬼姫さんが桶に張っていた水を焚火にぶっ掛けた。その音で、パルくんも目を覚ます。
「子どもらだけ、ここに置いて行くわけにもいかねえかんね。あたいらから離れるなよ」
 刀の握り具合を確かめて、一気に駆け出す。離れるなってあーた、追いつけるわけないでしょうが。
 火がなくなって周囲が真っ暗になったので、わたしは〈マピュラ〉の魔法で右手の人さし指の先に明りを灯した。
 テントから赤毛の兄弟が飛び出して、鬼姫さんに先を越されてなるものか、という感じで猛追する。それを見て、やはり先端に光を灯した杖を手に、ヴェトラさんが苦笑する。
「わたしと一緒に行きましょう。そばにいてくだされば、守れますから」
 彼と道化師さんと一緒に、わたしとパルくんも街中へ。パルくんは少し不安そうだけれど、表情には、何か期待感も見える。魔術師志望の彼には、魔法による戦いを見られるのが嬉しいんだろう。わたしもだけれど。
 噴水のそばまで駆けつけたときには、すでに戦いは始まっていた。剣士三人が、奇妙な半透明な獣たちを斬り伏せている。
「召喚された霊獣か」
 霊獣、ということばには聞き覚えがある。確か、召喚系の魔法でよく使われる使役獣のことだ。
 その半透明な姿が無数、唸り声を上げながら空中を踊っている。いくつかがこっちにぶつかってこようとして、ヴェトラさんがとっさに張った防御結界に阻まれる。
 夜空に舞う、地球じゃ見たことのない姿の獣たち――こういう状況でさえなきゃ、見とれるような幻想的な風景。
「すまん、ヴェトラ、鬼姫、ここを頼む。オレは、向こうが気になるんでな」
 と、アシェールさんが剣の先で示したのは、町の中央付近。そこから、淡い光の柱が立ち昇っていた。確か、あの辺に中央広場があったはずだ。
「ああっ、ズルイぞこらっ」
 鬼姫さんが行く手の霊獣を切り捨てて駆け出すアシェールさんと赤毛の兄弟に文句を言うものの、群がってくる霊獣に足止めされてしまう。霊獣は切ればふっと消えるものの、またどこからか飛んでくる。どこからというか、たぶん、あの光の場所から。
「大方、霊獣を使って町の人々に何か人体実験を施すつもりだったのでしょうね」
 結界を張ったまま、ヴェトラさんが言う。
 ――でも、それならなんで、予告なんてしてきたんだろう?
 ふと疑問が湧いた瞬間、呪文を唱えていた道化師さんが宙を指差す。
「〈ディベルラ・ガロウズ〉!」
 一瞬、霊獣と見まごう白い姿がいくつも浮かび上がる――翼のない、一角の龍だ。それが一斉に解き放たれ、霊獣たちに喰らいつき、あるいは引き裂く。
「凄い……」
 それを見上げ、パルくんが感歎の声を上げる。
「我々も、中心部へ行くぞ! 霊獣は所詮は魔力集合体だ。いくら消そうと、召喚用の魔方陣を消さなければ湧いて来る」
 阿鼻叫喚の喧騒に負けじと声を張り上げ、道化師さんが駆け出す。遮るもののなくなった鬼姫さんも、町の中心部めざして駆け出した。
 霊獣の一部が鼻息荒く追いかけようとしてくるが、それをさらに追った龍が消滅させる。
 はあはあ言いつつ何とか周りに遅れずに走りきり、中央広場に辿り着いた。花壇と木、ここにも噴水があるのだけれど、その噴水の向こうに、黒いマントの男が立つ。地面には、魔法語が連なる円陣が描かれていた。円陣からは、絶えず霊獣があふれ出す。
 そしてその前に、一抱えくらいの、黄色いボールのようなものが三つ浮かんでいる。
「観念しろ、イグロボーン!」
 アシェールさんが言って、行く手を阻む球体を横薙ぎに斬った。
 確かに、斬った――ように見えたが、球体は変わりなく、ふよふよ浮いていた。
「夢魔だ!」
 道化師さんが叫ぶと同時に、衝撃が球体から放たれた。アシェールさんが後ろへ、つまりわたしたちの前に跳ね飛ばされる。
「おい、大丈夫か!」
 鬼姫さんが、仰向けに倒れた剣士に駆け寄る。外傷はないようだけれど、気絶しているらしい。
「夢魔と契約したのか……」
 見てくれはヘンテコだけれど、あの三つの球体は、確かに以前遭遇した夢魔と気配が似ている。道化師さんの表情にも、警戒の色が増す。
「これならどうだ!」
 赤毛のお兄さんのほう、フォクトさんが矢を射った。確かに、矢で直接相手を射ってしまえば夢魔が強かろうと関係ない。
 が、木の矢は、結界か何かに阻まれたように、先端からジューッと消滅する。
 ――『大魔術師』なんていうと、ちょっと滑稽で見掛け倒しな印象持ってたけど……も、もしかして、強い?
 大魔術師イグロボーンは、黒髭をたくわえた口もとにニヤリと笑みを浮かべ、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「散々、わたしの邪魔をしてくれたお前たちには、相応の最後を用意させてもらった。何やら前はなかった姿もあるが、ついでに死んでもらう。ここが、お前たちの墓場だ」
「儀式のため……ではなかったのか」
 ヴェトラさんが張りつめた声で問うと、相手は苦笑する。
「まずは、障害物を排除するのが先だろう?」
 黒い手袋に包まれた手が持ち上げられる。それに応えたように、三体の夢魔は素早く動き出した。

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第11話 剣の舞に悪夢閃き(下)

 あらゆる余計なものをそぎ落として、機動性を追及したフォルム……なのかどうかはわからないが、三つの球体がバラバラに高速移動してわたしたちを襲う。
 一体はファクトさんの足もとの地面に突っ込み、もう一体はアシェールさんを引きずってきたテンタさんとヴェトラさんの頭上をかすめ、さらにもう一体は、鬼姫さんに突っ込む。
「ちっ」
 寄って来た霊獣を斬り、一度鞘に戻した刀を抜きざまに振り切る鬼姫さんの舌打ちが聞こえた。
「さすがに夢魔は斬れないのか」
 悔しげに言うそこへ、道化師さんから魔法が飛ぶ。たぶん、物に魔力を凝縮させる魔法だろう。
 でも、それを確認している余裕はなかった。球体のひとつがわたしたちを守る結界に激突して、消滅させる。
 ヴェトラさんがふたたび防御結界の魔法のための呪文を唱え始めるが、それが完成する前に、別の球体が急降下してくる。
 そうだ、この鞄なら――鬼姫さんの刀は防げなくても、あのときのように、夢魔は吹き飛ばせるはず。
 パルくんを背後に庇い、両手に鞄をギュッと握る。
 真っ直ぐ突っ込んでくる黄色い球体。
 ――叩き落してやる!
 思い切り振りかぶって、鞄の裏側が当たるように素早く振り下ろした――つもりだった。でも、わたしは見る。球体が、鞄の下を通過するところを。
 ――速過ぎるっ! いや、鞄が遅いのか!
 このままじゃあ直撃する、と自覚したところで、わたしは横からの衝撃を感じる。そのまま、パルくんも一緒に地面に倒れるものの、頭は庇われていてほとんど痛みはない。ちょっと膝をすりむいたけど。
「危ないことはするなっ!」
 怒ってから立ち上がったのは、道化師さん。とっさにわたしたちを球体から庇ったらしい。その額に赤い筋が見える。
 一瞬、後悔が胸をよぎるが、今はそういうものに心奪われている場合じゃない。
「こりゃいいや」
 呪文を唱え始めた道化師さんと、パルくんを助け起こしたわたしの間を抜けた球体を、鬼姫さんが斬り伏せた。ばすっ、と音がして、球体は消滅する。
「〈エルビア・デイル〉!」
 夢魔の相手は鬼姫さんで充分と見たのか、道化師さんが狙うは、相手魔術師。
 黒衣の魔術師は、飛来した雪のような無数の光球を、マントをバサリと一振りして消す。
「この程度……他愛もない」
 などとエラソーな口を利くが、道化師さんの狙いはそこじゃない。霊獣がさっと消えるのを見て、イグロボーンも気がついたらしい。
「ほう……」
 魔方陣の一角が擦り取られて消えている。これで、うるさい霊獣は消滅した。
「なかなかやるな。では、これではどうだ?」
 黒い手が振られると、今度は、虎に似た、そしてシカのような角を持つ一つ目の獣が現われ、道化師さんに襲い掛かる。
 それを、夢魔を退治し終えた鬼姫さんが遮った。角を刀でしっかり受け止めている……べつに筋骨隆々って感じには見えないけど、本当、凄い腕力。
 その後ろで、イグロボーンをにらむ道化師さんが、さらに目を細める。
「お前には、これで充分だ」
 懐から一枚の紙切れを取り出し、空中に放った。
 それは変貌し、一匹の大きな蝶になり――それはさらに細かく分かれて、小さな無数の蝶になる。
 蝶の大群が、少し怯んだイグロボーンの黒い姿を覆いつくす。抵抗しているらしいけれど、蝶自体が散っても、白い粉が周囲を包む……鱗粉、だろうか。
「おっ?」
 鬼姫さんがよろめき、目を丸くする。手にする刀と組み合っていたはずの一角獣の姿が薄れ、消えていく。
 それを確認して、前方に視線を戻すと、蝶の大群も消えていた。ただ、黒マントの姿が倒れている。
 テンタさんが両手に短剣をかまえたまま、慎重にそばに寄った。
「気絶しているらしいな」
 ――こうして、戦いは終わった。
 どんな高位の魔術師でも口を塞がれ両手足を縛られてしまえば魔法は使えない。大魔術師イグロボーンは猿轡をされ、ロープでぐるぐる巻きにされて、後ほどエレオーシュに護送されることになった。

 ヴェトラさんが伝令の鳥を飛ばして、近くの町に避難していたエンガの人々の一部が馬車を飛ばして帰ってきたのは、夜も明け切らないうちだった。その一部の人々の中に、パルくんの家族もいる……やっぱり、パルくんが心配だったんだろう。
 温和そうなお父さんとお母さん、それに、パルくんに良く似た女の子が駆け寄る。
「父さん、母さん、シャリ!」
 お土産のチョコレートパイの包みと伝説の杖を抱えたまま、パルくんも家族に駆け寄る。それを、笑顔でお母さんが受け止めた。
 シャリちゃん、というのは、妹さんらしい。もしかして、魔術師になりたい理由は、妹さんに関わることかもしれない――なんて、妄想だけれど。
「本当に、ありがとうございました」
 ご両親は、研究所から送ってきたわたしたちにお礼を言ってくれる。パルくんも、その家族も、すっかり安心した様子だ。
「いいえ、わたしは大したことはしてません……パルくん、五年後、待ってるよ」
 いや、ほんとは五年後にはいないだろうけれど。
 パルくんはちょっと驚いて――にっこり笑った。
「ああ、待っててよ。姉ちゃんも、魔術師さんも」
 不思議そうな家族の視線を受けながら、わたしたちは初めて、笑みを交わした。
 別れるとなるとちょっと寂しいけれど、わたしは手を振って、馴れ親しんだ我が家へ帰っていく一家を見送る。
 その間、道化師さんはどうしていたかというと、背後の木陰に座り込んだまま成り行きを眺めている。
 そこへ、町の代表に会いに行くといって姿を消していた鬼姫さんたちが戻ってきた。鬼姫さんは、はいよ、とわたしに袋を渡す。
 お、重い。それに、感触からして、中身はお金。
「あんたらの取り分だ」
「いや……取り分、って……」
「いいからもらっときな。まあ、あたいらがこの町を巻き込んだもんだけどよ、食ってくためには細かいことは気にしてられねえ。だから、あんたらも気にしないでおけ」
 つまり、口止め料か? いや、鬼姫さんはそんなことは考えなそうだけれど。
「まあ、必要なければどこかに寄付でもしておけばいいさ」
 と、道化師さんが立ち上がる。ほとんど寝てないし、イグロボーンを転がしたあとも治癒魔法とか使ってたし、かなりお疲れの様子だ。わたしも疲れているけれど、朝陽を浴びると、労働のあとのさわやかさを感じる――何の労働もしてないけど。
 鬼姫さんは道化師さんのそばに行って、肩を叩く。
「あんたにゃ世話になったなあ。今度会うときも、できれば味方だと嬉しいねえ」
「会わないのが一番だがな」
 ちょっと痛そうに顔をしかめながら、嫌味を言う。
 いや、傭兵には、金さえもらえれば何でもするっていう人もいる。鬼姫さんたちはそういう人には思えないけれど、敵同士になることがまったくないとは言い切れないかも。
「んじゃ、達者でな」
「鬼姫さんたちも、気をつけて」
 もう、テントや道具も撤収してあるらしい。荷物を抱えた傭兵たちの一行が門を出て行く。短い付き合いだったけど、なかなか、楽しい人たちだったなあ。
 それで。
 パルくんを送るという目的を終えた、わたしたちは――。
「気温が上がる前に、出発したほうがいい」
 そうだ、またあの蒸し風呂地獄が始まるんだ。ということで、エンガの町で早々に営業再開していた宿屋さんに頼んで朝食を作ってもらって食べたあとに、すぐに出発。
「本当は、帰りは疲れない舟で、と思っていたのだが……まだ、船頭が避難先から戻っていないようだからな……」
 エンガの町には、まだ半分も人が戻っていない。避難先からはけっこう遠い――と言っても、エレオーシュに比べての話だけれど。出てきたときも、街中は、けっこうガラガラな印象だった。
 もっと人や馬が戻っていれば、舟でなくても、馬車を借りられたかも。この距離で馬車は大げさかもしれないが。お金はあるけれど。
 鬼姫さんに貰った金額は、一〇〇〇レアル。なんか、一気にお金持ち。
 でも、今はその重さすら憎い。今日は昨日と違って空に雲ひとつなく、直射日光が照りつける。鞄を頭上にやって何とか防ごうとするものの、すでにかなり暑い。
 暑い暑い言いつつ歩いていたら、道化師さんが手を引いてくれた。いや、魔術師は体力ないとか腕力の無さは折り紙つきとか言ってたけど、わたしよりは体力あるなあ。って当たり前か。
 そんなグダグダな調子で、一応エレオーシュの町に辿り着いたわけだが。
「……どこかに行くか?」
 と問われて、やっと思い出す。適当に遊んできていいって言われてたんだっけ。でも、今からエレオーシュの街の中を歩き回るなんて……。
「……道化師さん、早く帰りたいでしょー」
「……ああ、正直に言って、早く研究所に戻りたい」
 わたしも正直、とっとと帰って眠りたかった。
「あんまり遅過ぎると、ビストリカが心配するかもしれないし、もう帰りましょう」
 と言うと、道化師さんもほっとしたようだった。
 ぴちゃぴちゃ水を跳ね上げながら、わたしたちは真っ直ぐに、古城の敷地に続く門に向かう。
 ――みんなへのお土産、先に買っておいて良かったなあ。

 こうして、わたしの初めての、魔法研究所の外の旅は終わりをつげた。
 最後に、帰ってからみんなに振舞った、包み紙の中で原型を留めずドロッドロに溶けたキャンディーはそれなりにウケていた、と付け加えておく。


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