第四章 光亡き世界に求めたもの


  四、それぞれの分岐点


 市街地に進軍したフィアリニアの精鋭らの先頭に立っていたのは、この遠征の指揮官である司祭長レスター・クロークではなく、側近のアステッドだった。そのそばに陣取る老神官戦士が、ロイエの姿を目の前にすると複雑な表情を見せた。
「ロイエ様、レスター様が……
 危機を脱して無事に合流できたことに多少はほっとしていた一行は、告げられたことばに不吉なものを感じて顔を見合わせた。

 郊外に停止した大きな馬車の中、毛布の下に司祭長の姿はあった。横たわったその身体に力はなく、ただ、弟の気配が近づくのは感じ取ったようにわずかに顔を上げる。
「これは……?」
 いつになく静かな兄に眉をひそめるものの、ロイエは目の前の状況をすぐには信じられないようだった。それは、今までの経験からくるものかもしれない。
「さっきのと似たようなものを見たことがあるけど、神の代行者としての力を使うとかなりの精神力を消耗するらしいね」
 後ろからのぞき込んでいるシリスが、記憶にある光景を思い出したように言う。
 そのことばの語尾にかすかに重なるように、か細い声が聞こえた。
「ロイエ……ぼくはもう駄目のようだ。どうか、最期に『お兄ちゃん』と呼んでくれたら、心残りはないんだけどな……
 弱っているのは確からしいが、妙に期待を感じる声。
 そのことに、誰よりもレスターの態度の変化を見慣れているはずのロイエが気づかないはずもなく。
「へえ……じゃあ、お兄ちゃんと呼んだらもう二度と口をきく必要もなくなるってことだね。それならいくらでも呼んであげてもいいよ」
「いや、その……それは困る。むしろ、死にそうな兄を相手にしたときにはたくさんしゃべって欲しいなーなんて」
「普通、そういう相手を前にしたら静かにしているものだと思うよ。ま、とりあえず帰ったら新しい司祭長を決めよう。誰にせよ、現司祭長よりはマシだろうね」
「ロ、ロイエ……
 どうやら放置しても大丈夫だと見て、シリスたちは馬車を離れて情報を交換していた。ナシェルが大事に抱えてきた大公も治癒魔法の名手により治療されるが、まだ意識は戻らず別の馬車の中に眠らされる。
 アステッドは話を聞きながらも、配下の神官戦士たちに指示して周囲の様子を探らせていた。
「今のところ、人の姿は見つからないな。それにしてもおかしい。国の人間が全滅したとして、遺体が見当たらないし争ったようなあともない」
「ゾンビにするにも命を奪う必要はあるわね。魔法で遺体を残さず消すとか、血も流さず命を奪いゾンビ化するとか、全国民レベルでやるには魔法の無駄使いな気がするの」
「国内のどこかにまとめられて囚われているかもしれないな」
 神官戦士とリンファの会話を、エーリャ公国の少年騎士は背中で聞いていた。
 後で辛い現実を見ることになるとしたら、あまり希望を持たせない方がいいかもしれない。そんな思いをそばで聞いていた吟遊詩人は振り払う。今はむしろ、少しでも希望が必要だ。それにアステッドらが話していることは、まぎれもない事実であった。
「師匠! ぼくはここに残ります」
 会話が一段落したと見ると振り返り、ナシェルは決意の表情を見せる。
「これから厳しい戦いにおもむくのに同行できないのは心苦しいですが、ぼくには騎士として、果たさなければならない重要な使命があるのです!」
「わかっているよ」
 止める理由はない。シリスはほほ笑んだ。
 自分の意思を快諾されたというのに、少年騎士は少し拍子抜けしたような顔をする。
「そうあっさり言われると、少し寂しいような気も……
「そこで弱気にならないで。離れていても応援しているよ。お互いの健闘を祈ろう」
 吟遊詩人の笑みが苦笑に変わる。
 ナシェルは気を取り直したように礼を言った。
 彼がここに残ると決めた一方、シリスらの行き先はとうに決まっていた。マドレーア王国の魔術師の塔へ、隣国やパンジーヒア王国を横断して最短距離で向かうのだ。
 情報収集に区切りがつくと、アステッドがレスターら軍の幹部と少しの間馬車内で協議して、外に姿を現わす。アステッドが主な手勢を連れてここに残り、レスターとマドレーアの魔法兵団長クワイトが、シリスらと一緒に目的地へ向かうという。
 疲弊はしているものの、レスターは動くには不自由はないらしい。神官戦士から遅れて馬車を出ると、愛馬にまたがる。
 彼らが聖王都トロイゼンを出発した後、フィアリニア軍の第二陣が追いかけてくる手はずになっていた。途中で合流できればさらに時間を短縮できるだろう。
 セヴァリーとゼピュトルも馬車に乗り、人数の少ない出立組はすぐに準備を終える。残る者たちはバックナントの出入口付近にテントを張りキャンプ地とした。エーリャ大公も医療班のテントの中に横たえられる。
「あとは頼んだよ、アステッド」
「そっちもな。ま、詳しい連中がついているなら大丈夫だろうが」
 マドレーアについてはほぼ知り尽くしているクワイトと、同じく目的地が自分の住処であるセヴァリーがいれば、土地勘に困ることはないだろう。
 別れのことばを交わすのもそこそこに、ひとつの集団は二つの集団となって離れた。

 フィアリニアの魔法強化を受けた馬やユニコーン馬車は、疲れを知らない力強い足取りで大地を踏みしめる。休憩のために立ち寄る町などでは、その装飾や外観の美しさにひかれ、人々が一目見ようと遠巻きながら周囲に集まってくる。
 それもかまわず、一行は必要最低限の停止だけで済ませて進み続けた。間もなく国境を越えてマラフ=シーネラ連邦に入り、さらにエアンセ公国を抜けて広大なパンジーヒア王国の国土に入る。
 大きな馬車の中に並ぶは、シリスとリンファ、ロイエ、ザンベル、セヴァリー。そして彼らの足もとにゼピュトルが丸くなっていた。
 小窓の外を流れ行く景色を見ながら、彼らは魔術師の塔に辿り着いた後のことや魔族たちの狙いについて考えをめぐらせていた。果たして、事件の首謀者らしきレモンド医師とはどんな存在なのか。
 元、邪神セイリスの側近であり、女神メヌエとの間に娘フィリオーネを生み出した男。魔族を従えていることからして、召喚士としても強力な力を持つのは確かだろう。
 レモンドという名は偽名なのか、セヴァリーにも、それにシリスとリンファにも当時のものとしては聞き覚えのないものだった。
「ロイエはアートゥレーサから何か聞いていないの?」
 妹に関することなのだから、アートゥレーサなら何か知っているかもしれない。そう考えたリンファが少年魔術師に問うが、
「さあ、何も聞いていないね。どこかで師匠と会えればいいけれど、言われていないってことは、大した情報は期待できないね。何か有利になるならすでにぼくは知っているはずだ」
 大戦で、女神メヌエは姉たちとたもとを分かち独り行方をくらましていた。別れて以降のメヌエの動向については、その姉らも他人と同じ程度の情報しか得ていないのだろう。
 レモンドの詳細を知るのに一番手っ取り早いのは、結局、本人に会うことだ――最後には、そんな当たり前の結論にいきつく。
「そういえば、リーンはどうしてるんだろうね?」
「あいつのことだから、女神ヌーサに怪しい使命でも受けて暗躍してるんじゃないの……まあ、それはいいとして、ルーンドリアはどういうものなの? 魔術師の塔からどう渡れるのかも聞いていないんだけどね」
「それもまた、行ってみればわかるものではあるが」
 ロイエの疑問に、目を開きもせず一見眠っている姿に見える姿勢のままで聖獣が応じる。
「もともと、ルーンドリア自体にワープゲートを改造した移動装置が備え付けられてある。合図をすれば、向こうで掬い上げてくれる。地上のわたしの気配はあちらは把握しているからな」
 その額にある虹色の宝石が、ちらりと小さく輝きを放つ。同時に放たれたその気配は独特で、やろうと思えば消すこともできるのだろうが、存在を知らしめる必要があるときには強大な魔力を感じさせることもできるらしかった。
「浮遊大陸か。一度は行ってみたい場所ではあるけど……なかなか難しい問題もありそうだね」
 と、夜闇が濃くなってきた外から視線を戻してシリスが振り向いた顔にあるのは、奇妙な葛藤。
 リンファがそちらを見もせずに肩をすくめる。
「あなたは高い場所に行くのが怖いだけでしょ。どうせスプリルルガにも行くのだから、少しは慣れが必要よ」
「ルーンドリアだろうがスプリルルガだろうが、外さえ見えなければいいんだよ、外が」
 言っても無意味だと知りながら、吟遊詩人は力説した。
「少なくとも、ルーンドリアへの移動は一瞬ですから地上は見えませんよ。塔の屋上では、常に上でも見ておくことです」
 向かい側で本をめくっていたセヴァリーが、わずかに苦笑する。
「さて……地上を離れれば、この魔族たちを追う旅の終わりも見えてくるでしょうね」
 アメジストのごとき目の先が、小窓から前方に向かう。月明かりの下に草原を近づいて来る集団が見えた。蹄の音が聞こえるほど接近すると、その掲げられた旗や馬車などに見覚えのある紋章が刻印されているのがわかる。
 もうすぐ合流、と気の緩みかけたころ、不意に、周囲の大地を深い闇が駆け抜けた。遠くの空に星が消えたのを見つけてシリスが見上げると、巨鳥のごときいびつな影が飛び去っていく。
 夜闇の中のスプリルルガはいっそう不気味に、威圧的に見えた。