第四章 光亡き世界に求めたもの


  三、金色の巨鳥


 スプリルルガの巨大な砲門を向けられているその光景は、地上の者たちに強い恐怖を与えた。それは無理のないことではあるが、良く訓練され、精神鍛錬も積んだ神官戦士を中心としたフィアリニアの精鋭たちは、即座に自らの恐怖と戦った。
 それでも、困難な戦いに違いない。経験したことのない脅威を頭上にしているのだから。
 だが、彼らの葛藤に終止符が打たれるまで、実際にはほんの数秒しか経過しなかった。
「全員、今すぐここから離れて!」
 レスターが声を張り上げると、その周囲の者たちは追い立てられるように馬を走らせた。アステッドとクワイトは一瞬ためらうものの、今は考えある者に任せようという思い入れで司祭長に従う。
 空にぽっかりと穴をあけたとも見える砲門に、光が収束しつつあった。
 そこへ向かって突き出したようにレスターが手にする聖剣ゼナライザーも、呼応するかのように光を集めていく――。

 厚い霧と壁を隔てながら、シリスは大きくなる異変を感じ取っていた。やがて、彼だけではなく周囲の者たちにもそれは伝わる。それほど異変は急激に現われていた。
「そろそろだ」
 魔族の美青年が口を開いた。
「退くぞ、シルベット」
 老魔術師風の魔族も調子を合わせ、黒い檻に入った男を放置したまま、魔族と女の三つの姿が同時に姿を消した。
 とっさの事態に、残された者たちは拍子抜けする。今までの膠着状態が何だったのかと思えるほど、状況がそのまま投げ出されていた。
 だが、異変の予兆は続いている。それどころか、より明確に、より激しくなってきていた。地鳴りのような振動が大きくなり、窓の外はなぜか明るくなってきていた。
 冷静に状況を分析している場合ではない。経験上からそう察したのか、侵入者たちはすぐに動き出した。ナシェルとザンベルは黒い檻へ。
「〈ディスペル〉」
 誰に言われるでもなく、セヴァリーが黒い檻を消滅させた。囚われていた大公は気を失っているらしく、ナシェルに力の抜けた身体を背負われる。
「何が起きているのかはわからないが、今すぐにここを離れた方がいいのは確かだ」
 ゼピュトルが言うそばで、シリスが窓を割った。彼も引き返している余裕がないことをはっきり感じている。
 水晶製の窓に充分な穴を広げると、一行は急いで外へと脱出する。いつの間にか霧は強風に吹き散らされ、空が開けていた。見上げると、街の外の者たちも目にした光景が視界一杯に広がる。
「間に合わん」
「どうすんだよ?」
 ゼピュトルとザンベルが、それぞれに危機感を表わす。
 巨大な光の球は今にも弾けようとしていた。シリスはとっさに思考を巡らせるが、結論はひとつしか思いつかなかった。間に合う対抗手段は、呪文なしで放てる簡単な防御魔法くらいしかない。
 光がさらに強く周囲を照らし始める。
「〈マナウォール〉!」
 焦燥感に突き動かされるように、シリスとリンファ、ロイエがことばを重ねる。セヴァリーは別の手段があるのか、精神を研ぎ澄ますように目を細めて一点を見つめている。
 しかし、彼らの対処は何一つ、効果をあげることはなかった。
 白い巨鳥が視界を縦断する。金色の光に包まれ、美しい飾り羽をいくつもまとったその姿は、伝説に登場する鳳凰に似ていた。鳳凰は大天神ルテの使いと云われている。
「なんだ、ありゃ……?」
 しばらく茫然としてようやく口を開く傭兵と、ぽかんと口を開けたままの少年騎士はともかく、神話伝承とも関わりの深い魔法の使い手たちは、事態を把握した。
「敬虔なる神の信徒の中には、神獣に姿を変える力を授かる者もいるといいます。あれは、司祭長レスターが姿を変えたものでしょう」
「そうだろうね。見るのはぼくも初めてだけど」
 ロイエが同意しながらも、その視線は舞い上がる巨鳥を捉え続ける。
 砲門に集う力は、すでに限界を超えていた。鳳凰が到達する前に、巨大な光の柱が地上めがけてのびてくる。
 その射線上に入り、鳳凰は涼しげな鳴き声を上げた。半透明な丸い盾が展開され、砲撃を受け止める。
 ――頼む、防ぎきってくれ。
 見上げる誰もがそう願った。少し押し付けられたように後ろに揺らぐものの、鳳凰は翼をはばたき、宙で光を受け止め続ける。
 だが、砲門から注がれる光の柱が細り始めたとき。
「うおっ!」
 爆音と振動で、ザンベルが大げさに身を仰け反らせた。
 宮廷の周囲に植えられた木々の向こうに、光の筋が落ちて地面をえぐった。半透明な盾の端から滑り落ちた光の筋は、その一撃だけではない。あちこちで土煙が上がっている。
 さらにひとつ、一行の背後の宮廷に落下した。
「ヘタクソ」
 双子の兄に文句を言ってから、ロイエは重ねて魔法の防御結界を張った。
 さらにいくつか流れ弾が地上に傷をつけるものの、すでに浮遊要塞から放たれた力の大部分は鳳凰の盾により浄化されていた。砲撃を終えたスプリルルガは移動を再開しつつある。
 鳳凰の一鳴きで残る光の残滓も吹き散らされ、脅威は去った――と、思われた。
 シュッ!
 極小さな音に、その近くにいた者たちが反応する。
「あ!」
 ナシェルが突き飛ばされながら声を上げる。大公を庇うようにしながら仰向けに倒れていく少年の目に、噴き出す赤が映る。
 人間と変わらりない鮮血を左前脚の付け根辺りから散らしているのは、黄金色の聖獣だ。ゼピュトルはわずかに目を細めるが、何も言わずに衝撃刃の放たれた方へ鋭い視線を向ける。
 幾重にも葉を広げた枝の向こうから、見覚えのある姿が影となってせり出してくる。
「まさか、こういう結末になるとはな」
 ロメンドは少し複雑な表情をしていた。そのとなりに現われたシルベットは変わらず無表情だったが。
 彼ら魔族の狙いとしては、シリスら追跡者たちも大公も、街ごと消し飛ぶはずだったのだろう。それが回避されること、司祭長レスターにあのような芸当ができるとは予想外だったらしい。
 それを今、ここで清算するつもりか。
 警戒をさらに強め、再び武器をかまえる追跡者たちの顔ぶれを、魔族二人が見回す。
 その刹那。
 巨大な気配の来襲を感じ取り、皆は首をすくめ、魔族は姿を消した。
 風を切る轟音。眩いばかりの金色の光に目を細めて一行が眺める中、魔族たちが姿を消した方向へと鳳凰が飛び去っていく。砂埃と木の葉を舞い上がらせながら飛び、蒼い目が向けられた地上に青白い稲妻がほとばしる。
 魔族を追いたて攻撃を仕掛けているらしいが、すぐに姿を見失ったようだった。鳳凰は元のバックナント正門前に戻り、その全身を光に包まれる。光が失せると、宮廷付近からは見えなくなった。
 魔族の気配はない。それを確認し、シリスは皆を振り向く。ゼピュトルは自分で自分の傷を治癒魔法で治していた。
「とりあえずのところ、外のみんなと合流した方がいい」
「そうね。大公も早く治療した方がいいでしょうし」
 リンファが言うと、ナシェルもしっかりと大公を抱えたままうなずいた。
 宮廷の周囲を巡るようにして城門に辿り着くと、少年騎士は城門につないでいた白馬に大公を乗せる。リンファも合図用の玉を回収し、溜め息を洩らして霧の晴れた街並みを見渡した。
「とりあえず、調査は被害もなく終わったけど……収穫も無いに等しかったわね」
 声を潜め、彼女はそばにいる旅の相棒にささやいた。
「まだ、そうとは限らないよ。街から何か出るかもしれない。でも、それよりあの要塞を早く何とかしないと……
「方法はあるでしょう」
 セヴァリーが空の彼方を見上げながら、ことばを挟む。
「あの要塞に乗り込む方法は、いくつか考えられます。超魔法文明時代の魔方陣を利用する、司祭長のあの力を利用する、もうひとつはわたし住処のからルーンドリアに移り、そこからスプリルルガに移ることです」
 ルーンドリアはかつて世界が分かたれた際、時空の裂け目から現われた浮遊大陸である――ということくらいは、多くの人々が知っていた。空を行き過ぎる浮遊大陸を目にする者も少なくない。
「そうだな。ルーンドリアから移る方が準備もしやすいだろう。連中が強大な兵器を手にしてずっと我々の頭上をめぐっていることがわかった以上、真相究明より連中の阻止が先決だ」
 ルーンドリアの王であるゼピュトルも、跡もなくなった傷の辺りを舐めつけて毛並みを直しながらそう提案する。
「そうだね……でも、今は調査隊としての義務も果たさないと」
 街を眺めていたシリスの真紅の目に、街の通りをこちらに向かって進んでくるフィアリニアの神官戦士たちの姿が映った。