第三章 聖魔の鼓動


  三、聖王都の邂逅


 白い街並みが、馬車の行く手に広がっていた。
 建物は石造りのものが主で、主要一二神の内七神の本山を抱えるだけあって、宗教色の見て取れるものが目立つ。中心に一際目立つ王城も、七つの紋章を刻んでいた。
 神聖フィアリニア王国を治めるのは、王女サンディアを議長とし、各神殿の長とそれらをまとめる司祭長を含む十人の賢者が作る、神域議会だ。会議のない日は、主教は各教会の大聖堂に住まい、司祭長もまた、大天神ルテを祭る大聖堂を家とする。
 馬車は広い大通を駆け抜け、セルフォンに劣らぬ活気を見せる商店街を横目に、西区の静かな住宅街の真ん中にある、司祭長の大聖堂の階段の前で停止した。
「おお、ここで降りろってことなのか」
「ええ、大聖堂にお招きするよう、申し付けられております」
 御者が言い、最後の役目として馬車の横に直立し、幌付きの荷台を降りて大聖堂に向かう者たちを見送る。
「お疲れさま。快適な旅だったよ」
 シリスは御者にほほ笑みかけてから、最後尾で大聖堂に入った。
 細かな装飾が施された柱が並ぶ礼拝堂を、警護の神官戦士や巡礼客、法衣姿の僧侶が行き交っていた。祭壇の向こうには、天井の吹き抜けからの光に照らされた、見事な女神像が祭られている。
 シリスが見とれたように像を見上げていると、先を行くロイエが何かを拾い上げた。少年魔術師は珍しくほほ笑みを浮かべ、両手に白い猫を抱いている。
「久しぶりだね。元気だったかい、ユニ?」
 問いかけられると、答えるように、純白の猫は一声鳴いた。
 同時に、祭壇の左右から続く通路の一方から、慌しい足音が響いた。ロイエがわずかに表情を硬直させるが、足音の主は彼が逃げる間もなく祭壇の前に躍り出ると、並ぶ長椅子の二つを飛び越えて抱きつく。
「ああ、会いたかったよ、ロイエ~!」
「く、苦し……
 下敷きになって呻くのも聞こえない様子でロイエに抱きついたのは、彼とよく似た顔の、青い法衣姿の神官戦士だった。
「あの……あなたは?」
 そろそろロイエがまずいと見てシリスが助け舟を出すと、神官戦士は跳び起き、今気がついたかのように、顔ぶれを見回す。
「皆さん、初めまして。ぼくはレスター・クローク。神聖フィアリニア王国司祭長をやっています」
「司祭長……?」
 信じられない、という様子で、ザンベルは声を上げる。
 司祭長はフィアリニアのすべての神殿のまとめ役であり、この国の軍の主力である、神官戦士部隊の元帥でもある。王家に継ぐ権力者とも言っていい。
「こんなのが司祭長じゃ、フィアリニアも長くないね」
「ロイエ~……
 シリスに手を借りて立ち上がったロイエが毒づくと、司祭長は情けない声を上げる。
 本当に、この少年が司祭長なのか。
 そう疑問を抱かずにはいられないが、シリスとリンファには、相手の高い魔力は感じ取れる。おそらく弟なのであろうロイエが神の代行者となっているのだから、その兄が司祭長でもおかしくない。
 もっとも、問題は実力より振る舞いだった。それもいつものことなのか、廊下から、呆れた様子で若い神官戦士が歩み寄ってくる。
「おお……お前、アステッドじゃねえか」
 唐突に、ザンベルが声を上げた。知り合いなのか、茶色の髪に碧眼の青年も、顔色を変える。
「ザンベル、お前か。元気そうだな」
「そっちもな。今は、ここで働いてるのか?」
「ああ。どういう因果か、何年か前から、気がついてみればこれのお守りさ」
 溜め息混じりに「これ」と指差され、レスターはむっとした表情を作る。
「アステッド、お給料下げたくないなら、皆さんを会議室に案内して! ぼくはちょっと王城に行って来る……すみませんが、お話はもう少ししたら聞きますので、それまでおくつろぎください」
「はあ……
 曖昧な返事をするシリスらを後に、レスターは現われた時と同様に、慌しく去っていく。
「大変だな、お前も」
 案内役を任されたアステッドに、ザンベルが肩をすくめて声をかける。アステッドは顔馴染みの傭兵に、苦笑を返した。
「ああ。でも、あいつもああ見えて苦労してんだぜ。神殿の連中も一枚岩じゃないしな……それに、知ってるだろ、前司祭長の話……
 前司祭長が今の司祭長の父だという話は、多くの人が耳にしたことのある話だった。それに、前司祭長は源竜魂を勝手に使用したために死刑となり……四年後、その名誉が回復されたことも。
「四年間、レスターは牢の中だった。ぼくは北方大陸に逃がされていたけどね。フィアリニアで何が起ころうが、ぼくには関係ないことだったし」
「でも、血がつながってるのは確かなんだよね……?」
 悲しげな顔をするシリスを見て、冷めた表情をしていたロイエは、わずかに結んでいた口もとを緩める。
「そんな顔しないでよ。ぼくは父親のことも兄のことも覚えてなかったし、何の感情も無いんだから」
 少年魔術師のことばは、さらに相手の悲しみを煽るだけだったらしい。ザンベルが、軽くロイエの頭を叩いた。
「冷め過ぎてるのも考えものだぜ」
 後頭部をさすり、ふん、と小さく鼻を鳴らしながらも、文句を言うこともなく、ロイエは早足でアステッドを追った。

「では……すでに、源竜魂はエーリャ公国に持ち込まれているのですね」
 長く待たされることも無く、レスターは戻ってくると、真摯にシリスらの話に耳を傾けた。事態は切迫しているので、おどけている場合でもないのは確かだ。
「急がないと、源竜魂を使われてしまうよ。魔法大国を名のってるなら、とっととあの結界を壊したらどう?」
「そうは言っても、破魔の大規模魔法の資料を調べるのにも結構時間がかかるんだよ……まあ、明日じゅうには何とかなるだろうけど」
 弟のことばに、少し困ったように肩をすくめる。
「ともかく……結界を破壊するにも、多くの魔力が必要です。こちらとしては、あなたたちを雇いたい。前金で三千、成功報酬で一万、でどうでしょう?」
「それは、ロイエも込みで?」
 すかさず口を挟むリンファのことばに、司祭長は大げさにも、椅子から転げ落ちた。
「ロイエは、アートゥレーサ様に従うでしょう……引き受けてはいただけませんか?」
「ここまで来たんだ。引き受けるよ」
 まだ何か言いたげなリンファより先に、シリスが慌てて返事をした。リンファは少々不満げだが、依頼料の条件が悪いわけではなく、ザンベルにも、ナシェルにも異論は無い。
「ぼくの屋敷に部屋を用意させましょう。屋敷の者に伝えておくので、自由に使ってください」
 雇われたものの、結界に対する対抗手段が見つかるまでは、やることは何もないらしかった。忙しく出て行くレスターとアステッドを見送り、大聖堂を出た五人は、屋敷に行く前に昼食をとろうと、近くの宿屋兼酒場に入った。〈魔法の鍋〉亭という看板のかかった、小さめの店である。
「ぼくは、食事が終わったらアートゥレーサ様の所に行くよ。そういえば、そろそろリーンも戻ってくる頃だろうな」
 昼食に選んだ山菜とキノコのソテーと鶏肉入りドリアをつつきながら、ロイエは渋い顔をする。
 まるで料理がまずいかに見えるが、客の姿が少ないわりに、味のほうは上々だった。人通りが少ない場所にあるために目立たないが、知る人ぞ知る、という店らしい雰囲気だ。
「セヴァリーとゼピュトルもどうしているかな。上手くやってるといいけど……
「いない人に頼っても仕方がないよ。あの人たちがとっくに結界内に入ってるって言うなら楽だけどね」
 ビーフシチューをかき混ぜて心配を口にするシリスに、ロイエは冷めたことを言う。
「ま、こっちはこっちで頑張るだけだ」
「そうですね、師匠!」
 ザンベルはたれをつけて焼いたにぎりめしを、ナシェルは固いパンを輪切りにして肉や野菜をのせたカナッペを勢い良く頬張りながら、ことばを交わす。
 確かに、二人の言う通りだ。吟遊詩人は苦笑し、空になった食器を盆に載せた。
「もういいのか? 少食だな」
「ああ、腹は余りすいてないから」
 ザンベルに答え、カウンターに持って行こうと盆を手に立ち上がると、それを、横からリンファが掠め取る。
「食後のココアでしょう? ついでに持ってきてあげるから、あなたは座ってて」
 目を丸くして立ち尽くすシリスをよそに、女魔術師は、早足でカウンターに向かう。
 とりあえず、言われた通りに待っていると、リンファは薄めの茶色の液体が入ったカップと薄紅色のハーブティーらしきものを注いだカップを手に、戻ってくる。
 礼を言って受け取ると、シリスは、いつもより薄い香りに少しだけ疑問を抱くものの、毒が入っているはずもない。ためらうことなく、一口飲んでみる。
 彼は、急に、天井が回ったような気がした。
「つっ……
「シリス?」
 椅子ごと床に倒れた吟遊詩人に驚き、慌てて皆が立ち上がる。真っ先に駆け寄ったのは、やはりすぐそばにいたリンファだった。
 彼女はそばに屈んで上体を支えてやると、急に思い出したような声を上げる。
「あら……間違って、コーヒーミルクを持って来たみたい」
 リンファは納得し、シリスは複雑そうな目で見上げるが、他の皆には、未だどういうことかわからない。
 彼らのために、リンファは付け加えた。
「コーヒーで酔う体質なの」
……そりゃ、難儀な体質だな……
 ザンベルが、呆れたような同情するような声を上げた。
 酒ではほとんど酔うことのないシリスにとってのアルコールは、どうやらコーヒーの中にあるらしい。頬を染め、目眩がするのか、頭を押さえているさまは、確かに酔っている者そのものだ。
「大丈夫よ。水を一杯くれるかしら」
 リンファは、慌てて寄って来た店主に言い、コップ入りの水をもらって、シリスに飲ませる。
「このまま司祭長の屋敷には行けないと思うの。少し休んで、酔いを冷ましたほうがいいでしょう」
 店主に休憩料を払い、魔女は相棒に肩を貸して、奥の部屋に向かう。頼りない足を何とか操ろうとしながら、シリスは、うるんだ目でリンファを見上げた。
「リンファ……
「なに?」
 あっさりとした返事。これから何を言われてもかまわない、あるいは受け流せるという、自信からくる自然体。
「何でもないです……
 吟遊詩人はあきらめて、されるがままに、部屋のベッドに横たえられた。
 二人が姿を消している間、彼らのいたテーブルには、妙な沈黙が降りる。
「あれ……
 少しして、ザンベルが口を開いた。
「わざとだよな……
 彼のことばに、二人の少年はうなずき、同意した。

 手を包むぬくもりを感じて、シリスは、夢を見ずに眠った。束の間の深い眠りを邪魔するものはなく、周囲のトロイゼンの街並みは静けさに包まれている。
 ただ、強力な魔力を有する者のうち、わずかな者たちは、気づき始めていた。
 徐々に、異質な気配が近づきつつあることに――。