坂と港の長崎
良好を求めて、ポルトガル人が゜やってきた時から、
江戸時代を通じて、海外へ向けた窓として、
特別な町であった長崎。
時代の有名人たちの多くもこの町を訪れています。
そのユニークさは日本の町の中でも別格でしょう。


長崎駅上のステンドグラス  

2001年3月。
「ハウステンボスに行きたい」という義母を連れて長崎へ行きました。
私たち夫婦は飛行機にて一路長崎空港へ飛びましたが、
関西に住み、長崎ははじめて、という義母は新幹線と特急かもめにて。じつはこれ、
「飛行機では長崎の遠さが実感できない」というオオアマさまの計らいだったのです。
ここではハウステンボスに先立つ、長崎市内での二日間のみ、取り上げます。

出島周辺
長崎といえば、出島ですね。主に江戸初期
までの史跡を訪ねます。
寺町
長崎に来たのはオランダ人だけではありま
せん。中国人の史跡めぐり。
東山手南山
開国後は外国人居留地となった、その異国
情緒を訪ねます。
夜の観光バ 夜景と平和公園。二日間ではフォローしきれ
ないところを観光バスで

呉女のおすすめ情
 何かのお役にたてば……

 呉女にとって長崎は高校の修学旅行以来。そのときは九州北部をまわる強行コースの中で、唯一自由行
動だったのが長崎だったもので、グラバー園で解散したとたん、周囲はカップルだらけ。もちろん、にわかカ
ップルもいたでしょう。あぶれた私と友人はふてくされて、カステラとちゃんぽんと皿うどんをヤケ食いしたと
ころ、おなかが重くなって歩くのさえつらく、さっさと集合場所のバスに戻って寝ていた、という悲惨な記憶し
かないのです。
 それが、今回行ってみたら、ものすごく密度が濃くて、ドラマチックですっごくいい町ではないですか!!
ああ、あの修学旅行のときだって、事前に少しでも長崎の町の歴史などについて教えてくれていたら、もしく
は勉強させてくれたら、あんなことにはならなかったかもしれないのにぃ……。
 もっとも、バスガイドさんが原爆に関する感動的なお話をしてくれて、まわり皆が泣いていたときに、グーッ
スリ眠っていて記憶がないのは、私ですけど。


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