山田方谷の陽明学

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至誠惻怛 (しせいそくだつ)

まごころ(至誠)と、いたみ悲しむ心(惻怛)があれば、やさしく(仁)なれます。そして、目上にはまことを尽くし、目下にはいつくしみをもって接するのです。こころの持ち方をこうすれば物事をうまく運ぶことができると言います。つまり、この気持ちで生きることが、人としての基本であり、正しい道なのです。

河井継之助が山田方谷に師事した際、方谷から贈られた王陽明の一節である。

(王陽明は中国明代の儒学者で、知行合一、致良知の説(良知(是非・善悪・正邪の判断力)を養って、知識と実践とを一体化すべきだとするもの)を唱えた・・・陽明学といわれる学問(小学館Bookshelfから))      

 


 鏡の説

ある山奥の村人は鏡というものを見たことがなかった。物好きの者が村人に鏡を見せたところ、老人は鏡に写った自分を、仲の良かった兄の霊と思い鏡を抱えて号泣した。今度は別の者に鏡を見せたところ、鏡に写った自分を仲の悪い弟が来たと思い手に矛を持って立ち向かうと、鏡の弟も矛を持ち出したとますます怒り、鏡を一撃しこなごなにしてしまった。

そもそも天地は一つの大きな鏡である。宇宙のありとあらゆるものは天地の鏡に写る姿である。

人がこの世に対処し、自分の前に現れるものは自分の心やからだの姿ではないか。喜び・怒り・楽しみ・心配・愛・憎しみに心身を悩ますならばとどまるところがない。

自分で反省して、心身に向かって愚かさの原因を求めるべきだ。

山田方谷の文42 鏡説《濱久雄著》


稼の説

京都洛西に仮住まいしたとき、近所の農夫の穀物の植え方が備中のそれと異なっていた。

年老いた農夫にこれを力説しても農夫は意見を聞き入れない。
「あなたの言うのは水田の植え方で、
水田は、干すのが良く、雨は困る、遅く種まきし、早く収穫し、まばらに植え、深く水を入れる。
山の田んぼは、日照りを恐れ、雨を喜び、早く種まきし、遅く収穫する、密集して植え、水を浅くする。
そのやり方の多くは相反する。あなたは一つのやり方しか知らないのである。」
と返され恥じて引き下がった

昔のことを学んで現代のことに通じないで、人のやることを観察して、好んでその是非を論議するのは、年老いた農夫らに笑われる。

山田方谷の文40 稼説《濱久雄著》


方谷陽明学のルーツ『論語』

 

『論語』は紀元前500年(日本は縄文時代)中国の孔子が主張した言論集で、以降儒学として現在まで脈々と受け継がれている

1,100年〜1,500年ころ儒学から朱子学・陽明学と発展し、江戸時代儒学は官学として保護された

 

孔子は「仁」の心こそがすべての基本であるという。「仁」とは、人間としての愛情をさし、孔子の別の言葉でいえば「忠」(まごころ)「恕」(思いやり《ジョ》)であり、その「仁」を形としてあらわしたのが「礼」(社会的なきまり)である。

孔子は、恥を戒め・詩を読み・道徳秩序を重んじた

社会の秩序と調和、人間と人間との関係を維持していくためには「仁」の心が必要である。「仁」は子が親に、目下のものが目上の者に仕えることから始まる。詩や音楽を学ぶことによって「仁」の実践は広まり、深められていく・・・・・と

 

筆者に分かりやすかった『論語』拾い読み

1−1

「学んだことを時に応じて実習するのは、楽しいことではないか!志を同じくするものが遠くから訪れるのは、うれしいことではないか!人に認められなくても恨まない、これまた君子らしいことではないか!」

1−14

「君子は飽食や快適な家を求めるのを人生の目標としてはならない」

1−16

「人が自分を認めてくれないのを心配するより、自分が人を認めないことの方を心配せよ」

2−1

「道徳により国を治めるのは、北極星が定まった方位にあり、満天の星がそれを中心に運行するようなものである」

2−3

「法律・政令によって人民を導き、刑罰によって粛正する。このようにすれば、彼らは刑罰を免れるのを恥と思わなくなる。徳によって人民を教化し、礼によって取り仕切る。このようにすれば、彼らは恥を知るばかりか人心はなびいてくるようになる」

2−8

「孝行はにこやかにするのが最も難しい。何か事があった場合、若者が労をとったり、酒食があればまず年長者に供したりする、こんなことだけで孝行と言えるだろうか?」

2−14

「君子誰とでも親しみあうが、お互いに馴れ合うことはない。小人はお互いに馴れ合うが,誰とも親しみ会うことはない」

3−19

「主君は礼によって臣下を使い、臣下は主君に忠誠心をもって仕えることです」

4−5

「富貴は人は誰でも欲するものであるが、正当な方法で得たものでなければ、君子は認めない。貧賎は人は誰でも嫌うものであるが、卑しくも不正な方法で富貴を得ようとするなら、君子は貧賎に甘んじるものだ。君子が仁を捨てて、どうして君子といえようか?君子はいつまでも仁と共に有り、たとえ忙しいときも、困窮して一家離散するようなときもそうでなくてはならない」

4−8

「朝に真の道をさとることができたら、その晩死んでも本望だ」

4−10

「君子は天下の人や物に対して、親疎の区別なく、厚さ薄さを問わず、道義にあった行いだけをすればよい」

4−11

「君子は道徳や教養を重んじ、小人は土地や家を貪る。君子は刑法や法治にこだわり、小人は恩恵のあるなしを考える」

4−12

「利害ばかりで行動すれば、必ずや多くの怨恨が生まれるだろう」

4−12

「官位のないのを憂えず、官位に適した資格があるかないかを心配すべきだ。人が自分を認めないのを恐れてはならないが、人が認めてくれる才能に値するかどうかを追究せよ」

4−16

「君子は正道に通じ、小人は私利ということで理解する」

4−22

「昔の君子が軽々しく言葉を出さなかったのは、自分の行いがそれに及ばないのを恥じてのことである」

6−20

「ただ知っているだけの人はそれを好む人に及ばず、ただ好むだけの人はそれを楽しんでいる人に及ばない」

7−15

「粗末な食事をし,水を飲んで、ひじを枕に寝る、そこにはきままな楽しみ方がある。道から外れたことをして富貴になったとしても、私には浮雲のように軽いものだよ」

8−7

「男たるものは度量があって、意思が強く、毅然としていなくてはならず、責任重大で日は遠い。仁の道を推し進めるのが自らの責務であり、この任務は重大である。死んで初めて終わるとは、なんと道程は遠いことではないか」

9−17

「過ぎ去りし光陰はなんと川の流れのようではないか、昼夜を分かたず流れつづける」

9−18

「私はいまだかって美人を愛するように、仁徳を愛する人に出会ったことがない」

10−2

孔子は朝廷で、下級の大夫と話されるときは、温和できびきびとし、上級の大夫と話されるときは、和やかな中にも丁重さがあり、主君がお出ましになると、恭しく襟を正されるが、振る舞いは自然で態度は立派である。

12−3

「いわゆる仁徳のある人は、言葉がゆったりして慎重である」

12−4

「君子はくよくよしたりびくびくしたりしない」「自ら反省し、心に恥じるところがなければ、何をくよくよ、何をびくびくすることがあろうか?」

12−7

政務は「食糧を豊富にし、軍備を充実させ、人民の信用を得ることである」省くとすれば、軍備、食糧の順だ。人間いつか死ぬが,人民が信用しなくなったら国は成り立たない。

13−4

上にたつ者が礼儀を重んじれば、人民に尊敬しないものはないだろう。上にたつ者が仕事をしっかりやれば、人民に服従しないものはないだろう。上にたつ者が信義を尊べば、人民に誠実にならない者はないだろう。

13−5

「『詩経』三百篇を熟読したからといって,政務をその者に任せてもうまくいかないものだ。またその者を他も国に遣わせても自力で対応はできない。たとえ書物を多読しても、何の役に立とうか?」

13−15

もし言ったことが正しくなくても誰も逆らわなかったら、この一言で国を滅ぼすことになる

13−16

国を治めるには「近くの人民を喜ばせ、遠くの人民が慕って集まってくるようにさせればよいでしょう」

13−20

真の男とは「自らの行いに恥を知り、他の国に遣わされても君子の使命を辱めないようにすれば、真の男子といえよう」

13−22

「南方の人にはこういう諺がある『心変わりをする人は、祈祷師と医者にはなれない』」

13−26

「君子は物腰が静かで落ち着きがあって心地よいが、決してほう慢ではない。小人はほう慢で落ち着きがない」

14−11

「貧しくても怨み言を言わないのは非常に難しいが、富んでいてもほう慢にならないのは実に簡単である」

14−25

「昔の人は自分の徳を修めるために学問をしたが、今の人は人に見せびらかすための名誉を求めて学んでいる」

14−27

「その職務上の地位にいなければ、その職務に口出ししてはならない」

14−29

「君子は言葉ばかり多くて、行いの少ないのを恥とするものだ」

15−8

「共に語るべき人と語らないでいると、相手を誤ってしまう。共に語る価値のない人と語っても、言葉の価値を落としてしまうだけだ。聡明な人は良い語らいのできる相手を誤らないし、言葉の価値も失わないものだ」

15−15

「己を厳しく律し、人に対して寛大であれば、怨みを買うことはない」

16−6

「君子に仕えて三つの犯し易い過ちがある。言うべきではないのに言ってしまう『軽率』、言うべきなのに言わない『隠し立て』、顔色を窺わないで言ってしまう『盲目』、この三つである」

16−7

「君子には三つの戒めがある。若いときには、血気がまだ安定していないから、女色におぼれないように戒める。壮年になると、血気が盛んとなるので、勝とうとして争わないように戒める。老年になると、血気は弱まるので、貪欲にならないように戒めることだ」

16−8

「君子には三つの畏敬するものがある。天命を畏敬し、徳行のある人を畏敬し、聖人の言葉を畏敬する。小人は、天命を知らないので、畏敬せず、徳行のある人を見下げ、聖人の言葉を侮辱する」

16−10

「君子は常に九つのことを考えねばならない。見るときは良く分かって見ているかどうかを考え、聞くときははっきり聴いているかどうかを考え,表情・態度が温和かどうかを考え、容姿が恭しいかどうかを考え、言葉が誠実かどうかを考え、政務には慎重であるかどうかを考え、疑わしく判断しにくいことは質問しても良いかどうかを考え、憤れば後の憂いになるかどうかを考え、ある程度結果を得たらもっと得てよいかどうかを考える」

17−2

「人の天性はもともと非常に近いが、環境や習慣の影響を受けて、その差が開いてくるものである」

20−5

「天命が分からなければ、君子にはなれない。礼儀が分からなければ世に立っていけない。人の言葉が聞き分けられなければ、真に人の善悪を見分けることはできない」


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