山田方谷ゆかりの史跡
財政改革の立役者 大政奉還の立役者 |
No | 所 在 地 |
史 跡 |
参 考 |
@ | 大佐町小阪部上町「方谷園」 | 方谷山田先生遺蹟碑 | 勝海舟が方谷をたたえ揮毫、三島中州が撰文した石柱碑 明治3年、方谷はここに小阪部塾を開講 明治10年、ここに73歳で永眠 |
A | 大佐町小南「金剛寺」 | 方谷庵 | 母の実家西谷家の墓地のある金剛寺境内に、明治5年祠堂を建て外祖父母の霊を祠り、ここで瞑想にふけった 現在、方谷の位牌も安置されている |
B | 大佐町西「大佐神社」 | 「つる」の奉納額 | 方谷4歳時の「つる」書・手形額を奉納している神社 |
C | 高梁市 JR伯備線 | 方谷駅 | 近所のおばさんが留守番しておられる 駅事務室はおばさんの趣味の油絵ギャラリーとなっている ホーム向かいが方谷開墾屋敷跡 |
D | 高梁市中井町西方 | ・方谷園 ・山田家墓所 |
方谷生誕地の墓地一帯が公園になっている 犬養 毅 元首相揮毫の「方谷園」石碑が入り口にあり、公園から一段高い墓地には藩主板倉勝静揮毫による方谷の墓がある |
E | 高梁市原田北町「高梁市歴史美術館」 | 方谷コーナー | 藩主板倉勝静・山田方谷の改革成功歴史を分かりやすく説明展示 |
F | 高梁市向町「高梁市郷土資料館」 | 方谷銅像 | 玄関に方谷銅像が立つ明治洋風建築の旧高橋尋常高等小学校 郷土の歴史的生活用具を展示している 方谷が発明した備中鍬など、二階の農具コーナーが印象深い |
G | 高梁市小松山 | 備中松山城 | 臥牛山にある山城 山腹の駐車場からシャトルバスで上り、さらに徒歩20分で天守閣に着く 15年4月まで改修工事中 |
H | 高梁市石火矢町 | 牛麓舎跡 | 方谷の住居・塾跡、臥牛山登城口に石碑がある 三島中洲も学んだ牛麓(ろく)舎塾 |
I | 高梁市中之町 | ・藩校 有終館跡 ・方谷手植えの松 |
方谷が校長を務めた藩校で現在高梁幼稚園となっている 庭の隅に方谷手植え松がそびえる |
J | 高梁市 「八重籬神社(やえがきじんじゃ) 」 | 臥牛亭 | 藩主板倉勝静自ら行った農耕作業時の憩いの小亭 明治維新後廃城令で壊されるところ方谷が尽力保存した |
K | 高梁市 「八重籬神社(やえがきじんじゃ) 」 | 方谷先生墓碑銘碑 | 藩主板倉勝静が三島中洲に「方谷先生の功労を将来に残す銘を作れ」 と命じ、明治12年建立した |
L | 高梁市 「方谷林公園」 | ・高梁三先賢詩碑 ・「風月」書碑 |
明治44年方谷の威徳を顕彰するため建立 方谷先生四歳の書碑 |
M | 備前市閑谷 | 閑谷学校 | 岡山藩主池田光政が1670年全国に先駆けて創った閑谷(しずたに)学校 1870年閉校取り壊しのところを明治5年方谷が尽力再興した |
N | 備前市蕃山 | 方谷先生旧宅跡 | 方谷が崇拝していた熊沢蕃山(ばんざん)住居跡から新幹線を跨いで30m北にある 蕃山・方谷縁の正楽寺の西隣にある |