2月よりFMでラジオ番組をやつています。詳しくは
What’s newのページで。
★6月13日分から
「気まぐれ日記No.6」へ移りました。
●(85)2005年 5月30日
「できないことがおもしろい」
なんにでも凝り性な私は社会人になってからもいろんなことに熱中しました。そのなかでもスキーとテニスはかなり一生懸命やっていました。妻とちがってもともと運動神経の悪い私は指導員やコーチの言う事もなかなか実践できないのですが、そのかわり理論を書いた本はよく読んでいて少々頭でっかちのスポーツマンだったようです。自分なりの解釈で練習課題を作って繰り返し繰り返し身体に覚えさせてゆくというやり方でした。我々がやっているアマチュアレベルのテニスでは、体力と時間を使って数多く練習をした者が確実に上手くなりますので、私も生活の中のかなりの時間をテニスに費やしていたわけです。何といっても今まで少々劣等感をもっていたスポーツの分野で認めてもらうということには格別の快感があります。
30才ごろには一時、英会話に凝った時期もありましたが、これも学校時代そう得意でなかった英語を流暢にしゃべってみたいということで、当時としてはかなりきびしい英語学校へ通っていました。クラスは学生を含め若い人たちばかりで、毎週何ページにもわたる長文を丸暗記させられていました。最後には時事単語なども覚えさせられて、それこそ毎日が英語漬けの生活でした。英検二級をとった後、一級を目指してみたのですが、二級と一級には相当なレベル差があって、とても通りそうになく断念。あとでじっくり考えてみると、私のようにもともと日本語の下手な者が英語だけ上手くしゃべれるなんてことはありえないのです。
最近、中高年のカルチャースクールが大流行ですが、みんな今まで自分ができなかったことに夢をえがいてやってみるようです。若い頃にできなかった事とか自分に才能のないようなことに結構興味をひかれるものです。
私の音楽の仕事も、もともと大した才能がなかったからおもしろくて一生懸命やってこられたのかもしれません。
●(84)2005年 5月23日
「胡蝶蘭、サツキが満開」
また今年もたくさんの胡蝶蘭が咲きました。といっても私が世話をしているわけではなく、妻がしているのですが、居間に胡蝶蘭が咲き誇っていると豊かな気分になります。昨年の気まぐれ日記を見ると5月の初めには咲きそろっていたようですが、今年は去年より気温が低いようで少し遅いようです。昨年は花茎が三十本くらい、今年は二十数本で若干減っていますが、まだ咲いていないのもたくさんありますのでこれからまだまだ楽しめます。温室もないのに、毎日生活している居間でこれだけ咲かせるのは我が家くらいで、みんなに不思議がられています。
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家の垣根の石垣のところのサツキも今年はたくさん花をつけてくれました。いつも秋に枝葉を丸く切り整えていたのですが、「8月頃には翌年の花芽がつくので秋に枝切りすると花芽も切ってしまうよ」と注意され、秋口には切らないようにしたのがよかったようで、今まででいちばん花がついています。
日曜日には年に何回もやっている小学校のクラス会があり15名ほど集まりましたが、だんだん定年退職、年金、健康というような話題が多くなります。来年は還暦の歳ですので学年全体の同窓会をするとか・・・。
●(83)2005年 5月16日
「うなぎ廣川」
東京からのご夫婦に誘われて私共夫婦も久し振りに嵐山へ行きました。観光でも何でもなく、目的は「廣川」のうなぎを食べるためです。「廣川」のご主人も私の店には時々来られているのですが、私自身は嵐山のお店に行くのは初めてでした。ここしばらくは本格的なうなぎ屋さんで食事を頂く事は少なかったので楽しみにして行きましたが、評判どおりで満足、堪能しました。ここではもちろん注文を聞いてからしかつくられないので、平日とはいえさすがに人気のお店、丁度お昼時でもあって観光客や常連さんで忙しい時間帯でした。個室へご案内いただいて飲みながらしばらく待ったあと、柔らかい身の「うざく」「うまき」「きも吸い」などのあと.「うな重」が出てきましたが、何故か私の分だけ特上の大を注文してもらっていたようでした。「廣川」のうなぎは、備長炭で素焼きのあと蒸してから再び焼き味をつけ、秘伝のタレは江戸時代からの伝統を受け継いだものということで、本当に美味しく柔らかな「うなぎ」が口の中で自然にとろけてしまいます。もともと大食家でない私としては、うな重の大はさすがにちょっと食べ過ぎでしたが、そのうえ最後にデザートまでいただいたので夕食は抜き。
その晩、たまたまテレビを見ると中村玉緒さんが「廣川」を訪問、ご主人がテレビでしゃべっておられてびっくりでした。
今週は次回分のラジオの収録、日曜日は中西清一さんのギターとフルートとピアノのコンサートへ行きました。
●(82)2005年 5月9日
「ゴールデンウィーク」
あっという間にGWも終わってしまいました。GWでたくさん休みがあるといっても我々自営業の者には、営業日数が減って売上が下るわけで、このところの景気の状況ではあまり喜んでもいられません。若い頃はGWにシーズン最後のスキーへ行っていたものですが、最近はごく近くで遊んでいることが多いです。
今年は大学時代の友人たちが琵琶湖畔でのバーべキユーに誘ってくれました。瀬田と草津の間の湖岸で、景色もよく、お天気も快晴で最高でした。友達持参のCDラジカセで懐かしいフォークソングをかけて歌っていたのですが、今の若い者から見ると、我々の若い頃におっちゃんたちが東海林太郎や藤山一郎を聴いているようなもんだろうという話で大笑い。
またこのGWの間に新潟の上越からたくさんの山菜を送ってもらいました。「こごみ」「タラの芽」「破竹」「カタクリの芽」「コシアプラ」「山ウド」「アサツキ」「山ぶき」「春のとう菜」の脇菜、3月菜、5月菜などなど・・・・。珍しい山菜ばかりですので、それぞれの食べ方も書いくれていました。天ぷらにしたり、さっと湯がいて酢みそで食べたり、おしたしにしたり、「アサツキ」はピリッと辛いですが生のまま味噌をつけて食べます。どれも春の香りいっぱいで酒の肴にはピツタリです。
GWの後半は、この山菜の料理もあって、家で知人が集まって2日間宴会。
●(81)2005年 5月2日
「剪定」
ジョギングしていても木々に新しい葉がつき新緑がとてもきれいなのですが、家の庭の木々も大いに伸びて困ります。剪定という難しい字のようなたいそうなことをしているわけではないのですが、この時期はどうしても庭木の世話をしなくてはなりません。以前は親父がしてくれていたのですが、親父が亡くななってからここ数年は私がしなければならなくなりました。こういうことにはまったく興味がなく苦手だったのですが、ほおっておくと虫はつくし枝は伸びるし、せめて家の表側のよく見えるところだけでもと、しようがなくやっているわけです。
手入れが必要な木は垣根のサンゴジュ7〜8本と、門柱の両サイドにあるモミジとカイヅカイブキだけです。この垣根のサンゴジュという木は今ごろ古い葉が落ち新しい葉がでて、どんどん枝も伸びます。殺虫剤の散布が遅れると小さな毛虫が新しい葉を食べ尽くしてしまいます。またその毛虫は身体に付くと発疹ができたりしますので、3月頃の新芽が出る前から防虫剤を散布しなくてはなりません。枝切りは全体の高さを合わせて、前後にはみ出している部分を切って揃えるだけなのですが、慣れない私には結構大変な仕事です。以前は高さを合わせるために水平に紐を張ったりもしていましたがだんだんズホラになって(慣れてきて)今は大ざっぱです。
またモミジの木も最初はどうして切ったらいいものか分からなかったのですが、秋口によその家の整ったモミジの木を見て勉強しています。もう一本のカイヅカイブキはもともと散らし玉というスタイルで左右、上下にぽっかり雲が浮いているような形に整っていたのですが今は無残です。最初は植木屋さんがきれいな形に整えてくれたのですが、年々私が切る度に形が崩れてきています。全体を綺麗な形に整えるのは非常に難しく、どの道でもプロはすごいものだと感心します。裏庭の見えないところにも何本かほったらかしの木がありますが、先日見るとその中にある松の木に5センチ以上もある毛虫がいっぱいついていて大慌てで殺虫剤散布。
こんな風に見よう見真似ながら、それでも毎年少しずつ知識がふえて技術は向上してきています。
●(80)2005年 4月25日
「高校ミニ同窓会」
先日、高校のミニ同窓会をしました。私の企画で年に数回親しい仲間で集まっているのですが、今回は滋賀、大阪はもとより東京から金沢から9名が集まりました。私共の世代もいよいよ定年間近で、仕事の上でもいろんな立場の者がいます。いまだに大企業の役員でバリバリ仕事をしている者、定年前に退職して地元で再就職した者、今までの仕事の延長で独立して事業を興した者、一切仕事から手を退いてゆったりと趣味の生活を楽しんでいるという優雅な者など・・・。それぞれ自分の生き方で人生をおくっています。
生き方はそれぞれいろいろなのですが、みんな日常的にスポーツクラブへ通ったり、ウォーキングをしたりジョギングをしたりと健康のためには何かと気をつかっているようです。中でも山登り(山歩き)の趣味を持っている者が半数以上いるのには驚きました。山の話題になると結構盛り上がって話が弾みます。
厳寒の上高地へ行った者、日本百名山のうちもう六十以上を登った者もいます。ある仲間はいまだに岩登りをしていて、その為に身体を鍛えていて、一日に愛宕山を3往復するようなつわものもいます。今回集まった仲間のうちでもこんなに山好きの者がいるのですから、夏のアルプスの山小屋が大混雑するのも無理のないことのようです。みんなの山の話しに刺激されて私も今年は是非、北アルプスへ行ってみたいのですがはたして時間が作れるでしょうか。
★お知らせ:今週末4月30日(土)の深夜2時は、私共のFM番組放送日です。
●(79)2005年 4月18日
「毘沙門堂」
もうそろそろ街の中の桜は終りそうですが、まだまだ花につられていろんな所をうろうろしてしまいます。先週は山科の毘沙門堂へ行ってみました。山科駅からの狭い道路は花見客で溢れていて、人ごみをかきわけ車で通って行くのも気がひけます。途中の疎水沿いの道も、普段は静かな毘沙門堂も人と桜で満開です。毘沙門堂の枝垂れ桜は何年か前のJRのCM「そうだ!京都へ行こう」などでとりあげられてからよけいに有名になって訪れる人が増えたようです。この毘沙門堂から大文字山へのハイキングコースがありますが、長い登りの山道を歩いて最後に大の字の火床に着いて展望が開けた時は感動ものです。疎水沿いも含めてまたゆっくりこのあたりを歩いてみたいものです。
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毘沙門堂の枝垂れ桜
●(78)2005年 4月11日
「観桜ライブ」
9日に京都岩倉の妙満寺塔頭のお寺の観桜会で「金子みすゞ ライブ」をさせて頂きました。比叡山を借景にしたお庭での屋外ライブでしたが快晴の爽やかなお天気。これだけで観桜会としては半分以上は成功したようなものです。桜や梅などの花を愛でる会、お月見の会、紅葉狩りや屋外でのスポーツイベント、ハイキング、バーべキューの会などは晴れているだけで半分は成功です。大きなイベントはかなり早くから日程を決めておられるわけで、なかなか気候の条件にピタリと合わせるのは難しいものです。この日は京都中さくら満開でしたが、ここの枝垂れ桜も午前中に着いた時は2、3分咲きでちょっと早かったかなという感じでしたが、お昼を過ぎるライブの頃には5、6分咲きになるくらいまで咲いてきてお世話方もホッと一息です。
当日は店のほうにも北海道から女性5名が京都の桜見物に来られご来店されましたが、桜の時期に旅行を計画してピッタリ満開時に出会えることは珍しいことです。秋の紅葉のほうが桜に比べて観光シーズンが長いのですが、それでも紅葉のいい時期に上手く日程を合わせて旅行の計画をするのはなかなか大変です。季節は気まぐれで、特に桜のシーズンは期間が短く一瞬で終わってしまいますので、一番いい時期に当った方は非常にラッキーです。昨年などは3月で桜は終わってしまっていましたわけですから。今年は満開が週末で日曜日は夕方から雨が降るとかで9日、10日は京都中がお祭りのようです。桜はいいのですがどこへ行くのにも車の大渋滞で困ってしまいます。
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(出町柳から高野川上流を望む)
●(77)2005年 4月4日
「早咲き桜」
京都では平野神社の中の魁桜とかいう種類の桜が京都で一番早く咲くということで、もう先週から咲いているらしいのですが、私の生活圏で一番先に咲くのは五条バイパスの東大路を東へいったところの桜と、東山七条の北西角に咲くものです。
五条バイパスのものは東山のトンネルの手前200mくらいのところの北側道路沿いに咲いているもので、毎年どこよりも早く立派な花を見せてくれます。今年も先週から綺麗なピンク色の花で満開状態になっているのですが、どうも昨年に道路側にはみ出ていた枝を大きく切ってしまわれたようで、残念ながら今年は小さくて目立たなくってしまいました。東山七条のものは国立博物館の敷地内にある桜ですが外からもよく見えます。白っぽい色の花をつける大きな桜で、これもすでに一週間前から花をつけています。
あちらこちらからさくら開花のニュースが入り、京都でも一昨日(4月2日)開花宣言され、観光に来られる人の数も多くなってきたようです。先週から祇園白川のライトアップも始まりましたが、ちょっと早かったようです。店の前の白川の桜も咲いてきました。店の前の桜は東山通に近い方から咲いてきますが、もう今週末が見ごろでしょう。今年は例年よりもピンク色が濃くて美しく感じます。まもなく京都中が満開です。
●(76)2005年 3月28日
「爪」
久し振りに右手の人差し指の爪を割ってしまいました。私はずっとガットギターを使っての演奏で、もちろんマイクで音をひろったり、パーティーではエレアコを使ったりするのですが、右手の親指にサムピックするだけで他は、じかに爪で弾いています。通常は2oほど伸ばしているのですが、微妙な長さの違い、削り具合などによって弾きにくかったりします。クラシックのギターリストなどはもっと神経質で丁寧に切った後、ヤスリで磨いて、最終は非常に細かいサンドペーパーを使って整えます。爪を切る角度もプレイヤーごとに好みがあって、それぞれにいろんな切り方をしています。爪のカットの良し悪しが演奏の出来にも大きく影響してきます。また、もともと爪の質が弱い人は演奏会前にマニュキュアを塗ったりして補強もしています。指の爪が巻き爪とか深爪とかで生え方の良くない人はクラシックギターのプレイヤーとしてはハンデイーになるでしょう。
私は指に爪を伸ばしている関係で、女性っぽい手だといわれることがあります。でも日常の生活では一般の人と何らかわらないわけで、スポーツでもテニスとかスキーとかゴルフとかもしていたわけですが、ボーリングだけはボールの穴に爪を引っかけて割ってしまったことがあってそれ以降しません。
日頃も無意識のうちに多少は爪に気をつけているのですが、たまには不注意でひっかけて割れることもあります。爪にひびがいった場合もなるべく仕事上、大きくは切りたくないのですが、それをひかえめに切って演奏していると、その小さな割れ目が大きくなっていって結局ひどい事になってしまいます。最初に思い切って割れ目より少し多めに切るようにしています。
普段は爪もよく伸びて手入れも面倒くさいと思うのですが、いったん短く切ってしまうとなかなか伸びないと感じるものです。そんな時に演奏の仕事などがあると困るのですが、今回もちょうどライブの谷間でよかったです。
●(75)2005年 3月21日
「FMラジオ番組」
バタバタしていて準備が不十分な状態で第2回目のラジオ番組の録音をしました。早いもので前回の録音からもう一月たってしまったわけです。2月は日数が少ないのでよけいに早く感じます。もともとしゃべるのは苦手で番組トークをあとで聞くと反省する事ばかりで恥ずかしいかぎりです。妻と二人でしゃべっているのですが、ほとんど曲の順番以外は打ち合わせのないフリートークです。妻はもともとアナウンサー志望だったこともあってスムースに言葉がでてくるようですが、私はボキャブラリー不足でつまっては失敗ばかりです。番組をするようになってからは、テレビやラジオのトーク番組も関心をもって聞くのですが、アナウンサーはともかくタレントさんたちもみんなおしゃべりは達者で、私共から見るとみんな天才だと感心しています。
毎回、金子みすゞの曲以外に私共のオリジナルから1曲と、懐かしいフォークソングから1曲歌っています。初回は「パッチギ」という映画を見た後だったので、その中の挿入歌から「イムジン河」を歌いました。2回目も古いフォークですが小学校の同級生たちがやっていました「シューベルツ」というグループの大ヒット曲「風」を歌っています。歌も毎回ナマ感覚ですので出来の良し悪しは別として録音の時もほとんど一回、一発録音ですましています。
前回2月の放送日は2時頃までみんなで居酒屋で飲んだあとタクシーに乗って自分の番組を聞きながら帰りましたが、タクシーで自分の声を聞いているのも不思議な感じです。今月も3月26日(土)深夜2時(26時)〜ですが、私の知人、お客様はほとんど寝ている時間で、あとからネットで聞いて感想をくださいます。うちのお客様の中には、毎日夕食の後うたた寝して、この時間には起きておられるという方もおられるようですが、そんな方は別として、もしこの時間たまたま起きておられたるようでしたら下手なしゃべりを聞いてみて下さい。
☆CDプレゼント
番組のスポンサーより私共の「金子みすゞ こころの世界」のCDがプレゼントされます。
3月31日までに下記の「ラジオカフェ番組プレゼント係り」からどうぞ。
http://radioafepresent.seesaa.net/article/2281178.html
●(74)2005年 3月14日
「げんげ」
前回記載の魚津でよばれた「げんげ」という魚は初体験のものでした。昔は地元で鍋や味噌汁などにいれられていたくらいで、ほとんど価値のない魚だったようです。名前の由来も「下の下の魚」という意味からきていて、この場合は漢字で「下魚」と書くらしい。ところがこのところのグルメブームとかで俄かに脚光をあびてきたわけで、最近は最高にうまい珍しい魚という意味で「幻魚」とする場合もあるそうです。水深300m以上の冷海水域に生息するので底引き網で捕獲しますが、尾ひれがなく見かけは爬虫類風の気持ちの悪い魚です。また外皮はゼラチン状で水分が多く干物にすると薄焼きせんべいのようになるのですが、これも結構美味しいらしい。焼いて食べる時は焼きすぎないように注意。焼きすぎるとそれでなくても少ない身が黒焦げになって食べるところがなくなってしまうようです。私共はてんぷらでいただきましたが、白身のあっさりした身でまわりはゼラチン質の柔らかいにゅるにゅる感で骨まで食べられます。すまし汁などに入れるとじゅん菜のような感じの魚になるらしい。冬の富山へ行かれましたら是非ご賞味を。
全国詩曲音楽連盟という作詞家、作曲家の団体が募集する作曲コンテストで私の「海を讃える」という曲がグランプリに選ばれました。昨年、名古屋の御薗座で行われたカラオケ全国大会の優勝者に提供されます。以前にもこのような大会で私の作品が選ばれた事はあるのですが、なかなかヒット曲になるのは難しいです。
●(73)2005年 3月7日
「富山ライブ」
先週、風邪が完治しないまま富山へ出発することになりました。珍しく店は二日間臨時休業です。富山といっても富山の北の端でトンネルを越えるともう新潟県の親不知です。雪の多いこの時期に北陸地方へライブで行くことはまずないのですが、早くからのお話しでしたので充分に覚悟を決めていました。はじめは当然この日の為にスノータイヤを購入するつもりだったのですが、お客さんが4駆の車を貸してあげるとか、スタッドレスタイヤを貸してあげるとか、いろんな話をいただいて安心していたところ直前になってすべてダメになってしまいました。タイヤはちょっとのことでサイズが合わなかったりするようです。たまたま気温も高く雪もなさそうなので最新のチェーンだけ購入して、時間的に十分な余裕を見てノーマルのタイヤで強行することにしました。一日目、全く雪はなく順調に魚津到着。昨年十月にライブをさせて頂いたお寺へ寄って当日のホテルをとって頂こうとするのですが、平日なのに魚津のホテルは満室です。松下電子系の工場が魚津にできるとかで連日たくさんの人が泊まっておられるようです。結局隣の黒部の駅前のホテルをとっていただいて夜、黒部からJRに乗って魚津で一杯よばれることになりました。黒部も魚津にも大企業の工場があったりでこんな辺ぴな所にしては都会のビジネスマンで溢れているのは以外な感じがしました。魚津では丁度旬の生ほたるいか、カワハギ、ブリ、鴨のステーキ、また富山でしか食べられないゲンゲという魚のてんぷらなども戴いて堪能しました(げんげという魚についてはまた次回にでも書いてみたいと思います)。そのあとクラブ、スナックなどにご案内していただいて魚津の夜を満喫。魚津はかつて全国でも指折りの繁華街だったらしく祇園にあってもいいようなお洒落なお店がたくさんありました。翌日はライブのためそこそこで切り上げ、タクシーにて12時前に黒部のホテルへ帰る。
翌日は入善町のライブ会場のお寺へ10時に到着。PAの準備をして午後3時の演奏まで待機。相変わらず風邪は全快とは言えず声が出るかどうか多少不安でしたが、何とか咳きこむこともなく無事にコンサート終了。その晩は小川温泉という秘境のホテルに泊めていただきました。小川温泉は後立山、白馬連邦へつながる朝日岳の下山路にあたるような場所で、もちろん健脚の人はここからでも北又小屋を通って朝日岳経由で白馬岳に行ける登山口です。川沿いの専用道路、専用のトンネルを抜けると一軒しかない「ホテルおがわ」に到着。雪降る中、檜の露天風呂や露天の岩風呂に入って温泉を堪能、料理も豪華版で大満足でした。
翌朝、お寺にご挨拶に寄って帰路につきましたがみぞれと雨と風の中、私のボロの愛車も快調なペースで走ってスムースに帰って来れました。夕方6時前に自宅到着、6時半にはもう店にでていましたが、やはり疲れました。
●(72)2005年 2月28日
「鬼の霍乱」
仕事柄絶対に風邪をひくことができません。日頃から細心の注意を払っていてもう一年以上風邪をひいていませんでした。少しでも風邪らしい徴候を感じるとすぐに薬を飲んでほとんどひく前に直していました。これくらい用心していると、もう一生風邪をひく事はないだろうと思っていました。ところが今回富山でのライブまで10日という時期になって妻が39、6度の熱を出すくらいの風邪をひいて寝込んでしまいました。店にも出られないくらいの重症でめずらしく医者に行って点滴もしてもらいましたのでそのあと少しずつ快方には向かっています。私は絶対に移らないでおこうと毎日風邪薬を飲んで抑えていたのですが、ライブの日まで4日という日曜日になってどうも身体全体がだるく、大事を取って一日中寝ていたのですが、なんとなくいつまでも頭がボーッとするので夜になって体温を測ってみると39度もあって自分自身が唖然。妻が医者から貰ってきた熱さましの座薬を初めて使い、氷であたまを冷やしてもらうと即効。さすがスーパーマン、熱は1時間半ほどの間にみるみる下がってゆきました(スーパーマンなら風邪をひかないか!)。熱は下がったのですが、食欲はなく咽の奥の方に風邪の菌みたいなものがあるようで時折激しく咳きこむ。あと3日で富山でのライブへ出発、それまでに直さなければ大変です。のどスプレー、のど飴などを大量に買ってひたすら養生に務め、カラオケのレッスンなどもこなしたのですが、こんな時に限って店ではあれこれ歌をリクエストされて困ってしまいます。
●(71)2005年 2月21日
「石切神社」
以前からおふくろが行きたいといっていましたので石切神社(石切剣箭神社)へ行くことになりました。私も行ったことはなく、どこにあるのかをネットで調べて京都から近鉄で奈良の西大寺まわりで行くことにしました。日頃、電車に乗ることのは少ないので、乗り換え毎に列車を確かめながら行きます。特に近鉄線を利用する事はほとんどないので、とりあえず山科から京都駅で近鉄に乗り換えてと思っていましたが、年寄りを連れていますのでなるべく乗り換えが便利なようにと竹田駅まで行ったのは正解で、同じホーム上から近鉄に乗り換え西大寺へ、西大寺から難波行きの快速急行で生駒へ、そこから各停で石切へ。石切の駅から下り坂の参道を20分ほど歩くのですが、京都の神社、寺院の参道のおみやげ屋さんとは全く違う独特の古風な怪しい雰囲気の商店街です。雑貨屋、乾物屋、洋品店などいろんな店があって芸能人が来店された、テレビで紹介されたというような宣伝文句があっちこっちの店に貼ってあって、中でも特に驚いたのは占いの店が何十軒もありことです。コンピューター占いから開運アドバイス、結婚相談など仕切られた狭いブースの中におばちゃんが座ってお相手をされています。また堂々と占い師募集の看板がでているのもおもしろい。そうこうするうちに石切神社に到着。もっと大きな神社を想像していましたが以外と小さな神社でした。本殿前には三十名位の人が手にコヨリを持ってお百度を踏みで歩いておられますが、こういう風景も初めてのものです。もともと石切さんはデンボ(出来物)の神様らしくオデキ、ニキビ、癌の腫瘍などでお参りに来られるようです。ひと通りお参りした後、年寄りを連れてあの坂道をまた30分近く歩くのはつらいので、そこからまた坂を降りて新石切駅へ行き生駒へ戻って大阪へ出て帰ることにしました。せっかく難波へ出てきたのだからとナンバパークス、ナンバシティーにも寄ってみましたが、ちょっと歩かせ過ぎたようです。私共も日頃はあまり気が付かないのですが、年寄りを連れて電車を乗り換えていると、意外とエレベーター、エスカレーターが少なく探して歩くのが大変で、バリアフリーの整備はまだまだ十分ではないようです。
☆今週末26日(土)深夜2時〜2時30分FMの放送が始まります。
藤山一男・由美の「金子みすゞの世界」
●(70)2005年 2月14日
「酒かす」
冬場には日本酒の熱燗がよく合うのですが、元来ビール一辺倒の私はたまに日本酒も飲んでみるのですが、おいしすぎるかにら相性がよすぎるのか、身体中へのまわりが早くすぐに酔ってしまいますので避けるようにしています。そのかわりといってはなんですが酒かす関連の料理は何でも大好物です。以前の景気の良いころには毎年、蔵元直送のお酒たっぷりの酒かすを戴いていましたので友人にあげたり、テニスコートに持っていって焚き火で焼いて砂糖をくるんで食べたりもしていましたが,最近はなかなか良質の酒かすをもらうことが少なくなってしまいました。とりわけ酒かすで作る甘酒は大好物で麹のものよりも断然美味しいと思いますが如何でしょう。母などは保存食としてたまに魚のかす漬けなどを作ったりしていましたが、これも焼く時に煙モウモウになりますが格別の味わいがあります。
でもやはり冬場は何といってもかす汁でしょう。かす汁もお店で注文すると本格的なものは鮭の頭などを入れて酒かすたっぷりのものなのですが、鮭の頭などを入れると少し生臭くなってしまいますので私はあまりなじめません。また適度にミソ味が利いているものの方が随分食べやすいです。もともと我が家では母親が日常の味噌汁にも少しかすを入れたりしていてたくらいで、かす味には子供のころから親しんでいましたが、あまり魚は入れたことがなかったように思います。私の妻も結婚当初あまりかす汁が好きでなく、私のリクエストで作る時は、最初に豚汁を作って妻の分を先にとっておいて、私の分にだけかすを入れて作っていましたが、歳とともに味覚も変ってゆくもので最近はまったく抵抗がないようです。
●(69)2005年 2月7日
「節分」
節分の日(2月3日)に母と妹が八坂神社の節分祭に行くというので送ってきました。私自身は節分祭のお参りには一度も行ったことはないのですが、母たちは特別に信仰心があるわけでもないのですが毎年行っています。母たちはそのあと八坂さんから歩いて四条大和大路にある眼病平癒で有名な目疾(めやみ)地蔵さんにお参りをしたあと高島屋へ寄り、錦市場を経由して大丸へ行ってうろうろした末、烏丸から電車、バスを乗り継いで帰ってきたらしいのですが、歳のわりにはかなりの距離を歩いたようで驚きました。その日は元気だったようですが、もう86にもなろうかと歳ですからさすがに翌日は少々疲れがでていたようです。まあ元気で歩ければなによりです。節分祭は京都でもいろんな所で行われているのですが、私としては来年にでも盧山寺あたりへ一度行ってみたいと思っています。煎った豆などは節分にしか食べないのですが、たまに食べると結構美味しくシンプルで、菓子の原点のような気がします。
この日、祇園町では「節分おばけ」といって芸妓さん、舞妓さん、ホステスさんなどが仮装をする風習があります。もともと京都の古い風習で旧正月の節分の日に仮装して神社をお参りをして「鬼を化かす=厄をはらう」の意味があるそうですが、昔は節分の日に厄除けのために「おば髪(け)」という髪を結ったのが起源だとか。女性が男性の格好をしたり、歴史上の人物になったり、男性が舞妓さんの格好をしたりして他人に化け、鬼から身を隠すために普段と違う格好をする習わしです。今は祇園町のお遊びとして受け継がれていて一般の方はほとんど行いませんが、中にはわざわざこの日、「おばけ」の仮装をするために遠方から来られる方もあるようです。夕方の私の出勤時にはもう祇園町に「おばけ」の人たちがチラホラ。
節分の巻き寿司の丸かぶりという風習もいつから始まったのでしょうか?私の子供時分にはそんな習慣はありませんでした。バレンタインのチョコレートもお菓子屋さんの宣伝努力で始まって普及しましたが、丸かぶりも、お寿司屋さんの陰謀のような気もします。確かテレビで今年の恵方は西南西と言ってましたので店で全員でそちらに向かって丸かぶりしましたが、あとでいろいろ調べてみると、今年は東北東とのことで全く正反対。まあどっちでもいいか!
●(68)2005年 1月31日
「パッチギ」
久し振りに映画を見に行きました。井筒和幸監督の「パッチギ」というタイトルの映画で、昭和40年代前半の京都を舞台に当時の若者の青春を描いたものでした。エレキギターのGSブームからフォーククルセイダースから始まるフォークブーム、ベトナム戦争から70年安保闘争へと続く学生運動。どれも我々団塊世代の青春そのものでした。そしてバックには全編を通して当時の幻の名曲「イムジン河」が流れていました。いつも我々団塊世代は良きにつけ悪しきにつけ話題にされてきた訳ですが、みんな戦後のベビーブームの多人数の中で、入試、入社、仕事上もお互いに切磋琢磨、競争し合い努力をしなければならないような環境の中で育ってきた世代です。ある意味、日本の高度経済成長を担ってきたという世代でもありますし、古い世代と急激に発展、変容した新しい世代とのつなぎ役でもあったような気がします。まもなくこの数年のうちに、この団塊の世代のほとんどが定年を迎え、退職してゆくこととなりますが、戦後の貧しい時代から、このところ不景気とはいえ昔と比べると物質的には豊かなになった昨今、社会も人の心も大きく変ってしまったように思います。
先日も新聞記事で目を疑うような記事が出ていました。去年長崎県佐世保市で小6の女児が同級生をカッターナイフで殺害するという事件がありましたが、その事件を受け長崎県の教育委員会が県内の小中学生を対象に「生と死のイメージ」に関する意識調査をしましたところ、「死んだ人が生き返る」と思っている子供が小学生で約14%、中学2年生では.18.5%もあるということです。その理由について尋ねると「テレビや本で生き返る話しを聞いたことがあるから」と答え、約30%は「テレビや映画で生き返るところを見たことがあるから」、約7%は「ゲームでリセットできるから」と回答したとのこと。中学2年生の約2割もが「死んだ人が生き返る」と思っていることは全くの衝撃で、「死」に対する考えの軽さに驚きます。以前にも家で飼っていたカブトムシが死んでしまったので電池を替えてくれという子供がいるという話しを聞いたことがありましたが、だんだん命の尊厳についての認識が薄れてきている事は確かなようです。
先週はライオンズクラブのカラオケ同好会のお稽古日。今回は演歌曲2曲で、北山たけし「片道切符」、真木ことみ「旅路川」。「片道切符」は約一年あまりもオリコンに登場のロングヒット曲です。
●(67)2005年 1月24日
「厳冬の上高地」
昨年の丁度今ごろに友達が上高地へ行って撮ってきた写真です。最近は旅行会社企画の「冬の上高地ウォーキングツアー」があるようで、こんなに晴れたきれいな写真を見せられると羨ましくて、是非一度冬場に行ってみたいと思います。
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ツアーは夜に京都を出発、早朝平湯に着いて朝食して準備後、7時頃から釜トンネルを入ってゆくようです。7〜8人のグループに指導員が一人ついて案内、説明もしてくれるようです。トンネル以外は右の写真のようなスノーシューを履いて歩きます。昨年新しい釜トンネル(全長690m)ができて、今までより道幅が3倍もあって中の照明も明るく、歩いて20分くらいで抜けられるようです。
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先週は日本JC(青年会議所)の京都会議(No.16参照)で、今年は埼玉県東松山市の比企JCのメンバーがご来店。みんな素敵な楽しいメンバーでした。
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