気まぐれ日記No.4
 2004年10月〜   毎週月曜更新しています。  藤山一男

   このページ、身内からはおもしろくないと言われながらも何とか一年たちました。
       携帯でも見られるようページを分けています。

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 2月末よりFMのラジオ番組をします。詳しくはWhat’s newのページで。

今週から 気まぐれ日記No.5

●(66)2005年  1月17日
「全国都道府県対抗女子駅伝」
 昨日16日は午前11時から午後1時頃までお客様と十名弱で北山のレストランで宴会。10時前に起床して妻と一緒に大慌てで車で行って何とか時間前に到着。大盛り上がりの楽しい会でしたが私は車のためお酒は無し。帰り道は丁度その時間帯、市内で全国女子駅伝に遭遇。一度沿道で見てみるのもいいかと熊野神社(東山通丸太町)で妻を降ろして、私は京大病院の駐車場へ入れに行ったところ、丁度私のところで駐車場の機械が故障して入ることができず。また私の後ろにも何台もつながってしまって戻ることも出来ず、係員が修理に来て約15分が経過。やっと車を入れて沿道に駆けつけると最後のランナーが通過するところでした。はじめて沿道で見ましたが、テレビではわからないけれど、結構皆さん大声を出して応援しているものです。妻は応援用の旗をもらって先頭走者からずっと見ていましたが、私の場合は一人だけ。まあ一人だけでも見られてよかったとしましょう。今回は3年ぶりに京都チームが優勝でした。

 早いもので今日はあの阪神・淡路大震災からまる十年だそうです。923もそろそろ世間の景気が良くなるかなと、その前年の11月に今の花見小路へ移ってきたところでの震災でしたので、営業的な部分でもいろいろ印象に残った災害でした。山科にある我が家も花折断層上とかで非常によく揺れました。家の中の物は揺れる方向によってだいぶ被害が違うようで、我が家では食器棚の扉が開いて相当な数のグラス、食器類が落ちて散乱しました。6千人以上の方がお亡くなりになったわけですが、昨年末のスマトラ沖での地震によるインド洋大津波では亡くなられた方も20万人に及ぶと言われています。昨年は私も新潟から帰って一週間後に新潟県中越大地震、大自然の前には人類も無力です。

●(65)2005年  1月10日
「回鍋肉」
 私はおせち料理はどれも好きで、正月のお酒の量が増える一因にもなります。棒ダラ、ごまめ、数の子、たたきごぼう、くわい、大根なますなど、どれも酒の肴にはびったりです。特に棒ダラ、ごまめ、くわいなどは正月以外にも食べていたいものですが、毎年正月の間しか食べないのはすごく残念です。
 我が家には特製の鍋料理があります。正月休みの間にも2回ほどしましたが、もう二十数年前によそのお宅で習ったものを、妻が我が家のスタイルにした中華風の鍋料理です。ずっと「ホウコウロ」と言っていたのですが、中華料理にはそういう料理はなく多分「回鍋肉(ホイコーロ)」のことだったようです。でも中華料理の回鍋肉という料理は豚のバラとキャベツを使ったミソ炒め料理のようなもので、我が家の鍋料理とは全く違うものです。「回」という字は帰る、戻すという意味らしく一度鍋で加工した肉を再び鍋に戻して調理するということらしいです。
 我が家では鍋をする一週間前から鶏ガラと野菜を炊いてスープをとります。それに日本酒、胡麻油、塩、黒コショウ、生姜の絞り汁、などを入れて味を調えますが、このスープの味が最も大切です。具は鶏肉、豚肉、鶏ミンチの団子に海老、はまぐり、イカ、ツクネ団子、ちくわ、豆腐、ハルサメなど、野菜は白菜、エノキ、しいたけ、しめじ、竹の子、菊菜などを入れてスープと一緒に食べてもらいます。具を食べ終えるとそのスープに中華麺を入れてラーメンをしますがこれがまた好評です。
 この鍋を楽しみにして来られる方も多く、十人以上の来客になると2ヶ所で鍋をする大宴会になります。でも宴会では何といっても食べるものより楽しいおしゃべりが一番のご馳走です。

●(64)2005年  1月3日
「初詣」
本年も皆様にとりまして良い年になりますようお祈り致します。
お蔭さまで昨年の12月は例年になく年末まで忙しく、年賀状を含め正月の準備を何もしないままに終えてしまいましたので正月休みはいろいろ大変です。

 元旦の日の午後から伏見稲荷に歩いて初詣に行きました。我が家は山科盆地の西側で丁度伏見稲荷のある東山を越えた裏側あたりに位地しています。家から山の麓にあたる大石神社(大石内蔵助ゆかりの神社)まで約10分、大石神社のたくさんの参拝客を横目に見ながら山へ入ります。一歩山の中へ入るだけでまったく街の喧騒からはなれ異次元の世界です。常々、私のように山科側から山を越えてお稲荷さんに初詣に行くような変わり者はいないだろうと思っていましたが、珍しく前日の大晦日にかなりの雪が降り山は一面の雪化粧、ところが雪の積った山道にはすでにたくさんの足跡があって、私のように歩いている人が結構がおられるようです。途中の山道でも何人かとすれ違いました。麓から途中まではかなりの登りが15分ほど続き、そのあと稲荷山の三角点を右奥に見て尾根伝いに10分ほど行くと、千本鳥井のある参拝ルートに入って四条通なみの混雑の中、お稲荷さんの一ノ峯(最上部の神社)に着きます。そこでお参りをしてから二ノ峯、三ノ峯と下って四ツ辻へ。展望のいい四ツ辻のところでは快晴で市内の眺望が素晴らしく、カメラを持ってこなかったことを反省しました。そのあと三ツ辻、本殿へと下ります。一ノ峯から約20分、家を出てから約1時間です。本殿近くに着くと、あたりはラッシュ時の電車なみの大混雑で警備員がロープを張って参拝制御。私は山から降りてきたのでうまく参拝できたのですが、表参道から来た人たちはお参りするまでにどれ位時間がかかるのでしよう。お賽銭を投げて鈴の紐をつかむのもままならない状況です。お参りの最中に突然の吹雪で、群集の中から「ワー!」という大歓声が沸き起こる。押されながら本殿でお参りをして帰りは薬力社から山科へ抜ける近道を通って帰宅。ここでも稲荷へ向かう4人連れ家族と出会いました。この日、参拝を含め往復2時間30分の行程です。年末、年始の食べ過ぎ、飲みすぎでの運動不足解消には丁度いいようです。
 今年はめずらしくあまり買った事のないおみくじを購入しましたが「小凶」ということで良いことは何も書いてない。そういえば神宮館発行の高島易断でも私の生まれ年の九紫火星は今年最も悪い黒丸●、低迷運とのこと。占いなどは信じないのですが知ってしまうとあまりいい気はしません。とりあえず頑張るしかないですね。

●(63)2004年  12月27日
「超能力」
 私はもともと理数系思考の人間で専攻も化学だったこともあって、超能力とか霊とか科学で解明出来ないようなことは全く信じないタイプなのですが、現実にいろんな不可思議な体験を目の当たりにすると何か超能力のような力を信じなければならなくなります。昔から私の店に来られている東隆明さんという方がいます。もともとは役者、脚本家、作詞家といういろんな才能をもった方なのですが、ある日突然に不思議なパワーを授かって、人の病気を指先で触って直すというような超能力を持っておられます。もちろんご本人は自分の力で治しているということを言っておられるわけではなく、あくまでも病人自身の自己治癒力を引き出すお手伝いをしているだけだということですが、これまで何度も摩訶不思議なことを目の当たりにしてきました。十年以上前に末期ガンで医者からはあと数ヶ月の寿命といわれていた知人がすっかり良くなって、現在はまったく健康に過ごしているというような人をはじめ、いろんな奇跡を見てきました。指先で身体の悪い部分を触るという「お祓い」という施術なのですが、これが指先なのに割り箸の先で擦られているように痛く、触られた部分は赤黒い色の筋がつきます。病気が悪いほど色が黒っぽいようです。3〜4日くらいででその色は徐々におさまりそれとともにその悪い部分が良くなってゆきます。そののた打ち回るような痛みは触られる時だけで、お祓いが終われば全く痛みはありません。この十年ほどはご自身の「お祓い」行為を封印されていたのですが、このところたまたま企業の経営者の方々にうわさが広まり、また京都でお祓いをされるので923へ来られる事も多くなりました。世の中、考えられないような不思議なことはあるものです。
 東さんはライフ ディレクターとして人の生き方に関しても本を書かれたりしている思想家なのですが、長崎の普賢岳の噴火のあと、被災地のボランティアを十年にわたって続けてこられ、私が曲を付けました「普賢花」「島原慕情」などの作詞者でもあります。また私の曲も収録されている「金子みすゞ その愛と死」というCD二枚組みアルバムの脚本、演出家でもありました。私が「金子みすゞ」さんに接するキッカケを下さった方でもあります。
 この大先生も私の店に来られる時は全く気楽な酒飲みで、飲みだすといつも朝方までお付き合いです。

                        
                        東 隆明さんと私の妻
●(62)2004年  12月20日
「我が家のスタジオ」
 家で自分の曲のデモテープを作ったり簡単な録音をする時には、和室が急遽スタジオになります。大した機材を持っているわけではないのですが、最近の機器は優秀で結構いろんなことができます。シーケンサーという小さな器械があれば楽譜を書いて打ち込みをすればどんな楽器の音でも演奏させる事ができますので、自分の弾けないような楽器などを使っていろんな編成のバッキングが作れます。また最近はすべてデジタルですので3コーラスあるような曲でも1番さえ作れば2番、3番はコピーするだけで、あとはイントロ、間奏、後奏でつないでゆくだけで伴奏全体が完成します。我が家のスタジオは密閉度も低く機材を並べてヘッドホンを付けて大声で歌っていると歌声は家中に洩れているわけで、外で聞いていると可笑しいらしい。先週はロータリークラブの歌の録音を頼まれて家でレコーディング。
 週末、ホテルで750人の大忘年会での仕事。今年の出張演奏の仕事はこれで終了です。景気の悪かった今年もさすが年末になると連日、店も忙しく日曜日は疲労困ぱい。

☆お知らせ
 ネットでお知りあいになったイチロー56さんという方のご好意で、2月から毎月、京都のFM797というところで私がパーソナリティーのラジオ番組をさせて頂くことになりました。もともと話し下手の私でかなり不安ですが、いつもステージでしゃべっている妻を中心にして何とか良い番組を作れたらと思っています。2月26日(土)深夜2時〜2時半の予定です。

●(61)2004年  12月13日
「東福寺」
 東福寺は谷を渡る通天橋の景観と相まって全山のほとんどがモミジで紅葉はすばらしいのですが、11月中はあまりの観光客の多さに辟易してしまいます。毎年、観光客の少なくなった今ごろ、用事で出かけたついでに東福寺へ寄ってみます。先週も一度近くを通ってみたのですが駐車場が満車で断念。今週、再挑戦すると、さすがに12月、観光客もかなり減りました。いつもこの時期になるとモミジは落ちて庭が赤い絨毯状態になっているだけなのですが、今年は秋が遅くて長いので師走のもう十日にもなろうという時期にまだ美しい紅葉が見られました。地球全体が温暖化してだんだん冬が短くなるようですが、このさき地球の環境は大丈夫なのでしょうか。


          東福寺、通天橋の上からの写真です。

●(60)2004年  12月6日
「誕生日」
 この歳になると誕生日といってもそう嬉しくはないのですが今日12月6日が私の誕生日、前々日の4日が妻の誕生日です。うちの店に来てくださる星由里子さんも同じ私と同じ12月6日が誕生日です。この時期、仕事柄何かと忙しい時期ですが2日違いですからお互いの誕生日を忘れる事もありません。私は手帳に200人以上の方の誕生日をメモしていて、毎年手帳が変る度に写し変えています。役に立たないことも多いのですが、たまたま誕生日を覚えていることで喜ばれることもあります。先日も弊店に永年来られているセミナー会社の代表が受講生と一緒に団体でご来店。受講生といっても全国の企業の社長の方々なのですが、その翌日が丁度その代表の誕生日だったので前もってケーキを用意し突然のハツピーバースデイを歌い喜んで頂けました。
 今年は珍しく12月4日が土曜日、6日が月曜日で5日が合同の誕生日ということになります。昔の景気の良い頃には前夜祭、本番、後夜祭などといって4〜5日間連日、誕生祝いをしていた頃もありましたが、いつもこの時期は何かとバタバタと忙しくしています。今年も4日は毎年行っている病院グループの忘年会の仕事でした。今年は900名以上のパーテイーで、京都では一番大きいウェスティン都ホテルの瑞穂の間でも、着席スタイルではほぼ限界です。当然、私共の行くパーティーとしてはもちろん最も大きなものです。でもこれだけの広さがあっても天井が高いので音の響きも良く、特にお客様が入る前のリハなどではとても気持ちよく歌えます。この4日は店もこの忘年会の二次会で貸し切りですので一般の方にはお入り頂けません。ところが今年は妻の誕生日がこの日で、誕生祝いのお客様がお祝いに来て下さっているのにお断りをしなければならなくなって残念なことでした。今日の私の誕生日は静かにひっそりと迎えましょう。
 翌日、都ホテルへ車と機材を取りに行ったついでにホテルの裏山にあるチャペルの方へ行ってみました。チャペルからまだ登ってゆくと佳水園という和風の立派な料亭風の立派な建物(もちろんこれも都ホテルです)、横には可楽庵という茶室、そこからなお上へ向かって探鳥路という散策道があって野鳥の森へと入って行けます。登って行くと途中にある御百稲荷神社のところでの展望台からは視界が広がって市内の北西部の絶景が眺められます。よく都ホテルへ行っている方でもほとんどご存知ない場所ですが、よく手入れされていて気持ちの良いところです。

 この12月1日から5日までの間にNHK総合とBSで「世界遺産・青きドナウの旅」という番組がシリーズで放送されていて、堺屋太一さんと山本容子さんが現地から出演されていました。山本容子さんはとっても美人の人気銅版画家でデパートなどで催される展覧会はいつも超満員、大盛況です。この十日ほど前にも店に来られてジャズなどをギターの伴奏で歌っておられたのですが、多才でTVでもいろんな番組に出演されています。今年末からの展覧会とTV出演のご案内も頂きましたので書き添えます。興味がおありでしたらご覧になって下さい。
 ●「日本釣りの旅 南の島で大物を釣る〜山本容子・南大東島〜
    ハイビジョン☆12月11日21時〜☆14日11時30分〜☆18日11時〜
    BS2    ☆12日5時30分〜☆17日12時15分〜
 ●「山本容子展」
    ☆12月28日〜1月8日(元旦休業) ☆大阪北浜三越ホールにて ☆入場料600円

●(59)2004年  11月29日
「ペガサス座」
 星のことを特別よく知っているわけではないのですがたまに星座を探してみます。今回はちょっと時期的に遅かったのですが秋の星座「ペガサス座」を見てみたくて探してみました。子供の頃はもっと星があったように思いますが街が明るいこともありますし、大気が汚れていることもありますし、もちろん歳とともにだんだん視力が弱くなっていることもあるでしょう。たまに信州の山で空を見るとあまりの星の数に驚きます。都会で見る場合は、秋の星座は一年中でもっとも一等星の少ない時でもあるので、少しの薄い雲が覆っているだけでも見えにくくて困ります。もちろん日頃はかけないメガネも必要です。このところ快晴の夜が少なく一週間の内で一日くらいしか夜空が見えるチャンスがありません。毎日毎日、早い時間の夜空を見上げてとうとう見えました、見えました! 天空にぽっかり浮かぶペガサス座の四辺形が!
 店から帰ってからの時間帯に夜空を見上げますと、一足早くもうすっかり真冬の星座です。よく視力試しに使われるスバル座もこの頃はメガネをかけて4個くらいしか見ないような視力ですので、そのうちに視力的に星座を探すことも出来なくなってしまいそうです。

 先日は京響の気楽なコンサートへ、今週は京都府立大学合唱団の第47回定期演奏会がコンサートホールで行なわれ行ってきました。私は第10回定演時の幹事長、大学時代を懐かしく思い出していましたがずいぶん時が経ったものです。コンサート前に行なわれたOBの食事会でも出席者の中で私は2番目の古参、たまたま大先輩が少なかったこともあるのでしょうが歳を感じます。

●(58)2004年  11月22日
「また 弦が切れる」
 先週はホテルで行なわれた会計士事務所の二十周年記念のパーティーに仕事で寄せていただきました。久し振りの懐かしい方々にもたくさんお会いできました。
 その3日後に自宅近くの勧修中学校で父兄対象に「金子みすゞ こころの世界」のライブをさせて頂きました。たまたま自宅の学区の小学校の校長先生からの依頼でお受けした仕事ですが、当方の予想以上に大勢来て頂いたようです。いろいろライブに行っているのですが、こんなに地元ですと、裏の家のご夫婦だとかごく近所の方も来られていてかえって変な緊張感があります。そんなせいでギター自体も緊張しているわけではないのでしょうが、またギターの弦が切れてしまいました。それも今回は演奏中に。この夏、大阪国際学園のライブでは始まる前に弦が切れていたことがありましたが、今回のように演奏中に切れることは非常に珍しく初めての体験です。最近はこういう事のために予備のギターを持っていっていますので何とかその場をしのいで、途中の休憩時に張り直しましたが、予備を持っていっていないと大変なところでした。このところ朝晩の寒暖の差が激しく、店でもこういう温度の変化がある時には弦の切れることが多いような気がします。
 クラシックのコンサートを聴きにいって弦の切れたところに遭遇した事はないのですが、例えばオーケストラをバックにヴァイオリンのソリストの弦が切れたという時は、そのソリストはコンサートマスターのヴィオリンを使い、コンサートマスターはその隣りのヴァイオリニストの楽器と交換し・・・・という風に次々にヴァイオリンを回してゆき、最後の人が曲の合間に弦の切れたヴァイオリンを持ち去って弦を張り替えに行き、張り替えた楽器をまた次々に逆に回していってソリストに渡してゆくようです。でも突然楽器が変るとやはり弾きにくいもので充分に実力を発揮できません。今回も楽器が変ってすぐの演奏では弦のすべりも響きも悪く、気分的にあせっていることもあって余計なことに気がいってしまってミスタッチしてしまいました。こんな時にも戸惑わないくらいの精神力と実力をつけておかねばと思います。

●(57)2004年  11月15日
「運転免許証」
 誕生日が近づいて運転免許証更新の案内が届きました。今回もこの3年の間に違反が一件あったことが書かれていました。そういえば去年、近所の40キロ制限の道を56キロで走って16キロのスピード違反、不運といえば不運、でも違反は違反。そこは私のランニングコースで、よく取り締まりをやっているということをわかっていながらついうっかりして捕まってしまったのでよけいに悔しい。だいたい日頃から安全運転で今までに交通事故などはないのですが、毎回3年に一度くらいこのような違反で捕まっています。ほとんどがこのような軽微なスピード違反で、またこの2〜3年は地方のライブで相当な距離を走っていますが特に違反も事故もなく、まあまあ真面目なドライバーでしょう。でも前回の更新前には自宅近くで酒気帯び運転をして捕まってしまいました。どうも車の動き方が怪しいとパトカーに後をつけられたのですが、これはいけません。ご丁寧にパトカーで自宅まで送ってもらい、もちろん免停で、講習料と反則金で5万円以上を収めました。最近は飲酒運転は厳罰ですので、たとえごく近所でもお酒を飲む時は、徒歩か自転車です。毎回免許の切り替えまでに、必ずこんなタイミングで何か違反をしていますので、このままいくと一生、ゴールド免許を手にすることがないのではないかと思ってしまいます。
 免許証などじっくり見ることは無いのですが、たまたまこの機会にと見てみますと、二輪の免許は高校の一年の時に取得していました。高校の時はホンダのCBシリーズとかいうよく走るバイクがでた頃で、そんなのに乗っている友人もいましたが、かなり高価なもので我々にはちょっと手が出ないものでした。私はもっぱら親父のスクーターに乗って近所を乗り回している程度でした。最近は二輪の免許は非常に難しく、特に大型の二輪はかなり難関のようですが、私共のように昔に二輪免許をとった者は普通免許の取得で大型でも乗れる免許になっていますので若い者からはとても羨ましがられます。うちの親父も最終的に二輪しか乗らなかったのですが、当時の二輪免許で上手に切り換えさえしてゆけば普通自動車の免許が貰えることになっていました。最初とった原付2種という免許が、軽二輪に昇格、軽二輪がなくなって軽四輪に、軽四輪がなくなって普通自動車と、手続きさえしていればそのまま勝手に自動車の免許が貰えているはずでした。私はその後、普通免許を大学4年の夏休みに自動車学校へ行って取ったのですが、実技担当の教官と仲良くなって、夏休みにその子供さんの音楽の家庭教師を何時間かすることになり、そのぶんタダで教習車に数回乗せてもらって、実質補習なしで一発で合格できました。
 歳と共に反射神経が鈍ってきているようですが安全運転を心掛け、次回更新時にはゴールド免許を貰ってみたいものです。

●(56)2004年  11月8日
「ホースの巻き方」
 どこの家でも庭の水撒き用のホース、ガレージの洗車などに使うホースが巻いてあるのを見かけます。ホースを巻き取り器のようなもので巻いてあるところは、そのままホースを引っぱっていっても真っ直ぐに出てゆきますが、じかにホースだけぐるぐる巻いて積み重ねてあるようなものは、そのまま引っぱって行くとホースがねじれてしまって困ります。巻いてある紙テープを横に置いて上へ引っぱってゆくのと同じです。そのねじれをほぐすのには手間がかかりますし、そのままにしておくとねじれたところに折り目が出来たりしてだんだん水の通りも悪くなります。私が店や家で使うホースは、巻いてあるものをそのまま引っぱっていってもねじれることがありません。一般の方にその巻き方を説明すると”なるほど”と感心されますが、PA(音響)関係の仕事をしている人には常識的な知識です。私共は10m以上あるコード(シールド線)などを直径30cmくらいの輪にしてまとめて束ねているのですが、使うときにはどこまで引っぱっていってもねじれることはありません。コードは一度悪いくせがつくとなかなか元に戻らず、真っ直ぐにならなくなりますが、このように正しい巻き方で使っているとコードの耐用も相当違ってきます。活字では説明しにくいのですが、1周毎に逆巻きというか裏返したような巻き方になっています。1周目を普通に巻くと、巻きの最後は当然、巻いた上にきますが、2周目は巻きの最後が2周目と1周目の間から出てくるような巻きにします(結局、平面状に8の字を書いて半分に折るような巻き方です)。3周目はまた普通通りで・・・・・という風に交互に巻いてゆくと、ねじれの無い巻き方になります
 束ねてあるのを見ると外観は変らないのですが延ばした時には全く違ってきます。覚えると簡単なことで、妻も仕事の時にはたまにしか手伝いませんが、もう長いあいだ見ていますので上手に巻いてくれます。よその家のガレージやグランドなどのホースがぐるぐるねじれて重ねてあるのを見ると、いつも直してあげたい気がします。

 今週から掲示板を作りました。何でも書き込んで下さい。トップページからアクセスできます。

●(55)2004年  11月1日
「水車ピアノ」
 清水寺の三寧坂を下って二寧坂と一寧坂の間に「お地蔵さんの小路」という通り抜けのできるお店街が出来ました。250坪ほどの敷地にゆったりと8店ほどの店で構成されているのですが、その庭の部分に「日本一の水車ピアノ」を設置するということになりました。その音楽部分の仕事を任されまして、かれこれ約3ヶ月間製作に携わっています。ステンレスの鉄パイプをいろんな長さに切って音階を作り、木のハンマーでそのパイプを叩いてゆくというものです。水車の動力で回る大きなドラムの上に付けられたピンでハンマーをはじかせて音を出します。はじめは鉄管を適当な長さに切っては音程を作ってゆくという作業からだったのですが、鉄管で音程を作ってゆくのはなかなか大変な作業でした。最終的には大ざっぱな音程ながら一応4オクターブほどの音階を作りまして、場所がら「祇園小唄」を演奏します。当初はかなり複雑な楽譜を作ってピン打ちをしましたが、ドラムの回転の安定性、ピンの調整などが非常に難しく、結局オルゴール音楽風のシンプルな演奏にしています。製作スタッフも初めての試みでしたので紆余曲折、まだまだ改善しなくてはならないところがたくさんありますが、先日からやっと何とかギクシャクしながらも演奏できるようになりました。ところが設置場所が屋外で音がかなり大きく響き、近隣にお住まいの方からの苦情があって防音カバーを作ったりしましたがそれでもダメなようで、結局相当な消音を余儀なくされてしまいました。現在この「日本一の水車ピアノ」は不本意ながら鍵盤の上に厚手の布をひいてほとんど鳴らない状態で「幻の水車ピアノ」として一般に公開していますが、将来は本体を屋内に設置して存分に鳴らしてみたいと思っています。場所は二寧坂を下りてきたところ左手(西側)に入り口があります。高台寺の方からですと「ねねの道」を南へ突き当たったところからさらに斜め左手奥の二寧坂へ抜けてゆく道(一寧坂)がありますが、その道の途中からも入れます。
                   
                    幻の「日本一の水車ピアノ」

●(54)2004年  10月25日
「金戎光明寺」 「気まぐれ日記一周年」
 散歩がてら母を連れて金戒光明寺(黒谷さん)へ行ってきました。都ホテル(ウェスティン都)から吉田山方面を眺めると三重塔を含めた景観が非常にきれいで行ってみたい気になります。私もお寺の下までは何回か車で行ってみたのですが中へは入った事が無く、このところNHKの新選組のドラマのオープニングでいつも三門あたりが映っているので、この機会にと行ってみることにしました。会津藩が京都守護職の屋敷として使っていた所です。参道は新選組のブームでのぼりを立てたり、「新選組発祥の地」とか書いていて、私もTVの影響でもう少し人出があるかと思っていましたが意外に静かでした。もともと浄土宗の大寺院で観光寺院ではないのでそうなのかもしれませんが日曜日だというのに人も少なくのんびりできました。
その後ついでに近くの真如堂に寄ってみました。丁度秋のお祭りで子供の神輿が来ていてお祭り関係の人は来ていましたが、ここも観光の人は僅かでした。来月あたりになると境内中の紅葉が色づき観光客であふれるのですがまだ今はまったく静かです。
 この週は大型台風23号の近畿直撃、週末は新潟県での大地震と日本のあちらこちらに大きな被害をもたらしました。地震が先週でしたら私も丁度新潟にいて災難に遭遇しているところでした。また台風も今年10回も本土上陸し、店の営業では臨時休業とか予約取り消しとかで多少被害を受けましたが、地方ライブ時には一日違いとかでうまくすり抜けて無事こなす事ができたことはラッキーでした。

 「気まぐれ日記」を書き始めてから丁度一年になります。まったく文章が下手、おもしろくない、まとまりがないなどと言われながらも一年間、毎週休むことなく続けてきました。駄文を読み返してみますと、一年の間のいろんな活動を思い出させてくれますので個人的にはいい記録となりました。
 たまにでもこのページを覗いて下さるこころ優しい方々に心より御礼申し上げます。

●(53)2004年  10月18日
「新潟で婚礼」
 先週はほとんど富山と新潟の境目近くまで行ったのに、その4日後またまた新潟へ行くことになりました。私の親父の出身地、新潟県上越市の先にある本家の17代目長男の婚礼でした。好天のなか京都の従兄の車でほとんど運転してもらったので山の景色を堪能しながらの気楽なドライブでした。丁度前日より冷え込んで冠雪の白山、立山、妙高が輝いていました。婚礼は翌日、新郎新婦の勤務地新潟市で行なわれるので、この日は実家に近い「鵜の浜温泉」のホテルに宿泊、翌日7時半に実家から40名ほどが大型バスで会場の新潟市へ向かいました。同じ新潟県内ですが高速道路を使って2時間弱かかりますので遠い。もうバスの中から宴会が始まります。
 最近の婚礼では教会とパーテイー会場を整えたブライダル専門の施設が各地に出来ています。京都でも北山、宝ヶ池あたりにいろいろできているようですが、今回のところも東京から進出してきた会社の経営らしい。そういうところにはブライダルプランナーというブライダルのスペシュリストがいて式から披露パーティーまでを総合的に最高の状態に演出するよう企画します。今回も教会での結婚式からパーティー終了までの4時間あまりを披露宴出席者全員が参加、屋外の庭を使ったり、会場内でも映像をふんだんに使ったり、ブライダル全体を完璧なイベントとして進行してゆきます。その演出の上手さが出席者に涙と感動と与えます。スタッフはほとんどが20歳代で、全員が連絡用イヤホンを付けていてイベント中ずっとデイレクターの指揮系統のもと動いているようです。私もギター持参で「名前のない空を見上げて」という曲を歌いました。先月までやっていたNHKの朝の連ドラ「天花」の主題歌です。この日のために覚えたのですが、多少悔いの残るできでした。
 かつて営業日に私が2日も続けて休んだ事は無く、心配しながら行ったのですが1日目電話をすると大忙しとのこと。このところヒマだったのにこんな日に限って忙しいとは皮肉な事。マスター休んだ方が良いのではとか・・・。2日間食べ放題、飲み放題・・・・身体は大丈夫かな?。

●(52)2004年  10月11日
「立山山麓」
 お寺の鐘楼落成慶讃法要ということで富山県魚津市へ出張。丁度、台風接近でどうなることかと思っていましたが、台風のスピードが上がり前日に通過したので助かりました。現地のPA(音響)セッティングの時間の都合で朝早く京都を出発しなければならなく、前日、土曜日の923の営業は12時までということにして張り紙をしていましたが、皮肉な事にこんな日に限ってまた店は忙しいものです。何とか12時半に終了、大急ぎで帰宅、就寝。翌日は6時半に起床して7時半に出発、休憩しながらのんびり走って午後1時過ぎ現地到着。立山の山麓のお寺ですが、お稚児さんも百名ほど参加されるような何年かに一度の大きなイベント、お世話される門徒さん方も大変です。法要の後「金子みすゞ」のコンサート、その後は大宴会で大いに盛り上がりました。
 連休で翌日の予定はなく立山や宇奈月へ行くとかも考えてはみたのですが、山は景色が一番、今回は天気があまり良くなく断念。結局もう少し北へ走って黒部を越えて入善というところにある知り合いのお寺を訪問、ほとんど新潟県に近く、あと30分も走ればもう糸魚川です。そのあとは黒部から北陸自動車道で帰路につき、富山の先の小矢部から初めて通る東海北陸自動車経由で、世界遺産の五箇山、白川郷などをのんびり観光。同高速道は白川郷から荘川の間の御母衣ダムのところが未完成で、中部地区からはなかなか来にくい所なのですが、名古屋、東海方面からの車も多く、たくさんの観光客が来ているのには驚きました。途中の御母衣ダムは非常に大きなもので景色もすばらしいところでした。
 今回の帰路はめずらしく途中でも居眠り休憩をしないで帰宅しましたが、運転嫌いの私もこのところの遠出で相当慣れたようです。少々疲れましたが京都へ着いてからまた近所のスナックで一杯(腹いっぱい)、2時頃就寝。翌日にカラオケ教室。よく頑張りました。
  
 五箇山の菅沼 合掌造りの家(左) と白川郷の明善寺 茅葺き屋根の鐘楼(右)

 先週はじめはライオンズクラブのカラオケ同好会の練習日。今回の練習曲は冬ソナの「最初(はじめ)から今まで」と和田青児の「忘れ風鈴」。冬ソナのほうはちょっと難しかったかな?それでも皆さんなかなか頑張っておぼえて頂きました。

●(51)2004年  10月4日
「鉄人崩壊」
 五十歳くらいまではスポーツをしても技術的にはともかくスタミナ的には同世代の者たちから鉄人などと言われるくらい元気でした。ところが五十歳を過ぎる頃から運動不足もあっていろいろ弱ってきています。以前の38号にも五十肩のことで書いていましたが、8月のお盆過ぎから重症の五十肩になってしまいました。人にいわせると六十肩とかいわれるのですが、原因はこの夏の猛暑で家でもパンツ一丁、シャワーも水浴びのみ、寝る時も裸同然でクーラー入れっぱなし、ということがいよいよこの歳になって堪えてきたようです。症状としてはある朝突然のこと、起きられない、痛くて腕を上げられない、首が回らない、という状態で、ぎっくり腰の首版といったところです。最初の一週間は特に重症で、寝る時に横になるだけで痛くて上を向いても下を向いても横を向いても苦痛で寝られなく、そのうちに疲れて少し眠ってもまた痛さのために夜中に目が開いてしまうという状況でした。今回の場合は左肩痛でその後徐々に回復してきましたが、しばらくは車に乗ると痛む、首をあげて顎(あご)の下の髭を剃ることが出来ない、髪をとかす時に左耳の上の部分を左手で抑えることが出来ない、左手で敬礼姿勢から真っ直ぐ上に手を伸ばせない、左手でビールグラスが持てないし左手で飲めないという症状でした。手を真っ直ぐ上にあげることができないのでこれでピンクレディーのUFOが踊れないのが残念・・・(「アホちゃうか」 妻)。今はかなり良くなってこうして笑い話で済ませられるのですが、その時は肩や手が痛いだけならいいのですが、腕や指の動きが悪くもうギターが弾けないのではないかと真剣に思いました。やっと一ヶ半月少々で良くはなってきましたが全快までにはまだしばらくかかりそうです。丁度一番悪い時期が出張演奏の少ない時で助かりました。私も次第に「鉄人」から「木人」へ、それも錆だらけの「鉄人」から腐りそうな「木人」へと変ってゆきます。
 いつものことですが、何か病気になるとせっかちにたくさん本を買ってきては自分勝手に症状、治療法を研究しては勝手な判断をして叱られているのですが、五十肩の事ではだいぶ知識も増えましたので今後どなたかお困りの節には多少アドバイスができると思います。
 今週も毎日毎日、本当に忙しい一週間を過ごしました。

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