●(50)2004年 9月27日
「歳の割にはよく頑張る」
先週は福井県鯖江市にあるお寺で「金子みすゞ」ライブをさせて頂きました。福井教区寺族婦人会という会でお寺の坊守さん(ご住職の奥様)の集まりです。たまたま私の高校の時の恩師のお寺が鯖江の同教区内にあり今回はそんなご縁で寄せて頂いたわけですが、遠方は若狭など福井全域から来られていて、百数十名の集まりですが非常に熱心に聴いて下さってCDもたくさんお買い上げ頂きました。このお寺は蓮如上人の父上、存如上人がお建てになったという由緒あるお寺で、山科の別院くらいの規模がある大きなお寺でした。もう何度も遠方に出掛けていますので鯖江くらいは片道175キロと近いのですが、今回は平日の昼間のライブでしたので少々ハードでした。前日の923の営業は特別に12時閉店、1時半就寝、当日は7時起床、朝8時に家を出発、11時半からPAの準備、1時〜2時半ライブ、後片付けして、4時に帰路、7時に帰宅、すぐ店へ直行して8時から営業と、大忙しでした。
その3日後、金剛能楽堂で茂山千之丞社中の狂言の会があり、店のお客さんもたくさん出演されていましたので行ってきました。金剛能楽堂は以前四条室町にあったものを昨年、烏丸通のアルティーの隣り(烏丸一条)に建てられましたが、今回初めて中へ入りました。ロビーも庭を配しての立派なもので、池には立派な鯉がたくさん泳いでいました。最近古くからある京都の庭園は鯉ヘルペスのためにどことも鯉がいなくなってしまいましたが、久々に豪華に鯉の泳いでいる庭園でした。
またまたその数日後はある人材派遣の会社の全国大会で「金子みすゞ」をさせて頂きました。全国に支社のある会社の総会で、その会議の続きでのコンサートで200名以上の皆さんのほとんどが黒いスーツーで、背筋を伸ばして聴いて下さいますので、こちらも若干緊張気味。なるべく気楽にして頂くように進行しましたが、最後まで硬い真面目な雰囲気のままで終了しました。
場所が大津の豪華旅館、家からは30分足らずで行けるのですが、当日は会場の都合でPAを準備してから3時間以上余裕があり、待ち時間の間も立派な部屋をとって頂いていましたので大浴場に入ったり、部屋でひと寝入りしたりと、久々に温泉気分を味あわせて頂きました。考えてみると真昼間に露天風呂に入ることは結構少ないような気がします。この日は晴天、琵琶湖を通しての景色も良く大浴場は貸切状態で最高でした。
その間にも店の仕事はもちろんのこと、知人のお葬式、カラオケのレッスン、曲作り、伴奏作り、録音、編集などあってちょっと忙しすぎますが、まだまだ歳の割には頑張っています。
●(49)2004年 9月20日
「ストラディヴァリウス」
このところクラシックのコンサートに行く機会が少し増えていますが、先日も「渡辺玲子と仲間たち」というコンサートに行ってきました。超絶的テクニックといわれるヴアイオリンの渡辺玲子さんは日本音楽コンクールにて最年少(15歳)で優勝後、数々の大賞を受賞されて世界で活躍中のプレイヤーですが、今回はフルートの中川愛さんと人気ギター奏者の鈴木大介さんとの共演ということで興味があって行きました。それぞれのソロとアンサンブルがあって、フルート曲、ギター曲などいろいろ楽しめました。特にギターとヴァイオリンの曲もたくさんある割には生で聴く機会は意外と少ないものです。
それにしてもヴァイオリンというのは音色の美しさはもちろんのこと何とよく鳴る楽器なのでしょう。この日の渡辺玲子さんは1700年製のストラディヴァリウスだそうですが、さすがによく響きます。フルート、ヴァイオリン、ギターとで演奏しますと、やはりギターの音が一番小さくて負けてしまいます。もちろんギターの名手、鈴木大介さんも数百万もする高級ギターを使ってはおられるのでしょうけれど・・・・・。私もギターを愛する者の一人としては残念です。そういえば私のコンサートでよくギターを弾いてくれています天才ギターリストの古川忠由さんも、ヴァイオリンとの共演では音量で負けないようにと共鳴弦を増やした特注の十弦ギターなどを使っていましたがわかる気がします。
このコンサートは22世紀クラブというところが主催しているのですが「もっと身近に、クラシック」という趣旨でやっておられ、この出演メンバーで入場料900円ですから非常に安く、さすが会場は超満員でした。今回は東京、京都の2回公演でしたがこのシリーズは1991年にスタートしてもう84回目もやってこられたようです。
9月15日の京都新聞朝刊に「歌声喫茶 青春ふたたび」という記事で、太秦映画村で期間限定で歌声喫茶がオープンするという記事が出ていましたが、その掲載された写真が当時の私が写っている「歌声ホール炎」のもので、昨年の京都新聞で使われたのと同じものがまた使われていました。写真には1970年頃と書いてありましたが多分1967年頃のもので私の二十歳頃の写真(気まぐれ日記No.1の7号に掲載)です。
●(48)2004年 9月13日
「褒章受賞を祝う会」
私共が二十代の頃からのお付き合いの方が永年の調停委員の功績で藍綬褒章を受章されました。そのお祝いと、昨年亡くなられましたその方の奥様を偲ぶ会を兼ねてのパーティーがありました。もともとこのご主人は大学時代に軽音楽クラブでジャズをやっておられサックス奏者でした。プロへの道をあきらめて和装系の家業を継がれたのですが、ずっと音楽を愛されて自分で立派なライブハウスをつくったり、アマチュアのジャズオーケストラをつくって数年前にはカーネギホールで演奏をされたりと、いまだに積極的に音楽活動を続けておられます。亡くなられた奥様はそのよき理解者でマネージメントを一手に引き受けてご主人を支えてこられたわけです。日本の有名なジャズミュージシャンとのお付き合いも深くこの日も、大御所、前田憲男(ピアノ)さん、猪俣猛(ドラム)さん、西條孝之介(TS)さん、五十嵐明要(AS)さん,原田忠幸(BS)さん、荒川康男(B)さん、それに古谷充(AS)さん達がお祝いで駆けつけて素晴らしい演奏をされました。その上、現在息子さんがやっておられるオルケスタ・デ・ラ・ルスというサルサバンドが迫力ある演奏で大いに盛り上げてくれました。デ・ラ・ルスは何年か前に紅白にも出場した世界で活躍中のラテングループでこの日もトランペットとトロンボーンとで5名、ピアノ、ベース各1名、ドラム他パーカッションが3名、ボーカル2名の総勢12名でのパワフルな演奏でした。褒章受賞の会というよりディナーショーのような感じで、この豪華メンバーのディナーショーなら倍以上の会費が必要かもしれません。出席のお客様は大満足でした。
400名以上の盛大な会でしたが、私の席がステージ正面の一番前の来賓席みたいなところにとってあったのには「ちょっと違うでしょ・・」と驚いてしまいました。そのテーブルは京都の財界の70歳以上の長老ばかりで、私も皆さんを存じてはいるのですが、偉い人ばかりで私には少々晴れがまし過ぎる席でした。たまたま隣にその奥さん方のテーブルがあり、そちらからお呼びがかかり場所を移動、気楽にさせて頂きました。
●(47)2004年 9月6日
「冬のソナタ」
この夏はNHKで放送された韓国のドラマ「冬のソナタ」が大ブームになりました。たまたま2ヶ月以上も前にお客さんに言われてCDを購入して、大ヒット曲「最初(はじめ)から最後まで」の譜面を自分で書いていましたので、何人もの店のお客さんたちに覚えて頂きました。まだ楽譜も出回ってなかった時でしたので覚えてもらった方にはブーム先取りで非常に喜んで頂けたようです。今では店のカラオケでも元祖リュウさんの分をはじめテツアンドトモ、ビリーバンバンなど4曲くらい入っています。
通常私は歌を覚える時は譜面で覚えますので譜面なしで聴いて覚えるというのは時間がかかって苦手です。演歌系などの知らない曲でも譜面さえあればほとんど初見で歌えます。というわけで譜面さえあれば千人力で、譜面の無い曲をレッスンでお教えしたり自分で覚えたりする時はあらかじめ譜面を書くことから始めます。譜面さえあればいつでもどこでも練習、確認が出来ますが、聞いて覚える場合は聞く道具と聞くための時間が必要ですので随分手間がかかります。最近、自分で譜面を書いたのは「美しい昔」と「悲しみの水辺」です。「美しい昔」は昨年末の紅白で天童よしみが歌った曲で、レッスンに来られている方がそれを覚えたいということで譜面を書きました。ベトナムのチン・コン・ソンという人の作曲でとてもきれいな曲なのですが、オリジナル・バージョンの譜面はあったのですが、一般的に覚えやすいニュー・バージョンの譜面がなくて譜面を作らなければなりませんでした。お蔭で自分も譜面を書いているうちに覚えましたが素晴らしい曲です。もう一つ「悲しみの水辺(The Water Is Wide)」はカーラ・ボノフという歌手が歌っているのですが、店のお客さんがたまたま尼崎競艇のCMで流れていたのを聞いて気に入って、誰が歌っている何という曲なのかをスポンサーに問い合わせて、CDを購入して持ってこられた曲です。、テレビのCMで鳴っているものよりもCDの中の曲の方がギターだけの伴奏でテンポもゆっくりで心に響きます。歌詞もメロデイーもシンプルなラブソングでまさに我々の青春時代のフォークソング、当時のジョン・バエズなんかの歌を思い出します。
●(46)2004年 8月30日
「京都の難読地名」
42号にも難読駅名を少し書きましたが、今回はその続きで私が独断で選んだ京都近郊の難読地名のベスト10です。難読地名でも「帷子ノ辻」ほか前回記載分と、あまり知られていないようなマイナーな場所は省きました。
第10位 巨椋池(伏見区、最近は第二京阪に同名のインターができました)、
第 9位 直違橋(伏見区、本町通の藤森あたり)
第 8位 樫原(西京区で私が育ったところです)
第 7位 山端(左京区川端通り北山付近)
第 6位 物集女(これも私が住んでいたところで嵐山の方から向日市の方へ同名の街道が続きます)
第 5位 西石垣通(先斗町の四条を南へ横切って入ったところ、鴨川のすぐ西で四条から下)
第 4位 雲母坂(左京区の修学院から比叡山に登る途中)
第 3位 不明門通(烏丸通のすぐ東の通り、京都駅前から五条と四条の半ばくらいまでしかありません)
第 2位 一口(久御山町にあって国道1号線沿いに一口北口、東一口、西一口とかもあります)
第 1位 鶏冠井(向日市にありますがどこをどう読むのでしょう)
その他、番外としてポヒュラーなところから、次の四つを選びました。
納所(交通情報でもよく出てきます)、
化野(嵐山の念仏寺で有名)、
県神社(宇治平等院近くにあって毎年、県まつりがあります)、
糺ノ森(下鴨神社の北隣)
連日のオリンピックフィーバー、皆さん家でテレビ観戦でしょうか。ただでさえこの猛暑で人出の少ない8月、祇園の街は静か過ぎて困ったものです。・・という私共も夜更かしで少々寝不足気味。
上記難読地名の読み方=10おぐらいけ、9すじかいばし、8かたぎはら、7やまばな、6もずめ、5さいせき、4きららざか、3あけずどおり、2いもあらい、1かいで、番外から、のうそ、あだしの、あがたじんじゃ、ただすのもり
●(45)2004年 8月23日
「ギター弦」
13日に大阪国際学園でサマースクールの小学生対象に「金子みすゞ」をさせてもらいました。お盆の帰省の影響で道路はかなりの混雑でしたが余裕をみて早めに出発していましたので予定時間までには到着。現地に着いてPAの準備が終わって、さてギターケースを開けてみると何と第4弦が切れていました。こんなことは初めてで慌てて予備の弦を捜してみるのですがこれがまた入っていない。緊急の場合は切れた場所によってはもう一度その弦を張りなおすなどしてその場をしのいだりするのですが、それもまた残念な事にギリギリで届かなくてダメ。4弦,3弦の場合は一番遠いところの糸巻きを使うのでもっとも弦の長さが必要になります。当日は運良くサブのギターを車に積んでいましたので、それを使って何とか助かりましたが予備のギターがなければと思うとゾッとします。2,3日前に一度ギターの点検、確認をしていましたのでついつい安心してしまって当日の確認をし怠ってしまいましたが、やはりいつも十分な点検が必要です。ギターの弦はもちろん新しい時の方がよく鳴るのですが、新しい時は演奏中にどんどん伸びてきて音が下がります。古くなると音程は安定するのですがだんだん響きが悪くなります。当日も4弦だけ新しいものに替えたとしても、その弦だけ響きが違いますし演奏中に伸びて音が下がって困ったことと思います。ライブとかコンサートがある時はだいたい2〜3週間前に弦を張り変えますが、次々にライブが続くと弦の替え時が難しいです。
●(44)2004年 8月16日
「パーティー音楽」
ホテルで行なわれたロータリークラブのほろにが会に仕事で行ってきました。ほろにが会は6月14日(.No.35)にも書いていますが、アサヒビールが後援するビールと料理を楽しむ懇親会です。今回は宴会中のBGMとお客様が歌われた場合の伴奏が主な仕事です。このような宴会の音楽での仕事は過去三十年余年にわたって数えきれないくらいいろんな所へ行かせてもらっています。JC(青年会議所)、ロータリークラブ、ライオンズクラブ、各種業界団体、企業組合、PTA、同窓会、大学OB会、会社の忘年会、クリスマスパーティー、新年会、ファッションショー、結婚式などです。特に婚礼は500人以上の豪華な披露宴にも数多く呼んで頂きましたので、それぞれの趣向を凝らした華やかな雰囲気を見せて頂きました。珍しいところでは法事や故人を偲ぶ会とかにも呼んで頂きましたがみなさん感心するほどいろんなアイデアで会を企画されます。私共も二十年も前の時期には一年間で100回も出張で仕事をしたことがあって、それだけでも十分な収入があるのに、なおかつ店も忙しくしていた訳ですから、今から思うと夢のような時代でした。京都市内のホテルでは仕事で行っていない所はないでしょうし、また自分では入れないような高級店にもお蔭でたくさん行かせてもらいました。かつて諸外国の大統領などが宴会をされたような高級料亭の宴会場は、ボタン操作で座敷のところに舞台がせり出してきます。またよく宴会で行きましたフランス料理レストランなどはダイアナ妃なども召しあがったという皇室御用達の由緒あるお店です。でも昨今の景気の低迷でどこのホテル、料亭も宴会の数が非常に減って、宴会自体も地味になっているようです。当然私共の仕事も相当減っています。
そういえば今日8月16日は五山の送り火ですが、以前はこの日、岡崎グランドで行なわれる「京の夏まつり」というイベントに毎年出演していまして、丁度「大」の字に点火される頃にその送り火をバックに野外ステージで「きのう京」(〜♪〜夜空を焦がして大文字〜♪〜)という私共のオリジナルを歌ってたことを思い出します。
●(43)2004年 8月9日
「綾部市」
綾部市の中丹文化会館で行なわれた「美しき室内楽のしらべ」というコンサートに夫婦で行ってきました。以前には私共もこのホールで歌わせて頂いたことがありますが立派なホールです。今回の出演者は6月に京都で「無伴奏の夕べ」というソロコンサートをされましたヴァイオリニストの四方恭子さん(元ケルン放送交響楽団コンサートマスター、No.38=7月5日号に記載)、チェロの上村昇(かみむらのぼる)さん(京都市立芸大教授)、ピアノの塩見亮(しおみたすく)さん(東京芸大卒業後、ドイツ留学中)の3人でした。アンサンブルももちろん良かったのですが、それぞれのソロ演奏が素晴らしく四方恭子さんの天才的なヴァイオリンはもちろん、チェロのソロで黛敏郎の「文楽」、ピアノソロでパガニーニ練習曲「ラ・カンパネラ」も感激ものでした。
もともと綾部には以前から店のお客様に誘われて何度も寄せていただいていますのでとても親近感があります。923のお客さんの中には綾部のご出身で京都で大活躍されている立派な方がたくさんおられ、もともとその方々のお誘いがきっかけです。昨年もこの日のスタッフがお世話をされているユニセフ協会の会で「金子みすゞ こころの世界」のコンサートをさせて頂いてたくさんの方とお知り合いのになりましたので、行けばいつでもみなさんが大歓迎して下さいます。すでに行きがけの列車の中で店のお客様に偶然出会い、そうなると列車の中からもう飲み始めることになりますが、仕事の無い綾部行きはまったく気楽です。コンサートの会場にも親しい店のお客様ご夫婦もおられ、いろんな方々との楽しい一日でした。終演後も市長さんから声をかけて頂いて当日の演奏者とスタッフの慰労パーティーにも強引にお誘いを受け参加させて頂きました。特に市長の四方八州男さんは私共の「金子みすゞコンサート」にはいつも来て下さっていて923としても永年大変お世話になっている方です。慰労パーティーの後は知り合いのご夫婦に連れられて由良川沿いの景色の良い料理屋さんで、大好きな鮎もいただき綾部の夕景と料理を堪能しました。綾部というと昔はかなり遠いというイメージがありましたが、今はJRで京都から約1時間で行けますので大阪や神戸へ行くような身近な感覚です。
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写真は左から四方綾部市市長、ピアノの塩見亮さん、ヴァイオリンの四方恭子さん、チェロの上村昇さんです。
●(42)2004年 8月2日
「難読漢字」
前回の日記を書いた時に「サルスベリ」が「百日紅」という漢字だということをはじめて知りました。それでなくても最近はパソコンばかりで、自分で文字を書くことが少なくなり、日ごと数十万単位での脳細胞の死滅と共にかつて覚えていた漢字もどんどん忘れてゆきますが,生涯知らないままで終わってしまう漢字も数えきれないほどあるのでしょう。以前につつじの種類で「どうだんつつじ」を「満天星」と書くのを知った時もびっくりしましたが、木や花など植物の名前は特に難しいです。地名でも京都にも読めないような所がいろいろありますが、ごく一般的なところでは京福電車の四条大宮から嵐山に行く路線には読みにくい駅名がたくさんある難読駅名路線で有名です。京都の人はたいてい読めるのでしょうが、京都以外の人のためにの難読駅名の一部をご紹介します。太秦、鹿王院、などはまだ読めるでしょうが、車折神社、帷子の辻、蚕ノ社、西院など、なかなか読みづらいです。
まだまだ毎日35〜6度以上の日が続きます。先日は37.7度という驚異的な暑さ、車のエアコンが故障したのではないかと思うほどの効きの悪さでした。あまりの暑さに倒れてしまいそうですので、先週、母を連れて比叡山に行ってきましたが、さすが山頂付近では下界より10度くらい涼しくて過ごし易かったです。私も今までには何度も比叡山には来ていたはずなのに延暦寺へ入ったのは初めてでした。さすがに千年以上も前から高僧が修行をされた大きなお寺、もう一度来て全体をゆっくり見てみたいと思っています。
(上記の駅名=うずまさ、ろくおういん、くるまざきじんじゃ、かたびらのつじ、かいこのやしろ、さい。)
●(41)2004年 7月26日
「叙勲祝賀会」
永年お世話になっている病院グループの会長先生が叙勲を受けられ、その盛大なパーティーに夫婦で寄せて頂きました。出席者は日本の医療関係の重鎮はもとより、京都府知事、前知事、京都市長、国会議員数名、元大臣、府市議会議員、大学の理事長、学長、及び教授、茶道、華道の家元、画家、陶芸家、音楽家、有名寺院の高僧、京都の有名企業の経営者など多士済済が一同に集まっておられる豪華な会でした。祇園甲部の芸姑さんによる「三番叟」の祝舞で厳かに始まり、私共も久々にお会いした方々と懐かしいお話しをさせて頂いたのですが、私共の席の両隣は知り合いのお茶屋さんの女将さんでしたので、この日お手伝いの舞妓さん、芸姑さんたち何十人もがみんな順番に「おかあさん おおきに〜」と挨拶に来られてサービスしてもらえるので私にとっては大変嬉しい,楽しい席ではありました。これまでにこのような著名人の集まられる晴れがましい会に、仕事でなくお客として出席したことは、京都の大企業のお嬢さんのご結婚披露宴の時と、女優の星由里子さんのご結婚披露のパーティーだったように思います。今回、夫婦とも出席のため店の方は閉めたままでしたが、こんな時に限って店からの緊急電話で、団体さんご来店とのこと。メインディッシュの「お肉とフォアグラのポアレ」の直前で緊急退席して店へ・・・。残念無念!!
連日35度以上の酷暑が続き、みんなバテていますが、こんな暑い時にも可憐に咲く花がいく種類かあって嬉しいものです。その中でも百日紅(サルスベリ)は店の前の白川沿いにも何本か咲いていますが、三十三間堂前の大和大路通七条上る(国立博物館西側)には珍しくサルスベリ並木があって、白、ピンク、赤、紫など色とりどりに数十本がいま満開状態です。豊国神社の前から西へ曲がって正面通りへも続いています。
●(40)2004年 7月19日
「カラオケフェスタ全国大会」
名古屋の御園座でカラオケの全国大会がありその審査員として行ってきました。作詞家、作曲家で構成される全国詩曲音楽連盟という団体の主催する大会なのですがかなりハイレベルな大会で、3年間に2回くらいのペースで行われています。出場者の歌う曲のほとんどは私のあまり得意でない演歌曲です。今回の大会の出場者はブルークラス(55歳以下)22名、ゴールドクラス(56歳以上)20名でそれぞれのクラスごとにグランプリが選ばれます。各クラスとも1,000人以上の応募者の中から厳正なテープ審査で選ばれた実力者、驚くほど上手です。1コーラス(約1分)だけの歌唱ですのでほんの些細な失敗が命取りになります。皆さん何ヶ月もその曲の1番だけを完璧に歌うよう努力されてこの日に臨んで来られます。審査員の誰一人もこんなに上手くは歌えないし、私などは唄われる曲の大半は知らないわけですから、こうして審査させていただくのは僭越な気がします。いつもこの御園座に来ると華やかな照明の中、自分でも唄ってみたい気になりますが、はたして審査員たちは私の歌に何点を付けてくれるのでしょう。それよりテープ審査をクリアーできるのでしょうか?
カラオケ審査時の点数のつけ方は審査員によってまちまちですので、何か基準がないと集計した時にかなり不合理な結果が出てしまうことがあります。最低点を50点以下にする人と70点くらいにする人とでは総合点に大きく影響してきますし、最高点の場合はもっと影響大です。いつもその都度その都度、審査員同士で適当な基準を決めます。80点を基準に±15点とか、最初に歌う人をとりあえず80点にするとかです。それでも各審査員の判断はあくまで個人の感覚ですので、全体を30点の幅で付けている人や15点の幅の人がいて、いつも総合点で正しい判定が出来ているかどうかは疑問です。何人もの人の採点をしていると、どうしても前の人と比べて何点上とか何点下とかという相対的な判断になりますので、終盤になってまた一番最初の人と同じ技量の人が出てこられた場合に最初の人と同じ得点に戻っているかどうかは疑問です。いろんなレベルの大会があって出場者全体の技量の格差もまちまちですので、いつも絶対的な得点を付けることは難しい事です。
この大会にはいつも有名なゲスト歌手が来られていて、今回は石原詢子、山川豊など、前回は松原のぶえ、山本譲二他、前々回は氷川きよし、田川寿美他というような豪華な顔ぶれです。いつも思うのですが演歌の歌手は話術がひじょうに上手く感心します。歌と歌の間の話しだけで十分観客を惹きつけ楽しませます。今回の石原詢子さんも2コーラスの5曲でしたがやはり話しが上手いのであっという間に30〜40分くらいが過ぎてしまいます。私共もコサートの進行、構成、おしゃべりなどにもっと研究しなくてはと反省させられます。
名古屋へ行く前日は京都のホテルで行なわれた議員さんの後援会の大きなパーティーにギターの応援で行ってきました。議員さんもアイドルタレントと同じような人気商売、話術はもちろんのこと,歌ったり、ギターを弾いたり、各テーブルをまわってのご挨拶、そして握手と、ほとんどタレントさんと変らないようです。
●(39)2004年 7月12日
「手品」
中学時代に一時、手品に凝ってしまって、最終的には担任の先生からも注意を受けるほどの時期がありました。当時はどこのデパートにも手品の実演コーナーがあり学校が終わると毎日のようにそこへ通っては研究(?)していたようなわけです。売り場の商品は結構高価で当時の自分の小遣いではなかなか買えなかったのですが、連日売り場にいるとタネはほとんど判っていましたので、作れるものは自分で作ったりと努力もしていました。
最近またテレビの番組の中でマジックをよく見かけます。そんなことにも刺激されてか何十年ぶりかでマジックの本を2冊買ってきました。一つはトランプマジック専門の本で、もう一つはマジック一般の本です。昔に比べると最近はネタも新しく技も高度になっていますので非常におもしろく読んでいます。一時テレビでは大掛かりなマジックばかりがもてはやされましたが最近は目の前でやるテーブルマジック的なものが多く、そのほうがマジシャン個人のテクニックが必要で私共も見ていて楽しめます。私も久々にトランプを出してきては触ってはいますがなかなかしっくりこなくて、慣れるまでにはしばらく時間がかかりそうですので当分は読んで楽しむだけになりそうです。
手品の練習も楽器の練習に似ています。人前で発表する前に何十回、何百回という地味で単純な練習が必要です。身内などの身近なところで何度かやって成功する内に自信ができて次第に手順も良くなりますが、新しい技を人前で初めて披露するときには緊張します。また私共が人の手品を見る場合はできるだけ素直に手品を楽しもうとして見ようとするのですが、ほとんどの人はタネだけを知りたがります。タネだけを知ってすぐにできるような気になって、あまり練習をしないで人前で披露したりして失敗してしまいます。そしてまた、せがまれればすぐにタネを教えてしまいます。簡単なタネで大きく驚かせるのが手品の醍醐味、マジック愛好家の一人としてはもっとタネと技術を大事にしてほしいと思います。
●(38)2004年 7月5日
「職業病」
どんな職業にも仕事の影響によって身体を悪くするということがあるのですが、私の場合は最近左肩あたりの痛みがひどく多分ギターとパソコンの影響によるものと思っていましたが、多分これは五十肩のせいのようです。私共程度の中途半端なギターでも練習によっての障害はあるのですから、知り合いの著名なギターリストなどでも腱鞘炎になったり指の間接や筋を痛めたりといろんな故障を起こしています。ギターに限らずピアノ、ヴァイオリン、管楽器などでもそうなのですがウルトラ技の速弾きや、特殊な抑え方など究極のテクニックを聴かせるために日々努力している訳ですから、一見優雅に弾いているように見えていても陰ではたゆまぬ努力をされているわけです。身体の使う場所が違うだけで体操選手やアスリートなどの運動選手と変らないような鍛錬が必要になります。スポーツマンと同じように練習で指や腕の筋を痛めたり怪我をされたりして楽器を弾けなくなってしまった方もたくさんおられます。声楽家の場合も職業的に高血圧症の方が多いということです。特にオペラ歌手などは歌うことで非常なエネルギーを消費しますし、楽器としての身体を造らなければなりませんので食べる物も日頃からカロリーの高いものが多いようです。また歌う時には全身のパワーを全開にするわけですから演奏時には当然かなり血圧の高い状態になっています。どんな仕事にも職業病はつきもので、どの道も大変です。
四方恭子さんというヴァイオリニストのコンサートに行ってきました。もともと今年923へ来て頂いたのがきっかけです。さすがドイツの名門、ケルン放送交響楽団のコンサートミストレスを十年以上されていた実力者、感動しました。今回は「無伴奏の夕べ」ということでバッハ、イザイ、パガニーニなどの無伴奏曲でしたが、ヴァイオリンの技術と音色に酔いました。昨年より京都市立芸大助教授に就任。5月には小沢征爾が指揮するサイトウ・キネン・オーケストラのヨーロッパ公演に参加、週に1回は母校の東京芸大で教え、時折、ケルン放送にも里帰りして演奏するという超多忙な方です。今回は無伴奏でのソロコンサートでしたのでヴァイオリンの魅力を存分に聞かせていただきました。久々にヴァイオリンの音色を堪能しました。
●(37)2004年 6月28日
「飲み会」
「この頃の若い者は・・・」とかいうと、我々がオジンであることを宣言していることになるわけですが、「最近の若者はお酒を飲まない」という話をよく聞きます。我々のように毎日お酒の場にいる者にとっても同感です。我々世代の会社の社長や幹部は、この頃若い者を飲みに誘ってもなかなか付き合ってくれないし、たとえついて来たとしても飲まないし酔わないし、どこか義務的、儀礼的な気がすると言います。会社の行事の社員旅行、忘年会などにも積極的には参加してくれないし、忘年会なども会社から多少補助を貰えば気のあった者だけでカラオケボックスなどで歌っているほうが楽しということらしい。もちろんそんな場には社長をはじめ幹部連中は当然呼んではもらえません。永年にわたって社員と一緒に努力をして会社を大きくしてこられた創業社長などは特に寂しいと言われます。
昔はコミュニケーションの媒体としてお酒は非常に重要な役割を果たしていました。我々の若い頃にはお酒というものは高価なもので酒を飲むということは贅沢な事でした。そしてそういう場を持つことは大きな楽しみで、仲間同士でお互いに酔うことによって生まれる連帯感みたいなものがありました。特に学生時代などでは友人と徹底的に飲んで酔うことによって親密感を確認していたような部分がありました。また社会人になってからも酒を飲むことによってコミュニケーションを深くして、仕事上もスムースな人間関係を構築しビジネスを伸ばしてこられた人たちを数多く見てきましたが、多分、最近の若者はみんな豊かになって酒以外にもいろんな楽しみがあり、酒を飲むという事に特別な意味は無く、飲む事もたくさんある楽しみの中の選択肢の一つでしかないのでしょう。若い者は限度以上は飲まないし酔わないし我々のようにバカ飲みもしない、飲みくずれてしまうということもなく、いつもスマートな飲み方なのです。喫茶店でお茶を飲むのと変らない感覚なのでしょう。多分、我々世代の飲み方自体がオジンスタイルでイジマシイ飲み方なのでしょうね。
我々も酒と麻雀が最大の楽しみだったような貧しい時代をはなれ、もっとスマートに飲まなくっちゃ!! ですね。
ライオンズクラブのカラオケ同好会のお稽古会がありました。カラオケ同好会については以前にも書いていましたが、メンバーは40歳代から最年長は80歳以上までおられますので選曲が大変です。今回は「釧路湿原」、「納沙布みれん」と、たまたま北海道の歌2曲が練習曲でした。「釧路湿原」は水森かおりの曲ですが発売当初からいきなりオリコンの5位にランクインしたという大ヒット曲です。少々音域が広いのでキーをピッタリ合せて歌わなくてはなりません。「納沙布みれん」は美川憲一の曲であまりコブシのないきれいな歌い易い曲です。
●(36)2004年 6月21日
「Mの悲劇」
先週は「中P連」というところから頼まれて京都アスニーで「金子みすゞ こころの世界」のコンサートをさせて頂きました。私達世代の者は「中ピ連」というと中絶禁止法に反対、ビル解禁を要求するという榎美沙子さんがやっていた女性解放連合のことを思いますが、これは中学校PTA連絡協議会という団体で、京都市内の80数校ある中学校全部のPTAの集まりです。同様に幼P連、小P連、高P連などもあるようです。
最近ステージの下からのアングルで写真をとられると、頭の両サイドの剃りこみがかなり深くなっているようです。髪を後ろにながしていますのでよけいに目立ちます。妻は当初、髪の生えぎわ部分を見て「Wの悲劇」とか言っていたのですが、最近は次第にデコが後退し顔の上部分(額です)がM形で「Mの悲劇」とか言っています。もう体の部分は退化するばかりでどこも成長するところはないのですが顔の大きさだけはまだまだ成長を続けています。顔の上限はどこなのでしょうか。頭髪に関してはわたしの親父も86歳になるまで白く薄くはなっていましたがハゲることなく髪は残っていて、一応わたし達からみると無駄に思えるような散髪代も払っていたわけですから、私の髪も多分無くなってしまうことはないだろうと楽観視していますがどうでしょう。
中西清一さんという53歳のギターリストのソロコンサートへ行ってきました。若い頃の音楽に対する情熱をもう一度思い出して昨年から20年ぶりにギターを再開し、現在精力的にコンサート活動をされています。すごい努力家で私のようなのんびり者には頭が下がります。
●(35)2004年 6月14日
「ビール.」
先週は仕事で「ロータリークラブほろにが会」へ行きました。アサヒビールが後援してビールと料理を楽しむロータリークラブの懇親会なのですが、毎月順番にお世話する当番のクラブが変ります。「ほろにが会」はこの他にもライオンズクラブやいろんな団体の会があって、どの会も月一回開催されています。
923ではアサヒビールさんには永年お世話になっていて、京都の支店長(現在は支社長)も歴代店に来られていますが、三十年も店をしていますとその昔、京都におられた方なども会社の幹部になっておられます。現アサヒビールの会長(前社長)さんも二十年以上前に京都の支店長をされている頃からのお付き合いで、今でも京都に来られた時には立ち寄って下さいます。
私はまったくのビール党でこのところはほとんどビール以外は飲みません。大体ビール好きの者はのど越しでグイッと飲むタイプで、他のお酒を飲む場合でも同じようなペースで量を飲んでしまうために、ビール以外のお酒ではペース配分を間違ってしまうことが多いようです。上品にチビリチビリ飲むということがなかなか出来ませんのでついつい飲みすぎてしまいます。テニスの仲間と飲むときなどもいつもビールが主体なのですが、なかなかの酒豪の集まりで家で宴会をする時も、一応男女関係なく最低一人当たり3リッターを目安としてビールを用意します。もちろん他のお酒も用意するのですけれど、何リッターものビールが身体のどこへ入るのかと不思議に思いますが入るものです。だいたい私の場合はだらしなくだらだらと飲み続けているタイプで、時間と共に確実に酔ってゆきます。ビールはアルコール度数が低いといっても、飲みすぎて翌日にひどいめにあっったことは度々で、トイレで倒れたり病院に運ばれた事も何度か。それでも懲りずに夏でも冬でもほとんど毎日、真面目に休むことなく飲みつづけています。これから夏本番,ますますビールが美味しくなります。
梅と紫蘇が旬。このところ家では梅干しは作らなくなりましたが、紫蘇のジュース、梅ジュースを大量に製造します。といっても私が作るわけではなく、私はもっぱら飲み役専門。紫蘇ジュースは色も鮮やかできれい、作ればすぐに飲めるのでこのところ毎日試飲、心なしか体調も良いような気がします。梅ジュースは作って飲めるまでに2〜3ケ月くらいかかります。今年も梅を10kg以上ジュース用に漬けているようですが、梅ジュースは毎日飲んでいると胃腸の具合もいいようです。飲むときに焼酎を入れれば梅酒にもなります。
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