日産ディーゼル4R系
日産ディーゼル4R系は、2サイクルのUD4型エンジンを搭載したリアエンジンバスです。UD4型エンジンは、「コンドル」RFに搭載されていましたが、それまでの横置きエンジンを縦置きにするなど、モデルチェンジを図ったのが4R系になります。日産ディーゼルを代表する系列になり、路線バス、観光バスの両方に対応し、エアサスの設定もありました。型式の頭の数字はエンジン型式(例:4R=UD4型エンジン)を表し、末尾の2〜3桁数字は相対的な長さを表します。
効率性に優れたUDエンジンではありましたが、他メーカーが4サイクルエンジンを標準とする中、唯一の2サイクルエンジンであることから、1973年に4サイクルエンジンのU系にその道を譲りました。
日産ディーゼル4R系 1960 - 1973
日産デ4R系 製造時期による分類
日産デ4R系 第1期(1960-1965)
日本国有鉄道 日産デ4R92(1965年式)
撮影:諏訪市(2009.9.23)
日本国有鉄道 日産デ4R92(1965年式)
撮影:ヒツジさん様(立科町 2004.2.28)
初期の4Rには、短い方から4R92,4R93,4R103があり、1964年から長尺の4R110が加わっています。高出力車には6RFがありましたが、1963年に6R110にモデルチェンジを図り、このシリーズに加わりました。
後面のエンジン通気孔が右寄りに2個あるのが特徴で、シリーズ終了までこの部分は変わりません。
日産デ4R系 第2期(1965-1970)
関東バス 日産デ4R82(1969年式)
撮影:吉祥寺駅(1977)
宮城交通 日産デ4RA104
撮影:仙台市(1977.8.7)
1965年にマイナーチェンジが行われ、長さのバリエーションが整理されています。9mクラスの4R82が新設され、4R92,4R93は4R94に統合、4R103は若干の延長により4R104に変わっています。
また、車内後部のひな壇が低くなり、居住性が改善されています。側面最後部のエンジン通気孔の高さが低くなっていることで、外観上の区別がつきます。
1966年にUD5型エンジンの5Rが加わり、従来のUD4、UD6型エンジンも出力が強化されています。
1968年にヘッドライトが2灯から4灯に変わりました。
日産デ4R系 第3期(1970-1973)
東磐交通 日産デ4R95(1970年式)
撮影:本社営業所(1986.8.7)
西武バス 日産デ4R105(1971年式)
撮影:府中市(1983.1.5)
1970年に全面的な改良が行われ、4R82以外はホイールベースの修正により型式が変わりました。4R94→4R95のように数字が1上がっています。また、4R106が新設されています。
この時標準車体の富士重工がサッシ窓を標準とするマイナーチェンジを実施したため、外観上も区別がつきます。
1972年に、低床化に対応した4R105改が設定されます。全長、ホイールベースを短縮し、幅広の前ドアに対応した車両でした。しかし、4R系自体が、4サイクルエンジン化の流れの中で1973年には生産中止となったため、普及はしていません。
日産デ4R系 長さによる分類
仙台市交通局 日産デ4R82(1968年式)
撮影:阿武隈様(仙台市 1973.5)
4R82(1965〜1973)
4R82は全長9mサイズの大型バス最小サイズの車両で、1965年に新設されました。全長9,280mm、ホイールベース4,300mmで、エアサスの設定はありません。このサイズは、UD3型エンジンを搭載する日産自動車のUR690が存在しましたが、グループ内で日産ディーゼルへのシフトを図る目的があったものと思われます。
前中ドア車の窓配置は、同サイズのいすゞBA20とよく似ています。
札幌市交通局 日産デ4R92
撮影:札幌市(2005.9.24)
4R92(1960〜1965)
4R92は短尺車で、全長9,735mm、ホイールベース4,650mmで、初期(第1期)のみの設定です。
4R系列は縦置きエンジンで最後部にひな壇があるため、側面最後部の窓はこのように固定窓になるのが普通です。
窓配置は、サイズが近いいすゞBA30とよく似ています。
江ノ島鎌倉観光 日産デ4R93
所蔵:BA10-2407291様(藤沢営業所 1964)
4R93(1960〜1965)
4R93は全長9,875mm、ホイールベース4,850mmで、4R92と窓配置は同じです。側窓1枚の幅が広い点くらいが違いでしょうか。やはり第1期のみの設定でした。
日本国有鉄道 日産デ5RA94(1969年式)
撮影:阿武隈様(象潟営業所 1977.9)
4R94(1965〜1970)
4R92と4R93の後継として、1965年から設定された短尺車で、全長10,000mm、ホイールベース4,750mmとなり、全長は長くなりました。エアサスだと4RA94、UD5型エンジン搭載の高出力(200PS)だと5R94になります。中期(第2期)のみの設定です。
側面の後から3番目の窓幅が広く、その後ろに太い窓柱があるのが特徴。このような窓配置なら4R94にまず間違いありません。
立川バス 日産デ4R95(1971年式)
撮影:のむ様(箱根ヶ崎駅 1982頃)
4R95(1970〜1973)
4R95は1970年に4R94の後継として設定されました。若干長くなり、全長10,150mm、ホイールベース4,850mmです。
同時に富士重工のボディのマイナーチェンジが行われており、サッシ窓に変わりました。さらに最終期の車両には3Eタイプも存在します。しかし、幅広の前ドアの設置はできません。
江ノ島鎌倉観光 日産デ4R103(1963年式)
所蔵:BA10-2407291様(藤沢駅南口 1963)
4R103(1960〜1965)
4R103は標準尺車で、全長10,385mm、ホイールベース5,300mmです。
窓配置は、4R92より窓1個分長くなっています。
京王帝都電鉄 日産デ4R104(1969年式)
撮影:国立駅(1977.7)
4R104(1965〜1970)
4R104は4R103の後継として設定されました。全長10,650mm、ホイールベース5,400mmで、標準尺より少し長い感じです。
写真は、中ドア増設車ですが、戸袋窓の大きさを除くと、通常の前中引き戸車と同じ窓配置です。4R92より窓1個分長くなっています。
西武バス 日産デ4R105(1971年式)
撮影:武蔵小金井(1980.6.8)
4R105(1970〜1973)
4R105は1970年に4R104の後継として設定されました。全長10,650mm、ホイールベース5,250mmです。全長は変わりませんが、FOHの延長によりホイールベースは若干短くなっています。
同時に富士重工のボディのマイナーチェンジが行われており、サッシ窓に変わりました。
なお、このシャーシはFOHが長く幅広ドアに対応できるため、短尺化し、低床に対応した4R105改が設定され、一部の都市事業者に導入されています。
山形交通 日産デ5RA106(1970年式)
撮影:仙台駅(1977.8.7)
4R106(1970〜1973)
4R106は1970年に設定された長尺車です。全長10,850mm、ホイールベース5,450mmです。
4R105とは区別が困難ですが、前から3番目の窓の幅が広いのが見分けられる点でしょうか。
東京急行電鉄 日産デ4R110
撮影:板橋不二男様(弦巻営業所 1977.2.15)
4R110(1963〜1970)
全長11,250mm、ホイールベース5,500mmの長尺車で、1963年に観光バス用に高出力の6R110が新設され、続いて1964年にラッシュバス用に4R110が追加されています。4R110は都市路線向けであるため、当初はエアサスの設定はありませんでした(注2)。
宮城交通 日産デ5R111(1970年式)
撮影:板橋不二男様(北仙台営業所 1977.5.7)
4R111(1970〜1973)
4R111は4R110の後継として1970年に設定された長尺車です。全長11,280mm、ホイールベース5,650mmで、若干長くなりました。
用途としては、これまで通り高出力車が観光バス、高速バスに、標準出力車が都市部の路線バスに用いられることが多いようです。写真は、中ドアに4枚折り戸を採用したラッシュバス。
日産デ4R系 出力による分類
UD4型エンジン(165→175PS)
UD4型エンジンを使用した標準的な車両が4Rです。この系列では、型式の頭にUDエンジン型式数字を冠しており、型式とエンジン型式がリンクしています。
UD4型エンジンは、1966年に165PSから175PSに出力を強化しています。
4Rは路線バスから観光バスまで幅広く使われています。ここに揚げた出力3パターンの外形写真は、すべてメトロ窓の観光タイプですが、もちろん外形から出力を見分けることは出来ません。
宮城交通 日産デ4RA105(1971年式)
撮影:仙台市(1977.8.7)
UD5型エンジン(200PS)
1965年から二つの出力の間に、UD5型エンジンを使用した中間出力のモデルが設定されます。
4R82以外の3車型に展開され、型式は5Rとなります。主に中長距離路線バスなどに用いられたようです。
東海汽船 日産デ5R105(1972年式)
撮影:元町港(1982.8.5)
UD6型エンジン(230→240PS)
観光バスや高速バス用にUD6型高出力エンジンを搭載したモデルは、長尺車への設定となります。
先代のRFの長尺車に6RF101の設定がありましたが、それを継承する6R110が1963年に設定され、1970年のモデルチェンジで6R106,6R111の2車型に分かれています。用途上、エアサス車が多く見られます。
UD6型エンジンは、1966年に230PSから240PSに出力を強化しています。
なお、写真の車両は、国鉄バスなど特定の事業者にしか見られない6RA107です。
日本国有鉄道 日産デ6RA107(1972年式)
撮影:板橋不二男様(十和田南営業所 1977.7.14)
日産デ4R系 主なボディメーカー
富士重工
富士重工は、民生「コンドル」時代からの標準ボディです。
10年以上にわたり架装されたこともあり、スタイルは多岐に及び、写真の3Eボディは最末期のスタイルです。ワンマン化に対応した前面スタイルですが、4R95ではFOHが短いため、幅広ドアの設置はできません。
立川バス 日産デ4R95(1972年式)
撮影:拝島営業所(1983.7.25)
西日本車体
西日本車体は、民生RNからの組み合わせで、特に関西から西の事業者に多く見られました。
写真の車両は、66MCと呼ばれるボディスタイルですが、前面は観光タイプになった折衷型。自家用バスです。
自家用 日産デ4R104
撮影:12号線様(朝霞市)
北村製作所
北村製作所製は、主に東日本で見られます。日産ディーゼルとの組み合わせは、4R系では最終期まで見られました。
宮城交通 日産デ5RA106(1971年式)
撮影:板橋不二男様(吉岡営業所 1978)
金産自工
金産ボディでの架装例もあります。東急が好んで購入しており、1969年まで導入実績があります。
写真は、前後の丸いボディスタイルですが、最終期にはヒサシ付にモデルチェンジされています。
東京急行電鉄 日産デ4R94(1968年式)
撮影:BA10-2407291様(洗足駅 1983)
日産デ4R系 特殊な型式
自家用 日産デ4R94(1973年式)
撮影:BA10-2407291様(上尾市 1986.3)
4R94(1973年)
輸出仕様車の注文流れで、国内の日産系工場の送迎車として登録された事例です。
4R94は、本来であれば1970年に生産を終えており、サッシ窓のボディは車長が少し長い4R95に変っているはずなので、希少な事例です。
前面方向幕や側面最後部の台形窓など、通常とは違う窓配置が見られます。
東京急行電鉄 日産デ4R105改(1974年式)
撮影:ポンコツ屋赤木様(新羽営業所 1988.1.5)
4R105改(1972〜73年)
1970年代を迎え、乗りやすい路線バスへの改良が各メーカーで行われており、低床化や乗降扉の幅広化が特に重視されていました。
日産ディーゼルでは、フロントオーバーハングの長い4R105のシャーシを活用し、幅広ステップの設置が可能な短尺の低床車を改造扱いで設定しました。新設された富士重工3E型ボディを架装します。
全長10,080mm、ホイールベース4,680mmで、同じクラスの4R95より若干短くなっています。
九十九里鐡道 日産デ4R105(1974年式)
撮影:BA10-2407291様(東金駅 1986)
4R105(1974年)
一般的には4サイクルエンジンのU系の登場に伴いカタログから姿を消した4R系ですが、1974年に入ってからも納車・登録された事例が見られます。
九十九里鐡道に納入された車両は、富士重工の3Eボディを架装し、前輪のフェンダ形状も通常4R系では見られない縁付の最新仕様となっています。
協同バス 日産デ4R82(1974年式)
撮影:BA10-2407291様(本社 1986.5)
4R82(1974年)
9mサイズの4R82は、U系に同じサイズがなかったこともあり、自家用バスを中心に1974年になっても複数の生産例が確認されています。
やはりボディスタイルは最新の富士重工3Eボディとなっています。