入門その頃のバス

日野自動車(中型バス)

ボディ+シャーシ 日野自動車の中型車の歴史は、他メーカーより早く1963年より始まっています。当初は自家用が主でしたが、1970年代後半より路線バス用途が増えてきています。
大きな転換点となったのが、1981年に路線バスとして初めてのスケルトンボディを採用したことです。これまで大型バスを小さくしたような垢抜けないスタイルの多かった中型バスに、初めて独立したイメージを与え、ユーザーを増やすことに貢献しました。
表6-3 日野中型バスの系譜

系譜

日野RM 1963−1970

表6-3-1 日野RM
年式1963-19661967-1970
原動機型式
(出力)
DM100
(90PS)
DM100
(100PS)
軸距3400mmRM100RM100
備考 
岩手県交通 日野RM100(1968年式)
RM100

撮影:板橋不二男様(北上営業所 1978頃)

自家用 日野RM100
RM100

撮影:東京都(1977.)

1963年に大型車の技術を利用して作られた中型バスがRM100で、当初は主に自家用としての導入例が多かったようです。
車体は、同時期の大型車RB10と同じスタイルで、大型車がモデルチェンジした1967年以降も、この型式には同じボディが継続して架装されました。帝国自工はスタンディーウィンドウの丸みが特徴、金産自工はサッシ窓が標準です。

自家用 日野RM100(1969年式)
RM100

撮影:西郷村(2006.10.21)

観光バスにも導入され、メトロ窓のデラックスな外観を持つものもありました。
写真の車両は、ヘッドライト4灯、メトロ窓傾斜型という特別仕様です。

ボディの組み合わせ・・・帝国、金産

日野RL 1970−1981

表6-3-2 日野RL
年式1970-19751975-19801980-1981
原動機型式
(出力)
EC100
(130PS)
EH300
(155→160PS)
EH700
(170PS)
軸距3720mm RL300K-RL301
3730mmRL100  
4030mm RL320K-RL321
備考EH300型エンジンの160PSへの強力化は1977年。
日野RL 第1期 1970−1975
自家用 日野RL100(1972年式)
RL100

撮影:浄土ヶ浜(1985.8.8)

川中島バス 日野RL100(1973年式)
RL100

撮影:長野市(2018.7.8)

1970年にRM100の後継として製造された中型車がRL100で、車体は大型バスのRE100を小さくしたスタイルにモデルチェンジされました。車体は金産自工が標準ですが、側面最後部の窓などは帝国自工の大型車と共通で、帝国自工との見分けは困難です。川中島バスの写真を見ると、折り戸の窓が帝国自工のRB10などと同じ形状で、後面のプレートからも帝国自工製であることが分かります。
後面のエンジン通気孔は、日野の大型車とは逆に左側にあります。この点は、RM100も同じでした。

ボディの組み合わせ・・・金産、帝国

日野RL 第2期 1975−1980
富士急行 日野RL320
RL320

撮影:沼津駅(1977.8.11)

岩手県北自動車 日野RL320(1978年式)
RL320

撮影:宮古駅(1985.8.8)

1975年にモデルチェンジを行い、エンジンの出力強化と長尺車の追加が行われ、RL300/320となりました。この時期、路線バスにも中型バスが次第に増えており、他メーカーの標準的な中型車に近いサイズのRL320の方が普及しているようです。
ボディはサッシ窓になった日野車体が標準で、外観的に見分けがつきます。
後面のエンジン通気孔は、大型車と同じ右側になりました。

ボディの組み合わせ・・・日野、富士

日野RL 第3期 1980−1981
弘南バス 日野K-RL321(1980年式)
RL321

撮影:弘南黒石駅(1981.8.16)

自家用 日野K-RL301
RL301

撮影:ヒツジさん様(真田町 2004.4.3)

1980年に昭和54年排ガス規制に対応してマイナーチェンジが行われ、直噴式エンジンに変更、末尾に1のつく型式に変わりました。この時期の他の日野車と同様、後部のエンジン通気孔がなくなった点で、外観上の区別がつきます。
1981年に後継のスケルトン構造のRJにモデルチェンジされ、この世代は短命に終わりました。なお、大型車では従来のモノコック構造と新しいスケルトン構造が並行生産されましたが、中型車については完全に切り替えられています。

ボディの組み合わせ・・・日野、富士

富士急行 日野K-RL301
RL301

撮影:盛岡駅(1986.5.18)

貸切車の上級車としてカーブドガラスを用いたもの。
1977年から生産されたスタイルですが、スケルトン化が進む貸切バス業界の先端を進んだ日野車体がモノコックボディに施した大胆な改良です。

日野RJ/RR レインボー 1981−2003

表6-3-3 日野RJ/RR
年式1981-19841984-19881988-1990
原動機型式
(出力)
EH700
(170PS)
H07C
(175PS)
H06C-T
(205PS)
H07C
(180PS)
H06C-T
(205PS)
軸距3800mmK-RJ170AA
K-RR170AA
P-RJ170BA
P-RR170BA
   
3930mm   P-RJ171CA
P-RR171CA
P-RR191CA
4400mmK-RJ172AA
K-RR172AA
P-RJ172BA
P-RR172BA
P-RR192BA  
4490mm   P-RJ172CA
P-RR172CA
(P-RR172DA)
P-RR192CA
(P-RR192DA)
備考RJ=リーフサス、RR=リーフ併用エアサス(1982年〜)
( )=高床式フレーム専用型式
京福電気鉄道 日野K-RJ172AA(1981年式)
RJ172A

撮影:福井駅(1982.3.28)

自家用 日野P-RJ172BA
RJ172BA

撮影:上田市(2010.7.28)

1981年に日野自動車は、貸切バスで確立したスケルトン構造を路線バスに取り入れて、中型車のモデルチェンジを行いました。
路線バスでの角張った車体は初めてのことで、他メーカーとの差は歴然としており、ユーザー層を広げる役目を果たしました。時は過疎路線などで中型車の市場が拡大基調にあり、この車両で中型車の持つ中途半端なイメージは完全に払拭されたと言えるでしょう。
同時に貸切タイプもスケルトン化されましたが、これもエアサスの採用やハイデッカータイプの設定など、中型車で初めてのバリエーションを設定しました。中型観光タイプと言えば自家用という常識を覆し、豪華貸切バスへと市場を広げています。
路線バス、観光バス含めて、「レインボー」と言う愛称がつけられています。

ボディの組み合わせ・・・日野、富士

(注1)
日野RLについては、ぽると出版(2014)「バスのカタログ38 日野RL」(バスラマ141号)の中で詳しく記載されています。
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